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レオンの優しさ
しおりを挟む眉目秀麗・品行方正・成績優秀という三拍子揃った、誰からも愛されるイケメンの王子様、というのは、現実ではありえないだろう。いたとしても、そういう人間に限って「表面上」は、という枕詞がつくものだ。
それはこの世界でだって変わらない。
前世のシャーロットも「こんな男いるわけないでしょ」と鼻で笑ってしまうようなキャラクターと出会ったことがあるが、それは「表面上しか描いていないから」そう見えるだけであって、リアリティが増す本性が描かれないのは「必要ないから」に他ならない。
そう、まさにコンラッドはそういう男だった。
わかっていたはずだ。
そもそもコンラッドの愛情はマリアンヌだけのものであり、シャーロットに向けられることなど一瞬たりともなかった。
コンラッドを思い続けていたのは、ただの「義務感」でしかない。
シャーロットに転生したからこそ、作品中の彼女の苦悩がわかる。断罪されるまで、シャーロットは少ない可能性に賭けようとしていた。
上流貴族として無理やり押し付けられたレールを歩むため、年相応の少女としてただ必死だった。だからマリアンヌに嫉妬したのだ。
愛らしさと健気さだけで良いのであれば、今まで自分がやってきた努力はなんだったのか? と。
(現実にマリアンヌみたいな子がいたら、絶対今世同様にイジめちゃうわ、私……)
虐めはいけない。それはわかる。だが理不尽な状況を作り上げる人間が傍にいた場合、シャーロットのように家が侯爵家だという後ろ盾があったり、同調することで何かしら甘い蜜を吸うことができる場合ではない限り、集団心理はその人間の排除へと意識が向くものである。
前世、もう顔も朧気にしか覚えていないベンチャー企業に就職した友人も言っていた。
『仕事ができないクセに口先だけの人がいてさ。ちょっと注意しただけで臍まげて怒鳴ってくるもんだからウザくて。だからみんなで協力して退職に追いやっちゃった』
かなり性格の悪い物騒な話ではあるが、珍しいことではない。それが現代社会の事実である。
特に仲間意識が強い環境であればあるほど、輪を乱すものを排除する傾向は強くなる。
みんな仲良くしようね、などというのはただの理想論だ。それができたらどの世界でも戦争は起きない。理不尽で不合理な侵略者が居ない世界など、児童書の中でだってありえないのだから。
(なのに、交渉の条件が、簡単にいえばマリアンヌと親友になれ。って? そんなの無理に決まってる)
それにマリアンヌも嫌だろう。
自分を虐めていた悪の権化が、いきなり手のひらを返して「お友達になりましょう」などと言い出したら、気味が悪いはずだ。
シャーロット自身、マリアンヌはいい子ちゃん過ぎて上手く付き合っていく自信がない。
マリアンヌの裏の顔はわからないが、シャーロットが知っている限り、かなり内気な少女である。
どんなに嫌味を言っても、涙を堪えて反論をせず、取り巻きたちが彼女の私物を壊したりしても、それを丁寧に直してまだ使おうとする。そして事あるごとにコンラッドの庇護欲を煽って気を引いていた。もしこれが故意であるなら――否、天然であっても、それなりにあざとく、したたかな娘だ。
(――あの子も良い性格してるわ……)
だからこそ、シャーロットは彼女が好きになれない。
仲良くなる必要はないのかもしれないが、後ろ盾になるということは、いざというときシャーロットが矢面に立たないといけないということだ。
結果、厄介ごとはすべてシャーロットに回ってくる。
(でも、私に残された道はもう……)
通常であれば「私、平民になる!」と意気揚々とスローライフを楽しむのであろうが、シャーロットにその度胸はなかった。
貴族の暮らしはそれなりに快適だ。懲罰塔に入れられたところで、衣食住は完備されており、食う寝るに困らない。
それを一から自分で築き上げる、というのは、さすがに無理ゲーだ。
平民に下るということは、無一文も同然で山奥に捨てられるのと同義である。そこから充実したスローライフを送るための地盤を作り上げるのは、並大抵の努力では成し遂げられない。
(まだ修道院の方が現実的だよなぁ……)
そんなことを考えていたら、いきなりパシッと手首を掴まれた。
「シャーロット嬢! 魔力の使い過ぎです!」
レオンの叱責が聞こえ、ハッと我に返る。
そうだった、今は演習場で魔法操作の練習中だった。
考え事をしながら、風の防御障壁をひたすらに練習していたせいか、しっかり制御ができていなかった。
「あら……」
身体の中から、魔力が失われかけている。
ストレス発散がしたくて、無理を承知で魔法の制御の練習がしたいとレオンにお願いしていたのに、これではまた彼に面倒をかけてしまう。
起き上がれるようになって、まだ二日だ。
これで倒れたら、お先真っ暗な未来にまた一歩近づくというものである。
「私が昼食を取りに行っている間に、どれだけ魔力を使ったのですか」
「え? さあ……」
「もう今日はこれでおしまいです。昼食を摂ったら、十分にお休みください」
ズイッ、と目の前に籠を差し出される。
「これは?」
「サンドイッチです。食堂の方に作っていただきました」
「どうして……」
「最初にお約束したはずです。実技の練習をするのであれば、休み休みにしましょうと」
そういえば、そんな約束をしたような気がする。
昨晩のコンラッドの一件で頭がいっぱいで、聞き逃していた。
(レオン様……、なんだか過保護になった……?)
彼の優しさも、自分の面倒を一つでも減らすためだけであり深い意味はないのだろうが、最初の頃よりシャーロットの体調を気にしてくれるようになっている。
(そんなに嫌だったの? 私の看病……。でもそっか――侯爵令嬢が懲罰塔で風邪拗らせて死んでました、なんて寝覚めが悪いか……)
シャーロットの生死は彼には関係のないことだろうが、まだ婚約破棄をされていない自分に何かあれば、こうして面倒を見てくれているレオンにも何かしらお咎めがあるだろう。
貴族社会とは、そういうものだ。
決してシャーロットのためではない、と気づいてしまうと、心の奥がチクリと痛む。
だがシャーロットはその痛みをなかったことにした。
「少し考え事をしていました。お食事ありがとうございます」
笑顔でそれを受け取り、懲罰塔へ一人戻ろうと思ったのだが、レオンはなかなか籠を渡してくれない。
「――私がお持ちします」
「え? いいえ、良いですよ。自分で持てます」
「侯爵家の方に荷物を持たせるわけにはいきません」
「…………」
言いながら、レオンが先に歩き出す。その背を目で追いながら、シャーロットも足を進めた。
(広い背中……)
体格の良い大人の男性の背中だ。
騎士服をまとっていても、逆三角形の鍛え上げられた肉体がよくわかる。
(モデルさんみたい……。あ~どうせ死ぬなら、思い出に一発……! って思っちゃうよなぁ~)
顔も声も良く、さらに肉体美まで兼ね備えているなんて、なかなかお目にかかれない優良物件だ。前世では突っ込む棒さえあれば特に見目について拘りはなかったし、自分だって何とか男性に相手をしてもらえる程度の容姿だった。
(でもレオン様は女性には困らなそうだし、そもそも亡くなった奥方に義理立てしてるって殿下も言っていたから、抱いてもらえるわけがないか)
そう思えるからこそ、「抱いて!」と言えてしまうのだ。冗談ではないが、本気でもない。
体よく性欲処理として、割り切った付き合いが出来ればまだ可能性はあるが、この世界では身分関係なく未婚である限り、処女であった方が体裁が良い。
そんな常識に縛られた世界で、ワンナイトラブを望むこと自体、夢のまた夢である。
せっかく今世は「我が儘お嬢様風美少女」という属性を手に入れたのに、その使いどころがないとは。
とことん、ツイてない。
懲罰塔のキッチンにある簡易テーブルに、レオンは籠をゆっくりと下した。このテーブルには五脚の椅子が置かれている。
ふと、数日前に作ったままにしてあった野菜スープの存在を思い出した。まだ食べられるだろうか、と加熱台に放置していた鍋の蓋を開けてみる。
この国は比較的涼しい気候であり、どちらかといえば寒いため、数日くらいで腐ることはないだろうが、それでも用心は必要だ。
スープだけをスプーンで掬って口を突けようとすると、背後から大きな手が伸びて、それを制した。
「何をしていらしゃるのです」
「日が経ってしまったので、まだ食べられるか、味見を、と……」
「万が一、何か遭ったらとは考えないのですか」
「そうですが、私が作ったものですし、毒などの心配はありません」
ダメだったときはちょっとお腹を壊すくらいだ。それに貴族だからこそ、農民たちが精魂込めて作ったものを無駄にするのは気が引ける。
誰だって、自分が作ったものを、仮に目の前ではなくても捨てられたら、悲しい気持ちになるだろう。
(そういえば、初めて作った料理、お父さんに捨てられたっけ……)
こんなもの食えるか! と父はゴミ箱にカレーを捨てた。だがあれは、家庭内別居状態だった母が作ったものと誤解していて、生煮えの野菜が入っていたことや、仕事の疲れも相まって苛立ちを爆発させただけに過ぎない。
前世のシャーロットを嫌ってのことではなかったが、目の前でそれをされて、あの時は出来が悪かったという自覚もあり何も言えず、部屋でひっそりと泣いたものである。
父に喜んでもらえる。そう思って作った料理だったからこそ、ショックは大きかったのだ。
その後、見かねた姉たちに真実を教えられた父はケーキ片手に謝ってくれたが、それでもショックは消えなかった。
「食べるのは私だけですし、何かあっても自業自得ですわ」
「…………」
きっとレオンはもうコンラッドの元へ戻るのだろう。シャーロットと一緒に昼食を、という気がないのはわかっている。
そのため、被害は最小限に抑えられるのだ。
だから心配ないと、笑顔で振り返ったとき、シャーロットは息を呑んだ。
背の高い彼の顔が、思いのほか、すぐそばにあったから。
「れっ……レオン様。あの、近……」
「私も、頂いてもよろしいですか?」
「え……?」
「シャーロット嬢が嫌ではなければ、共に食事をさせていただきたいのです」
「え? 私と? レオン様が?」
なんで? と頭の中に疑問符が飛ぶ。
敢えて嫌な娘と食卓を囲むことはないだろう。あれか? 嫌な上司でもゴマすりのために無理して食事に付き合うという、ストレス社会で避けては通れないあれを敢えて提案されているのか? と頭の中が混乱する。
「はい」
「その……、ご無理をされてませんか? 私は上の部屋で頂くので、レオン様はこちらでごゆっくり食事をして行かれてもよろしいですよ?」
それを言ってから、しまった、と思った。
こんな風に言ってしまったら「ならそうします」とは言いづらいだろう。
「いえ、シャーロット嬢と共に、頂きたいです」
ほらぁ! レオン様に気を遣わせちゃったじゃんかぁ! と前世の自分が心の中で後悔に叫ぶ。
「シャーロット嬢がお嫌なのであれば、今の言葉はお忘れください」
さらに、レオンに気を遣わせてしまった。
あくまでもレオンからの無理な申し出だったのだという体を貫くつもりなのだろう。
彼の変わらない気遣いに、シャーロットは下唇をキュッと噛みしめた。
まるで映画に出てくるような、出来過ぎた英国紳士だ。
「この……スープ……、も……?」
「はい。ぜひ」
「でもこれ、適当に作ったものでして、レオン様のお口には合わないかもしれませんよ?」
「料理には自信があるとおっしゃっていたではありませんか」
「あれはレオン様に振る舞うと分かっていたらの話で……。これは私一人しか食べないものだと思っていたので、本当に適当で……」
「適当に料理ができる、というのは才能です」
「それは――そうかも……ですが……。あの、不味かったら無理しないというお約束をしてください」
だが、不味かったからとはいえ、他人に振る舞われたものに口を付けないというのも失礼な話である。
レオンはきっと、無理をしてでも完食しようとするはずだ。
(スープのことなんか、思い出すんじゃなかった……)
否、思い出したとしても、彼が目の前にいるのに鍋を気にしたのが間違いだった。
そこにあったものであっても、それに触れなければなかったことにできる。最初から触れなければ、こんな風に彼に気を遣わせてドツボにハマることはなかったのだ。
「…………申し訳ありません」
シャーロットは、鍋の蓋を閉めてレオンに背を向けたまま謝罪した。
「何を謝っておいでなのでしょうか?」
「……私は考えなしで、レオン様にお気遣いばかりさせてしまっています。私は――私が作ったモノをレオン様が食べてくださったら嬉しいですが、レオン様は――」
そうではないのでしょう? そんな言葉が零れそうになり、シャーロットは口を噤んだ。
また、余計な事を言っている。
色々な処世術はあるものの、時と場合によって一番良い処世術が「黙っていること」だと、シャーロットは前世で学んでいる。
ブラック企業に居続けてしまったのも、結果的には「文句が言えずに黙っていた」ためである。そうすれば、パワハラ社長の怒声や怒りは比較的短時間で治まるし、仕事をする時間が無駄に削られることはなくなる。
辞めることを考えられなかったのは、辞めた後のことを考えると怖かったから。だから「事なかれ主義」を貫かざるを得なくなった。
(――どうすればいいのか、わからない……)
そもそもこんなスープを彼に振る舞うことなど考えられない。適当に切った野菜を煮込んで、目分量でなんとなく味を付けただけの粗末な代物だ。
それを、仮に友人であったとしても、振る舞うのは憚られるだろう。
いっそのこと捨ててしまおうか。
これがなくなれば、問題は解決する。
そう思って手を伸ばしかけたときだった。
シャーロットが握っていたスプーンをレオンに取り上げられる。
そしてサッと素早く彼はスプーンで鍋の中のスープを掬い上げ、パクッとそれを口に含んだのだ。
「れ、レオン様!?」
あまりの速さとその行動に驚いてレオンを見上げると、彼は普段キリリとしている目元を緩め、シャーロットに微笑みかけてくる。
「美味しいですよ。これはいけますね」
「…………」
シャーロットの心情など、彼には読み取れないはずなのに。どうしてそうやって、絵に描いたような、嬉しい行動をしてくれるのだろう。
「素朴な味がクセになりそうです」
「ご冗談を……」
「どこか懐かしい味ですよ。シャーロット嬢は料理上手だともっと誇った方が良いと思います」
お世辞でも嬉しかった。
つい、頬が緩んでしまう。今までぐちゃぐちゃ考えていたのが嘘のように、不安全てが消えていくようだ。
「褒めるのがお上手でいらしゃいますね。せっかくですし、お肉も入れましょう。コクが出てさらに美味しくなりますよ」
「私もお手伝いしましょう」
ここで断るのも野暮というものだ。仮に先ほどの賛辞がお世辞だった場合、彼も一緒に調理に参加してくれた方が、彼も味を変えやすいだろう。そう思って、シャーロットは笑顔で頷いた。
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