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終結、そして未来へ
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半年後。
キャサリン・マイアスとグラリエスはそれぞれの国で、目も当てられれないような壮絶な拷問の後、処刑された。
断頭台に立ち、剣を携えたガーネットは、最後のその時、ボロボロになった伯母の姿を見ても何も思わなかった。
マイアス子爵家の一族は皆、断頭台に立たされている。その誰しもが項垂れ、その瞳は生気を失っている。
悲鳴や命乞いの言葉はなく、処刑は速やかにガーネットの手で執り行われた。
一族の首はマイアス家に掲げられ、血塗られた子爵家として家は取り潰しとなり、屋敷も更地と化した。後に買い手もつかず、そこには誰が植えたのか、満開の花畑となった。
「――ガーネット。いい加減にしろ」
ジルフォードは訓練場へと来ていた。
その鋭い眼光は、広い訓練場をランニングしている婚約者へと注がれている。
マイアス家取り潰しの後、ガーネットとジルフォードの婚約が公に発表された。
リーゼリック王国の幻の公爵家最後の令嬢と、リュクスメディア王国王太子との婚約は二国の同盟関係をより一層強く、硬いものにしたのだが、正式な婚姻までは準備に最低でも一年はかかる。
ガーネットは婚姻のその前週に除隊することで正式に決まったのだが、ジルフォードはまだ、納得できていなかった。
「騎士長殿。ご機嫌麗しく……」
ジルフォードの声を聞き、足を止めて駆け寄ってくるガーネットに、彼は大仰な溜息を吐いた。
全力疾走でランニングをしていたのに、その表情は晴れやかで、汗ひとつ掻いていない。
「お前、宮廷医の言葉を忘れたのか?」
「いいえ、そのようなことは決して」
「お前が妊娠しにくいのは、その運動量と不摂生な食生活にある。少しは弁えろ」
そう、ガーネットは妊娠しにくい身体の鍛え方をしていていたのだ。
健康的、というのに、騎士の訓練は過酷すぎる。本人はケロリとした顔をしているが、普通の騎士であれば一日訓練場で鍛えられた日は死んだようにぐっすり眠って朝まで起きないくらいの疲労度合なのだ。
しかもガーネットは金を気にして絶食していた時期すらある。それは女性の身体には負担が大きく、生理周期も乱れていた、ということをジルフォードが知ったのは、事がすべて解決してからだった。
「あと一年は騎士を続けますし、身体が訛るのはどうかと……」
根っからの騎士頭であるガーネットの考えは、未来のことよりもあと一年の任期のことでいっぱいのようだ。
「ならばせめて、食事をしっかり摂れ」
「食べています」
「偏食のことを言っている!」
食堂が無料開放されてから、ガーネットは懐事情が切実だった頃、なかなか手が出せなかったものばかり食べていた。
つまりそれは、ラザニアやピザ、骨付き肉などを言っているのだが、どれも栄養バランスに欠けていた。早々にメニュー改善を打ち立てたジルフォードだが、彼女は金がなかったときにこれでもか、というほど野菜ばかり毎日食べていたので、いつしか野菜嫌いになっていた。
「野菜なら食べました」
「何年前のことを言っている!」
「一年……でしょうか?」
もうすぐ、ふたりが心を繋げて一年が過ぎようとしている。
ガーネットはもうすぐ二十歳だ。
ジルフォードも二十八になる。
「お前はまったく……。元気な赤ん坊を産んでもらわないとならない身だという自覚をだなぁ……」
「それなら夜ごとに……その……」
口ごもるのは、昨夜の情事を思い出したためと、この場には二人だけではないからだった。
婚約発表はしたものの、さすがに同胞たちの前で偏食や子供のことなどを言われると、ガーネットはまだ恥ずかしいのだろう。
頬を赤らめて顔を背けてしまった。
「――上の口から食わぬなら、下の口から食ってみるか?」
真面目な顔で卑猥な言葉を投げかけられ、ガーネットの顔がその瞳よりも赤く染まった。
「た、食べ物をそのようなことに使うのは反対です!」
「ならば食え。毎日毎食、俺に食わしてもらいたいか?」
「結構です!」
ふんっ、と腕を組んでそっぽを向き、完全にへそを曲げたガーネットの姿は、もはやこの王宮内では慣れ親しんだものになっていた。
騎士たちもふたりの戯言に顔を赤らめる者もいるが、大半は聞こえていないフリをしている。下手にちょっかいを出せば、ジルフォード直々の地獄の特訓が待っているからである。
「俺の婚約者殿はまったく……」
ジルフォードは本気で頭を抱えたくなった。
彼女が騎士道に忠実な理想的な騎士であるのは誉れ高いが、婚約者としては及第点にも満たない。
愛しているし手放したくない、という気持ちは日を追うごとに増すばかりだが、こういうところが厄介なのである。
強さは王宮どころか、世界中の王族貴族中へと知れ渡っている。
彼女はあの一件から、『赤き宝石の紅蓮の狂気』という二つ名で呼ばれることが増えた。
誰も彼女に手を出すことは許されない。
もしも手を出したものならば、その赤い瞳に宿る紅蓮の狂気によって、返り討ちにされて無残に死する。という噂まで流れ始めた。
このお陰で、リュクスメディア王国の貴族派の政党の者たちは、この婚姻について何も反論をしなかったのだが、その強靭な肉体を鍛えるべく毎日訓練を惜しまない彼女は流石に目に余るものがあった。
「――もうすぐ、あちらでのデビュタントだろう。そちらの練習は大丈夫なのか」
リーゼリック王国の貴族階級第一位のシュヴァリエ公爵が最後の女主人となったガーネットは、形ばかり出たというデビュタンントを本当の祖国でやり直すことになっている。
それと共に、リーゼリック王国での、公爵家の女主人ガーネットと同盟国王太子ジルフォードとの正式な婚約発表も兼ねた夜会が、数日後に控えていた。
「これでも貴族名簿に名を連ねたのです。礼儀作法はそれなりに身についています」
「デビュタントは良いとして、お前、満足に夜会など出席したことがないだろう」
夜会に、社交界に出るということは、ひとりひとりの貴族の顔と名前を覚え、招待される周辺諸国や同盟国の名産や特産などの貴族としての知識も問われるものだ。
「訓練も良いが、勉強もしておけよ」
「これでもリュクスメディア王国が騎士。予習だけでなんとかなります。お任せください」
色々な意味で、本当に大丈夫か? と問いたいが、これ以上彼女がへそを曲げると、今日の夜は一人寝になってしまいそうだ。
自分の言いたいことを我慢せず、口にするようになった彼女は、それだけでも成長を遂げたといえるだろう。
彼女の口から「恐れ多くも」という言葉が滅多に飛び出さなくなっただけで、ジルフォードは満足しなければならないのかもしれない。
「そうか……。なら、少し俺に付き合え」
「何かありましたか?」
「来ればわかる」
言いながら、ジルフォードは歩き出した。背後から彼女がついてくるのがわかる。
そして当然、隣に並んだ。
ふたりが並んで歩いていると、侍女たちが恭しく頭を下げ、見回りをしていた騎士たちも足を止めて礼を取る。
ガーネットは婚約者として、未来の王太子妃として、周囲に認められていた。
「ここだ」
言って彼女を連れてきたのは、ジルフォードの執務室である。
「――……しませんからね」
じと、と横から睨み上げてくる瞳を軽く受け流し、ジルフォードは執務室の扉を開く。
その執務机には、不釣り合いなぬいぐるみが置かれていた。
「あれ……」
ガーネットの瞳がそれに止まる。
真っ黒く黒ずんでしまったが、そのくぼんだ瞳はきらりと輝いている。
「さきほど届いた。お前の新しい『ルーラ』だ」
言いながら執務机にちょこんと座っているウサギのぬいぐるみをガーネットに差し出した。
「これ……」
それを受け取ったガーネットは、その瞳に輝く金色の宝石に釘付けになる。
「いつまでも目がくぼんだままでは哀れだからな。俺が手配した」
瞳を彩るは黄玉――イエロートパーズである。
「ジルフォード……」
感極まったガーネットの瞳が、ジルフォードを見上げた。
「探していたのだろう? この子――ルーラに合う瞳を。これならどうだ?」
ガーネットは首が飛んで行ってしまうのでは、というくらい頭を上下に振り、そしてかつては黄金だった黒ずんだウサギのぬいぐるみを抱きしめた。
「ありがとうございます……」
「――喜んでくれてよかった」
「有難き、幸せ……」
ウサギを抱いたまま、体当たりのように抱き着いてくる。
そんなガーネットを、ジルフォードは優しく抱きしめた。
「あなたの瞳のように綺麗な色です」
「あぁ、そうか」
「ずっと、探していて……。でもなかなかなくて……」
「俺も、これを探すのには骨が折れた」
ジルフォードの瞳は濃い金色だ。
なかなかその色に似たもので、このぬいぐるみの大きさに合うものは見つからなかった。
あらゆる手段を使って、それがやっと流浪の宝石商経由で手に入ったのは、つい先日のことだった。
「ルーラ、よかったわね。フィンレーだって、きっと気に入ってくれる」
嬉しそうにウサギを胸に抱くガーネットに対し、嬉しい反面複雑な気持ちのジルフォードである。
彼女が気に入ってくれたが、その胸の中にあるのは、もし生きていれば恋敵となったであろう少年が名をつけた代物だ。
そちらばかりに気を取られるのは、気に入らなかった。
「ところでガーネット。俺がやったあれにはもう名前があるのか?」
「え? 銀色のあの子ですか?」
「そうだ」
ガーネットはこの黒ずんだウサギを『ルーラ』とは呼ぶが、銀色の方の名を呼んだことはない。
二十歳を過ぎた娘が人形遊びをするものでもなく、部屋に飾っておかれているだけの存在に名を呼びかけることはないだろうが、それでも気になった。
「いいえ……。まだ決めてはいません」
そうか、とガーネットの髪から頬にかけて大きな手のひらで撫でるジルフォードは、スッと切れ長の目を細めた。
「リリア、というのはどうだ」
「え……?」
「あの銀色のウサギの名だ」
逞しい胸板に手をつき、ガーネットがまじまじとジルフォードを見上げてくる。
だがすぐ、その頬がほころんだ。
「いいですね。リリア。そうしましょう」
にっこりと花が咲いたように笑うガーネットの額に、チュッと口づけを落とす。
これ以上くっついていると身体に熱を帯びそうになり、ジルフォードはガーネットの肩を掴んでゆっくりと距離を取った。
そうするとガーネットは、ジルフォードの寝室に続く扉に手をかけた。
「すぐに一緒にしてあげないと」
今、このウサギのぬいぐるみたちは、ジルフォードの寝室の横に備え付けられた、燈台があるテーブルの隅に置かれていた。
少しずつ、ガーネットの私物がこちらへ移動させられている。
彼女のために作らせた制服の予備やシャツ、剣や少ない日用品も、今はここに置かれていた。寮の部屋は、今ではもう、ほとんど住人の物は置かれておらず、ほぼ空き部屋状態になっていた。
「今日からあなたはリリアよ。ルーラと仲良くしてね」
まるで幼い少女のようにぬいぐるみに語り掛けると、ガーネットはルーラを寂しそうにしていたリリアの隣に座らせた。
二匹のウサギのぬいぐるみは寄り添うように置かれ、どこか嬉しそうだ。
アレクセイが購入した、という新しい金色のぬいぐるみは彼が持ち帰り、彼の愛らしい妃のお腹の中にいる赤ん坊に与えられる、とふたりが知ったのは、もう少し後のことである。
つん、と黒くなってしまったウサギの頬をつつくその彼女の表情は、自分を助けようとした友人であり、かつて淡い恋心を抱いた初恋の相手へと向けられている。
それが気にくわなくて、ジルフォードは寝台の隅に腰かけたガーネットを押し倒していた。
「ジ、ジルフォード!?」
慌てたガーネットの顔を上から見下ろす。
「俺の寝台で――俺の前で、他の男のことを考えるな」
「な、何を言って……!」
チュッ、と唇を奪うと、そこは薄く開いた。
もう一度、今度は深く貪る。
最初は抵抗に身体を固くしていたガーネットは、その口づけにすぐに蕩けてしまい、全身の力を抜いて甘く吐息を零す。
わずかに唇を離すと、クスッ、と彼女は小さく妖艶に笑った。
「ぬいぐるみにまで、嫉妬ですか……?」
「お前は俺のモノだ」
「あなたも、私のモノです」
フィンレーは確かに初恋の相手だった。
幼いながらも彼もガーネットを愛し、そしてガーネットも彼を愛していた。
だが、今のガーネットの瞳にはジルフォードしか映っていない。
色々と、辛いことが多かった。
初恋の少年を成す術なく見殺しにし、記憶を失い、母を亡くしたことも気づかず、父を師だと思い込み一方で父親代わりとして慕った。
周囲からの視線も、本当は違ったのだ。
彼等は、元王女の娘が記憶を失ったことの辻褄合わせに付き合わされただけだった。
アレクセイの命令で、下賤なモノとして扱うように、と。
本当は、リーゼリック王国の王宮の者たちは、ガーネットを愛してくれていたのだ。
愛らしい少女が、第二王子と笑顔で戯れる様を、二度と見ることができなくなり、彼等はその代償として、第二王子が愛した少女を護るために、アレクセイの命令に従っていた。
綺麗な銀色の髪も、宝石のような美しい赤い瞳も、彼等はたとえ王太子の命令だからとはいえ絶対に貶したくなかったはずである。
それは元王女――可憐でお転婆ででも真っすぐな愛を貫いたマーガレットと、瓜二つだったのだから。
「私が愛しているのはあなただけです」
「――どうかな」
「疑うのですか?」
こんなに好きなのに、とガーネットは素直に自分の胸の内をさらけ出す。
リーゼリック王国の公爵家の爵位により、平民としてではなくもう少し近しい存在として、ジルフォードに接し始めたからだ。
「俺はお前をぬいぐるみに取られたようで悲しい。こんな哀れな婚約者を、お前は慰めてもくれない」
年甲斐もなく甘えたことを言うジルフォードに、ガーネットは一瞬目を見開き、だがすぐに小さく笑った。
「ルーラに瞳をくれ、リリアに名前をくださったお礼です」
細い手がジルフォードの頬を包み込み引き寄せ、チュッ、チュッ、と鼻先と頬に口づけをすると、ジルフォードの眉間に皺が寄る。
「まだだ」
「え……」
グイッ、とジルフォードの手がガーネットの足の裏に差し込まれ、胸につくほど折り曲げられる。
「俺だけを見ろ。ガーネット」
「――あなたしか見ていません」
お互いの距離が徐々に近づき、そして唇が重なる。
ギッ、ギッ、と寝台が悲鳴を上げ始め、甘い吐息が部屋に木霊する。
二匹のウサギのぬいぐるみは、そんな仲睦まじい二人の様を、ただ黙って、そっと見守っていた。
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