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第二章
第11話 抗う少年。(4)
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4.
透哉は矢場に教えられた情報を整理し、再度十二学区で出会った狼男の表情を思い出す。初対面の人間に向けるとは思えない明確な敵意。
それも、大昔の戦争に起因した根深い憎悪が理由ならば頷けた。
不意に透哉の脳裏に過ぎったのは小さな悔恨。
次に魔人と出会ったときは気をつけよう、まるで小学生の反省文みたいなみたいな悔い改め。
しかしそれは無自覚の罪、その露呈だった。
「それでね、御波? 松風は喋る犬ではなくて、魔力の影響で体が変化した人間、魔人なの」
「――――っ!」
透哉は一瞬、何を言われたか分からなかった。
本当に、分からなかった。
噴き出した汗が頬を伝い、顎からこぼれ落ち、机に落ちる頃に初めて気付いた。
透哉を含めて皆が抱いている『松風犬太郎は喋る犬』と言う見立ては、魔人である松風を守るため学園が用意した一種の防壁なのだ。
人間と動物と言う種族の差別ではなく、人魔と魔人と言うより溝の深い人種差別を回避するための薄くて脆い殻。
学園の配慮を理解して、歯噛みした。
松風を助けたいと思っていた張本人が『喋る犬』だと、人間じゃないと思っていたのだから。
矢場が署名活動を力ずくで阻止した理由も同じだった。
透哉は学園が用意していた松風を守るための殻にまんまと阻まれていた。それどころか足掻いた結果、松風を更に遠ざけることになった。
進めば進むほどに溝を深めると知らずに歩み続けた自分はなんて滑稽なんだろう。
自身の余りのバカさ加減に嫌気が差し、膝を突きそうになった。
それでも透哉は止まらない。
七夕祭実行委員になって参加を打診すると松風と約束をした。
魔人とか人魔とか関係ない。御波透哉が松風犬太郎と交わした約束なのだ。
この歩みは自己嫌悪ごときで止めていいほど軽くはない。
「じゃあ、あいつが今でも差別を受けているのは大昔の戦争の名残だって言うのか?」
「そう、なるわね」
矢場は弱々しく肯定し、暗にどうにもできないと告げた。
世代を超えても希釈されない呪いのような無意識の思想。
余りにも根が深すぎた。
「御波、余り自分を責めないで。現存する動物に酷似するケースは極めて希な例なの。気付かないのは仕方がないわ」
「希な例って、どう言うことなんだ?」
透哉の質問に矢場は失言を隠すように口に手を当てた。
「これ以上は教師としての守秘義務に抵触するから答えられないわ」
「――くっ」
それだけ言うと矢場は口を閉ざした。
ずるいと思いつつ透哉は追求を止めた。これ以上矢場を責めるのは酷だし、十分すぎるほど教えて貰った。
「終わったのなら帰りなさい。もうすぐ夕食の時間のはずよ」
「ああ、分かった。いろいろ参考になったよ」
透哉は言いながら八つ当たり気味に手早く机の上を片付けると席を立った。
苛立ちをぶつけることが出来ず、かと言って平静を装うことも出来なかった。
そして、そのまま逃げるように退室することしか出来なかった。
そんな透哉の帰宅を見送った矢場は一人教室の中に残っていた。
(守秘義務に抵触する、からね……)
自嘲するように呟きつつ、我ながら都合のいい嘘が出た物だと思った。
(知らないうちに私もずるい大人の仲間入りしてたんだな)
幼い頃に理不尽の答えを求めて大人にかじりついた、あのときの苦い記憶が蘇る。
透哉に自分と同じ思いをさせていると知りながら、矢場は口を閉ざした。
もう問う側には回れないのだ。
出身が分からない生徒と出身を公開できない生徒が何人いると思っているのだろうか。
(何もなければいいけれど)
どこか諦めの混ざった願いだった。
矢場の願いに以前読んだ文献が黒い影をつけている。
それは魔人についてのレポートだ。
当然、一般には出回らない物で、複数の症例を淡々と書き連ねた酷く胸糞の悪い内容だった。
機械部品の説明を書き連ねたような、とても生物を対象とした記述とは思えない代物だった。
そして、そのレポートによると魔力に起因した成長や変化は魔人によってバラバラで、体内の魔力を使い切ることでのみ変化が終息すると書かれていた。
つまり、体内に残された余剰魔力の存在が今後の変化を匂わせる一種の爆弾なのだ。
そして、松風犬太郎は体内にかなりの余剰魔力を保持している。
矢場はもう一度出席簿の一覧で名前を眺めると悔しそうに奥歯を噛んだ。
この学園には教員さえも知らない闇が、まだ眠っている。
透哉は矢場に教えられた情報を整理し、再度十二学区で出会った狼男の表情を思い出す。初対面の人間に向けるとは思えない明確な敵意。
それも、大昔の戦争に起因した根深い憎悪が理由ならば頷けた。
不意に透哉の脳裏に過ぎったのは小さな悔恨。
次に魔人と出会ったときは気をつけよう、まるで小学生の反省文みたいなみたいな悔い改め。
しかしそれは無自覚の罪、その露呈だった。
「それでね、御波? 松風は喋る犬ではなくて、魔力の影響で体が変化した人間、魔人なの」
「――――っ!」
透哉は一瞬、何を言われたか分からなかった。
本当に、分からなかった。
噴き出した汗が頬を伝い、顎からこぼれ落ち、机に落ちる頃に初めて気付いた。
透哉を含めて皆が抱いている『松風犬太郎は喋る犬』と言う見立ては、魔人である松風を守るため学園が用意した一種の防壁なのだ。
人間と動物と言う種族の差別ではなく、人魔と魔人と言うより溝の深い人種差別を回避するための薄くて脆い殻。
学園の配慮を理解して、歯噛みした。
松風を助けたいと思っていた張本人が『喋る犬』だと、人間じゃないと思っていたのだから。
矢場が署名活動を力ずくで阻止した理由も同じだった。
透哉は学園が用意していた松風を守るための殻にまんまと阻まれていた。それどころか足掻いた結果、松風を更に遠ざけることになった。
進めば進むほどに溝を深めると知らずに歩み続けた自分はなんて滑稽なんだろう。
自身の余りのバカさ加減に嫌気が差し、膝を突きそうになった。
それでも透哉は止まらない。
七夕祭実行委員になって参加を打診すると松風と約束をした。
魔人とか人魔とか関係ない。御波透哉が松風犬太郎と交わした約束なのだ。
この歩みは自己嫌悪ごときで止めていいほど軽くはない。
「じゃあ、あいつが今でも差別を受けているのは大昔の戦争の名残だって言うのか?」
「そう、なるわね」
矢場は弱々しく肯定し、暗にどうにもできないと告げた。
世代を超えても希釈されない呪いのような無意識の思想。
余りにも根が深すぎた。
「御波、余り自分を責めないで。現存する動物に酷似するケースは極めて希な例なの。気付かないのは仕方がないわ」
「希な例って、どう言うことなんだ?」
透哉の質問に矢場は失言を隠すように口に手を当てた。
「これ以上は教師としての守秘義務に抵触するから答えられないわ」
「――くっ」
それだけ言うと矢場は口を閉ざした。
ずるいと思いつつ透哉は追求を止めた。これ以上矢場を責めるのは酷だし、十分すぎるほど教えて貰った。
「終わったのなら帰りなさい。もうすぐ夕食の時間のはずよ」
「ああ、分かった。いろいろ参考になったよ」
透哉は言いながら八つ当たり気味に手早く机の上を片付けると席を立った。
苛立ちをぶつけることが出来ず、かと言って平静を装うことも出来なかった。
そして、そのまま逃げるように退室することしか出来なかった。
そんな透哉の帰宅を見送った矢場は一人教室の中に残っていた。
(守秘義務に抵触する、からね……)
自嘲するように呟きつつ、我ながら都合のいい嘘が出た物だと思った。
(知らないうちに私もずるい大人の仲間入りしてたんだな)
幼い頃に理不尽の答えを求めて大人にかじりついた、あのときの苦い記憶が蘇る。
透哉に自分と同じ思いをさせていると知りながら、矢場は口を閉ざした。
もう問う側には回れないのだ。
出身が分からない生徒と出身を公開できない生徒が何人いると思っているのだろうか。
(何もなければいいけれど)
どこか諦めの混ざった願いだった。
矢場の願いに以前読んだ文献が黒い影をつけている。
それは魔人についてのレポートだ。
当然、一般には出回らない物で、複数の症例を淡々と書き連ねた酷く胸糞の悪い内容だった。
機械部品の説明を書き連ねたような、とても生物を対象とした記述とは思えない代物だった。
そして、そのレポートによると魔力に起因した成長や変化は魔人によってバラバラで、体内の魔力を使い切ることでのみ変化が終息すると書かれていた。
つまり、体内に残された余剰魔力の存在が今後の変化を匂わせる一種の爆弾なのだ。
そして、松風犬太郎は体内にかなりの余剰魔力を保持している。
矢場はもう一度出席簿の一覧で名前を眺めると悔しそうに奥歯を噛んだ。
この学園には教員さえも知らない闇が、まだ眠っている。
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