終末学園の生存者

おゆP

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第二章

第4話 彼らのアフタースクール(2)

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2.
(放課後はなにすっかな…)
 
 六時限目の授業も残すところ十分。
 教員の話を右から左に流し、ぼんやりと黒板を眺める透哉の隣。
 う、う~ん? と渋い顔をして唸るのはクラス委員の源ホタル。
 容姿端麗にしてエンチャンターとしての実力も併せ持つ憧憬を集める存在である。
 が、彼女にはひとつ弱点があった。
 シャーペンを握ったまま腕を組み、射るような目で黒板を注視して、一言。

「なるほど。まったく分からん」
「源、あまり堂々とされると説明している先生悲しくなるんだけど」

 壇上の数学教師は思わず苦笑い。
 先日の授業での不明点を質問され懇切丁寧に説明を重ね、授業時間をホタル一人のために大幅に削っている。にもかかわらずホタルのこの発言。
 そう、ホタルは絶望的に勉強ができないのだ。
 本人は真剣なのだが、勉学へと向かう姿勢に反して理解力が極めて低い。もちろん必死に理解しようとはしている。それでも反復に次ぐ反復をしてなお分からないことが度々ある。
 ちなみにクラスメイトのほとんどが説明の内容を理解し、いわば無駄な復習につき合わされている。
 それでもそこに口を挟まずおとなしく不出来な者に合わせるは寛容ではなく、ホタルの人望である。
 一方、透哉の前の席では犬が前足で器用に赤ペンを掴んで教科書の重要箇所に線を引いている。
 二年五組に在籍する夜ノ島学園の一二を争うミステリーな存在、松風犬太郎。
 クラスメイトなのに犬、犬なのにクラスメイト。
 未だ詳細も正体も不明な携帯電話のコマーシャルに登場しそうな真っ白い毛の関西弁を喋る胡散臭い犬。
 こう見えて平均点以上を維持できる程度の学力を持っているのだからこの世の中、何が基準でできているのかわからない。
 ホタルのことはさておき、目下気がかりなのは妙に機嫌がよく見える松風。
 透哉の目の前で尻尾を振り振りしながら軽快に肉球でペンを回している。
 そんな透哉の視線を察知したのか、松風は振り返ると小声で話しかけてきた。
 壇上の教師はホタルへの説明に奮闘していることもあり、私語を注意するどころではない。

「御波、御波! そう言えばそろそろやね! 楽しみやね!」
「あ?」

 そう言えばと言われても透哉には心当たりがないし、何がそろそろかも分からない。

「七夕祭!」



 誰しも面倒で非生産的な話はしたくない、と思う。
 それは悲観的な者の愚痴だったり、高慢な者の自慢話だったり。
 しかし、聞き上手や甲斐甲斐しいなどの評を受ける者たちはこれらの面倒を善意で肯定的に受け止め、解決には至らずとも納得のいく形で相談者に返答をする。
 決して頭ごなしに駄目だとも無駄だとも言わない。

「お前の話は分かった。駄目、無理、諦めろ」
「御波! なんで七夕祭は犬禁なん!? なんで! 僕もこの学園の生徒やん!」

 放課後、帰宅の途に就こうとしていた透哉は松風につかまっていた。一方的にかじり付かれ話を聞かされていることから相談とは言い難い。
 しかし、透哉も(珍しく)無下にはせず、かといって深刻には捉えず、とりあえず耳に入れている。

「ったく、うるせーな」

 松風への雑な対応はいつものことだが、透哉はどこかつまらなさそうである。それもそのはず、透哉は話題である七夕祭に全く興味がないのだ。
 七夕祭と言うのは他の学校で言うところの文化祭に近い。
 夜ノ島学園は外部からの客を受け入れづらい事情を抱えている都合上、一般への開放を許した行事がほぼ存在しない。その上、学校行事自体も少ないと言える。
 理由としては開校しての日が浅いこと、外部への開放を忌避する動きがあることが大きな要因である。
 それらの相乗効果もあり、おのずと生徒たちの興味関心は数少ない学校行事へと集中し、それなりの盛り上がりを見せている。

「諦めろ。第一、去年と同じこと言ってんぞ? お前」

 去年のことを思い出しながら全ては松風のわがままであると察し、面倒ごとを嫌う透哉はこれを軽く受け流した。

「僕も七夕祭出たいー! みんなと短冊飾ってお願い事したいー! どうしたらええ? 僕はどうやったら七夕祭出させてもらえる!?」

 松風は白い毛並みにキラキラ光る透明の涙を乗せて透哉に詰め寄る。そんな純真無垢な松風を夜露で輝く野グソを見るような目で見る透哉。
 透哉はどうすれば解決するかとも、納得させられるかとも考えない。
 どう話を逸らすか、あるいは騙して勘違いさせるかを考えている。

「人間になれるように短冊吊るしてみたらいんじゃね?」
「それや! そのためには七夕祭に参加して……ってそれができんから困っとるんや!」
「うははははっ!」
「だったらせめてこれを代わりに吊るして欲しい!」

 松風の真剣なノリツッコミに透哉は声を上げて笑う。
 松風は背負ったカバンからノートを取り出し短冊大に切り取ると素早く『人間になって七夕祭に参加したい』と悲願を書き連ねる。
 愚直ながらも健気な願いである。

「あー、それぐらいなら構わんぞ」
「おおきに! 御波!」

 透哉は渾身の短冊を受け取ると、松風が片づけをしている隙に素早く紙飛行機に改修し、夕日に向かって離陸させた。

「頼むで御波! 今年こそは! ん? 短冊どこ行ったんや?」
「安心しろ。無くさないように大切に保管した」

 適当なことを言って薄っぺらのカバンを叩く。
 松風の背後、件の短冊は急速に高度を落とし、校舎脇の茂みに墜落した。

「ちなみに言っておくが、短冊を吊るして願うのが今年だから叶うのは最速でも来年だぞ?」
「ふぁあああん! 僕も参加したいい! 出たいんごぉおぉぉぉぉおおー!」

 なぜか参加できると勘違いしていた松風はぬか喜びから脱却。再度現実を突きつけられる。
 仰向けになって駄々をこね始め、ついには叫びながら地面を高速で転がり始め、小規模な砂嵐を巻き起こした。
 その様子を透哉は腕を組んで遠巻きに眺めていただけなのだが、客観的に見ると犬に激しい躾をしているように映ったらしく校舎内から目撃した生徒たちによって『御波透哉、犬にハード芸を仕込む』とタイトル付けされた動画をその日のうちに拡散された。

「諦めはついたか? 寮に戻るぞ」
「……ぐすん。疲れた。動きたくない、連れてって」
「うぜぇ、このクソ犬がぁ!」

 透哉は苛立ちを吐露しつつ、転がり疲れて横たわった松風を力強く蹴り上げると荒々しくも律儀に移動させる。
 もはや、背中だろうが、腹だろうが、顔だろうが、容赦はしない。ワンキック一メートルほどのペースで一人と一匹は寮を目指す。
 透哉が松風を蹴る度に鳴り響く鈍い打撃音と生々しい着地音に、帰宅途中の生徒たちがひそひそと声を立てる。

「見ろよ、御波のヤツ、また動物虐待してるぜ」
「うわ、マジやべぇな」
「ああぁ? どこが虐待だ? これは躾だ」

 時折混ざる犬の嗚咽に周囲の目は更に険しくなる。
 透哉は松風を蹴りながら野次馬に睨みを利かせ、運動場を横断する。
 蹴り転がされ続け砂まみれになった松風は、揚げる直前のコロッケに酷似していた。

「ええんや、僕なんて……」

 依然いじけ虫状態の松風は、自ら地面をころころと転がりながら移動を始める。
 しかし、透哉が横断歩道で足を止めると静電気で吸着する埃みたいにまとわりついてくる。

(なにこれ。ばっちい)

 ゴミを見るような目で見ること数秒。エンジン音に気付き顔を上げること一秒。
 透哉は「おりゃ」と軽い掛け声と共に松風を車道へ(猛進するトラックの前に)インサイドキック。

『バッカやろう! きたねーもん捨てるなぁ!』

 運転手の罵声を残して通り過ぎたトラック。
 残されたのはアスファルトの上で蹲ったまま「うわーん!」と涙を流す松風の姿。目の周囲の砂だけが黒く滲んで水を吸ったわらび餅みたいになっている。

「何か嫌なことでもあったのか?」

 透哉は小指で耳の掃除をしながら尋ねた。

「たった今友達に殺されかけた挙句、運転手にキッツいこと言われたんや!」
「その上、七夕祭には出られねーしな」
「う、う、ふぁあああん―――!」

 松風はしばらくぶりに四つ足で立ち上がると、ハンバーガーチェーンのロゴみたいなアーチを描いて号泣する。すごく哀れだ。
 さすがに悪戯が過ぎたようだ。透哉の中にわずかながら罪悪感が生まれた。

「あーあー、悪かったよ。じゃあ、こうしよう。俺が七夕祭の実行委員会に立候補してお前も参加できるように打診してやる」

 流石に見かねた透哉が妙案を提示する。

「ほ、ホンマなん御波!?」
「打診するだけで無理だったら今度こそ諦めろよ」
「うんうん!」

 すると松風は、砂漠でオアシスを見つけたみたいな希望と期待に満ちたキラキラした目ですり寄ってくる。
 ズボンの裾が砂まみれである。

(うぜぇ)

 途轍もなく面倒なことを勢いで口走った気がするが、深く考えないことにした。
 と言うよりも分からなかった。
 無関心故に去年の七夕祭には全く関わらなかった上、当日は人目を避けて陰で居眠りをしていたのだから。
 自身の軽率な提案を悔いるのは少し後のこと。

 学生寮に着いた透哉が松風と一緒に門を潜ると、宿舎が出迎える。ほぼ同じ作りの建物が群れる様相は規模が縮小されたもう一つの学園と言ってもいい。
 入寮当初は圧倒された光景も、数日と経たないうちに見慣れた光景へと変わった。
 透哉たちは立ち並ぶ棟の片隅に建てられた管理局と札が取り付けられた平屋に足を運ぶ。

「というわけで今日は大人しくしとけ」

 透哉は設けられた大きめの犬小屋を前に松風に告げると躊躇なく小屋に蹴り込み、外から南京錠を手早く五つ取り付けた。

「御波! 何するんや!? これじゃ僕、出られへんやん!」

 透哉は鍵の束を握りしめると上空に投げ捨てた。 
 一番星より輝くと空の彼方に消えた。

「ふぅ、戻って飯食って寝るか」

 松風の悲鳴を背に受けながら、一仕事終えたとばかりに肩を鳴らすと一人歩く。
 寮の玄関にたどり着くまでの僅かな一人の時間。
 今の透哉にとっては貴重な時間。
 プレハブ小屋での一人暮らしとは違い、学生生活の喧騒に翻弄されているせいで考えに耽る時間が著しく減ってしまったのだ。

(相変わらずわけのわからないやつ……)

――そうやって定義を曖昧にして目を逸らせているのだろ?

 自分の中にいる別の誰かが囁いた気がした。
 こうして、未知の何かに常に挑み、日々の疑問や不安に向き会う時間が失われている。平凡な学生であれば心が満たされ、生活が充実していると言える。
 しかし、透哉の境遇と掲げる野心を前には安寧こそが敵で、緊迫こそが味方なのである。
 同じ学園の一員として共学しつつも人間と犬、明確な種族の区別がされている。
 最早壁と言って遜色ない。
 夜ノ島学園と言う特異な環境柄、今の今まで気に留めたことがなかったがおかしなことだった。
 まるで集団催眠から一人だけ暗示が解けてしまったみたいに。
 冷静に考えてクラスメイトに餌を与える役割などあるはずがないし、寮と称して犬小屋が完備されることもない。
 犬なのに生徒、生徒なのに犬。
 違和感の隙間から優劣の存在が見え隠れする。

 これは予兆。
 酔いが覚める前の酩酊感。
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