上 下
1 / 44

今、前世の記憶が蘇りましたぁ!!

しおりを挟む
 危機に直面したとき、何かが起こる。
 それはおそらく、テンプレと呼ばれる「良くある話」だ。
「あ……」
 燃えるような長い赤毛を靡かせて立ち尽くす少女は、見るからに高貴な身分とわかる。
 風の魔力保持者を意味する、緑色の瞳は長いまつ毛に縁どられ、スッと通った鼻梁やぷっくりとした桃色の唇は、まだあどけなさを残していた。
 少女は大きく目を見開き、目の前の惨状に口元を手のひらで覆う。
――やってしまった。
 その思いと同時に、自分のモノではない記憶が脳裏を駆け巡り、現状を理解することも困難な状況なのに、さらに頭がかき乱されて真っ白になっていく。
 目の前に立つ屈強な騎士は、彼女・シャーロット・バレリアを鋭い眼光で睥睨しながら、剣の切っ先をこちらに向けていた。
 その背後に守られるようにして地面に膝をついているのは、シャーロットの婚約者でありこの国の王子であるコンラッドと、強い魔力を秘めた庶民上がりの男爵令嬢・マリアンヌ。
「ち……」
 違うの、と弁解しようとしたが、シャーロットはこの後の展開が分かっていた。否、『知っていた』。だから『それ』と同じセリフを言うのを躊躇った。
 これは、大好きだったティーンズラブ小説で、前世の自分が一番好きだったシーンだ。
 身分違いの恋を邪魔する悪役令嬢。
 それがシャーロット・バレリアである。
「…………」
 前世の自分は、このシャーロットが好きだった。
 ずっと想って来た王子が、まさか他の女に取られて、嫉妬に狂う役柄ではあったが、それは仕方のないことだ。
 身分違いの恋も素敵だけれど、あの小説で一番可哀そうなのはシャーロットである。
 彼女は侯爵令嬢。
 身分が高すぎるが故に、その取り巻きはその権力の恩恵に与りたいだけの空っぽな友人しかおらず、シャーロットは常に孤独だった。
 彼女の友達になれたらと、前世の自分は良くこの話に自分を投影したものである。
(だからって……これはなくない……?)
 普通は幼少期に記憶を取り戻して、断罪を回避したり、中途半端な時期に思い出したとしてもそこから成り上がったりするものだ。
 だがこれは――かなり危機的状況すぎやしないか。
 剣を向ける黒髪の騎士は、シャーロットをいつでも殺せる態勢を崩さない。
 剣と魔法の世界なので魔法を使えば逃げきれるかと思いきや、魔法は万能ではないことは、この世界に十八年生きてきたので知っている。
 特に目の前にいる彼、レオン・アルバートンとシャーロットの魔法の相性は最悪だ。
 すべてを吹き飛ばす風魔法の使い手であるシャーロットに対して、彼は土属性の魔法を使う。
 この世界では風属性者は土属性者を攻撃する場合、その何倍もの魔力を必要とする。
 レオンは戦場に立つこともある騎士であり、かたやシャーロットはただのお嬢様学生。この瞬間に、もう勝負はついているのである。
(ここでゲームオーバーか……)
 シャーロットは潔く死を覚悟した。
 どうせ彼女は小説の原作通りであれば、この後王子を傷つけた罪で断罪され、侯爵家からも国からも見放されて平民に格下げされて死ぬ運命なのだ。
 苦しみながら死ぬより、いっそのこと一瞬で死んだ方が良いに決まっている。
(それに、死ぬ前に良い絵が見れたわ。挿絵だと構図的にレオン様の後ろ姿しか描かれてなかったからご尊顔仕ることはできなかったけど、想像通り良い男だった……)
 キリリとした切れ長の目に、少しだけ前髪が顔にかかっているので顔の全ては見えないが、かなりの美丈夫である。
 ハリウッドスターにだって、こんな綺麗な顔立ちの人はいないのではないだろうか。
(それにしても、二次元の世界が三次元になると、こうなるのか……)
 死を覚悟したシャーロットの思考は、もう前世の記憶に引っ張られていた。
 婚約者だというコンラッドも金髪碧眼のかなりの美形であり、その彼の身体をそっと支えているマリアンヌも超絶美少女。
 今思えば自分の周りには綺麗な顔立ちの人が多いなぁ……と、薄々感じてはいたが、シャーロット自身も気の強そうな吊り上がった目元が悪役っぽいものの、美人の部類に入る顔立ちである。
(我が一生に一片の悔いなし! 眼福です! ありがとうございます!!)
 いるかもわからない神に感謝を言いながら、シャーロットは目を閉じた。
 せめて死ぬ時くらい、綺麗な顔を崩さずに死のうではないか。
(あぁぁぁあああ、でもやっぱり怖い! 剣で切られるの? それとも魔法!?)
 死を覚悟したところで、シャーロットは十八年しか生きていない。前世の記憶を取り戻したところで、それは映画を観ているような映像としての記憶でしかなく、精神年齢がこの瞬間跳ねあがるわけではなかった。
「あ……、あの!!」
 この緊迫した空気の中、素っ頓狂なことを聞くようだが仕方がない。恥を忍んで、シャーロットはせめてこれだけは聞いておこうと声をかける。
「…………」
 返事はない。レオンはジリッと地面を踏みしめるだけで、唇は引き結ばれたままだ。
 シャーロットはそんな素っ気ないレオンを見つめながら、震える唇を開いた。
「その剣の切れ味は、良いですか?」
「…………?」
「切れ味です! 死ぬなら一瞬が良いです! 剣でも魔法でも良いですけど、一瞬で息の根止めてください!!」
 剣を突き付けられてはいるが、不意打ちの魔法攻撃の可能性もある。
 こんなことを聞くより他の言うことがあるのかもしれないが、この国の王太子候補である第一王子を、婚約者とはいえ傷つけてしまったのだ。原作小説でもただでは済まなかったので、弁解も弁明も諦めている。
 だから命乞いはしない。一応十八年侯爵令嬢としての教育を受けてきたのだ。貴族として生き恥を晒すつもりはなかった。
 もし王子を傷つけた罪を償うために、苦しみながら死ねというのであれば、自分の魔法を使うしかない。
 シャーロットは基本的に守りの魔法しか習わなかったが、それを応用して自分の首を切り落とす魔法くらいは持ち合わせていた。
 シャーロットの魔法は「自分を守ること」に特化しているため、自分以外は守れない。
 守れないということは、敵味方問わず周囲を巻き込むということだ。
 それが、彼らに使ってしまった魔法だった。
(そうだ……、『シャーロット』はマリアンヌのことが嫌いだったけど、このときだけは守ろうとしただけだったのに……)
 本当にただの当て馬要因でしかない、哀れな悪役令嬢だ。
 シャーロットは、木の幹に身体を強打して伸びてしまっている暴漢たちをチラリと目で追った。
(あいつらみたいに、気絶できたらもっとよかったなぁ……)
 ショッキングな現場ではあるものの、シャーロットの意識はハッキリしている。本来気弱な高貴な令嬢であれば、その気の弱さゆえに気を失ったりするものなのかもしれないが、生憎前世の記憶を思い出してしまった彼女にはそんな可愛らしい芸当などできるはずもなかった。
(くそっ……! 現代日本おそるべし! ブラック企業勤めだったのも不幸だったのに、ここまでツイてないなんて……)
 次は何に生まれ変わるのだろうか。
 それともこれが最後だろうか。
 むしろこれは夢の中の出来事かもしれない。
(それはないか……)
 現実逃避をしたくても、頭がそれを否定する。
 夢オチなんて都合の良いことなど、あるはずもない。
 そんなことを一瞬のうちに考えていると、レオンが静かに口を開いた。
「――それは私が判断することではありません」
 原作小説にはないセリフだ。
 だが、声が良い。
 無駄に良い。
 声優さんだと誰あたりだろう。
 顔が良いと声も良いのか。
(あの作品、もしかして私の死後、アニメとかボイスドラマになったのかなぁ……)
 どちらにせよ耳まで幸せにしてもらった。
「あぁ……本当に幸せな人生でした」
「いや……、私の話を聞いてますか?」
「まさかレオン様の声がこんなに良いなんて……。その声で罵られたい!!」
「――はぁ?」
 思っていたことが、ついに声に出てしまった。
 しかしそれに気づかないシャーロットは、その場で両膝を折り、胸の前で両手を組んで祈りのポーズを決め込む。
 前世の彼女はかなりの「声フェチ」だった。
 イケボの男性声優が特に好きで、「そういう作品」にもたくさん手を出していたのだ。
「シャーロット嬢。気でも触れましたか」
「それ良い! もっと言って!!」
「…………」
 レオンの顔が、明らかに引き攣っていく。
 それは周囲の学生たちも同じだ。
 風魔法で王子とその『友人』を巻き込んで攻撃しておいて、一体何を言い出すのか、と皆困惑している。
「どうせ死ぬなら、あなたに罵られながら死にたいです!」
 さぁ! とキラキラした瞳を向けると、レオンが数歩後ずさった。
 それを目の当たりにしてから、「あ」と気づく。
(ヤバ……)
 死に際になると、性癖が理性を超越して願望が声に出てしまうものらしい。
「――レオン」
 今度こそ本当に頭が真っ白になり硬直していると、ずっと黙っていた王子・コンラッドが声を上げた。
「彼女はどうやら気がおかしくなったようだ。――よくわからないが、お前が面倒を見てやれ」
 コンラッドも声が良い。だがタイプじゃない。
「殿下、しかし……!」
「お前も彼女の魔法特性をわかっているだろう。状況からして、俺たちを守ってくれたようだ。彼女に戦う意思はない。剣を納めろ」
「はっ」
 コンラッドのその言葉に、レオンが剣を鞘に納める。
「それに彼女はお前のことが気に入ったようだ」
「…………」
 にやり、と口角を上げたコンラッドは、立ち上がりながらレオンの肩に手を置く。
「よろしく頼むぞ」
「――御意に」
 コンラッドは心配そうなマリアンヌを連れて、シャーロットに背中を向けた。
 その背中を見つめながら、シャーロットは思う。
(私にかける声はなし、か。原作通りね。でも――)
 展開が、少し違う。
 彼らの間にこんなに長い会話はなかった。
 原作通りなのは、最後の一言だけ。
(もしかして、もしかするのかな……?)
 ありがちな、断罪ルート回避というフラグ。
 この世界は乙女ゲームではないけれど、原作通りに事を運ばなければ――もしかしたら。
「殿下の命です。シャーロット嬢。私についてきてください」
 大きな手が、シャーロットの前に差し出される。
 この後、原作通りの展開が待っているかもしれないが、今は考えない。
 シャーロットはうっとりとレオンを見つめながら、その大きな手を取った。
(本当に、もう死んでも良いかもしれない……)
 彼女はひとり、幸せを噛みしめていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】殿下!そこは舐めてイイところじゃありません! 〜悪役令嬢に転生したけど元潔癖症の王子に溺愛されてます〜

茅野ガク
恋愛
予想外に起きたイベントでなんとか王太子を救おうとしたら、彼に執着されることになった悪役令嬢の話。 ☆他サイトにも投稿しています

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

18禁の乙女ゲームの悪役令嬢~恋愛フラグより抱かれるフラグが上ってどう言うことなの?

KUMA
恋愛
※最初王子とのHAPPY ENDの予定でしたが義兄弟達との快楽ENDに変更しました。※ ある日前世の記憶があるローズマリアはここが異世界ではない姉の中毒症とも言える2次元乙女ゲームの世界だと気付く。 しかも18禁のかなり高い確率で、エッチなフラグがたつと姉から嫌って程聞かされていた。 でもローズマリアは安心していた、攻略キャラクターは皆ヒロインのマリアンヌと肉体関係になると。 ローズマリアは婚約解消しようと…だが前世のローズマリアは天然タラシ(本人知らない) 攻略キャラは婚約者の王子 宰相の息子(執事に変装) 義兄(再婚)二人の騎士 実の弟(新ルートキャラ) 姉は乙女ゲーム(18禁)そしてローズマリアはBL(18禁)が好き過ぎる腐女子の処女男の子と恋愛よりBLのエッチを見るのが好きだから。 正直あんまり覚えていない、ローズマリアは婚約者意外の攻略キャラは知らずそこまで警戒しずに接した所新ルートを発掘!(婚約の顔はかろうじて) 悪役令嬢淫乱ルートになるとは知らない…

私、異世界で監禁されました!?

星宮歌
恋愛
ただただ、苦しかった。 暴力をふるわれ、いじめられる毎日。それでも過ぎていく日常。けれど、ある日、いじめっ子グループに突き飛ばされ、トラックに轢かれたことで全てが変わる。 『ここ、どこ?』 声にならない声、見たこともない豪奢な部屋。混乱する私にもたらされるのは、幸せか、不幸せか。 今、全ての歯車が動き出す。 片翼シリーズ第一弾の作品です。 続編は『わたくし、異世界で婚約破棄されました!?』ですので、そちらもどうぞ! 溺愛は結構後半です。 なろうでも公開してます。

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

天才と呼ばれた彼女は無理矢理入れられた後宮で、怠惰な生活を極めようとする

カエデネコ
恋愛
※カクヨムの方にも載せてあります。サブストーリーなども書いていますので、よかったら、お越しくださいm(_ _)m リアンは有名私塾に通い、天才と名高い少女であった。しかしある日突然、陛下の花嫁探しに白羽の矢が立ち、有無を言わさず後宮へ入れられてしまう。 王妃候補なんてなりたくない。やる気ゼロの彼女は後宮の部屋へ引きこもり、怠惰に暮らすためにその能力を使うことにした。

【R-18】逃げた転生ヒロインは辺境伯に溺愛される

吉川一巳
恋愛
気が付いたら男性向けエロゲ『王宮淫虐物語~鬼畜王子の後宮ハーレム~』のヒロインに転生していた。このままでは山賊に輪姦された後に、主人公のハーレム皇太子の寵姫にされてしまう。自分に散々な未来が待っていることを知った男爵令嬢レスリーは、どうにかシナリオから逃げ出すことに成功する。しかし、逃げ出した先で次期辺境伯のお兄さんに捕まってしまい……、というお話。ヒーローは白い結婚ですがお話の中で一度別の女性と結婚しますのでご注意下さい。

処理中です...