37 / 44
果たされた約束
しおりを挟む「……約束、果たしてくれたのね」
すべてを思い出した少女はしかし、嬉しいとは思えなかった。
自分のせいでかつて愛した人を失ったのだ。
約束を果たされたとしても、それを喜ぶことができない。
「…………」
少女は、闇の中で繰り広げられる、黒い渦と黒い塊のひしめき合いに目を向けた。
黒い塊が、雄叫びを上げながら黒い渦の中に呑み込まれていく。
音のない絶叫が空気を震わせ、少女は肌に鳥肌を立てる。
二つの底知れない憎悪が込められたモノがひとつになったとき、少女は闇の魔女としてこれを受け止めなければならない。
それが闇の魔女としての少女の役割だ。
だが今の少女は、自分にそれができるとは到底思えなかった。
「――なぜ?」
ずっとそうしてきたのに、自分ではあれを受け止めきれない。
ここで意識を取り戻した時、闇から切り離されたような感覚を覚えた。
ずっと繋がれていた鎖が砕け散ったような音を聞いた気がする。
少女の手足に巻き付いている蔦のような触手は、いつしかあの渦ではなく、別の方向から伸びていた。
こっちだ。
まるでそう言うかのように、くいくい、と腕を引かれる。
そちらの方から、誰かが歩いてくる。
「あ……」
薄らぼんやりと、記憶の中の、あの青年が浮かび上がった。
その手には、何かを持っている。
それを青年が差し出してきた。
「これは……?」
尋ねても彼は応えない。
闇の中、淡く光るそれを、少女は手に取った。
「――本?」
淡く光るそれは、一冊の本のようだった。
その本の表紙に、『Lily Bell』という文字と同時に、漆黒の髪の少女がスズランの花を耳に挿している絵が浮かび上がった。
そしてその本は、スズランの花へと変化していく。
青年はその花を見てから、少女の漆黒の双眸へと微笑みかけてくる。
『リリィ……』
彼の手が、少女の白い頬へと添えられた。
『リリィ・ベル……』
真っすぐに見つめてくる青い双眸には、少女の姿が映っている。
「リリィ……ベル……?」
どうして青年は、自分を見てスズランの名を囁くのだろう。
少女の手にあったスズランが、リンリン、と音を奏でる。
そして少女の手の中へと溶けて、その光が少女の中へと流れ込んできた。フワッと身体が軽くなり、少女の身体が光に包まれる。
『リリィベル』
青年の声が、身体の中に染み込んでいく。
「――まさか……」
少女は青年を凝視した。
こんなこと有り得ない。
あって良いことではない。
そう反論しかけたが、それよりも先に、少女の腕が強い力で引っ張られた。
「あ……!」
青年が遠ざかっていく。
黒い触手が少女を引っ張っている。
「いや! いやぁ!!」
青年の方へと手を伸ばすが、その手は届かない。
あの時のように、手は宙を切って彼を掴むことができない。
「いや! そっちはもう嫌なの! 行きたくない!!」
悲鳴を上げて少女は触手へと手をかけ、それを引き千切る。
その蔦のようなものはいともたやすく引き千切れた。
霧散していくその触手から逃れるようにして、少女は走り出す。
少女に気を取られたせいか、形勢逆転され黒い塊が闇の渦を呑み込んでいく。
そして今度は、黒い塊が不気味に蠢き、走る少女を追いかけてくる。
「来ないで! あっちに行って!!」
髪を振り乱し叫ぶ少女の脳裏に、金色の髪と深い青い瞳の青年の顔が浮かぶ。
「デュ……クス……、デュクス……!」
初めて、少女はその青年の名を唇に刻んだ。
名を呼んではいけない。
闇の魔女である少女が、誰かの名を口にしてはいけない。
呼べば、闇の魔女とその人を繋いでしまう。魂を縛り付けてしまう。
そうとわかっていても、呼ばずにはいられなかった。
どこまでも続く果てのない闇の中を、少女は走り抜ける。
「デュクス……、デュクス……」
彼の元へ行きたい。
こんな場所にいたくない。
心からそう思った。
だが黒い塊はもう背後まで迫っている。
黒い塊が体当たりするように少女の身体に覆いかぶさろうとしてくる。
もう駄目だ。
そう諦めかけた。
そのとき――。
「やっと私の名前を呼んでくれた」
ふわり、と何かに包み込まれる。
温かいこのぬくもりを、少女は知っている。
痩躯を抱きしめる腕の強さも、視界に広がる黄金の輝きも、その優しい声も。
全部、知っている。
「迎えに来た。遅くなって、すまない」
身体を密着させたまま、少女は顔を上げた。
「ッ……!」
少女を抱きしめていたのは、心から望んだ唯一無二の青年だった。
彼をその瞳に捉えたとき、世界が暗転する。
何かに弾き出されるような激しい衝撃に、少女は身体を固くした。
その次に、瞼の裏が眩い光りで覆われ、温かい腕の中、少女はそっと瞼を押し開ける。
「大丈夫か……?」
頭上から降ってきた声に、温かいぬくもりに、その確かな感触に、少女の視界は滲んでいく。
目の奥が熱くて、溢れるモノを止められない。
「全部、終わった」
少女は、霊廟の中でデュクスに抱きしめられていた。
彼女の背後では、粉々に砕け散った大樹の残骸が砂のように崩れて落ちていく。
そしてその砂は、ローブを着た漆黒の髪の青年の手の中へと集まっていく。
「あぁ、どれもこれも、ろくな詩ではありませんね……」
手の中に集まった砂を指で確かめながら、黒髪の吟遊詩人は残念だと肩を竦める。
「あぁ、でもこれは、とても綺麗な詩だ」
言いながら、砂の中から一粒の何かを取り出した。
リンリン、とその粒は鈴のように鳴る粒が、少女へと差し出された。
「受け取りなさい。これはあなたのものです」
「…………」
デュクスの腕の中、少女はフイッと顔を背け、彼の胸板に顔を埋め、ギュッと抱き着いてそれを拒む。
「これは、今のあなたの理です。恐ろしいものではありませんよ」
「…………」
いやいや、とデュクスの腕の中でそれを拒むと、大きな手に頭を撫でられた。
「あなたを縛っていたものは、もうこの世界のどこにもないんだ。全部、壊してしまった」
「…………」
「勝手なことをしてすまない。どうしても、あなたを自由にしてやりたかった。あんな地下牢なんかじゃなくて、もっと自由に、生きてほしかった――」
ふわり、と、何かの紙の破片が、少女の膝の上に舞い落ちてくる。
「フィーから、手記のことを聞いてるんだろう? あれは、かつて千年前、私が前世に書き残したものだ……。そして死ぬ直前、その男に預けた」
デュクスの視線が、盲目の吟遊詩人へと向けられる。
その非難めいた双眸に睨まれても、吟遊詩人は悪びれることなく微笑んでいる。
「もうこの世界には、あなたを『闇の魔女』と呼び、あなたを疎む者はいない。あとは――あなただけだ」
デュクスは長い指で、胸板に顔を押し付けている少女の顎を取った。
顔を上向かされた少女の瞳は、大粒の涙で濡れている。
まるで物語の続きを待ち望む子供のような眼差しで、デュクスは溢れ流れる雫を指先で拭った。
「選んでくれ――。ただの少女になるか、それとも……」
ふわりと、デュクスは少女の唇に口づけを落とした。
触れるだけで離れていくぬくもりを、少女は無意識に追いかけようとして、ぴたりと動きを止めた。
彼の服を掴む手に、力が籠る。
「――……私……は……、――……」
0
お気に入りに追加
272
あなたにおすすめの小説
冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました
せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜
神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。
舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。
専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。
そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。
さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。
その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。
海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。
会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。
一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。
再会の日は……。
【R18】出来損ないの魔女なので殿下の溺愛はお断りしたいのですが!? 気づいたら女子力高めな俺様王子の寵姫の座に収まっていました
深石千尋
恋愛
バーベナはエアネルス王国の三大公爵グロー家の娘にもかかわらず、生まれながらに魔女としての資質が低く、家族や使用人たちから『出来損ない』と呼ばれ虐げられる毎日を送っていた。
そんな中成人を迎えたある日、王族に匹敵するほどの魔力が覚醒してしまう。
今さらみんなから認められたいと思わないバーベナは、自由な外国暮らしを夢見て能力を隠すことを決意する。
ところが、ひょんなことから立太子を間近に控えたディアルムド王子にその力がバレて――
「手短に言いましょう。俺の妃になってください」
なんと求婚される事態に発展!! 断っても断ってもディアルムドのアタックは止まらない。
おまけに偉そうな王子様の、なぜか女子力高めなアプローチにバーベナのドキドキも止まらない!?
やむにやまれぬ事情から条件つきで求婚を受け入れるバーベナだが、結婚は形だけにとどまらず――!?
ただの契約妃のつもりでいた、自分に自信のないチートな女の子 × ハナから別れるつもりなんてない、女子力高めな俺様王子
────────────────────
○Rシーンには※マークあり
○他サイトでも公開中
────────────────────
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
孕まされて捨てられた悪役令嬢ですが、ヤンデレ王子様に溺愛されてます!?
季邑 えり
恋愛
前世で楽しんでいた十八禁乙女ゲームの世界に悪役令嬢として転生したティーリア。婚約者の王子アーヴィンは物語だと悪役令嬢を凌辱した上で破滅させるヤンデレ男のため、ティーリアは彼が爽やかな好青年になるよう必死に誘導する。その甲斐あってか物語とは違った成長をしてヒロインにも無関心なアーヴィンながら、その分ティーリアに対してはとんでもない執着&溺愛ぶりを見せるように。そんなある日、突然敵国との戦争が起きて彼も戦地へ向かうことになってしまう。しかも後日、彼が囚われて敵国の姫と結婚するかもしれないという知らせを受けたティーリアは彼の子を妊娠していると気がついて……
美貌の騎士団長は逃げ出した妻を甘い執愛で絡め取る
束原ミヤコ
恋愛
旧題:夫の邪魔になりたくないと家から逃げたら連れ戻されてひたすら愛されるようになりました
ラティス・オルゲンシュタットは、王国の七番目の姫である。
幻獣種の血が流れている幻獣人である、王国騎士団団長シアン・ウェルゼリアに、王を守った褒章として十五で嫁ぎ、三年。
シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。
そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。
ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。
そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。
邪魔なのなら、いなくなろうと思った。
そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。
そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。
無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
腹黒王子は、食べ頃を待っている
月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる