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第二章
第18話 ライブ・オブ・エレメント(3)『絵』
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3.
心身を疲弊した透哉が、意識を逸らせようと視線を斜め前方に落とすと、見知らぬ女性と目が合った――気がした。
あくまで顔の向きと姿勢によって判断したのだ。
透哉の視線の先には目を閉じた妙齢の女性、改め妙な年格好の女性がいた。
てっきり下の列に座った客と目が合ったのかと思ったが、透哉の席は最前列だ。
早い話、女性が観覧席の通路にうつ伏せになって顔だけ起こし、寝起きに目覚ましを確認するような姿勢でこちらに顔を向けているのだ。
本来あり得ない位置で噛み合う視線に透哉は思わず目を瞬かせた。
「……っ?」
突然のことに少なからず驚いた透哉とは裏腹に、女性側に驚いた様子はない。
両腕を投げ出した状態で、土足の往来にうつ伏せになっていることへの疑問も抱いていない。
これは関わるべきではない。透哉の経験則が警鐘を鳴らす。
(あれだな。多分この女はヤベー奴だ)
しかし、同時に腹をくくる。過去に同様のシチュエーションから逃げられた試しがないからだ。
現にうつ伏せ女は透哉が視線を外した後も、目を閉じたままずっとこちらを凝視している。
薄暗くて顔ははっきりしないが、シルエットだけで奇抜な装いだと窺えた。
つばの広い麦わら帽子を被り、季節感を完全に無視したカーキ色のコートを着込んでいる。
色合いと姿勢が相まって暑さに負けてだらけたスフィンクスみたいだ。空調が効いているため場内は涼しいが、今の季節からはかなり外れたコーディネートである。
繰り返すが、そんな女が通路にうつ伏せになって気だるそうにこちらを仰ぎ見ている。
「んー? もう開演時間かな?」
間延びした声に透哉が視線を戻すとうつ伏せ女がゆっくりと立ち上がる。
ヒールの高いパンプスにビンテージジーンズを穿きこなす優美な肢体が座ったままの透哉の眼前に聳え立つ。
横になっていたせいで分かりづらかったが身長は透哉より低い。
襟足から伸びる複数の三つ編みは足元にまで達していて、末端にはリング状の髪飾りが結ばれている。もはや髪の毛を着ているとか、背負っているとか言ってしまえるほどの毛量である。
観客席よりもステージ上の方が似合いそうな風変わりな容貌だが、酷く眠そうな顔と丸まった背筋、ダラリと垂れ下がった両腕が全てを台無しにしている。
女は口元を僅かに緩ませると、もそもそと体をくねらせて通路を移動する。
それに伴って澄んだ金属音が響く。何らかの楽器の仕業と思ったが、音源は女の三つ編みの先に結われたリングで、それぞれが接触して踊るように音を奏でている。
女は三歩ほど歩いた後、再び通路にうつ伏せになる。
と言うか、自分の髪の毛を踏ん付けた挙げ句、足がもつれて転んだ。
一瞬、モデルを彷彿させた身をくねらせる動作も、単にうまくバランスが取れていないだけだった。
「ふぅ、疲れた。少し横になろうかな」
「思いっきり転んだだろ!?」
うつ伏せ女は透哉のツッコミに「うははっ」と楽しそうに笑うと身を捩ってもそもそ動いて透哉の足下に滑り込む。
その姿は麦わら帽子を被った蠢く奇妙なモップだ。
あからさまな不審人物だが、反対席の初老の男が静観している点を加味すると名のある人物なのかも知れない。
再度モゾモゾと動くモップ女に視線を向け、単純に関わりを持ちたくないのだろうと考え直す。
「珍しいお客さんが居れば大人としては確認せずには居られないんだ。悪く思わないでね?」
「場違いなのは自覚しているが、疑われてばかりで余り気分は良くないな。ゲートの警備員から数えるとあんたで三人目だ」
あんたの方がよっぽど珍しいよ、とはあえて突っ込まない。
座席に座りながらだと相手を見下している風に見られたら嫌だなぁと思いつつ、平静を装い言葉を交わす。
これに関しては相手が勝手に床を這っているのだから仕方がない。こちらが無理に目線を合わせる必要もない。
女の言い方から察するに、どうやら先程のやりとりを見ていたのだろう。しかし、疑いの目に晒され続けて透哉は既にうんざりしている。
初対面とは思えない透哉の応酬に女側からの反応はない。相手の出方を見たい透哉としては苛立つなり、面白がるなり何かしらの変化が欲しい。
こう言う相手が一番扱いに困る。
透哉の無礼な言動に戸惑っていたのか、はたまた、別の理由か女は僅かに考えるような素振りを見せた後、口を開く。
寝転んだままとは思えない淡々した口調で語られたのは無難な言い分。
「残念ながらその数え方だと二人だね。私は君を疑っているわけではないからね。ただ、変わったお客さんだ。そう思っただけだよ」
「大差がないと思うが?」
「そうかなー」
どこかくたびれた風に肩を落とす透哉の姿に、女はぷすりと空気が抜けたみたいな笑みをこぼす。
含まれた意味合いはさっきの男と同じでもニュアンスが違うだけでこうも印象が違う。掴み所がないというか、わざと思惑を隠している風に見えた。
とは言え、少し変わった子供がいる程度で大人が這い寄って話しかけてくるとは考えられなかった。
女のふわふわとしたやり取りの裏に必ず何か意図がある、透哉はそう睨んだ。
それを証拠に、女は未だに目を閉ざしたままだ。顔を向き合わせ、幾度も会話を交わしているにも拘らず、である。
そして、通路に寝そべった相手との会話は予想以上に疲れる。
現時点では敵意も悪意も感じられないし、真面目なのかふざけているのかもはっきりしない。
その矢先、女が寝返りを打つように体を横にしながら言う。
「それともう一つ。私は君に関わりがあるはずだから」
「床に寝転んだまま話す知人はいないが?」
「はははっ、辛辣。まぁ、身内の知り合いといったところかな?」
「じゃあ、他人だな」
女の発言に透哉は目の色を変える。
眼下のうつ伏せ女(今は横になっているが)は良くも悪くもただ者ではない。
女の言葉から推察するに流耶か湊を挟んだ縁者と言うことだろう。それでなければこんな変人が都合よく寝ているはずがない。ほとんど消去法だがこのタイミングで接触してくる存在が他に思い浮かばなかった。
「すやー」
「話の途中で寝るか普通!?」
「ごめんごめん、君の反応が余りにも薄いので睡魔に負けてしまったよ。開演前になったら起こしてねー」
「だから、寝るな!」
「んんー、物怖じしないのは噂通りかなー」
素性を聞く程度なら世間話の一環として問題はないだろう、そう考えて開演までの暇つぶしにと少し踏み込んだ質問を投げかけた。
「それであんたは何者だ?」
「私? 私は第六学区の研究所の職員だよ。こー見えて結構偉いのだよ?」
「えっと……そう、なのか」
十中八九煙に巻かれるだろうと思っていたが女は即答した。予想外の業務的な答えに透哉は生返事しか出ない。
学区ごとに異なる分野の研究開発をしているところまでは聞いたが、どの学区が何をしているかまでは知らされていない。
現に第六学区と言われても何一つピンとこない。
そして、そんな立場の人間がコンサートホールに足を運び、あまつさえ寝転んだまま自分に声をかけてくるとは思ってもいない。
けれど、肝心の自分との繋がりが全く見えてこない。
「同時に、春日アカリの母親だよ」
「あいつの? 親子という割には似てねぇな」
「ふふっ、そうかなぁ?」
ズケズケと言いたいことを言う透哉に、終始フワフワした口調だった女に僅かながら変化があった。
透哉は女の表情が一瞬、固くなったことを見逃さなかった。余計なことを口にしてしまったらしい。
「それで、その母親が俺に何か用か?」
「娘が男の子を招待したとあっては母としては気が気ではないからねぇ~」
「言葉の割には余裕そうに見えるんだけど?」
「そーかな?」
「子供の交友関係に首を突っ込むと嫌がられるんじゃねーのか?」
女は依然として通路に寝転がったまま意味深に微笑む。
(と言うか、床に寝転がった知人の母親と会話ってどんな状況なんだ)
明確な不信感を向けてきたさっきの男の方が扱いとしては楽な気がしてきた。
複雑な胸中の透哉をよそに、女はふわりと身を翻し、(寝返りをして)自分の席に戻る。
そして、すぅっと仰向けの姿勢のまま、膝も曲げずに立ち上がった。
幾本もの三つ編みが奇怪に揺れ、先端に結ばれた髪飾りが錫杖のようなシャンっと言う音色を響かせる。
(こいつ、今髪の毛で立ち上がったのか?)
「自己紹介がまだだったねぇ。私は春日サツキ。今度、場所を変えてじっくり話しをしたいなぁ」
完全に気を抜いていたため自信は持てなかったが、あんな不自然な体の起こし方は普通の人間には出来ない。見間違いや、デバイスの類いを疑ったが答えは出なかった。
透哉は『原石』の力を使うか迷った。
そんな透哉をサツキは座席に座って、相変わらず目は閉ざしたまま見ていた。
寝起きのけだるさが色濃い表情。何かを企んでいるようには見えない。
それでも未だに閉じられたままの目に何もかも見透かされている気がして、透哉は動くことが出来なかった。
種を見破られることを恐れて手品が出来なくなってしまうみたいに。
結局、『原石』の使用は控えた。
「今更だけど、目を開けて話をするべきじゃないのか?」
「んー? それは止めておいた方がいいかな。君のためにも」
「なんだと?」
「私の目を見たら君が……」
「っ」
透哉は息を飲んだ。サツキの出す気配と纏う空気の変調を感じ取ったからだ。
「君が私に惚れてしまうから」
「――んでだよ!?」
「だから、私のラブリーセクシーな瞳に魅了されてコンサートどころではなくなってしまうからね」
「寝ぼけ眼にどうやってときめけと!?」
「どっ! どはははぁ!」
言葉とは裏腹に声は笑っていない。笑い声を棒読みしているような口調だった。依然として閉じられた目を加味してもからかわれている。
「と言うわけで私は寝るから開演になったら起こしてねぇ~?」
「元から寝ている奴をどう起こせってんだよ?」
「すやぁ」
「ああ、もうどうでもいい! いや、おい、あんた、どうなってんだ! 二秒前は座席に座っていませんでしたっけ!?」
「どうにも椅子というモノが苦手でね」
ほんの一瞬視線を外した隙にサツキは床に伏せていて、慌てる余り透哉の口から変な敬語が飛び出した。
サツキが椅子に這い上がる姿を横目で確認して視線を前に戻す。
しかし、すべり台に置いたこんにゃくみたいに、にゅるりと滑り落ちるのが視界の端に移る。
「もうこのままでいいかなぁ」
「ステージ見えねぇだろ?」
「大丈夫、何度か来て見たことがあるから」
サツキは言い終えると岩場に張り付いたヒトデのように三つ編みを振り乱したまま仰向けになり、顔に麦わら帽子を乗せて完全に寝入ってしまう。
「君はしっかり見てあげてねー」
「まさか寝ている奴に注意を受けると思わなかった」
「それと、開演後はスマホの使用は厳禁だよ?」
「知ってるよ。時間を確認してただけだ」
時計を見終わり、スマホを片付けて透哉はふと、気付く。
(と言うか、今どこから見た?)
サツキの顔は麦わら帽子に覆われていて見えない。疑問の最中、不自然に三つ編みの一本が動いた気がした。
そんな透哉の疑問は開演の歓声によって払拭された。
心身を疲弊した透哉が、意識を逸らせようと視線を斜め前方に落とすと、見知らぬ女性と目が合った――気がした。
あくまで顔の向きと姿勢によって判断したのだ。
透哉の視線の先には目を閉じた妙齢の女性、改め妙な年格好の女性がいた。
てっきり下の列に座った客と目が合ったのかと思ったが、透哉の席は最前列だ。
早い話、女性が観覧席の通路にうつ伏せになって顔だけ起こし、寝起きに目覚ましを確認するような姿勢でこちらに顔を向けているのだ。
本来あり得ない位置で噛み合う視線に透哉は思わず目を瞬かせた。
「……っ?」
突然のことに少なからず驚いた透哉とは裏腹に、女性側に驚いた様子はない。
両腕を投げ出した状態で、土足の往来にうつ伏せになっていることへの疑問も抱いていない。
これは関わるべきではない。透哉の経験則が警鐘を鳴らす。
(あれだな。多分この女はヤベー奴だ)
しかし、同時に腹をくくる。過去に同様のシチュエーションから逃げられた試しがないからだ。
現にうつ伏せ女は透哉が視線を外した後も、目を閉じたままずっとこちらを凝視している。
薄暗くて顔ははっきりしないが、シルエットだけで奇抜な装いだと窺えた。
つばの広い麦わら帽子を被り、季節感を完全に無視したカーキ色のコートを着込んでいる。
色合いと姿勢が相まって暑さに負けてだらけたスフィンクスみたいだ。空調が効いているため場内は涼しいが、今の季節からはかなり外れたコーディネートである。
繰り返すが、そんな女が通路にうつ伏せになって気だるそうにこちらを仰ぎ見ている。
「んー? もう開演時間かな?」
間延びした声に透哉が視線を戻すとうつ伏せ女がゆっくりと立ち上がる。
ヒールの高いパンプスにビンテージジーンズを穿きこなす優美な肢体が座ったままの透哉の眼前に聳え立つ。
横になっていたせいで分かりづらかったが身長は透哉より低い。
襟足から伸びる複数の三つ編みは足元にまで達していて、末端にはリング状の髪飾りが結ばれている。もはや髪の毛を着ているとか、背負っているとか言ってしまえるほどの毛量である。
観客席よりもステージ上の方が似合いそうな風変わりな容貌だが、酷く眠そうな顔と丸まった背筋、ダラリと垂れ下がった両腕が全てを台無しにしている。
女は口元を僅かに緩ませると、もそもそと体をくねらせて通路を移動する。
それに伴って澄んだ金属音が響く。何らかの楽器の仕業と思ったが、音源は女の三つ編みの先に結われたリングで、それぞれが接触して踊るように音を奏でている。
女は三歩ほど歩いた後、再び通路にうつ伏せになる。
と言うか、自分の髪の毛を踏ん付けた挙げ句、足がもつれて転んだ。
一瞬、モデルを彷彿させた身をくねらせる動作も、単にうまくバランスが取れていないだけだった。
「ふぅ、疲れた。少し横になろうかな」
「思いっきり転んだだろ!?」
うつ伏せ女は透哉のツッコミに「うははっ」と楽しそうに笑うと身を捩ってもそもそ動いて透哉の足下に滑り込む。
その姿は麦わら帽子を被った蠢く奇妙なモップだ。
あからさまな不審人物だが、反対席の初老の男が静観している点を加味すると名のある人物なのかも知れない。
再度モゾモゾと動くモップ女に視線を向け、単純に関わりを持ちたくないのだろうと考え直す。
「珍しいお客さんが居れば大人としては確認せずには居られないんだ。悪く思わないでね?」
「場違いなのは自覚しているが、疑われてばかりで余り気分は良くないな。ゲートの警備員から数えるとあんたで三人目だ」
あんたの方がよっぽど珍しいよ、とはあえて突っ込まない。
座席に座りながらだと相手を見下している風に見られたら嫌だなぁと思いつつ、平静を装い言葉を交わす。
これに関しては相手が勝手に床を這っているのだから仕方がない。こちらが無理に目線を合わせる必要もない。
女の言い方から察するに、どうやら先程のやりとりを見ていたのだろう。しかし、疑いの目に晒され続けて透哉は既にうんざりしている。
初対面とは思えない透哉の応酬に女側からの反応はない。相手の出方を見たい透哉としては苛立つなり、面白がるなり何かしらの変化が欲しい。
こう言う相手が一番扱いに困る。
透哉の無礼な言動に戸惑っていたのか、はたまた、別の理由か女は僅かに考えるような素振りを見せた後、口を開く。
寝転んだままとは思えない淡々した口調で語られたのは無難な言い分。
「残念ながらその数え方だと二人だね。私は君を疑っているわけではないからね。ただ、変わったお客さんだ。そう思っただけだよ」
「大差がないと思うが?」
「そうかなー」
どこかくたびれた風に肩を落とす透哉の姿に、女はぷすりと空気が抜けたみたいな笑みをこぼす。
含まれた意味合いはさっきの男と同じでもニュアンスが違うだけでこうも印象が違う。掴み所がないというか、わざと思惑を隠している風に見えた。
とは言え、少し変わった子供がいる程度で大人が這い寄って話しかけてくるとは考えられなかった。
女のふわふわとしたやり取りの裏に必ず何か意図がある、透哉はそう睨んだ。
それを証拠に、女は未だに目を閉ざしたままだ。顔を向き合わせ、幾度も会話を交わしているにも拘らず、である。
そして、通路に寝そべった相手との会話は予想以上に疲れる。
現時点では敵意も悪意も感じられないし、真面目なのかふざけているのかもはっきりしない。
その矢先、女が寝返りを打つように体を横にしながら言う。
「それともう一つ。私は君に関わりがあるはずだから」
「床に寝転んだまま話す知人はいないが?」
「はははっ、辛辣。まぁ、身内の知り合いといったところかな?」
「じゃあ、他人だな」
女の発言に透哉は目の色を変える。
眼下のうつ伏せ女(今は横になっているが)は良くも悪くもただ者ではない。
女の言葉から推察するに流耶か湊を挟んだ縁者と言うことだろう。それでなければこんな変人が都合よく寝ているはずがない。ほとんど消去法だがこのタイミングで接触してくる存在が他に思い浮かばなかった。
「すやー」
「話の途中で寝るか普通!?」
「ごめんごめん、君の反応が余りにも薄いので睡魔に負けてしまったよ。開演前になったら起こしてねー」
「だから、寝るな!」
「んんー、物怖じしないのは噂通りかなー」
素性を聞く程度なら世間話の一環として問題はないだろう、そう考えて開演までの暇つぶしにと少し踏み込んだ質問を投げかけた。
「それであんたは何者だ?」
「私? 私は第六学区の研究所の職員だよ。こー見えて結構偉いのだよ?」
「えっと……そう、なのか」
十中八九煙に巻かれるだろうと思っていたが女は即答した。予想外の業務的な答えに透哉は生返事しか出ない。
学区ごとに異なる分野の研究開発をしているところまでは聞いたが、どの学区が何をしているかまでは知らされていない。
現に第六学区と言われても何一つピンとこない。
そして、そんな立場の人間がコンサートホールに足を運び、あまつさえ寝転んだまま自分に声をかけてくるとは思ってもいない。
けれど、肝心の自分との繋がりが全く見えてこない。
「同時に、春日アカリの母親だよ」
「あいつの? 親子という割には似てねぇな」
「ふふっ、そうかなぁ?」
ズケズケと言いたいことを言う透哉に、終始フワフワした口調だった女に僅かながら変化があった。
透哉は女の表情が一瞬、固くなったことを見逃さなかった。余計なことを口にしてしまったらしい。
「それで、その母親が俺に何か用か?」
「娘が男の子を招待したとあっては母としては気が気ではないからねぇ~」
「言葉の割には余裕そうに見えるんだけど?」
「そーかな?」
「子供の交友関係に首を突っ込むと嫌がられるんじゃねーのか?」
女は依然として通路に寝転がったまま意味深に微笑む。
(と言うか、床に寝転がった知人の母親と会話ってどんな状況なんだ)
明確な不信感を向けてきたさっきの男の方が扱いとしては楽な気がしてきた。
複雑な胸中の透哉をよそに、女はふわりと身を翻し、(寝返りをして)自分の席に戻る。
そして、すぅっと仰向けの姿勢のまま、膝も曲げずに立ち上がった。
幾本もの三つ編みが奇怪に揺れ、先端に結ばれた髪飾りが錫杖のようなシャンっと言う音色を響かせる。
(こいつ、今髪の毛で立ち上がったのか?)
「自己紹介がまだだったねぇ。私は春日サツキ。今度、場所を変えてじっくり話しをしたいなぁ」
完全に気を抜いていたため自信は持てなかったが、あんな不自然な体の起こし方は普通の人間には出来ない。見間違いや、デバイスの類いを疑ったが答えは出なかった。
透哉は『原石』の力を使うか迷った。
そんな透哉をサツキは座席に座って、相変わらず目は閉ざしたまま見ていた。
寝起きのけだるさが色濃い表情。何かを企んでいるようには見えない。
それでも未だに閉じられたままの目に何もかも見透かされている気がして、透哉は動くことが出来なかった。
種を見破られることを恐れて手品が出来なくなってしまうみたいに。
結局、『原石』の使用は控えた。
「今更だけど、目を開けて話をするべきじゃないのか?」
「んー? それは止めておいた方がいいかな。君のためにも」
「なんだと?」
「私の目を見たら君が……」
「っ」
透哉は息を飲んだ。サツキの出す気配と纏う空気の変調を感じ取ったからだ。
「君が私に惚れてしまうから」
「――んでだよ!?」
「だから、私のラブリーセクシーな瞳に魅了されてコンサートどころではなくなってしまうからね」
「寝ぼけ眼にどうやってときめけと!?」
「どっ! どはははぁ!」
言葉とは裏腹に声は笑っていない。笑い声を棒読みしているような口調だった。依然として閉じられた目を加味してもからかわれている。
「と言うわけで私は寝るから開演になったら起こしてねぇ~?」
「元から寝ている奴をどう起こせってんだよ?」
「すやぁ」
「ああ、もうどうでもいい! いや、おい、あんた、どうなってんだ! 二秒前は座席に座っていませんでしたっけ!?」
「どうにも椅子というモノが苦手でね」
ほんの一瞬視線を外した隙にサツキは床に伏せていて、慌てる余り透哉の口から変な敬語が飛び出した。
サツキが椅子に這い上がる姿を横目で確認して視線を前に戻す。
しかし、すべり台に置いたこんにゃくみたいに、にゅるりと滑り落ちるのが視界の端に移る。
「もうこのままでいいかなぁ」
「ステージ見えねぇだろ?」
「大丈夫、何度か来て見たことがあるから」
サツキは言い終えると岩場に張り付いたヒトデのように三つ編みを振り乱したまま仰向けになり、顔に麦わら帽子を乗せて完全に寝入ってしまう。
「君はしっかり見てあげてねー」
「まさか寝ている奴に注意を受けると思わなかった」
「それと、開演後はスマホの使用は厳禁だよ?」
「知ってるよ。時間を確認してただけだ」
時計を見終わり、スマホを片付けて透哉はふと、気付く。
(と言うか、今どこから見た?)
サツキの顔は麦わら帽子に覆われていて見えない。疑問の最中、不自然に三つ編みの一本が動いた気がした。
そんな透哉の疑問は開演の歓声によって払拭された。
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