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泣き虫王女の我が儘

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◇◆◇◆



 周辺貴族や他国の王族を招いた舞踏会。
 王宮で行われる夜会や舞踏会では、騎士は皆、正装になることが義務付けられている。
 これに袖を通す機会はあまりないが、これが着られるのが、ガーネットの密かな楽しみでもあった。
 腰に長い長剣を佩き、髪を纏めて、高さのある白い帽子を被る。
「正装に袖を通すのも、久々ね……」
 自室に立てつけられている姿見で身支度を整えながら、ガーネットは小さく呟いた。
 多少動きにくくはあるが、正装なので仕方がない。実戦に長けたデザインではないのは、あくまでこれは戦闘服ではなく、来賓たちを迎えるための見栄えを重要視して作られたものだからだ。
 それでも、騎士たるもの、多少動きにくかろうと腕を衰えさせることはない。そういう風に訓練している。
「私の髪が、銀色じゃなければ、もっといいのに……」
 銀髪に白い制服、となると、まるで蝋燭のようだ。普段着ている紺の方が、色味的には気に入ってはいた。
「壁と同系色になって、良いかもしれないけど」
 会場である大広間の壁の色は白。
 気配を消して警護するなら、なるべく目立たない方が良い。
 そう思い直し、ガーネットは王宮へと戻り、その足で、この国の第一王女であるステラの元へと向かった。
「姫様。お迎えにあがりました」
 ノックをした後、そう声を掛けると、いきなりドアがバンッと開き、王女が涙を浮かべて抱き着いてきた。
「ガーネットぉぉぉ!!」
「ステラ殿下。どうかなさったのですか?」
 部屋の中を見れば、数人の侍女たちがドレスや装飾品を手に、困り顔で立っていた。
 今年十八になるステラ王女は、年齢にしては泣き虫で甘えん坊だ。蝶よ花よと国王や王太子に甘やかされて育てられたせいか、根性もない。
 わんわんと泣く王女に、ガーネットは赤い瞳を意図的に和らげ、優しく尋ねた。
「どうしたのです。お可愛らしいお顔が台無しではありませんか」
「もうぅぅ! 聞いてよぉ!」
 ぐすぐすと鼻をすすりながら、ステラの黄金の瞳がガーネットに向けられる。綺麗な金髪の髪を撫でてやりながら、ガーネットは彼女の言葉を待った。
「アイリスが来ないって言うの! それなら私も行きたくないわっ! それなのに、行かないとダメって……!」
 アイリスとは、彼女が親しくしている侯爵令嬢だ。あぁ、また始まったのか、とガーネットは内心溜息を吐く。
「我儘をいうものではありません。殿下はこの国の王女様なのですよ? せめて、来賓の方々にご挨拶をしないと」
 騎士とはいえ、王女にここまで言うのは不敬だ。だが、それをガーネットは許されていた。
 ステラがガーネットを気に入ったからだ。
 今ではお目付け役のような立ち位置に度々なることもあり、今はまさに、そのときだった。
「いやったらいやっ! アイリスがいない舞踏会なんてつまらないし、他におしゃべりできる人なんていないもの!」
 はぁ、とまた溜息を吐きたくなる。
 彼女はとても人見知りなのだ。
 ガーネットも、彼女に気に入ってもらうまでにそこそこ時間を有した。
「会場にはわたくしが控えております。お寂しいのであれば、わたくしがお相手いたしますよ」
「……本当?」
「はい。わたくしが姫様に嘘を言ったことがありますか?」
 優しく尋ねれば、彼女はふるふると頭を左右に振る。
 きっと、これを言うのは、彼女の騎士――そう、婚約者の役目なのだろう。だが、彼女は未だに婚約者がいない。人見知り過ぎて、候補者とふたりきりにするとすぐに泣きだして部屋を出て行ってしまうから、数多の男たちがふられているのを、ガーネットも知っていた。
(そうか、私がこの国を出て行くということは、ステラ様は……)
 ふと、彼女の今後のことを思うと、既に決めた心が揺らぎそうになる。
 出世は譲れない。
 でも、主を守ることが騎士の本懐である。
『いいか、ガーネット。どんなことがあっても、主を裏切ってはいけない。友や恋人もだ。裏切るのは、敵だけだ』
 ふと、リンデンが言っていた言葉を思い出した。
 未だにその言葉の本当の意味はわからないが、きっとこういうことなのだろう。
 ガーネットにとって、ステラは妹のように可愛い。主に向かってそんな不遜な心を抱いてはいけないのだろうが、兄弟に恵まれなかったガーネットは、本当の妹のようにこの泣き虫な王女を愛していた。
 だが、彼女もいずれ嫁ぐ身だ。
 いつまでもガーネットが傍に居られるはずはない。
 別れが遅いか早いか、ただそれだけだ。
「さぁ、もう舞踏会が始まってしまいます。早く準備を」
 そう言って部屋に押し込もうとしたが、急に細い指が腕にかかった。
「ガーネットもお洒落しないとダメでしょう? 騎士の制服なんてダメよ。私の隣にいるなら、着飾らないと」
「――は?」
「ねぇ、ガーネットに似合うドレスはあるかしら? 体型は私とたいして変わらないし、あの紺のドレスは?」
 急に眼を輝かせたステラに、ガーネットは慌てた。何の話をしているのか、と彼女に問いただそうとしたが、ステラは着々と侍女たちに指示を出し、ガーネットを部屋の中央へと引っ張っていく。
「お戯れはおやめください。わたくしは……」
「いいじゃない! お兄さまだって、きっとお喜びになるわよ!」
 お兄さま。それはジルフォードのことだ。
 やめてくれ、喜ばれるどころか、叱責を食らってしまう。
「わたくしは姫様をお守りする騎士です。ドレスなど……」
「あら! 隣国では女性騎士にドレスを着せて護衛に就かせる国もあると聞くわ! それ、すっごく素敵だと思うの!」
「いえ、あの……、騎士団ちょ……いえ、王太子殿下か国王陛下のお許しなく、そのようなことは……」
「お兄さまもお父さまも、私がこれって言ったら言うことを聞いてくれるわっ! 大丈夫。お叱りを受けたら、私、ガーネットを叱るなら嫌いになるって言ってあげるから!」
 あぁ、これだから甘やかされ姫は……と思ったのは、ガーネットだけではなかったらしい。
「ガーネット様。姫様の命です。どうか……」
 やややつれ顔で、侍女のひとりが耳打ちしてくる。
 これ以上抵抗しないで大人しく従ってくれ、と、言われてしまえば、ガーネットは頷くほかなかった。
 ステラ王女を伴い、会場入りした時、本当に最悪だった。会場に配置された同僚たちの目が、パチパチと見開かれ、二度見までされたのだから。
 今のガーネットは、正装である騎士服を脱がされ、綺麗に化粧を施されたうえで、キラキラと輝く宝石が散りばめられたデコルテを広くとった紺色のドレスを纏い、髪はふんわりとアップにされ、首筋にはステラの希望で大きなダイヤのネックレスをしている。
 その隣で、ガーネットの腕を抱き込むステラは、かなりご機嫌だ。
 普段はぷるぷると子犬のように震えている彼女だが、お気に入りの騎士を着飾り、それを隣に置いている優越感からか、滅多に見せないとびっきりの笑みを振りまいている。
「ガーネットはドレスを着たら、すっごく綺麗だとずっと思っていたの! やっと願いが叶って、私、今、すごく嬉しい!」
 ニコニコしているステラに、さようですか、とげんなりとしながら返してしまう。
 さすがに不敬か、と思ったが、ステラは全く気にしておらず、ガーネットを見せびらかすようにして会場をぐるりと一周している。
「あ! お兄さま!」
 不意に、ステラが走り出し、ガーネットはそれに続く。
 彼女に何か遭っては大変だ、と思ったが、着いて行った方が大変だった。
「みてみて! 私の見立てなんだけど、すっごく綺麗でしょ?」
 それはもちろん、自分のことを言っているわけではない。
 人をかき分けるようにしてジルフォードに詰め寄ったステラは、ガーネットの背中を押して兄にその出来栄えを褒めてほしいと言わんばかりに声を弾ませている。
「…………お前は、何をしているんだ?」
 たっぷりと間を置いて、ジルフォードに尋ねられる。
「――面目ありません……」
「何故、そうなった?」
 鋭い眼光に睨まれ、ガーネットはせっかく上げてもらった給料が下がるのを覚悟した。
「アイリス公女様が今回はお越しになれないとのことで、ご立腹だった姫様に……その……」
「……ステラ」
 はぁ、と溜息を吐いたジルフォードに、ステラはうるうると目を潤ませた。
「ダメなの? 私、一人じゃいやで、ガーネットが一緒なら……だから……」
 大きな金色の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちる。咄嗟に王女へハンカチを差し出し、ガーネットは彼女を守るようにして、大きく開いた胸に王女の顔を押し当てた。
「姫様、そんな顔をされてはいけません。せっかく綺麗にしていただいたのに、涙で濡らしてはもったいないですよ」
 よしよし、と頭を撫でると、ステラはぐすぐすと泣き出し、「お兄さまなんて嫌い!」と喚き始めた。周囲の来賓たちも、何事かとこちらを盗み見ている視線を感じる。
 これにはさすがのジルフォードも焦り顔になり、妹をあやし始めた。
「そうじゃない。どうしてそうなるんだ。さすがだな、ステラ。ガーネットがここまで綺麗になるなんて、お前の見立ては素晴らしい」
 いきなり褒めちぎってくるジルフォードに目を剥きながらも、ガーネットはステラの頭を撫でた。そのとき、見てしまった。
 彼女の口元が、にやりと吊り上がったのを。
「本当? お兄さま」
「あぁ、本当だ」
 ガーネットの胸から顔を上げたステラは、うるうるとした瞳で兄を見つめている。
(――末恐ろしいお姫様だわ)
 人見知りなのも、泣き虫なのも本当だが、彼女は嘘泣きで父王や兄を思い通りにする術を身に着けているようだ。
(まぁこんなに可愛らしいのだし、そうなるわよね……)
 気付かぬふりをしてよしよし、とステラの頭を撫でていると、彼女はぱっと明るい顔になり、ガーネットの腕の中から離れるとジルフォードに抱き着いた。
「嫌いなんて言ってしまってごめんなさい! 私、お兄さまのこと大好きよ!」
「あぁ……そうか……」
 恐らく、ジルフォードもステラが嘘泣きをしたことに気づいている。だが、強く言えないのは年の離れた妹だからだろう。扱い方がわからないのだ。
 それにしても、とガーネットはこの兄妹を改めて見比べた。
 黄金の瞳はふたりとも同じだが、体格の差がありすぎる。美女と野獣、という言葉が浮かび、すぐに振り払う。
「ねぇお兄さま! ガーネットとダンスをしてはどうかしら? せっかくだもの!」
「は? いや……俺は――」
「あ、そっか。最初に踊るのは、私だったわね」
 こうした舞踏会で王族男性が最初に踊るのは婚約者か同じく王族女性かのどちらかだ。
 ステラは抱き着いた姿勢のまま、ジルフォードの手を握り、ダンスホールへと歩き出した。
 それを見送り、ガーネットはほっと息を吐いた。しばらくは壁際に待機して待とう、と足を踏み出したとき、背後から声がかかる。
「おや、これはこれは美しいレディがいたものだ」
 揶揄いを伴った口調。
 顔を見なくてもわかる。
 アレクセイだ。
「アレクセイ殿下。ご機嫌麗しく……」
「堅苦しい挨拶なんて抜きにしようよ。それより、その格好はどうしたの?」
「これは……」
 改めて自分の服装を見下ろす。
 こんな格好、似合わないし、性に合わない。
 ドレスは一着だけ持っているが、もっと質素で動きやすさを重視した農民が着るような代物だ。こんな豪奢なドレス、身分不相応だし、そもそも自分に似合うはずもない。
「笑いたければどうぞ。王女様の見立てでこうなりました」
 ムッとしながらもそう言うと、アレクセイは目をぱちくりさせ、そして優しく微笑んだ。
「笑うだなんてとんでもない。とても綺麗なレディで、すぐにはキミだとはわからなかったよ」
「――お褒め頂き光栄です」
「さっきジルも一緒みたいだったけど、彼はどうしたの?」
「王女様とダンスを」
 そっとダンスホールを手のひらで指す。
 オーケストラの演奏に合わせて、彼等はホールの中央で優雅に踊っていた。
「キミは? 行かなくて良いの?」
「こんな姿をしていても、私は護衛のためにここに居ます。任務中ですし、ダンスなど……」
 武器だって、ドレスの下に隠し持っている。王族や貴族を害する者が侵入してくれば、すぐに対処できるようにしなければならないのだ。遊んでいる場合ではない。
「じゃあ、あの件についてお話しない? 今なら良いでしょ?」
「そう、ですね……」
 ちらりとダンスホールへ視線を流す。王太子とはいえ騎士長だ。王女の護衛としてこれ以上優秀な人はいない。少しくらいいいだろう、とアレクセイに向き直る。
「お供いたします」
「なら、ダンスしながら、なんてどう?」
「はい?」
 急にアレクセイが膝を付き、恭しく手を差し伸べてくる。
「夜に煌々と光る月の如く麗しいレディ。その光りに誘われてやってきた、この愚かな私に、あなたと一曲踊る許可を頂けませんか?」
 歯の浮くようなセリフを、よくもスラスラと言えたものだ。
 思いっきり嫌な顔をしてしまったが、彼は周囲には聞こえないような小声で、ぽそりと言った。
「踊りながらなら、周囲に怪しまれないでしょ?」
 つまりはカモフラージュということか。
 ふたりで会場を出れば目立つし、ガーネットには王女の護衛があるため、ここから抜け出すことは許されない。
 話をするなら、肌が密着するダンスが一番適していた。
「仕方ありませんね」
 言いながら、ガーネットはアレクセイの手を取ろうとした。だが、その手は彼の手に触れることが叶わず、身体ごと後ろへと倒れ込みそうになる。
「!?」
 いきなり肩を掴まれたのだ。
 足を踏み込み、均衡を整えながら太ももに隠した暗器に手を添え振り返り、顔面が蒼白になった。
「きっ、騎士長殿……!?」
 鬼の形相をしたジルフォードが、ガーネットを見下ろしている。
 その眼光は次に、アレクセイを睥睨した。
「俺の部下に、何の用だ」
 その声は、地を這うように低い。
 それを受けたアレクセイは、どこか憎々し気にジルフォードを見つめている。
「おや、ジルフォード殿下。今宵はお招きいただきありがとうございます。今、その美しいご令嬢にダンスを申し込んでいたところです。邪魔しないで頂きたい」
「これは任務中だ」
「無粋だなぁ……。一曲くらい良いでしょう。あなたは妹君のご機嫌取りでもしていれば宜しいでしょうに」
 暗に、王女にお前がついていればガーネットと踊るくらい良いだろう、と言っている。
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 それはアレクセイの理屈であって、この国の理屈ではない。騎士の役割が国によってそれぞれ異なるのは珍しくなく、王女の警護をしていたガーネットは、何をおいても王女を守る義務がある。
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 アレクセイが吐き捨てた言葉に、ジルフォードの額がピシっと青筋を立てる。
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 どうやらアレクセイに言われたことを気にしているらしい。意外と繊細な心を持っているのだろうか、と思いつつ、ガーネットは無難な返しをした。
「人それぞれかと」
「――お前はどうだ」
「私、ですか?」
 つまり、男としてジルフォードは好ましいか、と尋ねられているのか。なんでここでガーネットの男性のタイプを聞いてくるのか、彼女には理解できない。
「好ましいかと」
 特に考えもせず、ガーネットは答えていた。
 ガーネットはただの騎士なので、騎士長であるジルフォードとはあまり関わりがない。人柄は人伝に聞いてはいるが、それ以外は知らない。
 今のところ、ジルフォードはガーネットにとって良い上司だ。部下への気遣いができるし、怖いと思うこともあるが直属の上司よりよっぽど好ましい。それが恋愛対象として、となると少々話は変わるかもしれないが、今まで恋愛をしたことがないガーネットにそこまでわかるはずもなかった。
「アレクセイよりもか」
「おふたりを比べるのであれば、どちらも好ましいと……」
「気を遣うな。俺はお前の意見を聞いている」
 騎士団に女性は珍しい。そしてジルフォードは極度に貴族令嬢に嫌われる節がある。だからとて、歳の離れた妹姫にも聞けないので、丁度傍にいたガーネットに一般的な意見を求めているのだろう。
 そう理解したガーネットは、初めて考え込んだ。
「恐れながら申し上げます。――その、優しい殿方は好ましいと思います。お気遣いを頂けるのであれば、尚よいかと。そうしますと、騎士長殿はその両方に合致します」
 先日、食事を奢ってもらったし、給料面の待遇も良くしてもらえたばかりだ。ガーネットの中で、これは優しく気遣いのできる男、の条件に当てはまっていた。
「そ、そうか……」
 なぜかジルフォードは言葉を濁し、耳を赤くしている。
 どうしたのだろうか、と思いながらも、ガーネットは見てみぬふりをした。
 しばらく大きな背中の後に続いていると、待ちきれなくなったのか、ステラがスカートを翻してこちらに駆けてくる姿が見える。
「ステラ、走るな」
 まるで子供に向けた注意に、ステラはあら、と急に畏まった優雅な動きでジルフォードの前で立ち止まる。
「お兄さま。ダンスは申し込まれましたか?」
「――いや」
「まぁ! なぜです? こんなに綺麗なガーネットが傍に居るのに、ダンスに誘わないだなんて失礼に当たりますよ」
「…………」
「お兄さま。そういうところがいけないのです。素直になってくださいませ」
 ガーネットとしては早く王女の身辺警護に戻りたいのだが、ステラは意地でもガーネットを踊らせたいらしい。
 会話の端々からそう受け取ったガーネットへ、ジルフォードが振り返る。
「――俺と、踊れ」
 端的かつ短く命じられる。
 ガーネットは恭しく頭を下げ、ステラの希望を叶えるべく、ジルフォードの手を取った。
「お前は、ダンスができたのか」
 ダンスホールに進み出て比較的ゆっくりな曲に合わせ、ステップを踏む。
「はい。これでも、子爵家の人間ですので」
「――そうか」
 左手に添えられた大きな彼の右手は、思っていたよりも大きく、ガーネットの手を包み込んでいる。
 ちらりと見たその大きな手に、ガーネットは羨望の眼差しを向けていた。
 その問いに、ガーネットは見上げるほど高い位置にある顔を見上げた。
(手が大きくて羨ましい……)
 細身でしなやかな柔軟性を持つガーネットとは違う、鍛え上げられた筋肉。
 ガーネットは俊敏さを武器にここまできたが、この体躯に拘束されれば逃げられないかもしれない。
 そんなことを考えていると、頭の上から声が降ってくる。
「お前、ちゃんと飯は食っているのか」
「もちろんです。食堂を無料開放していただけましたので、それはもう……」
「それにしては、細すぎないか?」
 腰に添えられていた大きな手が、左右に動く。
「――騎士長殿。その触り方は、ちょっと……」
 腰に触れていた手が、一瞬だけまろやかな尻に触れ、ガーネットは冷静な口調で彼の手の動きを指摘した。
 下心はなかったのだろうが、ちょっといやらしい手付きだったからである。
「あ、すまん……ッ」
 焦った声で、ジルフォードが手を元の位置に戻す。
 騎士で部下だとはいえ、ガーネットは女性だ。身体に触れられることに嫌悪感はないが、触れて良い場所といけない場所はある。
「その……」
 ジルフォードがらしくもなく、何か言葉を探るように口ごもる。頬が仄かに赤くなっている気がするが、気のせいだろうか。
「――そのドレス、似合っているな」
「……お褒めに与り光栄にございます」
 お世辞であることは百も承知していた。だが否定するのは不敬なので、最も妥当な返事を返す。
「アレクセイと踊りたかったか?」
「はい?」
 急な話題変換についていけず、ガーネットは見上げるほど高い位置にある金色の瞳を見上げた。
「申し込まれていただろう」
「ダンスは騎士の嗜みですので」
 ガーネットはこのとき、単にダンスがしたかったか、と尋ねられた程度にしか思っていなかった。純粋にダンスだけならば、ガーネットはそれほど踊りたくはない。だがそれを言えば今の状況を否定することになり、それは王族である彼を否定することになる。
 よって、騎士だからダンスがしたいかどうかは関係ない、と言ったつもりだった。相手に望まれれば踊るし、そうでないのであれば踊らない。好きも嫌いもないと。
「では、俺とはどうだ」
「どう、と申しますと?」
 しっかりと身体を支えてくれるし、武骨そうなのにリードは丁寧だ。とても踊りやすい。
 体格差と身長差があるのに、それに違和感がない程度に、ジルフォードはダンスが上手いと思った。
 だがそれは本人が一番わかっていることだろう。でなければ、こんなに余裕を持って優雅に踊っていられるわけがない。
「俺と踊るのは……不快ではないか」
 

「いえ、特には」
 確かに上司と手と腰を取り合って踊るのは、精神衛生上あまり宜しくはない。だがこれも任務の一つだと思えば、なんてことはなかった。
「騎士長殿はダンスがお上手でいらっしゃいます。今まで踊られたご令嬢方も、そうお思いでしょう」
「そう言われたのは初めてだ。大抵、掴む手が痛いとか、リードが早すぎて着いて行けないと言われる」
「そうなのですか?」
 全然そんなことはないが……と思ったが、きっと練習をしたのだろうと思い至った。いま、その成果がどうであるかを問われているのだ。
「私はまるで羽が生えているかの如く、踊りやすいです。これならば、他のご令嬢方も文句はおっしゃられないかと」
 見つめていた瞳が、一瞬眇められる。
 嘘は言っていないので、まっすぐに見つめ返してみた。
「――そうか」
 なぜか不機嫌になってしまったジルフォードは、ダンスが終わるとガーネットを置いて無言で会場を去ってしまった。
 何か彼の機嫌を損ねることをしたか言ってしまったようだが、彼を追いかけることはできない。
(お咎めはなかったし、虫の居所が悪くなっただけなのかしら)
 ジルフォードと話した回数は数える程度だ。人柄を知らないガーネットは、些細なことで機嫌を損ねる人なのかも、と今後は彼との会話や行動に細心の注意を払おうと胸に決め、王座で手を振るステラの元へと速足で向かうのだった。
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