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第二章
第16話 砕かれた想い。(3)『絵』
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3.
放課後。
一日の授業を終えた透哉とホタルの二人は旧夜ノ島学園の敷地を訪れていた。
しかし、破壊された石碑の惨状を前にした途端、ホタルが膝から崩れ落ちた。
「嘘だと思いたかったが……こんな酷いっ」
「しっかりしろ、源!?」
放心状態のホタルは誰にでもなくそう漏らした。
一度先に見ていたことが幸いし、透哉への衝撃は薄かった。それでも、明るい時間帯に改めて見たことで、悲惨な破壊の爪痕がより鮮明に確認できた。
昨晩見た通り、正面からの強い衝撃により石碑諸共献花台と並べていた二組の机と椅子が弾け飛んでいる。
ここを整備した二人でなければただの荒廃した場所にしか映らない、それくらい跡形もない。
不思議と誰がとも、何故とも、思わなかった。
石碑が破壊され、自分たちの想いが踏みにじられたことへの哀しみが上回っていた。
壊されたおもちゃを前に無心に泣きじゃくる子供のように、敵意も悪意も知らず、失った物をただ哀しんだ。
犯人を探し、復讐を企てるほどの気力は湧いてこなかった。
どちらからでもなく、復旧作業を始めた。
砕けて形の変わった石碑を立て直し、瓦礫を押しのけ、足元の小石を払い除けて整えた。
献花台と吹き飛んだ机を並べ直し、山アジサイを新たに供えた。
双方無言のまま作業を続け、一時間ほどの時間を費やし、終えた。
生まれ変わったとは行かずとも、二人の大切な場所は蘇った。
手の泥を軽く叩き、石碑の前で顔を合わせる。
達成感はなかったが、怪我の治療を終えたあとのような安心感はあった。
「ひとまずはこれでいいか」
「そうだな。私もこれなら許容できる」
作業を終え、一息ついたことで二人の中に沸々とした怒りが込み上がってきた。
怒りを抑えつつ、冷静に思案する透哉。けれどホタルは完全に対象的だった。
「それにしても、一体誰がっ!」
ホタルが八つ当たりで地面を蹴ると、紫電が輪になって走り頭上に抜け、爆ぜた。
静電気のようなチクチクとした余波を頬に受けながら、それでも透哉はホタルの様子を見届けていた。
気持ちは痛いほど理解できる。しかし、透哉はホタルのように怒りを表に出すことはなかった。
怒りに変えて放出することで大切なことを見落としてしまう気がしたから。
「源、犯人に心当たりはあるか?」
「あるわけないだろ! こんなっ、こんな酷いことを平気でする奴に」
「だよな。勿論、俺もない」
「御波は……腹が立たないのか?」
ホタルは極めて冷静に言葉を投げかける透哉に不満そうな顔で尋ねた。
「――腹が立っていないように見えるのか?」
それは平坦な声だった。
自らを抑止し、感情を殺して搾り出した辛酸のような音。
透哉と目が合った途端、無意識に体が跳ねた。まるで銃口を向けられたように、その身が透哉の眼光に戦慄した。その目に強い憤りの色が宿っていた。
「すまない、取り乱した」
謝辞を述べつつ、ホタルは僅かに救われた。透哉の目の奥に、自分が吐き出した物と同じ物を見たからだ。
先日、十二学区の殲滅を話した際に感じた透哉との距離感が少し戻った気がしたからだ。
その小さな安堵が沸騰していたホタルに落ち着きを取り戻させた。だから、続く透哉の言葉にも冷静に向き合うことができた。
「源、俺は犯人探しはしないつもりだ」
「え、どうしてだ? これだけのことをされて黙っているのか?」
ホタルの声は穏やかだったが、心中は動揺していた。完全に泣き寝入りをする、そう告げられたのだから。あれだけ強い憤りを目に宿しながら、これだけ冷静で冷徹な決断を何故出せるのか、ホタルは不思議でならなかった。
しかし、透哉の話しには続きと意図があった。
「ああ、そのつもりだ。ただ、もしもこれが俺達への直接的な挑発なら買ってやる」
「む、仕返しをするなら結局同じではないか。違うのか?」
「単純にこの場所を疎む者の犯行なら、犯人は俺たちの存在を把握していない可能性がある。俺たちに用があるならこの瞬間にでも襲撃があっておかしくないだろ?」
「言われてみれば、かれこれ一時間以上はここにいるが、そんな気配はないな」
ホタルは周囲をぐるりと見渡した。
瓦礫の影や崩れた校舎など隠れ潜む場所はいくらでもある。それでも、死線を潜ってきたホタルにはある程度気配で分かるのだ。
「無闇にこちらが行動をすれば、見せずに済んだ尻尾を見せる羽目になっちまうんだよ」
理解も納得もした。でも、悔しさは拭いきれない。
「もっと言うと、俺達を炙り出すことを目的としていた場合、相手の術中に嵌まることになる」
これは日陰者として過ごしてきた透哉ならではの危険察知なのだ。多少突かれた程度で顔を出していては、自らを隠匿などできない。
「ムカつくけど、この件は保留だ。仮に何か分かったとしても独断で突っ走るのは控えるべきだ」
「分かった。だが、独断でという意味なら御波、お前にこそ言いたい」
偉そうに注意喚起をしてきた透哉に、半眼のホタルが口を尖らせて言う。
自分としてはすごーく真面目な話しをしていたつもりの透哉は、首を傾げる。
「その眼、『原石』と言ったか? あの時、私を護るためとは言え、勝手に砕いて暴走しただろ」
「あー、」
他に選択肢のない急場だったとは言え、自らの存在を投げ出す選択をしたのは事実だ。
反論の余地のない前科をホタルに指摘され、透哉は素直に認めた。
「それは、面目ない」
「私とお前は運命共同体と言って過言ではない。その辺りを理解するべきだ」
「悪かったよ。善処する」
急転したイニシアチブに透哉は気まずそうに視線を泳がせる。
若干話題が逸れたことで二人の間に弛緩した空気が流れ始めた。
とりあえずの用事は片付いた。そろそろ帰路に着こうか、そう考え始めた透哉をホタルが引き留めた。
ホタルには以前から話すか迷っていることがあった。
それを今になってホタルが切り出したのは、今日みたいに都合良く二人きりになれる場面がないと考えたからだ。
「――御波、一つ聞いて欲しいことがあるんだ」
「なんだよ?」
振り向きざま、ホタルの神妙な顔つきに透哉は眉を顰めた。
ホタルはお構いなしに、いきなり核心を告げる。
「私は十二学区出身……かもしれないのだ」
「はぁ!? どういうことだよ?」
突拍子もない告白に透哉は混乱した。先程までの冷静さを吹き飛ばし、声を荒げた。
「私が、夜ノ島に入る前の話だ」
「ここに入る、前? 源はメサイアにいたんじゃないのか?」
「そうだ。私は十年前にここで先生……園田に保護され、夜ノ島学園に入学するまでの間メサイアの訓練施設で生活していた」
初めて聞くことになるホタルの過去。
透哉の知る源ホタルはクラスメイトであり、十年前の生き残りだ。
でも、それだけ。
一番の秘密を共有しているだけで、源ホタルを知った気でいた。
透哉の知るホタルなど、ここ一年程度の極めて短い時間だ。それ以前のホタルがどこで何をしていたかなんて知る由もないのだ。
そもそも、ほんの一年前まで他人と同義だった間柄だ。
ここ数週間の濃度の高い繋がりが、他人との距離を測る物差しを鈍化させていた。
クラスメイトと言う本来の関係性を基準にした場合、二人は互いを殆ど知らなかった。
それは透哉自身が昨晩に味わった奇妙な凋落。知っていた物が突然形を失い、理解の外に転げ落ちる。
様々な要素を振り払い再見すると、透哉とホタルの間柄は所詮、同じ模様の烙印が押された囚人でしかないのだ。
唖然としつつも透哉はホタルの話に耳を傾けるが、十二学区には結びつかなかった。
「訓練施設には十年ほどいた。でも、私はその訓練施設の場所を知らないのだ」
「知らない?」
透哉の問いにホタルは首を縦に振る。
「その訓練施設が十二学区の中にあった、かもしれないのだ」
「なんで大事なところが曖昧なんだよ。十年も住んでたんだろ? 根拠でもあるのか?」
「だって! 連れて行かれたのは子供の頃の話なのだ。施設の外にはほとんど出たことがなかったから……」
透哉としては責めたつもりはないが、ホタルは困ったような顔で詰め寄ると尻すぼみな言葉を吐いて俯いてしまった。
透哉に理解して欲しい、その表われだった。
「施設から出なかったって、一度もか?」
「建物の外には何度か出た。でも、それだけだ。外出は禁止されていなかったが、外の世界が怖かったのだ。一歩踏み出した瞬間にまた日常が奪われる、そんな気がして」
同じ痛みを知る者としてホタルの言い分は理解に値する。
訓練施設とやらがどんな場所か想像も付かない。それでも、『幻影戦争』から逃れて、流れ着いた新しい住処だ。恐怖から逃れるために殻に閉じこもるように過ごしても不思議ではない。
ホタルの心の傷を抉るのは憚られたが、情報は欲しい。
「他に手がかりや判断材料はないのか?」
「施設を見つけて中に入れば分かる。少し変わった形の大きなビルだ。そして、訓練場は外からは見えない地下にある」
特徴が曖昧過ぎて、外観で該当する建築物を絞れそうにない。その上、目的の施設が地下にあるとくれば見つけるのも忍び込むのも困難だ。
透哉は低い声で唸る。
芳しくない反応を見せる透哉に、ホタルは拗ねたように口を尖らせて上目でポツリ。
「あとは……匂いだ」
「匂い?」
お前は犬か、と反射的に言いかけて透哉は口を噤んだ。
先日、宇宮湊の引率で十二学区を練り歩いた際のホタルの挙動を思い出した。
当初はおいしそうな物の香りを嗅ぎつけたのではと茶化したが、頻りに周囲の匂いを嗅いでいたのはそのためだったのだ。
「あの時、訓練施設と似た匂いがしたってことか?」
「そうだ」
「だから、過ごしてきた訓練施設が十二学区の敷地内かもしれない、と?」
ホタルは無言で頷いた。
深刻な話には変わりない。しかし、透哉は困ったように頭を抱えた。
あまりにも掴み所がない。宛もなく迷子になったペットを探すようなものだ。
話を始めたときは神妙だったホタルの顔つきが徐々に伏し目がちになっていく。
意を決して相談したはいいが、透哉の反応から自らの発言に自信が持てなくなってきたようだ。
場所が場所だけに、予測でしかない不明瞭な情報を頼りに行動するにはリスクが高すぎる。
萎んでいくホタルに透哉は渋面を作りかけた――ところであることを思い出す。
「実は、土曜日に十二学区に用事があるんだよなぁ」
「本当か!? わたっ、」
ホタルは強い反応を示し、「私も連れて行ってくれ!」と言いかけて咄嗟に飲み込んだ。
先日の流耶とのやり取りが脳裏を過ぎったのだ。
『あなたは今、自分と同類にすることで透哉を辱めたのよ? 透哉も自分と同じ癇癪で凶刃を振るう改心しない人殺しだと。いくら透哉が庇っても私はあなたを認めない』
『結局あなたは利己的な感情で命に優劣をつけているに過ぎない。そんなあなたが透哉と同じ信念を掲げる真似をしてっ!』
ホタルは無意識に打たれ側の頬に手を添えた。ないはずの痛み、あるはずがない熱が、ホタルをじくじくと苛む。
急に言葉を切ったホタルを訝しげな目で見る透哉。
「どうかしたのか?」
「いや、別に」
多少はぐらかされた気がしたが、透哉は追求を止めた。
「ところで十二学区に何をしに行くのだ?」
「宇宮湊、あの流耶もどきの所属するグループのコンサートに招待された」
「コ、コンサートォ?」
ホタルは復唱しつつ、表情を一転。訝しげな目で透哉を見返す。
透哉自身、全く柄ではないと自覚しているので、甘んじて受け止める。
「七夕祭で野外ステージをするだろ? その参考にと思ってな」
「なるほど、理解した。しかし、怖くはないのか?」
ここ最近の透哉の行動原理となる動機にホタルは納得した。同時にホタルはある危惧をした。
見知らぬ土地を一人で散策する点には多少不安を抱いている透哉。初めて訪れた際は圧倒的な都会力を前に尻込みしてしまったのは事実だ。
それでも怖いとまでは思っていない。
「道に迷うかもしれないけど、何とかなるだろ。その道中なら十二学区の散策もできると思う」
未だ全容の知れない十二学区で似た外観の建築物を探すことが有効かは分からない。
あくまで、やらないよりはマシ程度の提案だ。
すると、さっきより表情が明るくなったホタルが徐にメモ帳を取り出した。
「そうと分かれば、建物の外見を図示してやろう」
「と言うと? 外観の絵でも書いてくれるのか?」
「そうだ。任せておけ。こう見えて絵には自信があるのだ」
胸を張るホタル。探す上で手がかりを貰えるのは助かる。
しかし、透哉の顔はどこか懐疑的だ。
「できたぞ!」
「五秒しか経ってないぞ」
嫌な予感を拭えないまま、ホタル画伯の即席イラストを受け取る。
透哉の期待(?)とは裏腹に陰影まで書き込んだ立派なものだ。とても五秒で書き上げたとは思えないクオリティだ。
「絵はうまいんだな」
「……今何と比べた?」
「別になんでもない」
「まぁ、いい。それより、本当に大丈夫か? 恐怖はないのか?」
「何だよ、大袈裟に言いやがって」
メモ帳を片付けながら神妙な顔つきになるホタル。表情がふりだしに戻っている。
てっきり十二学区へ単身で出かけることへの過剰な心配と思っていたが、危惧ポイントはそこではなかったらしい。
「御波、いいか。コンサートってことはアイツが歌って踊るのだぞ?」
「?」
ホタルの言うところのアイツに目星がつかない透哉。
「宇宮湊、つまり、草川流耶が笑顔を振りまき、歌って踊るのだぞ?」
「……っ」
ホタルの危惧は的確だった。
旧学園から寮へ帰るまでの間、透哉の震えが収まることはなかった。
放課後。
一日の授業を終えた透哉とホタルの二人は旧夜ノ島学園の敷地を訪れていた。
しかし、破壊された石碑の惨状を前にした途端、ホタルが膝から崩れ落ちた。
「嘘だと思いたかったが……こんな酷いっ」
「しっかりしろ、源!?」
放心状態のホタルは誰にでもなくそう漏らした。
一度先に見ていたことが幸いし、透哉への衝撃は薄かった。それでも、明るい時間帯に改めて見たことで、悲惨な破壊の爪痕がより鮮明に確認できた。
昨晩見た通り、正面からの強い衝撃により石碑諸共献花台と並べていた二組の机と椅子が弾け飛んでいる。
ここを整備した二人でなければただの荒廃した場所にしか映らない、それくらい跡形もない。
不思議と誰がとも、何故とも、思わなかった。
石碑が破壊され、自分たちの想いが踏みにじられたことへの哀しみが上回っていた。
壊されたおもちゃを前に無心に泣きじゃくる子供のように、敵意も悪意も知らず、失った物をただ哀しんだ。
犯人を探し、復讐を企てるほどの気力は湧いてこなかった。
どちらからでもなく、復旧作業を始めた。
砕けて形の変わった石碑を立て直し、瓦礫を押しのけ、足元の小石を払い除けて整えた。
献花台と吹き飛んだ机を並べ直し、山アジサイを新たに供えた。
双方無言のまま作業を続け、一時間ほどの時間を費やし、終えた。
生まれ変わったとは行かずとも、二人の大切な場所は蘇った。
手の泥を軽く叩き、石碑の前で顔を合わせる。
達成感はなかったが、怪我の治療を終えたあとのような安心感はあった。
「ひとまずはこれでいいか」
「そうだな。私もこれなら許容できる」
作業を終え、一息ついたことで二人の中に沸々とした怒りが込み上がってきた。
怒りを抑えつつ、冷静に思案する透哉。けれどホタルは完全に対象的だった。
「それにしても、一体誰がっ!」
ホタルが八つ当たりで地面を蹴ると、紫電が輪になって走り頭上に抜け、爆ぜた。
静電気のようなチクチクとした余波を頬に受けながら、それでも透哉はホタルの様子を見届けていた。
気持ちは痛いほど理解できる。しかし、透哉はホタルのように怒りを表に出すことはなかった。
怒りに変えて放出することで大切なことを見落としてしまう気がしたから。
「源、犯人に心当たりはあるか?」
「あるわけないだろ! こんなっ、こんな酷いことを平気でする奴に」
「だよな。勿論、俺もない」
「御波は……腹が立たないのか?」
ホタルは極めて冷静に言葉を投げかける透哉に不満そうな顔で尋ねた。
「――腹が立っていないように見えるのか?」
それは平坦な声だった。
自らを抑止し、感情を殺して搾り出した辛酸のような音。
透哉と目が合った途端、無意識に体が跳ねた。まるで銃口を向けられたように、その身が透哉の眼光に戦慄した。その目に強い憤りの色が宿っていた。
「すまない、取り乱した」
謝辞を述べつつ、ホタルは僅かに救われた。透哉の目の奥に、自分が吐き出した物と同じ物を見たからだ。
先日、十二学区の殲滅を話した際に感じた透哉との距離感が少し戻った気がしたからだ。
その小さな安堵が沸騰していたホタルに落ち着きを取り戻させた。だから、続く透哉の言葉にも冷静に向き合うことができた。
「源、俺は犯人探しはしないつもりだ」
「え、どうしてだ? これだけのことをされて黙っているのか?」
ホタルの声は穏やかだったが、心中は動揺していた。完全に泣き寝入りをする、そう告げられたのだから。あれだけ強い憤りを目に宿しながら、これだけ冷静で冷徹な決断を何故出せるのか、ホタルは不思議でならなかった。
しかし、透哉の話しには続きと意図があった。
「ああ、そのつもりだ。ただ、もしもこれが俺達への直接的な挑発なら買ってやる」
「む、仕返しをするなら結局同じではないか。違うのか?」
「単純にこの場所を疎む者の犯行なら、犯人は俺たちの存在を把握していない可能性がある。俺たちに用があるならこの瞬間にでも襲撃があっておかしくないだろ?」
「言われてみれば、かれこれ一時間以上はここにいるが、そんな気配はないな」
ホタルは周囲をぐるりと見渡した。
瓦礫の影や崩れた校舎など隠れ潜む場所はいくらでもある。それでも、死線を潜ってきたホタルにはある程度気配で分かるのだ。
「無闇にこちらが行動をすれば、見せずに済んだ尻尾を見せる羽目になっちまうんだよ」
理解も納得もした。でも、悔しさは拭いきれない。
「もっと言うと、俺達を炙り出すことを目的としていた場合、相手の術中に嵌まることになる」
これは日陰者として過ごしてきた透哉ならではの危険察知なのだ。多少突かれた程度で顔を出していては、自らを隠匿などできない。
「ムカつくけど、この件は保留だ。仮に何か分かったとしても独断で突っ走るのは控えるべきだ」
「分かった。だが、独断でという意味なら御波、お前にこそ言いたい」
偉そうに注意喚起をしてきた透哉に、半眼のホタルが口を尖らせて言う。
自分としてはすごーく真面目な話しをしていたつもりの透哉は、首を傾げる。
「その眼、『原石』と言ったか? あの時、私を護るためとは言え、勝手に砕いて暴走しただろ」
「あー、」
他に選択肢のない急場だったとは言え、自らの存在を投げ出す選択をしたのは事実だ。
反論の余地のない前科をホタルに指摘され、透哉は素直に認めた。
「それは、面目ない」
「私とお前は運命共同体と言って過言ではない。その辺りを理解するべきだ」
「悪かったよ。善処する」
急転したイニシアチブに透哉は気まずそうに視線を泳がせる。
若干話題が逸れたことで二人の間に弛緩した空気が流れ始めた。
とりあえずの用事は片付いた。そろそろ帰路に着こうか、そう考え始めた透哉をホタルが引き留めた。
ホタルには以前から話すか迷っていることがあった。
それを今になってホタルが切り出したのは、今日みたいに都合良く二人きりになれる場面がないと考えたからだ。
「――御波、一つ聞いて欲しいことがあるんだ」
「なんだよ?」
振り向きざま、ホタルの神妙な顔つきに透哉は眉を顰めた。
ホタルはお構いなしに、いきなり核心を告げる。
「私は十二学区出身……かもしれないのだ」
「はぁ!? どういうことだよ?」
突拍子もない告白に透哉は混乱した。先程までの冷静さを吹き飛ばし、声を荒げた。
「私が、夜ノ島に入る前の話だ」
「ここに入る、前? 源はメサイアにいたんじゃないのか?」
「そうだ。私は十年前にここで先生……園田に保護され、夜ノ島学園に入学するまでの間メサイアの訓練施設で生活していた」
初めて聞くことになるホタルの過去。
透哉の知る源ホタルはクラスメイトであり、十年前の生き残りだ。
でも、それだけ。
一番の秘密を共有しているだけで、源ホタルを知った気でいた。
透哉の知るホタルなど、ここ一年程度の極めて短い時間だ。それ以前のホタルがどこで何をしていたかなんて知る由もないのだ。
そもそも、ほんの一年前まで他人と同義だった間柄だ。
ここ数週間の濃度の高い繋がりが、他人との距離を測る物差しを鈍化させていた。
クラスメイトと言う本来の関係性を基準にした場合、二人は互いを殆ど知らなかった。
それは透哉自身が昨晩に味わった奇妙な凋落。知っていた物が突然形を失い、理解の外に転げ落ちる。
様々な要素を振り払い再見すると、透哉とホタルの間柄は所詮、同じ模様の烙印が押された囚人でしかないのだ。
唖然としつつも透哉はホタルの話に耳を傾けるが、十二学区には結びつかなかった。
「訓練施設には十年ほどいた。でも、私はその訓練施設の場所を知らないのだ」
「知らない?」
透哉の問いにホタルは首を縦に振る。
「その訓練施設が十二学区の中にあった、かもしれないのだ」
「なんで大事なところが曖昧なんだよ。十年も住んでたんだろ? 根拠でもあるのか?」
「だって! 連れて行かれたのは子供の頃の話なのだ。施設の外にはほとんど出たことがなかったから……」
透哉としては責めたつもりはないが、ホタルは困ったような顔で詰め寄ると尻すぼみな言葉を吐いて俯いてしまった。
透哉に理解して欲しい、その表われだった。
「施設から出なかったって、一度もか?」
「建物の外には何度か出た。でも、それだけだ。外出は禁止されていなかったが、外の世界が怖かったのだ。一歩踏み出した瞬間にまた日常が奪われる、そんな気がして」
同じ痛みを知る者としてホタルの言い分は理解に値する。
訓練施設とやらがどんな場所か想像も付かない。それでも、『幻影戦争』から逃れて、流れ着いた新しい住処だ。恐怖から逃れるために殻に閉じこもるように過ごしても不思議ではない。
ホタルの心の傷を抉るのは憚られたが、情報は欲しい。
「他に手がかりや判断材料はないのか?」
「施設を見つけて中に入れば分かる。少し変わった形の大きなビルだ。そして、訓練場は外からは見えない地下にある」
特徴が曖昧過ぎて、外観で該当する建築物を絞れそうにない。その上、目的の施設が地下にあるとくれば見つけるのも忍び込むのも困難だ。
透哉は低い声で唸る。
芳しくない反応を見せる透哉に、ホタルは拗ねたように口を尖らせて上目でポツリ。
「あとは……匂いだ」
「匂い?」
お前は犬か、と反射的に言いかけて透哉は口を噤んだ。
先日、宇宮湊の引率で十二学区を練り歩いた際のホタルの挙動を思い出した。
当初はおいしそうな物の香りを嗅ぎつけたのではと茶化したが、頻りに周囲の匂いを嗅いでいたのはそのためだったのだ。
「あの時、訓練施設と似た匂いがしたってことか?」
「そうだ」
「だから、過ごしてきた訓練施設が十二学区の敷地内かもしれない、と?」
ホタルは無言で頷いた。
深刻な話には変わりない。しかし、透哉は困ったように頭を抱えた。
あまりにも掴み所がない。宛もなく迷子になったペットを探すようなものだ。
話を始めたときは神妙だったホタルの顔つきが徐々に伏し目がちになっていく。
意を決して相談したはいいが、透哉の反応から自らの発言に自信が持てなくなってきたようだ。
場所が場所だけに、予測でしかない不明瞭な情報を頼りに行動するにはリスクが高すぎる。
萎んでいくホタルに透哉は渋面を作りかけた――ところであることを思い出す。
「実は、土曜日に十二学区に用事があるんだよなぁ」
「本当か!? わたっ、」
ホタルは強い反応を示し、「私も連れて行ってくれ!」と言いかけて咄嗟に飲み込んだ。
先日の流耶とのやり取りが脳裏を過ぎったのだ。
『あなたは今、自分と同類にすることで透哉を辱めたのよ? 透哉も自分と同じ癇癪で凶刃を振るう改心しない人殺しだと。いくら透哉が庇っても私はあなたを認めない』
『結局あなたは利己的な感情で命に優劣をつけているに過ぎない。そんなあなたが透哉と同じ信念を掲げる真似をしてっ!』
ホタルは無意識に打たれ側の頬に手を添えた。ないはずの痛み、あるはずがない熱が、ホタルをじくじくと苛む。
急に言葉を切ったホタルを訝しげな目で見る透哉。
「どうかしたのか?」
「いや、別に」
多少はぐらかされた気がしたが、透哉は追求を止めた。
「ところで十二学区に何をしに行くのだ?」
「宇宮湊、あの流耶もどきの所属するグループのコンサートに招待された」
「コ、コンサートォ?」
ホタルは復唱しつつ、表情を一転。訝しげな目で透哉を見返す。
透哉自身、全く柄ではないと自覚しているので、甘んじて受け止める。
「七夕祭で野外ステージをするだろ? その参考にと思ってな」
「なるほど、理解した。しかし、怖くはないのか?」
ここ最近の透哉の行動原理となる動機にホタルは納得した。同時にホタルはある危惧をした。
見知らぬ土地を一人で散策する点には多少不安を抱いている透哉。初めて訪れた際は圧倒的な都会力を前に尻込みしてしまったのは事実だ。
それでも怖いとまでは思っていない。
「道に迷うかもしれないけど、何とかなるだろ。その道中なら十二学区の散策もできると思う」
未だ全容の知れない十二学区で似た外観の建築物を探すことが有効かは分からない。
あくまで、やらないよりはマシ程度の提案だ。
すると、さっきより表情が明るくなったホタルが徐にメモ帳を取り出した。
「そうと分かれば、建物の外見を図示してやろう」
「と言うと? 外観の絵でも書いてくれるのか?」
「そうだ。任せておけ。こう見えて絵には自信があるのだ」
胸を張るホタル。探す上で手がかりを貰えるのは助かる。
しかし、透哉の顔はどこか懐疑的だ。
「できたぞ!」
「五秒しか経ってないぞ」
嫌な予感を拭えないまま、ホタル画伯の即席イラストを受け取る。
透哉の期待(?)とは裏腹に陰影まで書き込んだ立派なものだ。とても五秒で書き上げたとは思えないクオリティだ。
「絵はうまいんだな」
「……今何と比べた?」
「別になんでもない」
「まぁ、いい。それより、本当に大丈夫か? 恐怖はないのか?」
「何だよ、大袈裟に言いやがって」
メモ帳を片付けながら神妙な顔つきになるホタル。表情がふりだしに戻っている。
てっきり十二学区へ単身で出かけることへの過剰な心配と思っていたが、危惧ポイントはそこではなかったらしい。
「御波、いいか。コンサートってことはアイツが歌って踊るのだぞ?」
「?」
ホタルの言うところのアイツに目星がつかない透哉。
「宇宮湊、つまり、草川流耶が笑顔を振りまき、歌って踊るのだぞ?」
「……っ」
ホタルの危惧は的確だった。
旧学園から寮へ帰るまでの間、透哉の震えが収まることはなかった。
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