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第二章
第22話 機械仕掛けのシンデレラ(5)『絵』
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5.
「なるほどねー、戦闘力は申し分ないなぁ。量産品の生体魔道砲とは言え、掠りもしないのは素直に好評できるね」
殺希は寝返りを打ちながら透哉の戦闘を評価すると、もそりと起き上がり、
「じゃあ、こういうのはどうかな?」
モニターに接続されたコンソールを操作し始める。
別画面に映し出されたのは、戦場へと繋がるシャッターの部屋。そこを内側から見た映像だ。
そして、整然と並べられているのは、黒い装備に身を包んだ待機中のアカリたち。
「芸がないのね」
「んー、これは在庫だよ?」
切り替わった映像を見るなり吐き捨てる湊。透哉の快勝と殺希の好評を得ても溜まった鬱憤は発散できていないらしい。早い話がまだご機嫌ななめなのである。
そんな湊をよそに、モニターに動きがあった。
隣接したハッチが開き、中から違う装いのアカリが歩み出る。奥には同種と思しき個体がまだ数体見受けられた。
湊は眉根を寄せる。トリを飾るには余りにも外観が普通過ぎた。
当然、外観そのままの性能とは思わないし、後発部隊として実戦投入する以上、性能が保証されていると考えた。
「特別な細工がしてあるのかしら?」
「特別と言うより標準かな? さっきまでの部隊は外観こそアカリだけど核は訓練用の流用だからね」
「ふぅん、このアカリはさぞかしお強いのでしょうね?」
「いいや? 弱いよ。間違いなく最弱だね。でも、だからこそ最強なんだよ?」
期待を込めて尋ねるも予想は空回り。抱いていた嫉妬心も忘れ、湊はポカンと口を半開きさせ、言葉に詰まる。
それに対し、殺希の口元は意味深に弧を描いていた。
そして、間もなく湊はその意味を知ることになる。
透哉が対峙するより先に、春日殺希の生み出した悪夢に戦慄いたのは湊だった。
戦場に立つ透哉の感情には苛立ちが混ざり始めていた。
実力を見せろと言われ、不本意ながら要望に応え、披露したつもりだった。
偽物でもアカリの姿形をした存在をこれ以上痛めつけたくはなかった。
それでもなお、いたずらに犠牲を増やすだけの無駄な戦いと殺戮を催促されている。
轟々と唸りを上げ、口を開けたシャッターの後、戦場に響いた足音は一つ。
何故か一つ。
先にあれだけの人数を導入しておきながら増援はたったの一人だった。
(一人だけ残っていた、残していたのか?)
透哉は踵を返し疾駆する。
迷いはとうに捨て去った。
死屍累々の血の園を行く。
狂った夜の深層へと至る。
(この先か)
透哉は壁伝いに一気に走り抜けると、自らアカリの前に躍り出る。これで最後だと、自身に暗示をかけ、祈願しながら。
対面と同時に降り注ぐ応射を避け、必殺で終わらせる。
この僅かな時間に一連の流れとなったルーチンの一つとして、処理する。
しかし、出会い頭の挨拶とも言える応射はなく、何故か武装もしていない。
それどころか、こちらを見ずに背中を向けて棒立ちしている。
(ふざけてんのか? 罠か?)
警戒を強めた透哉の耳に入ったのは、足下からの断続的な水音。
それは零れた血潮を踏んだ音。蹂躙する最中で幾度となく聞いたはずの音がやけに鼓膜を強く叩いたのだ。
(……銃撃が止んだからか)
理由は単純だった。
些細な水音は場内を支配していた銃撃音によって覆い隠されていた。
しかし、音源を駆逐したことで水音が透哉の存在を浮き彫りにした。襲撃するにしても余りにも猪突猛進が過ぎた。
当然、目前のアカリの耳にもその音は入った。
(くっ、一回距離を取る!)
一瞬、そのままの強行を躊躇したが断念した。相手の戦力を測り切れていないからだ。
武装した大人数のアカリをあれだけ一方的に殲滅したとは言え、透哉は油断していなかった。
一人だけで追加派兵されたアカリ。それが大人数に匹敵、あるいは凌駕する戦力として投入された、と考えた。
塀の裏に身を潜め、盗み見る。
もしかしたら、この程度の障害物など物ともせずに破壊する能力を秘めているかもしれない――と考えながら。
ゆっくりとした動作で、ツインテールを揺らし、振り返る制服姿のアカリ。
「え? 誰かいるの?」
その声は、盾とした塀を容易く貫き、透哉に直撃した。
まるで買い物の途中で親とはぐれた子供みたいな、自分の所在理由も理解していないおどおどとした挙動。
透哉は不可解に思いつつも、『雲切』を構え、アカリと視線が交錯する。
途端、アカリの瞳が透哉を捉え、認識し、光が宿る。
そして、透哉の見間違いでなければアカリの瞳は歓喜に揺れていた。
「と、透哉?」
囁くように口から漏れたアカリの声は震えていたが、どこか安心したように聞こえた。
暗い夜道で偶然、友人を見つけて、それまでの怯えが弛緩したような。
透哉を発見したことであからさまにアカリは顔を綻ばせたのだ。
「透哉っ!」
嬉々として歩み寄るアカリ。
この時点でもう透哉は目の前の存在を偽物だと思えなくなっていた。
先兵たちとは全く異なる挙動に、透哉は動揺した。
しかし、とある、あるはずもない可能性に辿り着いた。
殺希によって蘇生されたアカリが、自分を迎えに来たのではないか、と。
殺伐とした訓練を労うサプライズとして、迎えに来たのではないか、と。
無意味な殺戮を強制する地獄の戦場から、抜け出せるのではないか、と。
ぴちゃん。
足元から響いた不可解な水音に、アカリが首を傾げ、見る。
「これ何? べとべとして気持ち悪い……え、血じゃない!?」
足元の異変に気付いて声を上げ、答えと手がかりを求めて透哉を、見た。
しかし、直後その顔が固まる。
透哉の手、正確には右手に握られた物に釘付けになる。
赤いべっとりとした何かを付着させた長い物。
誰かの血で汚れた透明の刀を見た。
「何やってるの……透哉?」
「お前、こそ、こんなところで……」
「そうよ、ここどこなの? 私たち部屋でライブの録画を見て……あれ? なんで私、制服、しかも冬服なんて着てるの!?」
「……っ」
アカリはくるくると回って自分の身なりを確認した。
アカリのあどけなさが、透哉に痛いほどに伝わる。武装された鋳造品とは全く異なる存在。
パレットで出会ったときに来ていた制服の、アカリの言うところの冬服姿。帰宅途中に連れてこられたような場違いな格好。
迎えにきたとか、サプライズとか、さっきの都合のいい解釈は全てまやかしだった。
アカリの気持ちなど無視して、何も伝えられずにこの戦場に放り込まれたのだ。
だけど、アカリは笑みを絶やさない。
(何でそんな顔ができるんだよっ!? 怖くねぇのかよ、いきなりこんなところで目が覚めて、着た覚えもない服を着せられてっ!)
透哉の胸中の嘆きなどつゆ知らず、アカリは駆け寄ってくる。
真っ暗な場所が怖いから。
一人ぼっちが心細いから。
何より、透哉がいるから。
透哉の手と言葉が完全に止まった。
自ら入れたスイッチは、本人の意思に反して切られていた。
逡巡する透哉の耳元でノイズ音が鳴り、続けて湊の失笑混じりの声が聞こえる。
『どうしたの? 手が止まっているわよ?』
「――どう言うことだ!」
透哉の怒声に話し相手の湊ではなく、アカリがビクッと体を竦ませた。『白檻』を介しているので湊の声はアカリには聞こえていない。
それでも透哉が発する声から何か退っ引きならない状況を感じたのか、アカリの顔が曇る。
ただでさえよく分からない状況下に置かれ、その上頼りの透哉まで冷静さを失っているとなれば、不安にならない方がどうかしている。
『大丈夫よ、それもターゲット。オリジナルの最新版のコピーだそうよ?』
「何だと!?」
自分の名前を呼ぶアカリは、あからさまなコピーだった先発部隊とは違い、こちらを認識している。
それも今日の記憶を、今夜部屋で崩れ落ちる直前の記憶を持っている。
自分の名前を呼び、真っ赤な顔で怒鳴り、無垢な笑みで夢を語るアカリ。
その完全な再現。
「透哉、何があったの? 大丈夫?」
「……っ」
気遣いが透哉の良心に杭のように突き立つ。あろうことか、アカリは血だらけの凶器を持った透哉を被害者として心配し始めたのだ。
「それ、血じゃないの? 怪我してるの? 早く外に出て治療しないと」
何一つ警戒しないアカリは透哉に寄り、手を握った。
気遣われる資格などないのだ。
一方的な虐殺をしただけで、怪我など全く負っていない。
アカリの透哉を信じ切った言動の一つ一つが、糾弾する見えない剣となって透哉を貫く。
この場において湊と殺希の期待に応えることが、最良と判断した自分の頭を砕きたくなる。
献身的に自分の身を案じるアカリ。
いくら作り物だとか、コピー品だとか、事実を誤魔化す言葉を羅列されても、このアカリを躊躇なく手にかけられるほど腐ってはいない。
透哉はアカリの優しさを恐れ、後ろに下がった。
その致命的とも言える行動を、モニターしている二人が見逃すはずがなかった。
『あらあら、怯えているのね。ダメじゃない、透哉。言ったでしょ?『それ』は最新版のコピーだって。だから大丈夫よ。この後どんなことしても、本物のアカリの記憶に反映されない、残らない。ここで無残に殺そうとも、あなたが罪の意識に苛まれようとも、変わらずあなたに笑顔を振りまくでしょうね。不愉快なことに』
『ふふっ、どうしたのぉ~? 予想通りごねているのかな? ミナミトウヤは?』
『ええ、残念なことにね。でも大丈夫、不本意ながら今から見せてあげる。彼の、透哉の力を』
『それは楽しみだねぇ。『片天秤』がどれほどの魔法か観賞させて貰うよ?』
湊の舐るような甘い叱責と殺希の失笑が聞こえた。
聞き慣れないワードが耳を掠めたが、気にする余裕はなかった。
眼前のアカリまでも手にかけさせようとする悪意の蠢き、それに抗う術を透哉は模索していた。
しかし、
『透哉?』
「っ!?」
打って変わった優しい声での湊からの問いかけ。
その声から透哉は違う物を感じ取っていた。
まるで虚空から見えない腕が生えてきて首に絡みついてくるような、抗いようのない悪寒と不安。
声を、発することができなかった。
既に、透哉の中で傾き始めていた。
『思うがままに――やりなさい『片天秤』解除』
頭の中にあるバルブを捻られたみたいに、ぐるんと視界が揺らぎ、体の奥底から昇ってくる。
そして、抗えない無垢な衝動が透哉を突き動かす。
やる。やろう。やらねば。やらなくては――。
体が脈打つ度に、段階的に意識が薄まり、やがて、天秤が均衡を取り戻した。
傾けられていた感情が、平静に戻る。
抑圧されていた本質が、露わになる。
「透哉!? どうしたの大丈夫!?」
アカリの思いは透哉の耳には届かない。
直後アカリの瞳に映ったのは、迷いという枷から解き放たれた殺戮者の姿だった。
アカリの笑顔も、献身も、悲鳴も、
障害には、ならなかった。
「なるほどねー、戦闘力は申し分ないなぁ。量産品の生体魔道砲とは言え、掠りもしないのは素直に好評できるね」
殺希は寝返りを打ちながら透哉の戦闘を評価すると、もそりと起き上がり、
「じゃあ、こういうのはどうかな?」
モニターに接続されたコンソールを操作し始める。
別画面に映し出されたのは、戦場へと繋がるシャッターの部屋。そこを内側から見た映像だ。
そして、整然と並べられているのは、黒い装備に身を包んだ待機中のアカリたち。
「芸がないのね」
「んー、これは在庫だよ?」
切り替わった映像を見るなり吐き捨てる湊。透哉の快勝と殺希の好評を得ても溜まった鬱憤は発散できていないらしい。早い話がまだご機嫌ななめなのである。
そんな湊をよそに、モニターに動きがあった。
隣接したハッチが開き、中から違う装いのアカリが歩み出る。奥には同種と思しき個体がまだ数体見受けられた。
湊は眉根を寄せる。トリを飾るには余りにも外観が普通過ぎた。
当然、外観そのままの性能とは思わないし、後発部隊として実戦投入する以上、性能が保証されていると考えた。
「特別な細工がしてあるのかしら?」
「特別と言うより標準かな? さっきまでの部隊は外観こそアカリだけど核は訓練用の流用だからね」
「ふぅん、このアカリはさぞかしお強いのでしょうね?」
「いいや? 弱いよ。間違いなく最弱だね。でも、だからこそ最強なんだよ?」
期待を込めて尋ねるも予想は空回り。抱いていた嫉妬心も忘れ、湊はポカンと口を半開きさせ、言葉に詰まる。
それに対し、殺希の口元は意味深に弧を描いていた。
そして、間もなく湊はその意味を知ることになる。
透哉が対峙するより先に、春日殺希の生み出した悪夢に戦慄いたのは湊だった。
戦場に立つ透哉の感情には苛立ちが混ざり始めていた。
実力を見せろと言われ、不本意ながら要望に応え、披露したつもりだった。
偽物でもアカリの姿形をした存在をこれ以上痛めつけたくはなかった。
それでもなお、いたずらに犠牲を増やすだけの無駄な戦いと殺戮を催促されている。
轟々と唸りを上げ、口を開けたシャッターの後、戦場に響いた足音は一つ。
何故か一つ。
先にあれだけの人数を導入しておきながら増援はたったの一人だった。
(一人だけ残っていた、残していたのか?)
透哉は踵を返し疾駆する。
迷いはとうに捨て去った。
死屍累々の血の園を行く。
狂った夜の深層へと至る。
(この先か)
透哉は壁伝いに一気に走り抜けると、自らアカリの前に躍り出る。これで最後だと、自身に暗示をかけ、祈願しながら。
対面と同時に降り注ぐ応射を避け、必殺で終わらせる。
この僅かな時間に一連の流れとなったルーチンの一つとして、処理する。
しかし、出会い頭の挨拶とも言える応射はなく、何故か武装もしていない。
それどころか、こちらを見ずに背中を向けて棒立ちしている。
(ふざけてんのか? 罠か?)
警戒を強めた透哉の耳に入ったのは、足下からの断続的な水音。
それは零れた血潮を踏んだ音。蹂躙する最中で幾度となく聞いたはずの音がやけに鼓膜を強く叩いたのだ。
(……銃撃が止んだからか)
理由は単純だった。
些細な水音は場内を支配していた銃撃音によって覆い隠されていた。
しかし、音源を駆逐したことで水音が透哉の存在を浮き彫りにした。襲撃するにしても余りにも猪突猛進が過ぎた。
当然、目前のアカリの耳にもその音は入った。
(くっ、一回距離を取る!)
一瞬、そのままの強行を躊躇したが断念した。相手の戦力を測り切れていないからだ。
武装した大人数のアカリをあれだけ一方的に殲滅したとは言え、透哉は油断していなかった。
一人だけで追加派兵されたアカリ。それが大人数に匹敵、あるいは凌駕する戦力として投入された、と考えた。
塀の裏に身を潜め、盗み見る。
もしかしたら、この程度の障害物など物ともせずに破壊する能力を秘めているかもしれない――と考えながら。
ゆっくりとした動作で、ツインテールを揺らし、振り返る制服姿のアカリ。
「え? 誰かいるの?」
その声は、盾とした塀を容易く貫き、透哉に直撃した。
まるで買い物の途中で親とはぐれた子供みたいな、自分の所在理由も理解していないおどおどとした挙動。
透哉は不可解に思いつつも、『雲切』を構え、アカリと視線が交錯する。
途端、アカリの瞳が透哉を捉え、認識し、光が宿る。
そして、透哉の見間違いでなければアカリの瞳は歓喜に揺れていた。
「と、透哉?」
囁くように口から漏れたアカリの声は震えていたが、どこか安心したように聞こえた。
暗い夜道で偶然、友人を見つけて、それまでの怯えが弛緩したような。
透哉を発見したことであからさまにアカリは顔を綻ばせたのだ。
「透哉っ!」
嬉々として歩み寄るアカリ。
この時点でもう透哉は目の前の存在を偽物だと思えなくなっていた。
先兵たちとは全く異なる挙動に、透哉は動揺した。
しかし、とある、あるはずもない可能性に辿り着いた。
殺希によって蘇生されたアカリが、自分を迎えに来たのではないか、と。
殺伐とした訓練を労うサプライズとして、迎えに来たのではないか、と。
無意味な殺戮を強制する地獄の戦場から、抜け出せるのではないか、と。
ぴちゃん。
足元から響いた不可解な水音に、アカリが首を傾げ、見る。
「これ何? べとべとして気持ち悪い……え、血じゃない!?」
足元の異変に気付いて声を上げ、答えと手がかりを求めて透哉を、見た。
しかし、直後その顔が固まる。
透哉の手、正確には右手に握られた物に釘付けになる。
赤いべっとりとした何かを付着させた長い物。
誰かの血で汚れた透明の刀を見た。
「何やってるの……透哉?」
「お前、こそ、こんなところで……」
「そうよ、ここどこなの? 私たち部屋でライブの録画を見て……あれ? なんで私、制服、しかも冬服なんて着てるの!?」
「……っ」
アカリはくるくると回って自分の身なりを確認した。
アカリのあどけなさが、透哉に痛いほどに伝わる。武装された鋳造品とは全く異なる存在。
パレットで出会ったときに来ていた制服の、アカリの言うところの冬服姿。帰宅途中に連れてこられたような場違いな格好。
迎えにきたとか、サプライズとか、さっきの都合のいい解釈は全てまやかしだった。
アカリの気持ちなど無視して、何も伝えられずにこの戦場に放り込まれたのだ。
だけど、アカリは笑みを絶やさない。
(何でそんな顔ができるんだよっ!? 怖くねぇのかよ、いきなりこんなところで目が覚めて、着た覚えもない服を着せられてっ!)
透哉の胸中の嘆きなどつゆ知らず、アカリは駆け寄ってくる。
真っ暗な場所が怖いから。
一人ぼっちが心細いから。
何より、透哉がいるから。
透哉の手と言葉が完全に止まった。
自ら入れたスイッチは、本人の意思に反して切られていた。
逡巡する透哉の耳元でノイズ音が鳴り、続けて湊の失笑混じりの声が聞こえる。
『どうしたの? 手が止まっているわよ?』
「――どう言うことだ!」
透哉の怒声に話し相手の湊ではなく、アカリがビクッと体を竦ませた。『白檻』を介しているので湊の声はアカリには聞こえていない。
それでも透哉が発する声から何か退っ引きならない状況を感じたのか、アカリの顔が曇る。
ただでさえよく分からない状況下に置かれ、その上頼りの透哉まで冷静さを失っているとなれば、不安にならない方がどうかしている。
『大丈夫よ、それもターゲット。オリジナルの最新版のコピーだそうよ?』
「何だと!?」
自分の名前を呼ぶアカリは、あからさまなコピーだった先発部隊とは違い、こちらを認識している。
それも今日の記憶を、今夜部屋で崩れ落ちる直前の記憶を持っている。
自分の名前を呼び、真っ赤な顔で怒鳴り、無垢な笑みで夢を語るアカリ。
その完全な再現。
「透哉、何があったの? 大丈夫?」
「……っ」
気遣いが透哉の良心に杭のように突き立つ。あろうことか、アカリは血だらけの凶器を持った透哉を被害者として心配し始めたのだ。
「それ、血じゃないの? 怪我してるの? 早く外に出て治療しないと」
何一つ警戒しないアカリは透哉に寄り、手を握った。
気遣われる資格などないのだ。
一方的な虐殺をしただけで、怪我など全く負っていない。
アカリの透哉を信じ切った言動の一つ一つが、糾弾する見えない剣となって透哉を貫く。
この場において湊と殺希の期待に応えることが、最良と判断した自分の頭を砕きたくなる。
献身的に自分の身を案じるアカリ。
いくら作り物だとか、コピー品だとか、事実を誤魔化す言葉を羅列されても、このアカリを躊躇なく手にかけられるほど腐ってはいない。
透哉はアカリの優しさを恐れ、後ろに下がった。
その致命的とも言える行動を、モニターしている二人が見逃すはずがなかった。
『あらあら、怯えているのね。ダメじゃない、透哉。言ったでしょ?『それ』は最新版のコピーだって。だから大丈夫よ。この後どんなことしても、本物のアカリの記憶に反映されない、残らない。ここで無残に殺そうとも、あなたが罪の意識に苛まれようとも、変わらずあなたに笑顔を振りまくでしょうね。不愉快なことに』
『ふふっ、どうしたのぉ~? 予想通りごねているのかな? ミナミトウヤは?』
『ええ、残念なことにね。でも大丈夫、不本意ながら今から見せてあげる。彼の、透哉の力を』
『それは楽しみだねぇ。『片天秤』がどれほどの魔法か観賞させて貰うよ?』
湊の舐るような甘い叱責と殺希の失笑が聞こえた。
聞き慣れないワードが耳を掠めたが、気にする余裕はなかった。
眼前のアカリまでも手にかけさせようとする悪意の蠢き、それに抗う術を透哉は模索していた。
しかし、
『透哉?』
「っ!?」
打って変わった優しい声での湊からの問いかけ。
その声から透哉は違う物を感じ取っていた。
まるで虚空から見えない腕が生えてきて首に絡みついてくるような、抗いようのない悪寒と不安。
声を、発することができなかった。
既に、透哉の中で傾き始めていた。
『思うがままに――やりなさい『片天秤』解除』
頭の中にあるバルブを捻られたみたいに、ぐるんと視界が揺らぎ、体の奥底から昇ってくる。
そして、抗えない無垢な衝動が透哉を突き動かす。
やる。やろう。やらねば。やらなくては――。
体が脈打つ度に、段階的に意識が薄まり、やがて、天秤が均衡を取り戻した。
傾けられていた感情が、平静に戻る。
抑圧されていた本質が、露わになる。
「透哉!? どうしたの大丈夫!?」
アカリの思いは透哉の耳には届かない。
直後アカリの瞳に映ったのは、迷いという枷から解き放たれた殺戮者の姿だった。
アカリの笑顔も、献身も、悲鳴も、
障害には、ならなかった。
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