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追いかけっこ

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「おい」
 デュクスの声に、少女は気づかないフリをして廊下を歩き続ける。
 盲目の吟遊詩人に出会った日から、少女はデュクスを無視し続けていた。
「待て」
 グイッ、と腕を引っ張られるが、すぐにそれを振りほどき、今度は魔力を使ってその場から姿を消す。
 高い屋根の上に移動してその上を歩いていると、今度は抗えないくらい強い力で抱き込まれた。
「一体、なんなんだ」
 腹の前でがっしりと少女を抱き込む太い腕をぐいぐいと解きに掛かるが、腕力で彼に敵わないことは既に思い知っている。
 隷属の腕輪のせいで、デュクスから本気で逃げることは困難だ。
 ならばいっそこの腕輪を外してしまえば良いのだろうが、少女にはそれができなかった。
 この腕輪を魔力を使って外したら、十中八九壊れてしまう。下手をすれば何も残らないだろう。
 脆弱な魔道具は少女にとって砂糖菓子と同じだ。
 ちょっと砕いただけで簡単に粉々になってしまう。
 だからといって手で外そうと思っても、これを付けられた時、本来あるはずの繋ぎ目は魔道具に込められた魔力によって塞がってしまった。
 手首にぴったりと嵌まっている腕輪は、どんなに引っ張っても抜けなくて、いっそどうせ再生するのだし手首を斬り落としてしまおうかと思ったが、そこまでして外そうとはしなかった。
「何が気に入らないんだ」
「…………」
 ムッとして、少女は口を引き結ぶ。
「その腕輪が気に入らないなら、外せばいい」
「…………」
 言われて、腕輪を付けた右手首をギュッと胸に抱く。
「――それは気に入っているのか? なら、何が気にくわない?」
「…………」
 身体を捻って放せ、と無言で訴える。
 だがそれを許さず、デュクスは更に腕に力を込めた。
「私にこうされるのが嫌なら、腕力じゃなくて魔力を使えば済むだろう」
「…………」
 それも、少女にはできなかった。
 少女が他人に自分の魔力を使わないのは、彼を殺してしまうかもしれないからだ。
 父の時も、簡単に死なせてしまった。
 おまけに村の者たちも道連れだ。
 人間の身体もまた、闇の魔力で護られている少女とは違い脆く壊れやすい。
 だから使えない。
 デュクスを拒絶はするものの、殺したくはないのだ。
「城下街に行った日、何かあったのか?」
 言われて、ぴくん、と肩が震えた。
 あの日、彼の中に、光りを見てしまった。
 それはあの青年に感じたものと同じものだ。
 他の誰かではない、デュクスにだけ、彼が傍に居て彼を通したそのときだけ、少女の視界は色鮮やかに色づいて見える。
 それが、怖かった。
 あの青年と瓜二つであるという理由だけで、自分ではない自分の中の誰かが彼を欲しているように思えて、それが堪らなく怖い。
 だから避け続けているというのに、デュクスはなぜか諦めることなく追いかけてくる。
「今までは黙ったままでもよかっただろうが、これからは人として生活してもらうと言っただろう。人と関わるには、言葉を通してではないと何も伝わらない」
「…………離して」
「人と話すときは、相手の目を見て話すんだ」
 背後から抱きしめてくる腕が、少しだけ緩んだ。
 身体をねじってデュクスを見上げると、吊り上がり気味で切れ長の深く青い瞳に捕らえられる。
 その瞳は、何度見ても吸い込まれてしまいそうなくらい澄んだ色をしていて、少女の胸をときめかせた。
「はな……して……」
 震える声で懇願すると、端正な顔が近づいてくる。
 息がかかりそうなほど近くに寄せられた彼の顔は、焦点が合わなくて見えなくなる。
「なら、目を閉じて」
 唇に彼の息がかかり、少女は言われるがまま瞼を閉じた。
 するとチュッ、と唇に小鳥が啄むようなキスが降ってくる。
「おはようのキスだ」
 ペロッ、と唇を舐められ、背中がぞくぞくと震える。
「んっ!」
 思わず声が出てしまい、縋るように彼の腕を掴む手に力が入った。
 デュクスはクスリと小さく笑うと、少女の身体を横抱きにして屋根から飛び降りた。
 地面に激突する前に、フワッ、と風が二人を包み込み、ゆっくりと地面に着地する。
「今日は帰れないかもしれないが、食事はちゃんと摂るように。あと引き籠ってばかりせず、ロドリゲスやローザの話し相手になってくれ」
 言いながら、デュクスの温もりが離れていく。
 その瞬間、世界が灰色へと色を欠いていった。
 彼に背を向けたまま立ち尽くす少女の前に、ロドリゲスがやってくる。
「お嬢様。朝食は如何致しますか?」
 好々爺と微笑む老紳士へ、少女は小さく頷くことで答えた。
「本日はお嬢様のお好きなココアも淹れてございます。冷めないうちに」
 ココアが好き、だなんて言ったことはないのだが、毎食出されるものの中で唯一、すべて飲み干しているものだから、そう判断されたのだろう。
 少女はロドリゲスの後に続きながら、門へと歩いていくデュクスを振り返った。
 彼の周りだけ、色づいて見える。
 だが、それ以外は灰色で、彼が馬車に乗り込むと世界はまた薄暗くなった。
「お嬢様。中へお入りください。外は冷えますよ」
 冬に近づく季節の風はとても冷たい。
 だがそれ以上に、少女は先ほどまで温かかった身体が冷え切っていくのを感じ、屋敷の中へと戻った。
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