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第二話 終末へと至る日々。(5)

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5.
「ところで昼飯どうする?」
「今日は弁当持ってきてないから……学食に、するか?」

 昼休み、長針が四限目の授業に使った教科書を片付けて岡持と昼食の相談をしているときのことだった。
 昼飯と言うワードに長針は何かひっかかりを感じたのだ。
 しかし、その違和感に気づく前にその声は響いた。

「指針川長針はいますか?」

 名前を呼ばれて体が跳ねたのは生まれて初めての経験かもしれない。
 声のした方を振り返ると無表情で用件を告げるアテナと対応に困るクラス委員の姿が目に飛び込んできた。
 クラス委員の表情から察するに上級生が訪ねてきて困っているはわけではないと一目でわかった。
『葉書坂アテナ』が自分に向かって言葉を発していることに戸惑っているのだった。
 例えるなら言葉の通じない外国人に声をかけられてどう振る舞っていいか分からない顔だ。そうでなければ怪しい宗教勧誘につかまってどうやり過ごすかを考えている顔だ。
 長針は岡持に「すまん」と短く詫びを入れると颯爽と駆け出し、委員長に声をかけた。

「ごめん、委員長。代わる」
「指針川君、いたならもっと早く来てよ」

 非難するように言いながらもその顔は安堵していた。

「どうしたんだ? アテナ?」
「妙なことを聞きますね? 今は昼休みです。昼食を一緒に摂ろうと思って訪ねました」

 不思議そうに首を傾げるアテナの手を見ると巾着が二つ握られていた。

「案外大胆なんですね、アテナさん」
「再三申しますが私のことはアテナとお呼びください。敬称は不要です」

 他のクラスの女子が弁当片手に教室を訪ねてくれば冷やかしの対象になること間違いない。しかし、訪ねてきた人物が葉書坂アテナともなれば話は別である。
 教室内にいた誰もが冷やかしも軽口も叩かず時が止まったかのように成り行きを見守っていた。
 少なくとも奇人に目をつけられた可愛そうな奴と映っていただろう。アテナの次の言葉を聞くまでは。

「私たちは付き合っているのですから、これくらい当り前です」

 最早、一芸と言っても過言でもない。アテナは表情筋を動かさずにとんでもないことを口走った。

「おう、わかった……行こうか」

 長針は思わず手で顔を覆い、追い出すようにアテナを連れて教室を出た。アテナの一言を皮切りにざわつき始めたクラスメイト達の好奇の目から逃れたかった。
 それ以上に熱線のように背中を焼く視線から逃れたかった。

『――お嬢に変なことしやがったら薙刀の錆にしてやる』

 長針は生きた心地がしないまま教室を後にした。
 旧校舎の屋上に辿り着くと昇降口の陰に陣取られたシートの上に案内された。

「……涼しいな」

 訳が分からないまま教室から抜け出してきた長針は屋上からの景色を一息つきながら眺めていた。
 屋上で昼食と聞かされた時は冗談かと思った。しかし、いざ来てみると直射日光が当たらずに風通しがいい。快晴と言う今日の天気と相まってのんびり食事をするにはこれ以上ない場所だった。

「ここからの景色、気に入りましたか?」

 背後のシートの上でごそごそしているアテナが長針の背に尋ねた。

「昨日は景色どころじゃなかったからな」

 長針は屋上を囲む錆だらけの金網を触りながら振り返らず答え、ぼんやりと昨日のことを思い返していた。
 突然の呼び出し、死の宣告、命を示す時計の存在、薙刀を操るクラスメイト。
 そして、葉書坂アテナが彼女になった。
 文字通り一生分の驚きを凝縮したような日だった。

「……昨日の電話はこのためか」

 非日常の余韻から帰ってきた長針が対面したのはシートの上に正座して二人分の弁当箱を広げ、水筒のお茶をコポコポとコップに注ぐアテナの姿だった。
――昨晩のこと。
 床に就こうした長針の携帯電話に見知らぬ番号から着信があった。普段なら無視して就寝するところだったが虫の知らせか、第六感の働きか、明確な理由はないが長針は気づくと電話に出ていた。

『あなたの好きな食べ物を教えて下さい』

 受話器に耳をつけて第一声。電話の相手が放った言葉である。素性もわからない相手から好物を聞かれるなどもちろん初めての経験だった。
 しかし、声ではなく喋り方に覚えがあった長針は直ちにアテナだと気付いた。

「電話はお互いの素性を確認するところから始めるもんだろ? まして初めて連絡する番号なら尚更だろ?」
「申し訳ありません。緊張していました」

 長針の至って当然の指摘にアテナは静々と頭を下げた。

「……もしかして、電話をかけるのが初めてとか言わないだろうな?」

 お嬢と呼ばれるような家系の娘ならすべて使用人や侍女である時雨を介して行うのだろうか? 少ない知識というよりも偏見に近い考えで聞いた。

「ち、違います」

 卵焼きを摘まんだ手を止めアテナが口ごもる。長針は気にせず同じものを口に含み咀嚼する。

「この卵焼きうめーな。で? 何が違うんだ?」

 次はどれに箸をつけるか考えながらコップに口をつけ何気なく聞いた。

「……生まれて初めてできた彼氏への電話、緊張しないはずありません」

 無表情なまま顔を朱に染めるアテナは淡々とけれど普段より少し熱のこもった声で言う。

「ぶほっ!? そんなに恥ずかしいならメールで聞けばいいだろ?」

 長針はそう言いながら吹き出したお茶を袖で拭う。頭では理解していてもまだ恋人同士という実感がわかない長針からすれば(何故か)積極的なアテナの言動がいちいち強烈なインパクトを秘めている。

「メール……やはり、用件は口頭で伝えるべきだと私は思います」

 通話を肯定する一方でメールを忌避するような言い回しに長針は些細な疑問を抱いた。深く掘り返すつもりはなかったが、箸を伸ばすペースが露骨に速くなった姿を見れば一目瞭然だった。

「もしかして、メール嫌いなのか?」

 その瞬間、アテナの箸がぴたりと止まる。どうやら図星らしい。

「……メールの仕方はよくわかりません」

 長針は逆にアテナが淡々とキーを打つ姿を想像して苦笑した。

「何が面白いのですか?」

 内心で馬鹿にされたと思ったのかアテナはわずかに眉を吊り上げ長針を睨んだ。悪い意味で笑ったつもりはなかったが誤解されてしまったらしい。

「時雨とはメールとかしないのか?」
「あの子は基本的に私のすぐそばにいるので連絡することはほとんどありません。たまに連絡を取り合うこともありますがその時はすべて通話で済ませています」
「そうなのか?」

 長針は予想外と言わんばかりに目を丸くした。時雨の性格を考えればこういうことは率先してやりそうなのに。

「あの子はとても真面目な子なのでこう言った雑事には一切関与しようとしません」
「真面目? 時雨が?」

 自分なら絶対つけない形容詞だ。そう思いつつ長針は聞き返した。

「あなたの目にはあの子が真面目には映りませんか?」
「ごめん、全然」

 長針が思うまま答えるとアテナは少し悩ましげに唸り、話を続けた。

「私は教室であの子が周囲にどう言った振る舞いをしているか知りません。私たちの関係が露呈するのを避ける意味もあります」
「やっぱり二人の関係は他の連中には秘密なのか?」
「後ろめたくて隠しているつもりはありません。あえて言う必要がないからです。それに私とあの子の関係の説明を求められたとき私自身の能力の話もしなくてはならなくなりますから」

 なるほどと長針は思った。妙なことを勘ぐられないように校内では関係を断絶している。そう言うことなのだろう。

「だから、昨日のような口調で話すのは正直驚きました。そして、嬉しかった」

 アテナは弁当箱の底に視線を落とすとぽつりと呟いた。だったら何でそんな寂しそうな表情で話すのだろう……。
 人格を豹変させるほどの忠義で仕えながらろくにコミュニケーションも取らないなんて。
 強い絆で結ばれているように見えるだけに冷めた関係に見えてしまった。

「携帯の使い方くらい俺が教えてやるよ」
「え?」
「今携帯持ってるのか?」
「はい。これです」

 手渡された携帯を見た長針は頭を抱えた。

「マジか……これ、『楽々電話』だろ」

 それは扱い易さを優先させた代わりに機能を著しく低下させた高齢者向けの携帯電話だった。

「お前はお婆ちゃんか」
「どういう意味ですか?」
「むしろ何でこんなものを高校生が持ち歩いているのかを逆に聞きたい」
「携帯ショップで契約する際に『扱い易いものを下さい』と言ったらこれが用意されました」

 確かに客のニーズに応えるのが店員の仕事だ。とは言え、今どきの女子高校生に勧めるような代物ではない。
渋い顔をする長針に不安を覚えたのかアテナが尋ねてきた。

「もしかして、これではメールができないのでしょうか?」
「そんなことはない……っ」

 アテナの聞き方からメール自体をしたことがないこと悟った長針は前途多難だな、などと思いつつ携帯を開いた。
 そして、言葉を詰まらせた。
 待ち受け画面がプレインストールなのはアテナらしいといえばアテナらしかった。メールの操作を教えようとして電話帳を表示したところで長針は無意識のうちに手が止まっていた。
 登録された名前は『指針川長針』『時雨』の二件のみ。
 メールアドレスに至っては――ゼロ件。

「どうかしましたか?」

 異変を察知したアテナが同じように画面をのぞき込む。すると、ほんの僅かな時間、瞬きをすれば見逃すような間アテナは悲しげに表情を曇らせた。

「ご存知と思いますが私はこの学園に友達と呼べる間柄の方はいません。この電話も時雨が連絡手段として必要だからと言うから購入したに過ぎません。だから、気にしないで下さい」

 アテナは矢継ぎ早に言う。

「でも、その代わり今は彼氏がいます。つまりこれは世間でいうリア充です。私は現在、勝ち組ですよ」

 誤魔化すように捲し立てるアテナに何も言い返せなかった。校内で忌避され孤独を平気に振る舞う裏で望まぬ孤独に苛まれている姿を垣間見てしまった。

「……アテナでも妙な言葉使うことあるんだな」

 長針はあえて深くは触れなかった。正しくはどう扱っていいのかわからなかった。腫れ物に触るようとはこういうことなんだろう。長針はアテナに見えない方の手を白くなるまで握って己の無力さを呪った。

「そうですか? 私のことはどうでもいいのでメールの仕方を教えて下さい」

――どうでもいい。
 それは本心なのか? そう聞く勇気も持てず長針はただ、メールの操作方法を淡々と説明した。

「……これだけで終わりなのですか?」

 アテナはもともと機械音痴ではなかったらしい。長針が説明することを全て一度で理解して十分ほどでメールの送受信の機能を使いこなせるまでに成長した。

「アテナの物覚えがいいからだろ?」
「そうですか? 単にあなたの教え方が上手なのだと思います」

 お世辞のつもりではなかったがアテナは律儀に謙遜する。

「ん? もう練習はいいだろ?」

 長針が携帯を開くとアテナからのメールが受信ボックスに届いていた。長針は送受信の練習の一環として目の前の相手にメールを送り合うという滑稽な方法を提案した。
 だから、練習の延長と思い、何の迷いもなくそのメールを開いた。

「これで私も免許皆伝です」
「――っ」

 得意げに胸を張るアテナをよそに長針は絶句する。
 とてもアテナが打ち込んだとは思えない顔文字や記号で埋め尽くされた装飾過多な文面が表示されていたからだ。

「ところで長針」
「な、なんだ、アテナ?」

 不意に名前で呼ばれ狼狽する長針に食べ終わった弁当箱を手早く片付けながらアテナが声をかける。

「よろしければこちらもどうぞ」

 そう言ってアテナはもう一つ別の包みを取り出した。

「ん? もしかして、デザートか?」

 包みの方を見ながら弁当の量に若干の物足りなさを感じていた長針は期待に胸を膨らませる。するとアテナは「ん?」と不思議そうな表情でこちらを見てタッパーを開いて言った。

「手羽先です」
「……は?」
「ですから、手羽先です」

 アテナの思考を理解しきれぬまま手羽先は美味しくいただいた長針だった。

「ところで長針」

 手羽先の骨を片付け終えたアテナが同じように尋ねる。

「なんだ? 今度は北京ダックでも出てくるのか?」
「……意味が分かりません」

 少しからかったつもりだったが、真顔で食後に手羽先を出す彼女には通じなかったらしい。長針は手に付いた手羽先の油を舐めながらあることを思い出した。

「そうだ、アテナって姉妹がいるのか?」

 昨日の帰宅途中に出会い、今日も校舎裏で再開した少女。髪の色や性格は真反対だったがあまりにもアテナに似すぎていた。

「どういう意味ですか?」

 アテナはその質問に不思議そうな顔で首を傾げる。長針はアテナそっくりな人物に出会ったと要点だけの短い説明をする。

「いえ、残念ながら心当たりはありません」
「そう、なのか……」

 正直釈然としなかった。あれだけ酷似した容姿で全く無関係とは思えない。嘘をついている可能性を考えたが、アテナは平然と嘘をつけるほど器用な人間ではない。顔に出ることこそ少ないが動揺や焦りと言った感情をアテナは隠すのが下手なのだ。

(じゃあ、あいつは何者なんだ?)

 アテナに聞けば何か情報が得られると踏んでいた長針はいきなり暗礁に乗り上げた。
 そして、脳裏をよぎる嫌な予感。自分を未知の世界へと引き込んだアテナにさえ分からないことが裏で進行しているのではないか、と言う恐怖。

「それより、明日は土曜で学校は休みです」

 言い知れぬ不安を抱える長針とは対照的にアテナは普通に話しかける。

「世間一般のこ、恋人同士というのは休みの日に出かける風習があるそうです」

 他の作業をして気を紛らせながらのアテナなりの精一杯のアプローチであることに気づいた。
 しかし、恋人と言っても気休め程度の言葉と思っていた長針からすればこの提案は予想外であった。アテナと言う彼女は降って湧いたといっても過言ではない存在である。
 身を滅ぼしかねない恋人と言う甘美な響きに、自己防衛から過度な期待を抱かないようにしていた。

「……悪い、気が回らなくて」
「謝られるとこちらが悪いことをした気になります」
「じゃあ、明日は……その、恋人らしくデートでも行くか」

 口に出すのが恥ずかしい単語を連発しながら長針は(ほぼ誘導される形で)提案した。

「素晴らしいと思います」
「じゃあ、ど――」
「明日の朝十時に駅前広場。目的は私の携帯の機種変でいかがでしょうか?」

 どこに行こうか? と聞く間もなく、アテナの声に遮られた。

「……っ。分かった」

 業務連絡のような通達に私欲を漲らせたデートプランだった。

「では、また明日」

 アテナはそれだけ言い残すと重たいドアを軽々開いて屋上を後にした。
 二日連続で屋上に取り残された長針は現れるときも去るときも一味も二味も癖のある彼女に辟易するしかなかった。
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