76 / 129
第二章
第15話 ある夜の学生寮(1)『絵』
しおりを挟む
1.
「ブラザー! お、俺様は決めたぜぇ!」
「……決めたって、何をだよ?」
寮での夕食を終え、部屋の前まで戻った透哉の背に声がかかる。
透哉が怪訝な顔で振り返ると、そこに居たのは豪々吾。食堂から(恐らく全力疾走で)追いかけてきたようで、肩で息をしている。
いつも通りの五月蠅さ、暑苦しさである。
豪々吾とはルームメイトなので部屋に入ってゆっくり話せばいいのだが、緊急の要件があるのかも知れない。
と、数秒前までは思い、思っていた。
それが一転、豪々吾の入室を拒みたくなった。
どうやら皿洗いの最中に抜け出してきたようで、右手に泡だらけのスポンジ、左手に洗いかけの食器を握っている。
更に通ってきた廊下のあちこちに洗剤の泡を撒き散らす始末だ。
落ち着いて話をするには縁遠い人物なことは百も承知だが、ここまでなりふりを無視した姿は珍しい。
急いでいる様子は伝わってきたが、何故か深刻さも緊急性もまるで窺えない。
それもそのはず、豪々吾が悪戯を思いついた子供のように、何かを言いたくてうずうずした顔をしていたからだ。
「俺様は、犬を七夕祭に連れ込む!」
「…………えっ?」
豪々吾の宣言と同時、力強く握りつぶされたスポンジがモリモリと泡を吐き出した。
透哉は一瞬、言われたことが理解できなかった。
実は豪々吾にも協力を仰ごうとしていた透哉からすれば思ってもない僥倖なのだが、スポンジから吹き出した泡がシャボン玉となって舞い上がり、理解を鈍らせる。
予想外の申し出に透哉が言葉を詰まらせること数秒。
眼前で弾けたシャボン玉にハッと我にかえる。
「って、お前、それを言い放つためにわざわざ俺を追ってきたのか!?」
「おうよ! 昼休みに話すつもりだったのに、俺様としたことが忘れちまってよぉ! たった今思い出していても立ってもいられなくなっちまったってわけだ!」
揃って廊下で大声を上げる二人に、何事かと他の寮生が部屋から顔を出した。
しかし、シャボン玉がぷかぷかと浮かぶファンシーな光景の向こうで御波透哉と七奈豪々吾が向き合っている光景を見ると皆一様に変な顔をして部屋に引っ込んだ。
周囲の反応はともかくとして、話すならゆっくり腰を据えてからが望ましいのでひとまず豪々吾には台所に帰って欲しい。
「とりあえずテメェの用事済ませてからにしろ」
「バカヤロウ! 皿洗いなんざどこでもできるだろ!?」
「台所でやれ!」
「ちくしょう! 分かったぜ!」
威勢のいい返事をすると豪々吾はシャボン玉の群れをかき分け台所へ戻った。
それと入れ違いに、
『七奈の野郎、スポンジ握ったままどこに行きやがった!? うぎゃあー!? 廊下がベタベタじゃねーか!?』
と、寮母らしからぬケムリの絶叫が廊下の奥から聞こえてきた。
追加で食器が割れる音と豪々吾の悲鳴が聞こえたが、透哉はそっと扉を閉じた。
(昼間の雪だるまと言い、なんでここの三年はこうもやかましいんだ? そう言えば、あいつも寮生なのか?)
変人たちを呼び寄せている自分自身は棚に上げつつ、ふと思い至った。
改めて考えると食堂や廊下、その他の共同スペースにおいても砕地の姿を見た覚えがなかった。
(後でついでに聞いてみるか)
透哉はベッドの横になった。
砕地のことは引っかかるが、今は松風の七夕祭への参加を仄めかした豪々吾の発言が気がかりだった。
何故このタイミングなのか。そもそも、豪々吾と松風の接点が思い浮かばなかった。
先日偶発的に行われた早朝の過激な散歩劇を知らない透哉には分からないことだらけだった。
「ブラザー! お、俺様は決めたぜぇ!」
「……決めたって、何をだよ?」
寮での夕食を終え、部屋の前まで戻った透哉の背に声がかかる。
透哉が怪訝な顔で振り返ると、そこに居たのは豪々吾。食堂から(恐らく全力疾走で)追いかけてきたようで、肩で息をしている。
いつも通りの五月蠅さ、暑苦しさである。
豪々吾とはルームメイトなので部屋に入ってゆっくり話せばいいのだが、緊急の要件があるのかも知れない。
と、数秒前までは思い、思っていた。
それが一転、豪々吾の入室を拒みたくなった。
どうやら皿洗いの最中に抜け出してきたようで、右手に泡だらけのスポンジ、左手に洗いかけの食器を握っている。
更に通ってきた廊下のあちこちに洗剤の泡を撒き散らす始末だ。
落ち着いて話をするには縁遠い人物なことは百も承知だが、ここまでなりふりを無視した姿は珍しい。
急いでいる様子は伝わってきたが、何故か深刻さも緊急性もまるで窺えない。
それもそのはず、豪々吾が悪戯を思いついた子供のように、何かを言いたくてうずうずした顔をしていたからだ。
「俺様は、犬を七夕祭に連れ込む!」
「…………えっ?」
豪々吾の宣言と同時、力強く握りつぶされたスポンジがモリモリと泡を吐き出した。
透哉は一瞬、言われたことが理解できなかった。
実は豪々吾にも協力を仰ごうとしていた透哉からすれば思ってもない僥倖なのだが、スポンジから吹き出した泡がシャボン玉となって舞い上がり、理解を鈍らせる。
予想外の申し出に透哉が言葉を詰まらせること数秒。
眼前で弾けたシャボン玉にハッと我にかえる。
「って、お前、それを言い放つためにわざわざ俺を追ってきたのか!?」
「おうよ! 昼休みに話すつもりだったのに、俺様としたことが忘れちまってよぉ! たった今思い出していても立ってもいられなくなっちまったってわけだ!」
揃って廊下で大声を上げる二人に、何事かと他の寮生が部屋から顔を出した。
しかし、シャボン玉がぷかぷかと浮かぶファンシーな光景の向こうで御波透哉と七奈豪々吾が向き合っている光景を見ると皆一様に変な顔をして部屋に引っ込んだ。
周囲の反応はともかくとして、話すならゆっくり腰を据えてからが望ましいのでひとまず豪々吾には台所に帰って欲しい。
「とりあえずテメェの用事済ませてからにしろ」
「バカヤロウ! 皿洗いなんざどこでもできるだろ!?」
「台所でやれ!」
「ちくしょう! 分かったぜ!」
威勢のいい返事をすると豪々吾はシャボン玉の群れをかき分け台所へ戻った。
それと入れ違いに、
『七奈の野郎、スポンジ握ったままどこに行きやがった!? うぎゃあー!? 廊下がベタベタじゃねーか!?』
と、寮母らしからぬケムリの絶叫が廊下の奥から聞こえてきた。
追加で食器が割れる音と豪々吾の悲鳴が聞こえたが、透哉はそっと扉を閉じた。
(昼間の雪だるまと言い、なんでここの三年はこうもやかましいんだ? そう言えば、あいつも寮生なのか?)
変人たちを呼び寄せている自分自身は棚に上げつつ、ふと思い至った。
改めて考えると食堂や廊下、その他の共同スペースにおいても砕地の姿を見た覚えがなかった。
(後でついでに聞いてみるか)
透哉はベッドの横になった。
砕地のことは引っかかるが、今は松風の七夕祭への参加を仄めかした豪々吾の発言が気がかりだった。
何故このタイミングなのか。そもそも、豪々吾と松風の接点が思い浮かばなかった。
先日偶発的に行われた早朝の過激な散歩劇を知らない透哉には分からないことだらけだった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
時き継幻想フララジカ
日奈 うさぎ
ファンタジー
少年はひたすら逃げた。突如変わり果てた街で、死を振り撒く異形から。そして逃げた先に待っていたのは絶望では無く、一振りの希望――魔剣――だった。 逃げた先で出会った大男からその希望を託された時、特別ではなかった少年の運命は世界の命運を懸ける程に大きくなっていく。
なれば〝ヒト〟よ知れ、少年の掴む世界の運命を。
銘無き少年は今より、現想神話を紡ぐ英雄とならん。
時き継幻想(ときつげんそう)フララジカ―――世界は緩やかに混ざり合う。
【概要】
主人公・藤咲勇が少女・田中茶奈と出会い、更に多くの人々とも心を交わして成長し、世界を救うまでに至る現代ファンタジー群像劇です。
現代を舞台にしながらも出てくる新しい現象や文化を彼等の目を通してご覧ください。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
悠久の機甲歩兵
竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。
※現在毎日更新中
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
女神から貰えるはずのチート能力をクラスメートに奪われ、原生林みたいなところに飛ばされたけどゲームキャラの能力が使えるので問題ありません
青山 有
ファンタジー
強引に言い寄る男から片思いの幼馴染を守ろうとした瞬間、教室に魔法陣が突如現れクラスごと異世界へ。
だが主人公と幼馴染、友人の三人は、女神から貰えるはずの希少スキルを他の生徒に奪われてしまう。さらに、一緒に召喚されたはずの生徒とは別の場所に弾かれてしまった。
女神から貰えるはずのチート能力は奪われ、弾かれた先は未開の原生林。
途方に暮れる主人公たち。
だが、たった一つの救いがあった。
三人は開発中のファンタジーRPGのキャラクターの能力を引き継いでいたのだ。
右も左も分からない異世界で途方に暮れる主人公たちが出会ったのは悩める大司教。
圧倒的な能力を持ちながら寄る辺なき主人公と、教会内部の勢力争いに勝利するためにも優秀な部下を必要としている大司教。
双方の利害が一致した。
※他サイトで投稿した作品を加筆修正して投稿しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる