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積み重ねてきたもの

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王都にあるヴィレンツェ公爵家の屋敷は騒然としていた。
忙しなく人々が駆けまわる気配を聞きながら、ディランは執務机に両腕を付き、項垂れている。

「リラ……」

机の上には、彼女のために飼っていた番犬たちが持ってきた銀色の首輪ネックプロテクターが置かれている。
それを両手で握りしめ、ディランは肩を震わせた。
この首輪ネックプロテクターは、リラに暇を出した次の日、番犬たちの様子がおかしいと気づいた使用人の一人が、これを銜えて五匹で身を寄せ合っているところを発見したという。
あの犬たちは、リラのためにディランが自ら選び、この屋敷に連れて来た仔たちだ。そのためリラ以外には懐いておらず、屋敷の主であるディランの言うことも全く聞かないのだが、それでいいと思っていた。
元々獰猛な性格で、主と認めた人間以外には一切懐かない犬種だ。だからこそ仔犬の頃からリラに預け、万が一、彼女に害為す者が侵入してきたときに備えていた。

「どうしてひとりで出て行ったんだ……」

あれから二か月。
伯父である国王に頭を下げて王国軍を各地に派遣し、各地のスラム街や奴隷商を一斉に検挙してもらっているが、その足取りすら掴めていない。
今回の発情期ラットがあまりにも重く、倒れたというリラの元へ行ってやれなかったのがいけなかった。無理をしてでも、顔を見に行けばよかったのだ。
彼女に暇を出したのも、いつもより長く部屋に閉じこもることになるので、「自由にしていて良い」という意味で使用人に言伝を頼んだつもりだった。

「いや……、僕が……、僕が原因か……」

発作で気が立っていたとはいえ、言い方が悪かったのだ。
そしてあの時、発作で理性が飛びかけていたとはいえ、リラの身体に触れてしまった。
その甘い肌に吸い付いて、彼女を怖がらせてしまった。
ずっと大切にしてきたというのに、あと半年というところで自制が効かなかった。
彼女からする甘く脳髄を溶かすような香りに、その柔らかくすべらかで瑞々しい肌を前に、何故手を出さずにいられるだろう。
いっそのこと、このまま抱いてしまおうか。
多少の残った自我の中、ディランは今まで自分が積み上げてきたものを壊すことも考えた。だが、普段は無表情に徹している彼女が悲しそうにスカートをたくし上げたとき、一瞬で我に返ったのだ。
今まで多くのオメガを自分の発作を治めるために犠牲にしてきた。発情期ラットを起こしたアルファは、屋敷の番犬たちより質が悪い。
オメガを妊娠させるためだけにその身体を突き上げ、愛情の欠片も存在しない交わりを強いてしまう。
先日抱いたオメガもそうだ。
あの時は偶然男体のオメガだったが、彼は当分の間、まともに歩けないだろう。
それ相応の謝礼は渡しているとはいえ、こんな自分がリラを抱いたらどうなるか……。
だが、こんなことになるなら、いっそのこと抱いてしまえばよかったのだ。
一生恨まれようとも、どんなに嫌がられ、恐怖の眼差しを向けられようとも、無理やり番にしてしまえば――。

「リラ……」

ディランは頭を掻きむしり、心臓を太い杭で撃ち抜かれたかのような痛みに顔をゆがめた。

「リラ……、リラ……。戻って来なくてもいい……。だがせめて……無事でいてくれ……」

彼女が今、ディランの知らない土地で幸せに暮らしているのであれば、もう諦めるつもりでいる。
だがもし、どこかの奴隷商やスラム街で酷い扱いを受けているのであれば……。

(その時は、全員八つ裂きにしてやる……)

想像しただけで、ギリッ、と激しい怒りと憎しみに奥歯が鳴った。
本当なら、屋敷に閉じこもっていないで今すぐ彼女を探しに行きたい。
だが、ディランは王国の公爵家の人間であり、それだけは許可できないと伯父王から禁じられていた。次男とはいえ、王家の血を継ぐ者が身をやつしてたったひとりのオメガを探しに行くなどあってはならないと。
今も、ディランが抜け出さないよう、王家直轄の騎士団が邸中を取り囲んでいる。
だがもう二か月だ。
何の進展もなく二か月、ディランは屋敷に閉じ込められている。
そろそろ我慢の限界だった。
ふと顔を上げ、執務机の引き出しに手を掛ける。
そこには五つの包装された箱が入っていた。
どれも、リラへの贈り物として購入し、だが渡せなかった誕生日プレゼントだった。
これ以外にも、街を歩いていたときに彼女に似合うと思って目についたドレスや靴も金に糸目をつけず購入し、いつでも贈れるように準備をしていたのだ。
リラは物欲がまるでない。
十五歳の誕生日に海岸沿いの街へ旅行に連れて行ったとき、さり気なくドレスを贈ろうとしたのだが、彼女は間髪入れず断ってきた。

『私には必要ありません』

最初は遠慮をしているのだろうと思った。
何故なら、普段は俯き加減の彼女の瞳が、煌びやかなドレスを前に、少しだけ輝いて見えたからだ。
だがすぐ、そうではないことを知った。

『私のドレスより、こちらは如何でしょう? きっとご主人様に似合うと思います』

彼女が見ていたのは、ドレスの隣に飾られていた紳士服だった。
その次に宝石店に連れて行っても、彼女は婦人用のアクセサリーには目もくれず、ディランに似合うと言ってカフスボタンを指差した。
そしてその時の彼女は、惰性ではなく、本心から楽しそうにしていたのだ。
リラに勧められたものはすべて買った。
そしてリラにもお返しに何か贈りたい、と。誕生日だから、と宝石をプレゼントしようとしたとき、彼女はとても悲しそうな顔をしたのだ。
何故そんな顔をするのかわからず、結局、彼女へのプレゼントは買えなかった。
宿に帰ってリラが選んだものを身につけたディランに「お似合いです」と微笑んだ彼女の顔が今も忘れられない。
リラの十六歳の誕生日。
ディランはもう一度彼女を旅行へ連れて行った。今度は美しい山脈のある銀細工が盛んな街で、そこで髪飾りを贈ろうとした。
だがリラは銀細工など眼中になく、景色が綺麗だと、山脈にかかる雪を見て笑ったのだ。
そして屋敷に帰ってきたとき、ディランは見てしまった。
使用人であるリラと同年代の男性ベータから何かを贈られ、喜んでいる彼女の姿を。
この時、ディランは気づいてしまった。
歳の離れた自分ではリラが喜ぶものすら正確には引き当てられないのだと。
彼女を幸せにできるのは自分ではなく、彼女と歳の近い人間なのだと、そう気づかされた。
だから彼女のために自分以外のアルファを探し始めたのだ。
遠くない未来、彼女に発情期ヒートがきて妊娠できる身体になる前に、自分より相応しいアルファの元へ送り出そうとした。それが自分にできる最大限の愛だと思った。
しかし、それは間違っていた。
リラを失って、彼女が自分の中のどれだけの割合を占めていたのかを再認識したのだ。

「リラ……。リラァ……ッ!」

彼女がいま幸せなのであれば遠くから見守っていようと思う気持ちと、どんなに嫌がられようとも手枷足枷を付けてでも手元に置いておきたいという醜い感情がない交ぜになる。
そしてまた、冷静になった。

「こんな僕だから……あの子の傍に居ない方が良いんだ……」

だから伯父王も、ディランに外出を禁じたのだ。
獰猛な野犬より質が悪いディランを野に放てばどうなるか、それを伯父はわかっている。
故に、耐えるしかない。
今のディランにできることは、彼女の無事を祈ることだけなのだから。
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