あやかし甘味堂で婚活を

一文字鈴

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四皿目 どら焼きと離婚寸前の夫婦

その12 それぞれの夜

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「菜々美ちゃん、あのね……えっと、ちょっと聞きたいことが……」

 コホンと蘭丸が空咳をして、言いにくそうにぼそぼそとつぶやいている。

(急に小声になって、どうしたんだろう……?)

 不思議に思いながらも、菜々美が「はい」と元気よく返事をすると、蘭丸の形のよい瞳が戸惑うように揺れた。

「あの……蘭丸さん?」
「うん、えっと、菜々美ちゃんが来てから、僕は……その……」
「?」
「えっと、咲人くんのことなんだけど。菜々美ちゃんは、その、咲人くんのことを……」

 蘭丸の声が小さすぎて、後半はほとんど聞き取れなかった。

「すみません。あの、よく聞こえなくて……」
「うん、えっと、菜々美ちゃんは、咲人くんのことを……」
「――二人とも、眠れないのか?」

 突然、咲人本人の低い声が響き、蘭丸が驚いて息を呑み込む。
 いつの間にか、気配もなく、厨房の壁に背を預けた咲人が立っていた。

「わっ、さ、咲人くん、いつからそこに?」
「何をそんなに驚いているんだ、蘭丸。鬼之丞を寝かせた後、厨房奥の小部屋で在庫の確認をしていた。蘭丸が仕事をしているようだったから、音を立てないようにしたが」

「ええっ?」
「菜々美まで、そんなに驚かなくてもいいだろう?」

(きっとコンプレックスのことを、咲人さんに聞かれてしまったわ……)

 話しやすい蘭丸に相談する時と違って、咲人に聞かれるのはなんだかすごく恥ずかしい。菜々美は頬が熱くなった。
 蘭丸は菜々美の十倍あせって、テーブルの上のノートパソコンを抱えると、「ごめんね。また明日。お休みなさい!」と叫んで、逃げるように、その場を立ち去ってしまった。
 菜々美は動揺して目をぱちくりとさせる。

「ら、蘭丸さん……?」
「蘭丸、ちょっと待て」

 咲人が止めたが、蘭丸は立ち止まらず、バタバタと階段を上がっていく。
 蘭丸が出て行ったドアの方を見て小さく息をつき、咲人はゆっくりと窓を閉め、菜々美と向き合った。

「……突然出てきて、悪かった」
「い、いいえ……」
「蘭丸も言っていたが、菜々美はよく頑張っていると俺も思っている。菜々美のおかげで店は活気を取り戻した。できれば、これからもずっと続けてほしいと願っている」
「あ、ありがとうございます!」

 咲人が褒めてくれた。そして『夕さり』にずっといていいと言ってもらい、胸の奥がじわりと熱くなる。

「嬉しいです。私、頑張ります。おやすみなさい、咲人さん」

 胸がいっぱいで、視界が滲みそうになった菜々美は、あわててお辞儀をすると、逃げるように部屋を出て、客間に向かった。

(私の居場所……見つかった気がする……。うれしい……!)

 布団を頭までかぶって目を閉じ、幸せな気持ちに包まれているうちに、今度は深く心地よい眠りが訪れた。


****


 翌朝は澄んだ青空が広がり、朝から蝉の鳴き声が賑やかだった。
 マリナは人型に戻り、鱗が生えた魚の尾びれは、すらりとした足に代わっていた。そして一晩中水風呂で寝たことで、昨日よりも格段に元気が回復しているようだった。
 夕さりの駐車場に停めていた青色の車の前で振り返り、マリナは改めて見送っている皆へ頭を下げた。

「咲人くん、菜々美ちゃん、蘭丸くん、ありがとうございました。咲人くん、もう一日だけ、鬼之丞を預かってください。すみません。鬼之丞、ごめんね」

 咲人の肩にちょこんと座った鬼之丞が、うるうると目を潤ませながら、こくんと頷いた。小さな両手を目いっぱい伸ばす。

「かーちゃ……とーちゃといっとに、むかえにきてね」
「ええ、待っていて、鬼之丞」

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