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第三章 零時零分零秒の少年。(1)

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1.
 瞼越しに感じた光で長針は目を覚ました。
 どうやら外は快晴らしく、カーテンの隙間からは眩しい朝日が漏れ出していた。
 時計を見ると九時を回ったところ。
 着替えてすぐに家を出ようと考えたが、デートに出かけた昨日の今日である。母、時子に妙なことを勘ぐられるのが嫌だったので二度寝することにした。
 次に目を覚ますと正午を少し回ったところだった。
 長針はもそもそと布団から這い出ると適当に食事を済ませ出かけることにした。

「ちょっと出かけてくる」

 スニーカーに足をかけながらできる限り自然さを装い言った。

「いってら……長針、何かあったの?」

 奥から顔をのぞかせた時子は長針の顔を見るや否や不安そうに皺を寄せた。

「え、」

 欺き通せる、そう確信していただけに長針は思わず言葉を詰まらせた。
 気が付くと家を飛び出していた。後ろから時子の声が聞こえたが耳を貸さなかった。
 突き当りの角を曲がると長針は足を止め、塀にもたれて荒い息を吐いた。

(はぁ、はぁ)

 可能な限り気取られないように振る舞ったのにあっさりと見抜かれてしまった。
 息子を長年見てきた母としての勘なのか、誰の目にもわかるほど今の自分は挙動不審なのか、わからない。
 ここまで走ってきた足は急に鉛のように重たくなる。
 三日前に動き出した自分の終末へのカウントダウン。
 三日前に迷い込んでしまった奇妙な世界。
 三日前から続くアテナとの関係。
 その全てが今日終わる。
 あの夕焼けの屋上に呼び出され、アテナの第一声から始まり今まで歩いてきた。
 その終着点にして答えたる葉書坂家の屋敷の前で足を止める。
 背後に山を望む丘陵地に建つ葉書坂の屋敷は改めてみると個人の自宅と言うよりも山奥の洋館と言う方がしっくりくる。昨日は精神的に滅入っていたせいで屋敷のことに気をまわしている余裕がなかったのだ。
 長針は訪問客を威嚇するように聳え立つ門を前に呆け面で突っ立っていた。
 物言わぬ門扉を前に考える。

(今日本当に俺は終わるのか?)

 何故かここで終わる気がしなかった。死を経験も観測もしたことがない。実感としてではなく、不確かな予感として思った。
 屋敷の門扉を前に長針が物思いにふけっていると細く開いた扉の隙間から時雨がこちらを覗いていた。

「いつまでそんな顔してるんだー? そんな顔した奴が家の前に立っていたら不審者に間違われるぞー?」
「え?」
 
 至って普通にしている、そう思い込んでいる長針は声を漏らした。

「これからお嬢に会うのに死人みたいな顔のまま通したら侍女としてのあたしの立場がないからなー」

 時雨はそう言いながら門を人が通れるほどに広げ長針を招き入れる。

「えっと、うん。悪い」

 長針は歯切れの悪い返事をしつつ、時雨に応じ門を潜った。
 時雨はそんなさえない顔のクラスメイトの姿にため息をつく。アテナの侍女として客人を迎え入れる立場とは別にクラスメイトとして見ていられなかった。
 敷地内に踏み込んだ長針は目の前に広がる景色に息を呑んだ。
 外から見た時とはまるで違う情景が広がっていた。
 門から玄関へと延びる通路は恐らく二十五メートルプールより長い。その途中には涼しげな水飛沫を上げる噴水まで設けてある。通路を挟むように植えられた花々も手入れが行き届いているらしく鮮やかに咲き乱れていた。

「んで、何しに来たんだー? 死にに来たのかー?」

 直球な物言いは主人譲りなのか、時雨は庭園に目を奪われていた長針に遠慮なく聞く。申し開きする時間さえ惜しかったので思ったまま肯定した。

「ああ、そうだよ」

 時雨はその返事が予想外だったのか目を丸くする。

「なんだよ?」
「そう言う風に腹を括れる奴ってなかなかいないもんだぞー?」

 時雨は門の戸締りをしながら言った。聞きようによっては非難とも賛辞とも取れる判断に困るものだった。
 長針の背後、門に施錠する重々しい音が失せた瞬間。長針を強烈な寒気が襲う。例えるなら神経に氷柱を直接押し付けられたような、そんなリアルな感覚。
 反射的に姿勢を下げると頭上を何かが通り過ぎた。それは銀色に輝く細長い物体。優雅さで満たされた庭園には似つかわしくない、存在してはいけないものだった。

「――何するんだ!?」

 砂を巻き上げながら着地した時雨に向けて長針は叫ぶ。その手には以前屋上で会った時に握られていた薙刀。

「大丈夫。今のはみねうちだぞー?」

 時雨は軽薄な口調で返事をすると凶刃を構え直す。いつの間にか襷が締められていた。

「うそつけ! 完全に首の位置だったぞ!? 何考えてんだ!?」
「今日死ぬなら一緒だぞー?」
「死ぬのと殺されるとじゃ全然違うだろ!?」

 時雨の理不尽な物言いにさすがの長針も声を荒げた。

「そうかー? あたしからすれば今ここでお前を殺すのと黙ってお嬢のもとへ行かせるとでは大違いだぞー?」

 噛み合わない返事に長針は眉を顰めた。時雨はどれほどの重量があるか分からない薙刀を鉛筆のようにくるくると回した。薙刀を片手で振り回すなど一介の女子高生にできる所作ではない。同時にそれが警告だと悟る。
 あれは薙刀の形をした警告灯だこれ以上こちらに入るな、そう言っているのだ。

「なぁ、指針川。ここから先はそれくらい腹を括って挑まないといけない世界だ。中途半端な気持ちなら今大人しくあたしに殺されろ。そしたら、悪いようにはならない」

 抽象的すぎて半分も理解できなかった。でもそこに軽薄さはない。親切心や慈悲と言うより老婆心や憐憫の方が近い。

「時雨の言っていることはよくわからない。それでも俺は行くよ。アテナが待っているなら俺はそれ以外の選択肢を選ばない」
「せっかくの人の忠告を聞かないのかー」

 再び軽薄な物言いに戻った時雨は薙刀を手の中で遊ばせると苛立たしげに地面に思い切り突き立てた。

「お嬢は二階の客間にいるぞー? 玄関は開けてあるから入ったら右手の廊下を付きあたりまで進めー。そしたら階段がある」

 時雨は長針にそう伝えると薙刀を手品のように虚空に消し、すんなりと引き下がり、道を開けた。

「分かった。時雨、今日までサンキューな!」

 長針は今生の別れにはあまりに軽い物言いで、時雨の返事を待たずに駆け出した。
 しんみりとするのは嫌だったが、礼を言わずにはいられなかったからだ。
 扉の向こうに消えた友人の背中を思い出しながら時雨は呟く。

「あれがこれから死ぬ人間の顔かよ」

 今日屋敷に前で見たときとは別人のように晴れやかな笑みを浮かべる長針が不憫で仕方がなかった。
 長針はまだ何も知らないのだから。

「またな指針川……人間を辞めたらまた会おうぜ」

 人影の消えた庭園の中、閉ざされた玄関の扉にそっと呟いた。
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