終末学園の生存者

おゆP

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第二章

第6話 十二学区。(5)『絵』

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5.
 驚愕と戦慄のオープンテラスを後にした透哉とホタルは青い顔のペアルックだ。
 今なら口から裏返った胃を吐き出してカエルごっこができるかもしれない。
 そんな二人を引きずるように前を行くのは宇宮湊。その案内で十二学区内の共同スペース、パレットの市街地を歩いている。
 駅前では文化水準の先行を味わった二人だったが、この周辺に関しては朝松市とそれほど大きな差はない。
 しっかりと区画整理された敷地に、片側二車線の道路。
 その道路に沿って軒を連ねるのは見慣れた飲食店や大手衣料品店の看板の数々。店舗数や規模で言うと遙かに朝松市を上回っているが、もう驚くに値しない。
 この街全体がすり鉢状の土地の底に当たることを除けば至って普通の町並みだ。
 共同のスペースと言うよりも、共通の必要物資を取り扱うスペースと言う印象だ。
 が、今の透哉とホタルにそれらに感想を吐くだけの気力がない。白昼の街中を歩いているのに真っ暗な洞窟を歩いているぐらい周りが見えなくなっている。
 可哀想な話、善意や笑顔を向けられるよりも敵意や泣顔に対面した経験の方が圧倒的に多い二人だ。
 ようするにキラキラしたオーラを放ちまくっている宇宮湊を見ていることがつらいのである。

「嫌だ。嫌だよ。御波ぃ。やっとこいつに慣れてきたのに、やっぱり宇宮湊は草川流耶だなって思えてきたのに……アイドルってなんなのだ?」
「俺も嫌だ。嫌だよ。源ぉ。カップをぶっ壊しながら威嚇してやっと平常運転に戻ったと思った矢先……アイドル? 意味分かんねぇよ」

 ようやく透哉たちは駅前から妙に人目を集めている理由を知る。誰だってアイドルが歩いていたら思わず目を向けたくなる。ファンかどうかは別として有名人がいたら一目見たいとか、物珍しさから遠巻きに眺めていたい、そう思うだろう。
 実際、十二学区の学生アイドルグループと言うのがどの程度の知名度と人気を誇るのかは分からないが、店員にサインを求められるほどには人気があるらしい。

「こう見えて意外と人気なのよ? 『エレメント』は五人グループだから人気票は割れると思うのだけれど」

 少し得意げに胸を張る湊。
 その姿に酸っぱい味がこみ上げてくる透哉とホタル。

「う、宇宮湊が五人もいるのか!?」
「うじゃうじゃ!?」
「ちょっと、何を考えているの!? 一人に決まっているじゃない!」

 二人の想像の飛躍は予想できていなかったのか、湊はかなり慌てた様子で二人の豊かに荒んだ想像力を殺しにかかる。
 なんたって草川流耶のそっくりさんだ。型にはめて量産したみたいな同体型の少女がダースで現れてもおかしくない。
 交差点で信号を待つ間に二人は大きく深呼吸して、冷静になれ冷静になれと呪文のように頭の中で繰り返す。
 目を開けたら横断歩道の向こうが宇宮湊で溢れていたらどうしよう、などと考えながら。仮に現実になったら心の防波堤は音を立てて崩れ去り、精神が決壊してしまうだろう。
 まぁ、実際はそんなことはないわけで。

「――んで、その有名人様がこんな得体の知れない連中と歩いていてもいいのか?」
「得体が知れない、私もか!」
「ええ、構わないわ」

 透哉はわざとへりくだったように顎をしゃくって言う。それぐらいしないと意識を保てそうにない。
 アイドルと言わなかったのはさっき一度口にしただけで喉の辺りが痒くなったからだ。
 学園の暗部に身を置き、今もこうして(堂々とはしているが)敵地というべき場所にこそこそと潜入している。
 そんな日陰者にとって日の当たる場所で活躍する存在と言うだけで拒否反応が出る。好き嫌いの問題ではなく、関わりたくないのだ。
 その後、特に目的地も告げられずに他愛もない話をしながら湊に連れ回されること、およそ十分。
 同じパレットの中でもちょっと歩くだけで雰囲気がガラリと変わった。
 今三人がいるのはオープンテラスがあった飲食店が乱立するエリアとは異なり、衣料品や鞄などの店舗が建ち並ぶファッション街のような場所である。
 時間帯が昼食時とあって客足はまばらだが、それでもアイドル率いる白いマントの二人組は目立つ。
 むしろ、わざわざ注目を集め、顔を売るために練り歩いていると思えなくもない。
 いったい何を考えているのか、鋭さを取り戻した透哉の眼光が前を行く湊の背に注がれる。
 そんな透哉の視線から察したのか、湊が顔は向けずに唐突に口を開く。

「今後あなたたちだけで十二学区を行動することになっても私の知人であることが信頼となって都合がいいと思うの」
「なんだそりゃ」

 二人の耳にだけ入る声量で湊が囁くように言う。
 現時点で湊と元凶である流耶が何を考えているかなど分からないが、未来のための必要過程らしい。
『あなたたちだけ』と言う部分は気がかりだったが、この場で言及はしなかった。
 しかし、湊の言い草だとアイドルという立場と信頼を恣意的に利用するために得たと聞こえる。
 確かにまっとうに人の上に立って脚光を浴びることを好むとは、何の裏もなく衆目を集めるポディションを獲得するとは考えにくい。
 尚のことアイドルグループと言う肩書きに怪しさが込み上げてくる。
 先の湊の口ぶりだとメンバーは全部で五人。後の四人も湊の息のかかった存在である可能性も十分ある。

「アイドルとはいいものなのか?」

 邪推しかしない透哉とは打って変わって、同姓であるホタルは率直な意見をぶつける。
 ホタルも歌わず踊らず喋らず、黙って大人しくしていれば容姿だけは整っている。残念な素養と電撃が漏れ出さなければ一般人よりは際だって見える。
 湊は道の反対側から手を振るファンらしき数名の学生集団に手を振り返しながら、とんでもないことを口走る。

「ステージの上から人間の群れを一望するのは結構壮観よ?」
「聞いた私が馬鹿だった。実にお前らしい返事だな。もはや模範解答だ」
「群がる家畜に餌をまいて与える感覚に近いかもしれないわね」
「はははっ、哀れなこった」

 乾いた声で笑いながら透哉はいやなこと聞いたなぁと思う反面、容赦の無い言葉に安堵してしまうあたり『綺麗な流耶』改め、『宇宮湊』の言動に強いストレスを感じていることを自覚する。
 めちゃくちゃ甘いものを食べた後に塩味や辛味を欲するのと似ている。
 アイドルの発言としては大問題だが、なぜか透哉は好意的に受け入れられた。
 歪んでいるなぁ、と思いつつそれが自分にとっての正しい感性なのだろう。
 湊の毒舌によって意識を回復した透哉は視界の端で動く大きな人影に気付く。
 道路を挟んで更に先。ギリギリ顔を判別が出来るかどうかの距離を開けてなお目に止まる存在。
 それはテラスで見た狼男とはまた別の姿をした異形の姿。
 湊の教えもあり、絶句するほどの驚きにはならなかった。しかし、こんなにも早い邂逅は予測していなかった。

「御波、周りをよく見てみろ」
「な、」

 ホタルに言われるがまま、ぐるりと視線を周囲に這わすと、ここら一帯だけで魔人と思しき影が複数散見できた。角や尾を有した者、皮膚の色、体毛の量など、上げればきりがないほど人魔とは異なる容姿が溢れていた。
 信号待ちをしている少女も髪の奥には角を有していた。
 むしろ、ここに至るまで目にしなかったことが不思議なくらい魔人の姿が町並みに溶け込んでいる。
 割合で言うなら人魔を含めた人間が圧倒的大多数だが、体格の違いから意識しだした途端、やたらと目に付く。



「あれ? そこにいるのはウミヤンではないかい?」

 魔人との不慣れな遭遇に狼狽える透哉の背後から、落ち着きのある女性の声が響く。
 ほんと今日は知らないヤツに振り向かされる日だなと思いつつ顔を向ける。
 そこに立っていたのは、動きやすさを重視したアクティブな格好の少女だ。
 丁度ファストフード店から出てきたところなのか入り口の扉に片手を添えたままこちらを見ている。
 黄色いサマージャケットに黒いショートパンツと同色のスニーカー。
 頭には何故か黒いレンズのゴーグルをかけている。赤茶色の髪は襟足で短く切り揃えられているだけで別段手を加えられた様子はない。自然のまま自由に遊ばせているといった感じだった。
 そして、もちろん透哉とホタルの知らない人物である。
 湊は少女の風貌を気にとめる様子もなく、口を開く。

「こんなところで会うなんて珍しいわね」
「そうかい? 私はパレットには頻繁に来るけど?」
「今日は昼ご飯を買いに来たというところかしら?」
「そうだよ! と・こ・ろ・で・その二人は誰?」

 元気よく肯定した少女の手にはハンバーガーチェーン店の紙袋が握られていた。
 湊の肩越しにそわそわとワクワクが交ざった表情でこちらをのぞき込んでくる謎の少女。
 やたらキラキラしたまなざしをしているが、面白そうな物を見つけたと顔に書いてある。
 彼女の興味が透哉とホタルに向いているのは言うまでもない。

「今日はこの二人を案内していたの。紹介するわ。松島まつしまつばさとその後ろにいるのが春日かすがアカリよ。二人とも私と同じアイドルグループ、『エレメント』のメンバーでもあるわ」
「こんに、むぎゅう!?」
「そっちの目つきの悪いお兄さんはウミヤンの彼氏さんかい?」
「…………っ」

 松島つばさと呼ばれた少女は背後に隠れていたもう一人の人物の(春日アカリというらしい)挨拶をぶった切って、ついでに湊も押しのけてとんでもないことを口走りながらぐいぐいと透哉に迫る。
 透哉は思わず言葉を詰まらせる。

『え、え、ええ!? なんすか、なんですか!? 今度はその首のゴーグルで親密度でも計測してくるんですか!?』

 と内心でテンパってしまうこともなく、冷静につばさの好奇の質問を迎撃する。

「全くもって違う。おい、こいつはなんだ?」
「うわぁ、口も悪いじゃないかい。もしかして、お兄さんはヤンキー?」
「今のはつばさが悪いと思うのだけれど? 相変わらず初対面の人との距離感がめちゃくちゃよ? そして、透哉は私の話聞いてなかったのかしら?」

 透哉としては目の前の少女の名称や所属なんてどうでもいい。好奇心で理性を吹き飛ばして不躾な質問を繰り返す少女の所作言動を尋ねているのだ。
 加えて言うと、ヤンキーなどと安っぽい好評をする浅い見立てが不快だった。
 透哉の罪はそんな悪ガキ程度の評価で釣り合うほど軽くはないし、自分の悪の部分を売りにして自分を大きく見せたりする気はない。
 悪事を誇示するのは意気のいい善人であって、本当の悪は静かに日常に溶け込み、踏み込んできた者だけを人知れず処する者でなければならない。
 無意識に鋭さを増した透哉の視線に「あれ?」とつばさは首を傾げる。

「ヤンキーなんてチープなもんと同列に扱われるのは不愉快だ」
「そうなんだ、ごめんね。じゃあ、そっちの銀髪美人さんが目つきの悪いお兄さんの彼女さん?」
「お前、本当に謝る気はあんのか?」

 多分つばさに悪気はないのだろう。尋ねたときと同じ軽さで謝り、止まることを知らない恋愛脳で、次の標的に好奇心を切り替えずんずんと進む。
 釈然としない透哉だったが、つばさの興味が逸れたのでよしとする。
 そして、その隣で「ブフゥー!」と吹き出す銀髪美人さん、源ホタル。

「ち、ちがう! そんなんじゃない!」
「ちぇー、面白くないなー」
「私の連れを困らせるのは止めてくれる?」

 ホタルが両手をバタバタさせて否定すると、つばさは口を尖らせて湊に向き直る。
 深掘りはしないさばさばした性格らしいが、急発進急停車しか知らないようだ。



「おーい、そろそろいいかな?」

 飽きて空を眺め始めたつばさの背後、控えめな声と一緒に別の少女が生えてきた。
 悪くもないのに眉をハの字にして、申し訳なさそうな顔をしたツインテールの少女だ。黒と灰色の中間のような色合いの長い髪が僅かな風でも羽のように舞う。十分な手入れが行き届いている証だった。
 サーキュラースカートにクリーム色のカーディガン、校章入りの黄色い腕章している。先述の通りなら黄色がどこかの学区の印になっているのだろう。
 しかし、透哉もホタルも「そう言えばもう一人いたっけ」とくたびれた顔で春日アカリと呼ばれた少女を眺めている。
「先生まだ話あるんすか? 長くないっすか?」とホームルームで長々と話をする教師に向ける視線だ。ちゃんと断り入れてくる辺りつばさよりは初対面の相手への常識があるらしいが、今の状況下でそれは逆効果だった。
 表情から察したアカリは全く否がないのに二の句を継ぐか戸惑っている。

「あれ? アカリまだいたのかい?」

 逡巡するアカリをよそに、つばさはキョトンと部外者みたいな顔をする。
 ブチッと妙な音が聞こえた。
 なんの音だろう? 疑問符を浮かべるのは透哉たち一行。その前を通るのは発生源であるアカリで、ノシノシと足に力を込めてつばさに詰め寄る。

「つばささーん、私はあなたに呼ばれてパレットに来て、買い物に付き合ってあげたこと忘れましたか?」

 アカリは恨めしそうにつばさの首元を指さす。見れば首のゴーグルにはまだ値段のタグが付いたままだった。どうやら購入して間もないようだ。

「忘れるはずないじゃないかい。わざわざ私のために学区を飛び越えて朝早くにパレットに来てくれた友人の親切を」
「そこまで分かっていてさっきの塩対応はお茶目を通り越して若干の悪意を感じる!」
「はははっ! ツンデレってことで処理しておいてくれないかい?」
「そうやっていつも笑って済ませる! あ、ごめんね。私たちだけ騒いで――っ」

 つばさとのやりとりに夢中になる余り周囲が見えなくなっていたアカリが、三人の視線に気づく。
 そして、その中の一つの視線を真正面から受け、はしゃぐのを止めた。
 湊はいつも通りの二人に呆れたように、
 ホタルは慣れない光景を不思議そうに、
 透哉は虫でも眺めるみたいに無感情に、
 アカリにとって透哉の視線が決定的だった。
 言葉とは違う無言の圧力がアカリを黙らせた。

「ところでつばさ、何か要件があったんじゃないかしら?」
「ううん。ないよ」
「……え、じゃあ湊が見慣れない人と一緒に歩いていたから声をかけただけとか?」
「それ以外に理由が必要かい?」

 妙な空気を察した湊が助け船を出し、アカリが心底呆れたように尋ねると、悪びれる気配ゼロの返答がつばさの口から帰ってくる。
 湊もどこか慣れた様子でやれやれと肩をすくめる。

「何はともあれ、私はこの辺で失礼するよ」
「まったく、相変わらず鉄砲玉みたいなんだから」
「この自由人め」
「実はこの後予定が詰まっていてね。これの試験飛行のレポートをまとめて第二学区に提出しないと行けないんだ」

 つばさは湊の呆れ切った声とアカリの避難めいた声にふふっと含み笑いで返すと、背中を誇示するように上半身を九十度回し距離を取る。
 つばさが示したそれは一見すると黒い小さなリュック。
 しかし、大きさに反して肩にかけられたベルトは幅も厚みも過剰でリュックと言うよりもパラシュートに近く、背負うと言うよりも背中に固定するようなしっかりとした作りになっている。
 側面には半透明の薄い布状の飾りが複数枚重なってぶら下がり、鯉のぼりの吹き流しみたいに頼りなくつばさの動きに合わせて揺れ、風で凪いでいる。
 ロングマフラーを何本も首に巻いて垂らしているようにも見えた。
 女子同士の会話に入る気も起きずスマホをいじって時間を潰していた透哉も僅かに顔を上げて成り行きを見守る。
 気になったのはつばさが先刻放った試験飛行というワード。
 つばさは皆と距離を取ると、周囲を確認した後魔力を解放する。
 発現した魔力は淡い緑色。
 それが黒いリュックに吸い込まれるように集約し、ガクンと音を発して起動を知らせる。
 間もなく横から垂れていた吹き流しのような布状の飾りがリュック本体から魔力を供給され、淡い緑色の光を放ちながら形状を変えていく。
 発光に伴い魔力による作用を受け、一気に薄板状に硬質化した。

「魔力を通わせることで硬質化する特殊繊維を用いたつばさ専用の飛行デバイス、『蜻蛉ドラゴンフライ』よ」

 アカリの丁寧な説明に透哉は一瞬だけ耳と意識を向けるが、即座に変形したつばさの『蜻蛉』に視線を戻す。
 つばさの魔力が浸透した特殊繊維は重なり合った若葉のように整然と並んでいる。
 その数、左右にそれぞれ二枚の計四枚。
 名前通り羽を休めているトンボのように見える。
「よし、」と小声で動作確認を終えたつばさは頭のゴーグルを目元に降ろし、具合を確かめた後、上半身を少し前に傾けて力を加える。
 すると四枚の羽が光の軌跡を描きながら水平に起き上がり、擬人化したトンボのような様相を披露する。

「じゃあね!」

 つばさは軽く手を上げて最後に一言短い挨拶を残し、返事を待たずに膝を曲げ、垂直に跳躍。
 すると垂直跳びの頂点でロケットエンジンを点火したようにグンと加速して周囲の建物の遙か上空まで瞬く間に浮上する。
 余りに急な挙動に透哉が慌てて視界を真上に向けたときには体をほぼ水平に倒して飛んで行くつばさのつま先が見えた。
 完全に重力の存在を無視した鋭利で緩急の激しい飛び方は自然物にも一般的な人工物にも似つかない。
 魔力と科学の混合なくしては実現できない独特の物だった。
 
「すげぇな」

 透哉の口から魔力と科学の合作への素直な感想が出た。
 ホタルも同意見なのか、口を半開きにしたままコクンと頷いた。
 しばらくの間、つばさの飛んでいった空間を放心状態で眺めていた。
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