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王都編6 久々の帰宅
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王都編6 久々の帰宅
ユリシーズとの会談が終わって解散した頃には時刻はもうすっかり天井をまわっていた。
行きとは逆に階下で側近の男に出迎えられ、再び案内を受けて城内の廊下をとろとろ歩く。連日馬車で碌に休みもせずに飛ばしてきた事もあって疲労感が強くて既に眠い。物凄く眠い。
明日からは普通に出仕する事になっているから帰ったら風呂は諦めて直ぐに寝よう。そう思いながら歩いていれば、案内されたのは貴賓室だ。側近が軽くノックをすると、中からは直ぐに足音がして乱暴にドアが開かれる。同時に顔を出すのはオルテガだ。
俺の顔を見てホッとしたのか表情を緩めると俺の手を取って抱き寄せてくる。
「遅いから心配していた」
「すまない。色々話していたら遅くなってしまった」
「そうか。……無事に話はついたのか?」
優しく頭に落とされるキスと甘い声音に疲労感が溶けるようだ。広い胸に頬を擦り寄せながら頷けば、オルテガは満足そうに笑みを浮かべる。
「随分待たせてしまったな。食事は取ったのか?」
「ああ。陛下に気を遣って頂いた」
オルテガの返事にホッとしながらふと気が付けば、側近の男が優しい顔で此方を見守っている事に気が付く。慌てて離れようとするが、それより早くオルテガの腕に捕まって逃げそびれた。
「仲が宜しいようで何よりです」
にこやかに言われたが、これは純粋な祝福かそれとも嫌味かどちらだろうか。腹にまわるオルテガの腕を剥がそうと抵抗しつつも窺っていれば、側近の男は柔らかく笑む。
「以前からユリシーズ陛下もリンゼヒース殿下もお二人のことを気にしていらっしゃいました。お二人の想いが通じ合った事は重畳な事です」
「……ありがとう」
リンゼヒースはともかくとしてどうやら陛下にも気を揉ませていたようだ。側近にまで話していたとなるとちょっと気恥ずかしいが素直に礼を言っておく。味方は多いに限るだろう。
「外までお見送り致します」
「いや、結構だ。時間も遅いし、卿ももう休んで欲しい」
俺が断る前にオルテガが断りを入れた。一刻も早く帰りたいのが透けて見えたのか、側近の男が小さく笑みを浮かべて「お言葉に甘えさせて頂きます」と頭を下げた。
そのままそこで解散となり、俺はオルテガに手を引かれる形で人気のない城内を歩いている。古めかしい雰囲気はどこか不気味だが、触れ合う手が熱くて頼もしくて怖さはない。一人で歩けるかって言われたら微妙な気はするけど。
勝手知ったる王城内を足早に抜けていくが、暫く歩いているうちに向かう先が行きとは違う事に気が付いて怪訝に思った。馬車を待たせてあるから入ってきた入り口から帰るのが普通だと思うんだが、オルテガはどんどんその道から外れていく。
ええと、こっちには何があったんだっけ?
記憶を想起しながらはたと思い至る。此方側には騎士団の詰め所や訓練所がある。そして、彼等が乗っている馬達が暮らしている厩舎も。
あーもー、嫌な予感がするなー。
案の定、城内を抜けて外に出る。その足で向かうのは厩舎のある方向だ。
「……おい、うちの馬車はどうした?」
嫌味も込めて低い声で訊ねれば、此方をちらりと振り返ったオルテガが小さく口元に笑みを浮かべる。
「ルーが乗っていたから先に屋敷に帰した。それに、ヴィエーチルに乗った方が早く帰れるだろう」
しれっと悪びれもせずに宣ってくれた。この男、まーたやりやがったな。
前回よりは短距離だし多少筋肉もついたから筋肉痛の方はマシになると思うが、よりにもよって王都で二人乗りする羽目になるとは…。深夜なのがまだ幸いだ。
そうこうしているうちに厩舎に辿り着くと、待ってましたと言わんばかりに厩番の者が直ぐに鞍や馬銜をつけたままのヴィエーチルを引っ張ってきた。いつでも帰れるようにしていてくれたんだろうけど、なんかこう複雑な気分だ。
さっさとヴィエーチルに跨ったオルテガが手を差し出してくるのでこれ見よがしに溜め息をついてからその手を取る。そして、そこで気がついた。オルテガがいつもより後方に座って自分の前にスペースを開けている。
「今回は前なのか?」
「ああ」
領地にいる間に乗馬も習い直したが、基本的に馬は二人乗りしちゃいけないらしい。人の重さで馬体に負荷が掛かりすぎるからだ。どうしても二人乗りする場合は騎手が前に、もう一人が後ろに乗るのが一般的だと教わったんだが。
どうやらカルに乗せてもらった時、グラシアールとした二人乗りを未だに根に持っていたらしい。
今日も絶賛愛が重い奴だ。
ここで押し問答しても時間の無駄だと諦めてオルテガの手を借りながら彼の前に跨れば、直様腹に腕が回された。一応名誉の為に言っておくが、グラシアールにはここまでされていないぞ。
俺が体勢を整えた事を確認すると、オルテガがヴィエーチルの腹を軽く踵で締めた。それを合図に、彼の愛馬は軽い足取りで王城の敷地内を駆け始める。
乗馬の練習をしたお陰か、前よりも体勢を安定させて乗る事が出来ている…気がする。前はとにかく必死でしがみつくしか出来なかったからな。
「……随分安定して乗れるようになったな」
「本当か?」
オルテガが言うなら気のせいじゃないだろう。前回は「俺」に意識が移ってから初めての乗馬だったから緊張でガチガチになっていたせいで体に余計な力が入っていた。そのせいで反動が殺せずに馬の上で体が跳ねてしまって俺自身の体にもヴィエーチルの体にも負担が掛かっている状態だったようだ。ヴィエーチルには申し訳ない事をした。
褒められた俺は上機嫌だが、背後から感じる雰囲気はなんだか不満そうだ。大方、二人乗りする理由が減ったからとかそんな所だろうか。
「こうして支えて貰うのも悪くないが、後ろから抱き着く方が安定して好きだな」
御機嫌を取っておこうと軽く見上げながら告げれば、黄昏色の瞳が少し丸くなり、その後柔らかく溶けた。
「次はそうしよう」
後頭部にキスをされる感触を感じながら俺はオルテガとヴィエーチルに身を任せて夜の王都を駆け抜けた。
ヴィエーチルに乗って駆ける事十分程でレヴォネとガーランドのタウンハウスが並んでいる辺りに辿り着いた。
「悪いな、こんな時間まで付き合わせて」
「構わない。拒否されても待つつもりだったしな」
先にヴィエーチルから降りたオルテガの手を借りながら地面に降りると、そんな事を言われる。なんでコイツはこうも一途なんだ。
オルテガの想いを思い知っていれば、そっと抱き寄せられる。今夜からは屋敷が別になるからそうそう触れ合う事も出来ないだろう。
「直ぐ隣に居るとはいえ、離したくない」
すりと耳の辺りに鼻先を擦り寄せながらオルテガが強請る。このまま泊まっていけと言えたらどれ程良いだろうか。
「……バカな事を言うな。私は眠いから帰るぞ」
わざと突き放すように言いながらぺしりと手の甲を叩く。
正式に婚約を結んでいたら。或いは気安い友人のままだったら気軽に誘えたのに。今の立場ではそうも出来ない。
オルテガもわかっているから我儘を言っているのだろう。なかなか腕を離してくれない。
「フィン」
名前を呼んで頬を撫でる。ゆっくりと此方を見る黄昏色の瞳はどこか恨みがましげだ。
「明日の朝、また迎えに来てくれ。うちの馬車で一緒に登城しよう」
そう提案しながら唇の横に軽くキスをする。馬車なら二人きりで過ごせるし、人目も避けられる。これが今俺に出来る譲歩だ。
「……分かった。明日の朝迎えに行く」
ぎゅうと強く抱き締められて軽くキスされる。触れるだけのキスは直ぐに離れてしまって寂しくなるが、ここで引かなければますます離れがたくなってしまう。
「おやすみ、リア」
「ああ。おやすみ」
別れの挨拶と共に額を軽くぶつけると、俺達はゆっくり体を離した。
名残惜しく思いながらもオルテガに見送られながら屋敷に入る。
ドアが閉まる前に振り返れば、オルテガはまだ別れた場所で此方を見ていてきゅうと胸が締め付けられた。
依々恋々とは良く言ったものだ。
好きな人を想うあまりに離れ難い、なんて「俺」には縁遠かった事を別の世界で実体験するとはな。
一緒に暮らせる様になるのは、俺の努力次第だろう。
出迎えてくれたレヴォネ家の家人達に応えながらも、しくじれば共に過ごす事すら難しくなるのだと改めて肝に銘じる。
オルテガの為にも負けられないのだ。
遅くまで待っていてくれた事を労い、家人達に下がる様に言って俺は久方振りの自室に戻る。王都にあるレヴォネ家のタウンハウスはガーランド家のタウンハウスと隣り合っていて二階にあるセイアッドの部屋からはガーランド家が垣間見えた。
庭木の隙間から見える庭には様々な花が咲いている頃だろう。
ガーランド家タウンハウスにある庭は王都でも一、二を争う優美な庭だ。幼い頃から遊び場として過ごしてきた「私」には実感が薄いが、あの庭で開かれるパーティーに招待されるのは御夫人達にとってちょっとしたステータスになっているらしい。
というのも、オルテガの母親であり、庭の設計者であるエンカルナシオン・シーラ・ガーランドは自らが気に入った者しかあの庭に足を踏み入れる事を許さないからだ。
外からも一部を垣間見る事は可能だが、内部や詳細に見るにはそのパーティーに招待されるかガーランド邸に遊びに行く事を容認されないと難しい。貴族垂涎の庭ながら秘匿されているのだから是非見たいと躍起になる者達が後を経たないのだという。この国の武力を統べるガーランド家に不法侵入だなんて大した度胸だと思うが、それでも年に数回はあるらしいのだから驚きだ。
着替えを終えてふとそんな庭に面した窓を見れば、月明かりを反射する見慣れないものがあった。何だろうと気になって窓に近寄って見てみれば、それは半円型のガラス張りで出来た建物らしい。
温室でも新しく作ったんだろうか? とも思うが、場所的に庭の一番景観の良い辺りにある気がするんだが…。定期的に植え替えや配置を変えたりしていたのであのガラスのドームが今の中心的なオブジェなのかもしれない。なんなら、独立したサンルームだったりするんだろうか。そうだとしたら是非お邪魔したいものだ。
セイアッドにとって、ガーランド邸の庭は特別なものだった。忙しい父の不在に落ち込んでいた母が、ガーランド家の庭にいくといつも花が咲くような笑みを浮かべて庭を愛でていたから。
セイアッド自身、幼い頃は良くオルテガと共にあの庭で遊んだものだ。少し余裕が出来たらそんな思い出の庭を訪ねるのも良いかもしれない。お願いすればオルテガもガーランド家の人間も直ぐに許してくれるだろうから。
エルカンナシオンとセイアッドの母は親友同士で、それぞれの家に嫁ぐ前から深い親交があった。元より仲が良いレヴォネ家とガーランド家だったが二人が嫁いだ事でよりその親密さを増し、仕事で忙しい亭主達がいない時は二人で共に過ごす事が普通だったのだ。
そんな幼少期のこともあってエルカンナシオンはセイアッドにとって第二の母のようなもの。宰相になってからは久しく顔も見せていない。それに、オルテガの両親には俺達の関係を話さなければならないだろう。
それも含めてガーランド家の人と久々にお茶でものんびりしばきたいな。なんて呑気な事を考えながら俺はベッドに潜り込んだ。
後々、あのガラスドームの正体を知って戦慄する羽目になるとは夢にも思わぬまま。
ユリシーズとの会談が終わって解散した頃には時刻はもうすっかり天井をまわっていた。
行きとは逆に階下で側近の男に出迎えられ、再び案内を受けて城内の廊下をとろとろ歩く。連日馬車で碌に休みもせずに飛ばしてきた事もあって疲労感が強くて既に眠い。物凄く眠い。
明日からは普通に出仕する事になっているから帰ったら風呂は諦めて直ぐに寝よう。そう思いながら歩いていれば、案内されたのは貴賓室だ。側近が軽くノックをすると、中からは直ぐに足音がして乱暴にドアが開かれる。同時に顔を出すのはオルテガだ。
俺の顔を見てホッとしたのか表情を緩めると俺の手を取って抱き寄せてくる。
「遅いから心配していた」
「すまない。色々話していたら遅くなってしまった」
「そうか。……無事に話はついたのか?」
優しく頭に落とされるキスと甘い声音に疲労感が溶けるようだ。広い胸に頬を擦り寄せながら頷けば、オルテガは満足そうに笑みを浮かべる。
「随分待たせてしまったな。食事は取ったのか?」
「ああ。陛下に気を遣って頂いた」
オルテガの返事にホッとしながらふと気が付けば、側近の男が優しい顔で此方を見守っている事に気が付く。慌てて離れようとするが、それより早くオルテガの腕に捕まって逃げそびれた。
「仲が宜しいようで何よりです」
にこやかに言われたが、これは純粋な祝福かそれとも嫌味かどちらだろうか。腹にまわるオルテガの腕を剥がそうと抵抗しつつも窺っていれば、側近の男は柔らかく笑む。
「以前からユリシーズ陛下もリンゼヒース殿下もお二人のことを気にしていらっしゃいました。お二人の想いが通じ合った事は重畳な事です」
「……ありがとう」
リンゼヒースはともかくとしてどうやら陛下にも気を揉ませていたようだ。側近にまで話していたとなるとちょっと気恥ずかしいが素直に礼を言っておく。味方は多いに限るだろう。
「外までお見送り致します」
「いや、結構だ。時間も遅いし、卿ももう休んで欲しい」
俺が断る前にオルテガが断りを入れた。一刻も早く帰りたいのが透けて見えたのか、側近の男が小さく笑みを浮かべて「お言葉に甘えさせて頂きます」と頭を下げた。
そのままそこで解散となり、俺はオルテガに手を引かれる形で人気のない城内を歩いている。古めかしい雰囲気はどこか不気味だが、触れ合う手が熱くて頼もしくて怖さはない。一人で歩けるかって言われたら微妙な気はするけど。
勝手知ったる王城内を足早に抜けていくが、暫く歩いているうちに向かう先が行きとは違う事に気が付いて怪訝に思った。馬車を待たせてあるから入ってきた入り口から帰るのが普通だと思うんだが、オルテガはどんどんその道から外れていく。
ええと、こっちには何があったんだっけ?
記憶を想起しながらはたと思い至る。此方側には騎士団の詰め所や訓練所がある。そして、彼等が乗っている馬達が暮らしている厩舎も。
あーもー、嫌な予感がするなー。
案の定、城内を抜けて外に出る。その足で向かうのは厩舎のある方向だ。
「……おい、うちの馬車はどうした?」
嫌味も込めて低い声で訊ねれば、此方をちらりと振り返ったオルテガが小さく口元に笑みを浮かべる。
「ルーが乗っていたから先に屋敷に帰した。それに、ヴィエーチルに乗った方が早く帰れるだろう」
しれっと悪びれもせずに宣ってくれた。この男、まーたやりやがったな。
前回よりは短距離だし多少筋肉もついたから筋肉痛の方はマシになると思うが、よりにもよって王都で二人乗りする羽目になるとは…。深夜なのがまだ幸いだ。
そうこうしているうちに厩舎に辿り着くと、待ってましたと言わんばかりに厩番の者が直ぐに鞍や馬銜をつけたままのヴィエーチルを引っ張ってきた。いつでも帰れるようにしていてくれたんだろうけど、なんかこう複雑な気分だ。
さっさとヴィエーチルに跨ったオルテガが手を差し出してくるのでこれ見よがしに溜め息をついてからその手を取る。そして、そこで気がついた。オルテガがいつもより後方に座って自分の前にスペースを開けている。
「今回は前なのか?」
「ああ」
領地にいる間に乗馬も習い直したが、基本的に馬は二人乗りしちゃいけないらしい。人の重さで馬体に負荷が掛かりすぎるからだ。どうしても二人乗りする場合は騎手が前に、もう一人が後ろに乗るのが一般的だと教わったんだが。
どうやらカルに乗せてもらった時、グラシアールとした二人乗りを未だに根に持っていたらしい。
今日も絶賛愛が重い奴だ。
ここで押し問答しても時間の無駄だと諦めてオルテガの手を借りながら彼の前に跨れば、直様腹に腕が回された。一応名誉の為に言っておくが、グラシアールにはここまでされていないぞ。
俺が体勢を整えた事を確認すると、オルテガがヴィエーチルの腹を軽く踵で締めた。それを合図に、彼の愛馬は軽い足取りで王城の敷地内を駆け始める。
乗馬の練習をしたお陰か、前よりも体勢を安定させて乗る事が出来ている…気がする。前はとにかく必死でしがみつくしか出来なかったからな。
「……随分安定して乗れるようになったな」
「本当か?」
オルテガが言うなら気のせいじゃないだろう。前回は「俺」に意識が移ってから初めての乗馬だったから緊張でガチガチになっていたせいで体に余計な力が入っていた。そのせいで反動が殺せずに馬の上で体が跳ねてしまって俺自身の体にもヴィエーチルの体にも負担が掛かっている状態だったようだ。ヴィエーチルには申し訳ない事をした。
褒められた俺は上機嫌だが、背後から感じる雰囲気はなんだか不満そうだ。大方、二人乗りする理由が減ったからとかそんな所だろうか。
「こうして支えて貰うのも悪くないが、後ろから抱き着く方が安定して好きだな」
御機嫌を取っておこうと軽く見上げながら告げれば、黄昏色の瞳が少し丸くなり、その後柔らかく溶けた。
「次はそうしよう」
後頭部にキスをされる感触を感じながら俺はオルテガとヴィエーチルに身を任せて夜の王都を駆け抜けた。
ヴィエーチルに乗って駆ける事十分程でレヴォネとガーランドのタウンハウスが並んでいる辺りに辿り着いた。
「悪いな、こんな時間まで付き合わせて」
「構わない。拒否されても待つつもりだったしな」
先にヴィエーチルから降りたオルテガの手を借りながら地面に降りると、そんな事を言われる。なんでコイツはこうも一途なんだ。
オルテガの想いを思い知っていれば、そっと抱き寄せられる。今夜からは屋敷が別になるからそうそう触れ合う事も出来ないだろう。
「直ぐ隣に居るとはいえ、離したくない」
すりと耳の辺りに鼻先を擦り寄せながらオルテガが強請る。このまま泊まっていけと言えたらどれ程良いだろうか。
「……バカな事を言うな。私は眠いから帰るぞ」
わざと突き放すように言いながらぺしりと手の甲を叩く。
正式に婚約を結んでいたら。或いは気安い友人のままだったら気軽に誘えたのに。今の立場ではそうも出来ない。
オルテガもわかっているから我儘を言っているのだろう。なかなか腕を離してくれない。
「フィン」
名前を呼んで頬を撫でる。ゆっくりと此方を見る黄昏色の瞳はどこか恨みがましげだ。
「明日の朝、また迎えに来てくれ。うちの馬車で一緒に登城しよう」
そう提案しながら唇の横に軽くキスをする。馬車なら二人きりで過ごせるし、人目も避けられる。これが今俺に出来る譲歩だ。
「……分かった。明日の朝迎えに行く」
ぎゅうと強く抱き締められて軽くキスされる。触れるだけのキスは直ぐに離れてしまって寂しくなるが、ここで引かなければますます離れがたくなってしまう。
「おやすみ、リア」
「ああ。おやすみ」
別れの挨拶と共に額を軽くぶつけると、俺達はゆっくり体を離した。
名残惜しく思いながらもオルテガに見送られながら屋敷に入る。
ドアが閉まる前に振り返れば、オルテガはまだ別れた場所で此方を見ていてきゅうと胸が締め付けられた。
依々恋々とは良く言ったものだ。
好きな人を想うあまりに離れ難い、なんて「俺」には縁遠かった事を別の世界で実体験するとはな。
一緒に暮らせる様になるのは、俺の努力次第だろう。
出迎えてくれたレヴォネ家の家人達に応えながらも、しくじれば共に過ごす事すら難しくなるのだと改めて肝に銘じる。
オルテガの為にも負けられないのだ。
遅くまで待っていてくれた事を労い、家人達に下がる様に言って俺は久方振りの自室に戻る。王都にあるレヴォネ家のタウンハウスはガーランド家のタウンハウスと隣り合っていて二階にあるセイアッドの部屋からはガーランド家が垣間見えた。
庭木の隙間から見える庭には様々な花が咲いている頃だろう。
ガーランド家タウンハウスにある庭は王都でも一、二を争う優美な庭だ。幼い頃から遊び場として過ごしてきた「私」には実感が薄いが、あの庭で開かれるパーティーに招待されるのは御夫人達にとってちょっとしたステータスになっているらしい。
というのも、オルテガの母親であり、庭の設計者であるエンカルナシオン・シーラ・ガーランドは自らが気に入った者しかあの庭に足を踏み入れる事を許さないからだ。
外からも一部を垣間見る事は可能だが、内部や詳細に見るにはそのパーティーに招待されるかガーランド邸に遊びに行く事を容認されないと難しい。貴族垂涎の庭ながら秘匿されているのだから是非見たいと躍起になる者達が後を経たないのだという。この国の武力を統べるガーランド家に不法侵入だなんて大した度胸だと思うが、それでも年に数回はあるらしいのだから驚きだ。
着替えを終えてふとそんな庭に面した窓を見れば、月明かりを反射する見慣れないものがあった。何だろうと気になって窓に近寄って見てみれば、それは半円型のガラス張りで出来た建物らしい。
温室でも新しく作ったんだろうか? とも思うが、場所的に庭の一番景観の良い辺りにある気がするんだが…。定期的に植え替えや配置を変えたりしていたのであのガラスのドームが今の中心的なオブジェなのかもしれない。なんなら、独立したサンルームだったりするんだろうか。そうだとしたら是非お邪魔したいものだ。
セイアッドにとって、ガーランド邸の庭は特別なものだった。忙しい父の不在に落ち込んでいた母が、ガーランド家の庭にいくといつも花が咲くような笑みを浮かべて庭を愛でていたから。
セイアッド自身、幼い頃は良くオルテガと共にあの庭で遊んだものだ。少し余裕が出来たらそんな思い出の庭を訪ねるのも良いかもしれない。お願いすればオルテガもガーランド家の人間も直ぐに許してくれるだろうから。
エルカンナシオンとセイアッドの母は親友同士で、それぞれの家に嫁ぐ前から深い親交があった。元より仲が良いレヴォネ家とガーランド家だったが二人が嫁いだ事でよりその親密さを増し、仕事で忙しい亭主達がいない時は二人で共に過ごす事が普通だったのだ。
そんな幼少期のこともあってエルカンナシオンはセイアッドにとって第二の母のようなもの。宰相になってからは久しく顔も見せていない。それに、オルテガの両親には俺達の関係を話さなければならないだろう。
それも含めてガーランド家の人と久々にお茶でものんびりしばきたいな。なんて呑気な事を考えながら俺はベッドに潜り込んだ。
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