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魔法のお稽古

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 半壊してしまった謹慎塔は、その翌日には元通りに戻っていた。どうやらレオンが土魔法で直してくれたようだ。
 だが、今のシャーロットはそれを感謝する心の余裕がない。
(あれだ。これ、新卒のとき調子に乗って飲み過ぎて、同期にお持ち帰りされちゃったときを思い出すわ……)
 だが今回はあの時以上に、気まずさを感じている。
 レオンも、こんな破廉恥な侯爵令嬢のお守りを任されてしまい、気の毒でしかない。
(いや、私が気にすると、レオン様はもっと気まずくなるよね! 平常心、平常心……)
 とか思いつつも、編んでいる髪はぐちゃぐちゃだ。思いっきり動揺していて、上手に髪が編めない。
 この学園では魔法の訓練もあり、そのときは長い髪は邪魔になるので、いつも侍女に編んでもらっていた。今はその侍女がいないので自分で編んでいるが、前世でも髪型を弄るのは好きだったので、手慣れているはずなのだ。
 だが、何度やり直しても、上手くいかない。
(記憶はあっても、この身体で髪を編んだことなんてないから?)
 頭ではわかっていても、手が追い付いていないのか。それとも本当に動揺しているせいなのか。
「もういいや。ポニーテールで」
 結局面倒くさくなり、シャーロットは頭の高い位置で髪をまとめるだけにした。
 髪を何となく整えた後、昨日レオンが「お達し」と共に持ってきてくれた制服を手に取る。
 この学園の制服は貴族の子女ばかりのはずなのに、騎士服の上着を模したようなブレザーにミニスカートだ。
 ブレザーのデザインはさておき、ミニスカートはどうなのだろう。
 本来貴族女性は足を見せてはいけないのだが、小説の挿絵でもシャーロットは普通にこの制服を着ていた。
 そして記憶がよみがえる前のシャーロット自身も、これに袖を通すことになんら疑問を抱いていなかった。これが「普通」だと思ってたのが、今となっては不思議だ。
 その一方で、授業が終わったらわざわざ貴族らしいドレスに着替えるのだから、わけがわからない。
(まぁ膝丈の制服なんてダサいしなぁ……。私も高校時代、よくスカート折ってたし……)
 生活指導の先生が見回るときだけ学校基準の長さにし、その後はウエストでスカートを折る。それがシャーロットが前世で高校生として過ごしていた時代の当たり前だった。
(そういえば私、何歳で死んだんだろう……)
 これがいわゆる「異世界転生」であるのであれば、前世の自分はもちろん死んでいるはずだ。
 だが、その時の記憶がまったくない。
(ブラック企業で酷使され続けたし、寝てるときにぽっくり逝っちゃったってことなのかな……)
 労働基準法など全く役に立たない違法な労働時間にサービス残業。さらに休日も自宅でパソコンを弄っていた。
 過労で死んでもおかしくないくらい、働き詰めだったのだ。
 ふと、前世の家族のことを思い出す。
 両親は不仲で、年の近い姉と弟とは仲が悪かった。だから高校を出て大学に進学すると同時に一人暮らしをして、バイトを掛け持ちして何とか新卒で入社したのだが、その会社はお手本のようなブラック企業だった。
 営業職上がりの社長は「仕事が分かっていない」典型的なダメ社長で、いつも「仕事が遅い」だとか「給料泥棒」だと社員を罵っていて、安月給で部下たちを酷使していた。
(もし私が過労で死んだって証明できれば、あのパワハラ社長にザマァできたのになぁ~)
 だが子供に興味のない両親と、それほど仲が良くない姉弟はそんな面倒な行動は起こさないだろう。
(無駄死にして、この世界に転生して、このありさまか……)
 あっちの世界でもこっちの世界でも、あまり幸せな環境ではない。
 シャーロットの生家も、前世と似たような家庭環境だった。
 第一王子と婚約が決まる前から、シャーロットは政略結婚の駒でしかなかったが、教育はしっかり受けさせてもらったし、衣食住に関しても侯爵令嬢らしい生活基準は与えられていた。
 だが、愛情は全くと言っていいほどなかった。
「最後にロティーって呼ばれたの、いつだったかしら……」
 ロティーとは、シャーロットの愛称だ。
 まだ幼かった頃、両親はシャーロットを「ロティー」と呼んでくれていた。だが、それがいつの間にか「シャーロット」になり、酷いときは「おい」としか呼ばれなかった。
 コンラッドも婚約者なのにシャーロットを愛称で呼ぶことはなく、最初から二人の関係はギスギスしていた。
(政略結婚だもんな……)
 親同士が決めた結婚だが、王侯貴族ではそれが当たり前だ。恋愛結婚など、特に王族はなかなか認めてもらえない。
 そういう世界だからこそ、コンラッドとマリアンヌの身分違いの恋は切ないものとして描かれるのだが、当て馬でしかないシャーロットとしては良い迷惑だ。
 それにしても、とシャーロットは考えを巡らせる。
 どうしてコンラッドはこの機会に婚約破棄をしなかったのだろうか。
 まさか今更シャーロットを望んでいる、ということはありえまい。彼には既に可愛い恋人がいるのだ。邪魔な婚約者であるシャーロットと縁を切る良い機会を、何故自ら放棄したのか。
(まぁ今更望まれたところで、さすがに王妃ってのはなぁ……)
 現世では王妃教育を受けた侯爵令嬢ではあるが、前世ではただの社畜だ。
 一国の王妃になるための教育を受けた記憶はあるものの、前世の記憶もあるので人の上に立つ立場というものに嫌悪感があるのだ。
「シャーロット嬢。支度は済みましたか?」
 色々と考えを巡らせていた時、急に背後から良い声が聞こえ、シャーロットは飛び上がらんばかりに驚いて振り返る。
「れ、レオン様!?」
「ノックはしたのですが、お返事がなかったので……」
「い、いいえ! 支度は済んでいます! 今日から宜しくお願いします」
 短いスカートを摘まんで淑女の礼を取ると、レオンが慌てた声で「シャーロット嬢!」と名前を呼んでくる。
 どうしたのだろうか、と顔を上げると、彼は目元を大きな手で覆い、こちらを見ようとしていない。
 ほんのり顔が赤いのはなぜだろうか、と自分の身なりを見下ろし、「あ」と声を上げた。
 スカートを持ち上げたせいで、太ももが丸見えになっていたのだ。
「しっ、失礼しました!」
 昨日と言い今日と言い、やらかし過ぎだ。
 前世の記憶がよみがえったばかりで、色々と記憶が混濁しているせいだろう。
(いまの私は、侯爵令嬢シャーロット・バレリアよ! 前世は一度忘れないと。ちゃんと侯爵令嬢として、振る舞わないと……!)
 そして、これから忙しい彼に指導願う立場なのだ。
 これ以上失態を犯して彼からの印象が悪くなるのは避けなければならない。
「改めまして、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。シャーロット嬢」
 こうしてふたりの魔法の特訓が始まった。


「コントロールに問題がありますね」
 懲罰塔の外にある、寂れた演習場で、シャーロットはレオンの指示通りに魔法を使っていた。
 シャーロットの最大の魔法は防御障壁だ。
 だが、この魔法はシャーロットしか守れない。
 昨日はそれを知りながら魔法を行使したのだが、それはこの防御障壁で暴漢を吹き飛ばそうとしたからだ。
 だが、焦りもあって必要以上に威力を出し過ぎてしまった。
 その結果、コンラッド達まで巻き込んでしまったのだ。
「防御したい方向にだけ魔力を集中させることができれば、実戦のとき味方も守ることができます。現状、あなたの魔法はご自身の防御に特化しすぎです」
 シャーロットを中心に、地面が円形に削れているのは、彼女自身が自分を守ることにしか魔法を使えていないためだ。
「目の前に壁を作るイメージです。要塞ではなく」
「わかってはいるのですが……」
 一方向にだけ魔力を注ぐというのは、思っている以上に難しいのだ。どうしても、一か所に留めきれなかった魔力が外側へと漏れてしまう。これは風属性を持つ者が、一番苦手とすることでもあった。
 これは学園の授業でも散々教師たちから指摘されてきたことだ。だが、侯爵令嬢という身分のせいで、口では助言するものの、彼らは真面目にシャーロットの指導をしようとはしなかった。
 この学園で王族の次に身分が高い生徒は、侯爵家の子女たちだ。学園内は独自の法があり、身分差は関係ないとされているが、一歩学園の外へ出てしまえば、身分の差が全てのものを言う。
 さらにシャーロットは名ばかりではあるが、第一王子の婚約者であり、教師とはいえ彼らも貴族であるためきつくは言えないのだ。
「目に見えない風という属性は、コントロールが一番難しい属性ではありますが、コツを掴めばできます。基本的に属性が違うだけで、魔法などすべて扱い方は同じです」
「あの、レオン様。イメージを固めるために、レオン様の防御障壁を見せてくださいませんか?」
 口で言われるより、見た方が早い。
 彼の言う通り、この世界の魔法は属性こそ違えど、扱い方は同じだ。ただ、属性によって多少違いがあるというだけで。
「こうです」
 レオンが爪先でトンッと地面を叩くと、そこからボコッと彼の身体を隠すほど背の高い土の壁が姿を現した。
(レオン様は土属性だから、硬い土の壁をイメージしやすいのでしょうけど、私が使えるのは風だけ……。風が一か所にだけ集まるイメージって、どんなの?)
 風は目に見えず、色もないため、霧散するイメージしかない。片側だけ一か所に集まるイメージを固めなければ、彼の言う壁は作れない。
「壁というよりも、扇子で仰ぐイメージと言った方が、伝わりやすいかもしれません」
 だがそれだけでは防御障壁は作れない。
 一か所に滞留するイメージを固めなければ。
 シャーロットは何気なく、自分の周りの抉れている地面を見つめる。シャーロットが立っているところだけ、綺麗に原型を残していた。
(私を中心に考えなければいいのかしら?)
 だがそれも難しいことだ。どうしても魔法は、術者を中心にして作動する。それは術者の魔力を源として魔法が発動するために他ならなかった。
 特に目で姿を確認できない「空気の流れ」でしかない風魔法は、その発生源を中心に作動しやすいという点が最大の弱点なのだ。
(だからこそ風魔法は、術者を守ることに特化しやすい……)
 侯爵令嬢として生まれたシャーロットは、守る側ではなく、守られる側だ。だからこそ、誰も「誰かを守るため」の術を教えてくれなかったし、重要視もされなかった。
 この身だけを護れればいいだろう、と安直に考えられていたのだ。
 シャーロットも、この十八年間、それに疑問を抱かなかった。自分さえ守れればいいという考えがあったからだ。
(でもそれじゃあ、また誰かを傷つけてしまう……。レオン様がこうして付き合ってくださるのだから、できるようになりたい……)
 おそらく、この課題はシャーロットにとって容易に成し遂げられる部類のものではない。
(だから、『課題』なのか……)
 ふと、ブラック企業勤めだった頃を思い出す。絶対に納期には間に合わないようなスケジュールで仕事を取ってきた社長に、何度もこんな無理難題を押し付けられてきた。
 あの頃の怒りが、ふつふつと湧き上がってくる。
(あんの腹黒王子……! 綺麗なのは顔だけで、腹の中は真っ黒じゃない!!)
 基本的に、小説のような夢物語の中のヒーローはヒロインには優しいが、それ以外のお邪魔虫にはその優しさは発揮されないものだ。ただの偏見かもしれないが、結構な度合いでそれが「テンプレ」でもある。
 なぜならば、そうしないと「物語が進まない」からだ。
(私にこんな難題を押し付けておいて、てめぇは可愛い恋人とニャンニャンか? ふざけんじゃねぇぞ……)
 つい、前世の自分が顔をのぞかせてしまう。
「シャーロット嬢? どうかされましたか?」
 一人闘志をメラメラと燃え上がらせていると、レオンが不思議そうに話しかけてくる。
「いえ、もっとやる気を出そうと思って。もう一度やってみます」
「はい。まだ時間はありますので、無理はなさいませんよう」
「――はい」
 さり気ないレオンの気遣いが嬉しい。
 天才ではない限り、何かをするときは必ず積み重ねと練習と努力が必要だ。生憎シャーロットは魔法が使えるだけの凡人であり、決して天才にはなれない。
 だが、努力をすることは誰にでもできる。





 空は夕焼け色に染まっている。その頃になると、演習場の土はかなりボコボコになっていた。
「今日はこの辺で終わりにしましょう」
 やる気はあるのに、全然できない。
 何度繰り返してもダメで、とうとうレオンに終了の合図をされてしまった。
「――そう、ですわね……」
 しょぼん、としながら、天と地をひっくり返したような有様になってしまった演習場を眺める。
「そうがっかりしないでください。一日でコツがつかめてしまったら、誰も苦労はしません」
 気を遣ってくれているのか、慰められてしまう。
「それに昼食も取らず、一日中集中していたシャーロット嬢の集中力は素晴らしいと思います。今日は疲れたでしょう。どうか明日に備えてください」
「あ! そうでしたわ! ごめんなさい。レオン様も、お食事を摂られていらっしゃいませんわよね!? 私ったら……」
 またやらかしてしまった。
 気遣いのできない我が儘な女というのは、いかにも悪役令嬢らしいが、初日でこれは酷いだろう。
 レオンもレオンだ。昼食の時間に止めてくれれば良いものを。
(私が、集中していたから……)
 集中力を途絶えさせないよう、やっぱり彼は気を遣ってくれたのだ。
 いくら身分差があるとはいえ、そんなこと気にしなくてよかったのに。
「あの、レオン様! 今から夕食の支度をしますので、食べて行かれませんか?」
「いえ、私は……」
「料理には自信がありますの。簡単なモノしか作れませんが……」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私のような身分の者が、侯爵家のご令嬢と食事というのは……」
「一緒にということがダメなのであれば、私が給仕をしますので」
「いえ、それこそあなたにそんなことをさせては……」
 断られ続けるということは、レオンはシャーロットと食卓を囲みたくない、ということだろう。
 ふと、前世と現世の実家での食事の光景を思い出した。
 どちらも、いつも一人だった。
 誰もシャーロットと一緒に食事を摂ろうとしない。あえて避けているわけではなかったのだろうが、家族と食事をした思い出はなく、この学園でもそうだ。
 友と呼べる友人はなく、何かあったときだけ、どこからともなく『取り巻きたち』が群がってくる。けれど、食事の時間になると、誰も寄りつかなかったではないか。
「あ……、申し訳ありません。私と食事をしても、不快にさせてしまうだけですね」
 食事の時間というのは、落ち着ける相手と穏やかな時を過ごす時間でもある。
 気を抜けない相手との食事は、苦痛でしかないだろう。
 ストレス社会で生きた前世を、ここで忘れてどうする。と己を叱責する。
 前世の自分も、社長が参加する飲み会は苦痛だった。どんなに豪華なものを食べても味なんてわからなくて、楽しいとはみじんも思わなかった。
 それはきっとレオンも同じことだろう。
「どうかお忘れください。明日も、よろしくお願いします」
 寂しさを噛みしめながらも、シャーロットは背中を向けた。
 きっと物語の主人公であれば、ヒーローが駆け寄ってくれるのだろうが、残念ながらレオンは、駆け寄ってきてはくれなかった。




 ひとり、レオンに直してもらった謹慎塔の部屋で、食事を進める。
 今日作ったのは野菜のスープと細切れ肉の炒め物だ。
 食材はすべて、塔の備蓄庫の中にあった。おそらく学園長がシャーロット用に用意してくれたものだろう。食材はどれも新鮮で、謹慎塔には簡易キッチンもあり、調理器具と調味料もそろっていたため、料理するには困らなかった。
 あの様子だと凝ったモノも作れそうだったが、自分ひとりしか食べないので、煮るだけ、炒めるだけ、の簡単な料理しか作らなかった。
「味気ないわね……」
 食事の時間は、いつもつまらない。
 半分ほど食べ終えたところで、シャーロットはスプーンを置いた。
「気晴らしに洗濯でもしようかしら……」
 この寂しさを抱えては、寝ても寝付けないだろう。何かで気を紛らせて今残っている体力をすべて使ってしまった方が、ぐっすり眠れるはずである。
 シャーロットは着ていた制服を脱ぎ、下着姿のまま部屋を出る。
 今日こそ、レオンは来ないだろう。
 ここには何も用事がないはずだ。
「寒っ……」
 塔の中とはいえ、夜の隙間風は冷たい。
 長い階段を降り、シャーロットはある一室の扉を開けた。
 ここは洗濯をするための場所で、壁と床は石造りでできており、水場や大きな器と洗濯用の丸い洗濯石が数個置かれている一室だ。
「ついでに身体も洗っちゃいますか……」
 今日は演習場をボコボコにしたせいで、髪には土埃もついている。この部屋のほかに湯あみをできる場所も別であるのだが、そこまで行くのは面倒だった。
 大きな器の中に腕に抱えていた制服を投げ入れ、身に着けていた下着もその中へ入れてしまう。
 水場の蛇口を捻り、流れ出る水を風の魔法で包み、大きな器の中に流れるように操る。
 器いっぱいまで水を溜めたら、大まかな汚れを洗濯石で擦り、一度水を捨てて、もう一度その中に新しい水を移す。今度は洗濯石も一緒に器の中に入れて、風魔法で洗濯機をイメージして水を回転させる。
「良い感じですわね」
 シャーロットは次に、水場で直接自分の髪を洗った。水で髪を洗うと傷みやすくなるのだが、今はそんなことはどうでも良い。
 長い赤毛を濡らし終わったら、今度は洗濯石を手の中で擦って泡立たせる。その泡で髪にこびり付いた土埃を洗い、その次に残った泡で全身を洗った。
「あ! タオルを持ってきてないじゃない!」
 しまった、と今更ながら気づく。
「こんなことなら、魔力をもう少し残しておけばよかったわ……」
 今日はいつも以上に力を使ってしまったので、全身を乾かせるだけの魔力が残っていない。
 特にこの長い髪は、魔法を使っても乾くのにそれなりに時間がかかるのだ。
 シャーロットに残っている魔力は、今洗っている洗濯物を乾かすくらいの量だ。
 これはさっさと身体を洗って、早めに洗濯を終わらせ、早く部屋に戻るのが良いだろう。
 シャーロットは全身の泡を冷たい水で洗い流し、残っている魔力すべてを使って、洗濯物を終え、足早に部屋に戻ったのだった。




「シャーロット嬢。顔色がお悪いようですが、どうかしましたか?」
 翌日、昼前にレオンが魔法の訓練にやってきて、挨拶より前にそう言われた。
「いえ、何でもありませんわ」
 あの後、部屋に戻ったシャーロットは魔力の使い過ぎで体力切れを起こし、身体をちゃんと乾かさずに寝てしまったのだ。案の定、風邪を引いた。
 だが、風邪とは言っても、大したことはない。
 ちょっと喉が痛くて、頭がズキズキと痛むくらいだ。咳は出ていないし、鼻水も今のところ大丈夫である。
 それに実家にいた頃、王妃教育をしていたときもこの程度の風邪では休ませてもらえなかった。
 風邪を悪化させてしまっても、休みなどなかった辺り、実家での扱いは前世のブラック企業とよく似た環境だったと言えるだろう。
(まだ二日目なのに、風邪で休むとかありえないわ……)
 シャーロットには一か月しか時間がないのだ。大切な時間を割いてくれているレオンに対して、風邪ごとき耐え忍ばずにどうする。
「そう……ですか……」
 レオンは何か言いたそうにしていたが、シャーロットは空元気を出すことで彼を安心させようとした。
 それが、いけなかったのだろう。
 その日の夜、シャーロットは夕飯の支度中、とうとう倒れてしまった。
(身体が、重い……)
 連日の魔力の使い過ぎと、体調不良が重なり、キッチンの床に倒れこんだまま、動けない。
 関節の節々が痛んできたので、熱も出てきたのだろう。
(情けない……。私はバレリア侯爵家のシャーロットよ……。風邪ぐらい……、こんなの……!)
 何とか起き上がろうとするが、激しい吐き気にも見舞われてしまい、指先一本も動かせなかった。
(インフルエンザでも出社した元社畜なのに……。この身体は本当にか弱いなぁ……)
 もう起き上がるのは諦めよう。
 そう思い、はぁ、と熱い息を吐く。
 身体に熱がこもっているため、キッチンの石床の冷たさが心地いい。だが、それとは裏腹に身体が寒いと訴えて震えている。
(さすがに凍死することはないでしょうけど、明日の朝になったらレオン様が気づいてくださるかしら……)
 否、と自分の考えを否定する。
 この世界はシャーロットには優しくない。
 きっと、来ないだろう。誰も。
 シャーロットを本当の意味で心配してくれる人がいないのだ。誰かが助けてくれるわけがない。
「ほんと、嫌われ者は嫌になるわ……」
 愛されたいとか、誰かに必要とされたいなんて思わない。愛されたければ愛されるように努力するべきだし、誰かに必要とされたいのであれば自分の能力を上げなければならない。
 無償の愛など存在しないのだ。だからといって、悲劇のヒロインぶるのも、好きではない。
(ちょっとだけ……。ちょっとだけ休んだら、今日はもう料理は諦めて、レモンでもしゃぶって寝ればいいのよ……)
 シャーロットは震える身体を抱きしめながら身体を丸め、そっと瞼を落とす。
(――でもやっぱり、寂しいなぁ……)
 風邪の時は気が弱くなって困る。
(少し休めば魔力も回復する……。そうすれば、動けるようになるんだから……)
 だからそれまで、ここで眠ってしまおう。この寒さだ。きっとまた夜中に目が覚める。
 それを期待して、シャーロットは眠りに落ちた。
 だがシャーロットの予想に反して、彼女が目を覚ましたのは、翌々日のことだった。
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