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19 毒華は艶やかに微笑む
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19 毒華は艶やかに微笑む
会談する前は難航すると思っていたシガウスとの話し合いだが、俺が思ったよりもずっとスムーズだった。それだけシガウスも不満を抱えていたのだろう。大まかな情報交換と現状の相談、それからどう動くのか軽く話し終えると彼は王家について愚痴を零し始めた。
もともと王弟派であったシガウスはライドハルトとレインの婚約にも乗り気ではなかったらしい。そこをリンゼヒースにも説得されて仕方なく折れたのだという。
「親の心子知らず、なんて良く言ったものだな。陛下も馬鹿な息子を持ってお気の毒な事だ」
そう言いながらシガウスは鼻で笑う。お気の毒だなんて絶対に思ってないだろう。むしろ、ざまあみろくらい思ってそうだ。
この領地に来てからスレシンジャー父娘の様子を見ていたが、シガウスはレインをとても可愛がっているのが見てとれた。可愛い愛娘が一方的に冤罪をふっかけられて向こうから望まれた婚約を破談にされれば腹も立つのだろう。それこそ、国をひっくり返しても良いと思う程に。
「はっきり言うが、私は現国王に何の感情も抱かないし、ライドハルトの愚か者に国を任せられるとは思わん。やはり初めからリンゼヒースが継ぐべきだったんだ」
深い溜息をつくシガウスの言葉に苦笑する。確かにそうすればもっと国は安定していたかもしれない。しかし、前国王が流行病で崩御した時、リンゼヒースは15歳で周辺国に遊学中だった。対するユリシーズはずっとローライツ王国内で跡継ぎとして育てられ、年齢も25歳と王位を継いでも違和感のない年齢であった。
玉座の空白を作る訳にもいかず、リンゼヒースがまだ成人していない事と本人が王位継承権を辞退した事で必然的にユリシーズが国王となったのは十年前だ。
「当時の状況では致し方なかったのでは?」
「それはそうなんだが、未成年の者が王位を継いだ前例がない訳ではないだろう」
確かに国の歴史を紐解けばそういった事例はいくつかあった。だが、その場合は他に継げる者がいなかったり、あるいはいても健康状態に問題があったりとそれぞれ理由があった筈だ。長子であるユリシーズが健在なのに次子であるリンゼヒースが王位を継いだらそれはそれで争いの元になっただろう。
「たらればの話をすればキリがない。大事なのはこれからの事でしょう」
「そうだな。冬までには決着をつけたいところだが……リア、君はどう考えている?」
「私はもっと早く終わらせるつもりだ。今年は厄災の年でもある。出来るだけ早く決着をつけて備えたい」
事態が解決した所で俺が政治の場に戻るかどうかは分からないが、根回しやアドバイスは出来る。現状では表立って動けない分、どうしてもやりたい事に制限が出ていた。
食糧や医療品の確保、伝染病が発生した地域に派遣する者の選定、原因究明を行うチームの編成、その後発生するであろう魔物の集団発生への備え……。やる事なんて山のようにあるが、どうせ王太子が選んだという宰相代理はそこまで手が回らないだろう。そもそも忘れてるんじゃないか?
遅くなればなる程、備えが間に合わず冬の脅威が大きくなる。その事をわかっている者がいるのだろうか。信頼出来る者に人材の情報収集を任せてはあるが、それまでに俺が戻れなければ意味がない。
「では、決戦は夏か」
「そのつもりだ。祝夏の宴を利用しようと思っている」
シガウスの言葉に頷いて見せれば、彼も納得したようだった。
祝夏の宴というのは毎年夏の初めに開かれる盛大な宴の一つだ。いうなれば、社交シーズンの幕開けを告げる宴であり、この夜会以降王都に集まった多くの貴族があちらこちらで夜会や茶会が開いて交流や人脈作りに精を出す。
祝夏の宴には国王はもちろんの事、ラソワ国の連中もいるし、比較的近隣の国からは大使や代理人が参加している。国王の生誕祭に比べれば多少の規模は劣るものの、やり返すには十分な舞台だ。
「賛成だ。準備は間に合うのか?」
「抜かり無く。王都にいる方に協力が仰げるなら備えはより盤石になるでしょう」
元々は俺独りで立ち向かうつもりでいたのだ。王都に協力者はいるものの、彼等に不利益が降り掛かってはいけないと表立って動いてもらってはいない。されど、それ以外の味方がいるというこの状況を利用しない手はない。予想外の追い風は上手く捉えられれば全てにケリをつける事が出来るだろう。
「ふむ、その辺は私が繋ぎをしよう。必要な事があるならば紙に書いてまとめてくれ」
「承知した。明日には渡せるようにしておく。それからお聞きしたい事が一つあるんだが……」
「なんだ?」
「私の補佐官達がどうしているかお伺いしたい」
追放された時の憂慮の一つが彼等の存在だ。ある程度の情報は入ってきているが、詳細が分からない。セイアッドに一番近かったのは手足となって働いてくれていた彼等だ。彼等が巻き添えをくって不利益を被っていないかどうかずっと心配していた。
「君の断罪を受けて憤慨しながら職を辞した者もいるが、君の補佐官達の多くは宰相代理を手伝っているよ。その殆どが嫌々ながらに仕方なく、必要最低限のようだがね」
シガウスの返答にホッと息を零す。同時に俺の意志を汲んでくれていた者が多かった事にも安堵する。
政治の空白が生まれればその皺寄せが向かうのは民の生活だ。補佐官達はある程度仕事のノウハウを知っているから彼等までいなくなったらそれこそ国が回らなくなってしまう。
「意図を汲んでくれる優秀な者が多くて助かります」
「そう思うならさっさと王都に戻る事だな。そのうち爆発するぞ」
「と言うと?」
「君の補佐官の一人に私の息子がいる事は知っているだろう? あれが言うには残った者達の間で日に日に不満が募っているそうだ」
彼のいう息子というのは私の筆頭補佐官を務めてくれていたルファス・ラディ・スレシンジャーの事だ。非常に優秀で仕事を助けられた事もしょっちゅうだが、どうやら彼も補佐官として残ってくれているらしい。
「君の追放にラディは怒り心頭だからな。あれは君の信奉者だったから」
シガウスの言葉に軽く首を傾げる。筆頭補佐官という事で彼と過ごす時間はそれなりに多かったが、そんな素振りは見られなかった。良く「休んでください」と叱られたくらいだ。
「たまに家に寄ればレヴォネ卿が如何に素晴らしいか、陶酔しながら君への賛美しか囀らなかったぞ」
初耳の話に戸惑っていれば、シガウスは深い溜息をつく。
「全く、レインといいラディといい揃って君に心酔しているから参ってしまう。いっそ君の事をうちの子にするか悩んだんだぞ」
「ええ……」
本気か冗談か分からずに困惑する俺に、シガウスはにやりと笑って見せる。過ごした時間で多少なりともシガウスの機微が読めるようになってきたが、これは半分くらいマジなやつだ。
「私の事はサーレお父様と呼んでもらおうか」
「勘弁してくれ……」
溜息混じりに呟けば、シガウスは残念だと肩を竦めながら嘯く。同意したら本気で養子縁組くらいしてきそうだな、この人は……。
「それで、何故不満が募っているんだ?」
話題を切り替えようと脱線した話を元に戻す。どうにも気に入られすぎている気がするんだが、俺の気のせいだろうか。
「ライドハルトが選んだ宰相代理が誰かは知っているな」
「ええ。私の敵対派閥にいた者だろう。うちと同じ侯爵家の……」
「そうだ。それが宰相代理に就いたのはいいが、あまりにも仕事が出来ないそうだ。「レヴォネに出来たなら俺にも出来る!!」と大口を叩いていたのに僅か3日で通常業務すら滞っている始末で、補佐官達が駆け回っているらしい」
追放されてから宰相の仕事がどうなっているのか聞くのは初めてだ。協力者から随時様々な情報が送られていたものの、政務の進捗は極秘扱いにされる事が多く、あまり情報が入って来なかった。どうやら現状は思ったより酷いらしい。
「そんな状況でも大口を叩いてしまったから応援を寄越せとは本人から言い出せないらしい。代わりに補佐官達が人員確保の嘆願を出しているようだが、芳しくないな。宰相代理は肥え太っていたのが休み無しで働いているお陰か随分痩せているそうだ」
「健康には良かったんじゃないか」
「違いない。……今頃、中央の連中は君の価値に気が付いているだろう。乞われたら許してやるつもりなのかい?」
蒼い瞳が俺を見る。まるで俺を試すように。
自分の名誉が回復したらそこで終わりで良いわけがない。シガウスがどんな答えを望んでいようと俺の答えは既に決まっている。
「まさか! 謝ったくらいで許すわけないでしょう? 彼等は私の誇りを踏み躙った。ならば、同じ目に……いや、それよりももっと酷い目に遭わせてやらねば」
そうだ。奴らは「私」の矜持を踏み躙り奪い去った。嫌がらせを掻い潜りながら大量の仕事に追われ、国の為にと名を表に出さずとも様々な功績を立てたというのに、こちらの話を聞きもしないで一方的に悪人扱いされて追放されたのだ。ただ謝ったくらいで許す訳がない。
追いやった連中には相応の償いをしてもらおう。俺にはそれを実現出来るだけの力がある。そして、シガウスや王都にいる者の協力が得られる事で仕込みはより盤石となるだろう。
毒というものは使いようなのだ。少量ならば薬にもなる。
甘言に踊らされる愚か者も、国を喰い荒らす毒虫もこの国には必要ない。
「この国に薄汚い毒蟲など要らない。私は、私という毒を以って国を正しましょう」
意図して笑んでやれば、シガウスの目が微かにだが見開かれる。そして応えるように再び浮かぶのは獰猛な笑みだった。
◆◆◆
「私は、私という毒を以って国を正しましょう」
艶やかに微笑む美しい青年を見て、シガウスの背筋をぞわりとしたものが撫でた。セイアッドの父であるセオドアとはそれなりに交流があったが、あの男が時折見せた笑みにそっくりだったからだ。
「……その気概が気に入った。我がスレシンジャー家は宰相セイアッド・リア・レヴォネ卿に協力を惜しまないと約束しよう」
確かな畏怖を覚えつつも、同時に楽しくて仕方がなかった。初めは可愛い愛娘を追い遣った愚か者共に対する制裁を行う為の手駒にするつもりだったが、どうやら逆のようだ。久しく感じなかった感情は胸の奥から沸き立ち、彼になら使われてやっても構わないかとまで思った。
「……君の復讐劇、楽しませてもらうぞ」
「存分に」
握手を交わしながら再び艶やかに笑む青年は美しい。王都に居た頃は酷い状況だったが、これが本来の彼の姿なのだろう。
自らの息子や表立って騒いでいる者、水面下で動いている者、と彼の信奉者が沢山いるのも頷ける。彼等はセイアッドの状況に憤って冤罪を晴らそうと精力的に、また密かに動いているのだから。そして、好色で有名な貴族共が、諸外国の者が、挙って忙しそうに蠢いているのはこの為か。理由がわかってひっそりとシガウスは溜息を零す。
セオドアもまた美しく聡明な男だった。セイアッドとの違いは彼は自らの美貌を武器として振るう事に何の躊躇もなかった事だろう。その為に彼の周りには狂信者のような者が沢山いたものだ。
シガウスは学生時代に生徒会の先輩後輩としてセオドアと一年程過ごした事があるが、その時分からセオドアを巡ったトラブルは時折耳にしていた。彼の婚約が決まった時には信者達は暫く泣き暮らしていたらしい。そんな連中がセオドアの忘れ形見を欲するのは自明の理なのかもしれない。
セオドアよりも更に中性的な美貌は瑞々しく、透き通るような白い肌も漆黒の髪も魅力的だ。魔術師の家系のせいか細身の体は庇護欲と加虐心を唆る。
何より素晴らしいのはその眼だ。セオドアの血を色濃く受け継いだ月光のような銀色の瞳は王都にいる時は澱んでいたが、今は潑剌と輝いている。これに真っ直ぐに見つめられて魅了されない者なんていないだろう。
正に魔性。これを自らの手に囲い込み、独り占めに出来たなら。そんな想像に再び背筋が震える。
もっと下卑た想像をする連中なんて山程いるだろう。失脚した者の末路は悲惨だ。実際、美しいこの青年を手に入れようと画策している者は幾人もいる。
どうやらセオドアとは違い、セイアッドはそういった方面の危機感は薄いようだ。自分がそういった対象にされているなんて思いもしないのだろう。その警戒心の薄さがまた唆る、などと考えたところでシガウスは思考を打ち切った。
外から馬のいななきが聞こえてきたからだ。
セオドアとのもう一つの違いは番犬がいる事だろう。それも、恐ろしく凶暴な狂犬が。
シガウス自身、レヴォネ領を訪ねた時にオルテガがいた事に酷く驚いたものだ。それもあのように見せ付けてくるとは。あれが傍にいるならば、如何なる者でもそう易々とは手が出せないだろう。
間も無くやってくるであろう男の反応を楽しみにしながらシガウスは一人笑みを浮かべた。
会談する前は難航すると思っていたシガウスとの話し合いだが、俺が思ったよりもずっとスムーズだった。それだけシガウスも不満を抱えていたのだろう。大まかな情報交換と現状の相談、それからどう動くのか軽く話し終えると彼は王家について愚痴を零し始めた。
もともと王弟派であったシガウスはライドハルトとレインの婚約にも乗り気ではなかったらしい。そこをリンゼヒースにも説得されて仕方なく折れたのだという。
「親の心子知らず、なんて良く言ったものだな。陛下も馬鹿な息子を持ってお気の毒な事だ」
そう言いながらシガウスは鼻で笑う。お気の毒だなんて絶対に思ってないだろう。むしろ、ざまあみろくらい思ってそうだ。
この領地に来てからスレシンジャー父娘の様子を見ていたが、シガウスはレインをとても可愛がっているのが見てとれた。可愛い愛娘が一方的に冤罪をふっかけられて向こうから望まれた婚約を破談にされれば腹も立つのだろう。それこそ、国をひっくり返しても良いと思う程に。
「はっきり言うが、私は現国王に何の感情も抱かないし、ライドハルトの愚か者に国を任せられるとは思わん。やはり初めからリンゼヒースが継ぐべきだったんだ」
深い溜息をつくシガウスの言葉に苦笑する。確かにそうすればもっと国は安定していたかもしれない。しかし、前国王が流行病で崩御した時、リンゼヒースは15歳で周辺国に遊学中だった。対するユリシーズはずっとローライツ王国内で跡継ぎとして育てられ、年齢も25歳と王位を継いでも違和感のない年齢であった。
玉座の空白を作る訳にもいかず、リンゼヒースがまだ成人していない事と本人が王位継承権を辞退した事で必然的にユリシーズが国王となったのは十年前だ。
「当時の状況では致し方なかったのでは?」
「それはそうなんだが、未成年の者が王位を継いだ前例がない訳ではないだろう」
確かに国の歴史を紐解けばそういった事例はいくつかあった。だが、その場合は他に継げる者がいなかったり、あるいはいても健康状態に問題があったりとそれぞれ理由があった筈だ。長子であるユリシーズが健在なのに次子であるリンゼヒースが王位を継いだらそれはそれで争いの元になっただろう。
「たらればの話をすればキリがない。大事なのはこれからの事でしょう」
「そうだな。冬までには決着をつけたいところだが……リア、君はどう考えている?」
「私はもっと早く終わらせるつもりだ。今年は厄災の年でもある。出来るだけ早く決着をつけて備えたい」
事態が解決した所で俺が政治の場に戻るかどうかは分からないが、根回しやアドバイスは出来る。現状では表立って動けない分、どうしてもやりたい事に制限が出ていた。
食糧や医療品の確保、伝染病が発生した地域に派遣する者の選定、原因究明を行うチームの編成、その後発生するであろう魔物の集団発生への備え……。やる事なんて山のようにあるが、どうせ王太子が選んだという宰相代理はそこまで手が回らないだろう。そもそも忘れてるんじゃないか?
遅くなればなる程、備えが間に合わず冬の脅威が大きくなる。その事をわかっている者がいるのだろうか。信頼出来る者に人材の情報収集を任せてはあるが、それまでに俺が戻れなければ意味がない。
「では、決戦は夏か」
「そのつもりだ。祝夏の宴を利用しようと思っている」
シガウスの言葉に頷いて見せれば、彼も納得したようだった。
祝夏の宴というのは毎年夏の初めに開かれる盛大な宴の一つだ。いうなれば、社交シーズンの幕開けを告げる宴であり、この夜会以降王都に集まった多くの貴族があちらこちらで夜会や茶会が開いて交流や人脈作りに精を出す。
祝夏の宴には国王はもちろんの事、ラソワ国の連中もいるし、比較的近隣の国からは大使や代理人が参加している。国王の生誕祭に比べれば多少の規模は劣るものの、やり返すには十分な舞台だ。
「賛成だ。準備は間に合うのか?」
「抜かり無く。王都にいる方に協力が仰げるなら備えはより盤石になるでしょう」
元々は俺独りで立ち向かうつもりでいたのだ。王都に協力者はいるものの、彼等に不利益が降り掛かってはいけないと表立って動いてもらってはいない。されど、それ以外の味方がいるというこの状況を利用しない手はない。予想外の追い風は上手く捉えられれば全てにケリをつける事が出来るだろう。
「ふむ、その辺は私が繋ぎをしよう。必要な事があるならば紙に書いてまとめてくれ」
「承知した。明日には渡せるようにしておく。それからお聞きしたい事が一つあるんだが……」
「なんだ?」
「私の補佐官達がどうしているかお伺いしたい」
追放された時の憂慮の一つが彼等の存在だ。ある程度の情報は入ってきているが、詳細が分からない。セイアッドに一番近かったのは手足となって働いてくれていた彼等だ。彼等が巻き添えをくって不利益を被っていないかどうかずっと心配していた。
「君の断罪を受けて憤慨しながら職を辞した者もいるが、君の補佐官達の多くは宰相代理を手伝っているよ。その殆どが嫌々ながらに仕方なく、必要最低限のようだがね」
シガウスの返答にホッと息を零す。同時に俺の意志を汲んでくれていた者が多かった事にも安堵する。
政治の空白が生まれればその皺寄せが向かうのは民の生活だ。補佐官達はある程度仕事のノウハウを知っているから彼等までいなくなったらそれこそ国が回らなくなってしまう。
「意図を汲んでくれる優秀な者が多くて助かります」
「そう思うならさっさと王都に戻る事だな。そのうち爆発するぞ」
「と言うと?」
「君の補佐官の一人に私の息子がいる事は知っているだろう? あれが言うには残った者達の間で日に日に不満が募っているそうだ」
彼のいう息子というのは私の筆頭補佐官を務めてくれていたルファス・ラディ・スレシンジャーの事だ。非常に優秀で仕事を助けられた事もしょっちゅうだが、どうやら彼も補佐官として残ってくれているらしい。
「君の追放にラディは怒り心頭だからな。あれは君の信奉者だったから」
シガウスの言葉に軽く首を傾げる。筆頭補佐官という事で彼と過ごす時間はそれなりに多かったが、そんな素振りは見られなかった。良く「休んでください」と叱られたくらいだ。
「たまに家に寄ればレヴォネ卿が如何に素晴らしいか、陶酔しながら君への賛美しか囀らなかったぞ」
初耳の話に戸惑っていれば、シガウスは深い溜息をつく。
「全く、レインといいラディといい揃って君に心酔しているから参ってしまう。いっそ君の事をうちの子にするか悩んだんだぞ」
「ええ……」
本気か冗談か分からずに困惑する俺に、シガウスはにやりと笑って見せる。過ごした時間で多少なりともシガウスの機微が読めるようになってきたが、これは半分くらいマジなやつだ。
「私の事はサーレお父様と呼んでもらおうか」
「勘弁してくれ……」
溜息混じりに呟けば、シガウスは残念だと肩を竦めながら嘯く。同意したら本気で養子縁組くらいしてきそうだな、この人は……。
「それで、何故不満が募っているんだ?」
話題を切り替えようと脱線した話を元に戻す。どうにも気に入られすぎている気がするんだが、俺の気のせいだろうか。
「ライドハルトが選んだ宰相代理が誰かは知っているな」
「ええ。私の敵対派閥にいた者だろう。うちと同じ侯爵家の……」
「そうだ。それが宰相代理に就いたのはいいが、あまりにも仕事が出来ないそうだ。「レヴォネに出来たなら俺にも出来る!!」と大口を叩いていたのに僅か3日で通常業務すら滞っている始末で、補佐官達が駆け回っているらしい」
追放されてから宰相の仕事がどうなっているのか聞くのは初めてだ。協力者から随時様々な情報が送られていたものの、政務の進捗は極秘扱いにされる事が多く、あまり情報が入って来なかった。どうやら現状は思ったより酷いらしい。
「そんな状況でも大口を叩いてしまったから応援を寄越せとは本人から言い出せないらしい。代わりに補佐官達が人員確保の嘆願を出しているようだが、芳しくないな。宰相代理は肥え太っていたのが休み無しで働いているお陰か随分痩せているそうだ」
「健康には良かったんじゃないか」
「違いない。……今頃、中央の連中は君の価値に気が付いているだろう。乞われたら許してやるつもりなのかい?」
蒼い瞳が俺を見る。まるで俺を試すように。
自分の名誉が回復したらそこで終わりで良いわけがない。シガウスがどんな答えを望んでいようと俺の答えは既に決まっている。
「まさか! 謝ったくらいで許すわけないでしょう? 彼等は私の誇りを踏み躙った。ならば、同じ目に……いや、それよりももっと酷い目に遭わせてやらねば」
そうだ。奴らは「私」の矜持を踏み躙り奪い去った。嫌がらせを掻い潜りながら大量の仕事に追われ、国の為にと名を表に出さずとも様々な功績を立てたというのに、こちらの話を聞きもしないで一方的に悪人扱いされて追放されたのだ。ただ謝ったくらいで許す訳がない。
追いやった連中には相応の償いをしてもらおう。俺にはそれを実現出来るだけの力がある。そして、シガウスや王都にいる者の協力が得られる事で仕込みはより盤石となるだろう。
毒というものは使いようなのだ。少量ならば薬にもなる。
甘言に踊らされる愚か者も、国を喰い荒らす毒虫もこの国には必要ない。
「この国に薄汚い毒蟲など要らない。私は、私という毒を以って国を正しましょう」
意図して笑んでやれば、シガウスの目が微かにだが見開かれる。そして応えるように再び浮かぶのは獰猛な笑みだった。
◆◆◆
「私は、私という毒を以って国を正しましょう」
艶やかに微笑む美しい青年を見て、シガウスの背筋をぞわりとしたものが撫でた。セイアッドの父であるセオドアとはそれなりに交流があったが、あの男が時折見せた笑みにそっくりだったからだ。
「……その気概が気に入った。我がスレシンジャー家は宰相セイアッド・リア・レヴォネ卿に協力を惜しまないと約束しよう」
確かな畏怖を覚えつつも、同時に楽しくて仕方がなかった。初めは可愛い愛娘を追い遣った愚か者共に対する制裁を行う為の手駒にするつもりだったが、どうやら逆のようだ。久しく感じなかった感情は胸の奥から沸き立ち、彼になら使われてやっても構わないかとまで思った。
「……君の復讐劇、楽しませてもらうぞ」
「存分に」
握手を交わしながら再び艶やかに笑む青年は美しい。王都に居た頃は酷い状況だったが、これが本来の彼の姿なのだろう。
自らの息子や表立って騒いでいる者、水面下で動いている者、と彼の信奉者が沢山いるのも頷ける。彼等はセイアッドの状況に憤って冤罪を晴らそうと精力的に、また密かに動いているのだから。そして、好色で有名な貴族共が、諸外国の者が、挙って忙しそうに蠢いているのはこの為か。理由がわかってひっそりとシガウスは溜息を零す。
セオドアもまた美しく聡明な男だった。セイアッドとの違いは彼は自らの美貌を武器として振るう事に何の躊躇もなかった事だろう。その為に彼の周りには狂信者のような者が沢山いたものだ。
シガウスは学生時代に生徒会の先輩後輩としてセオドアと一年程過ごした事があるが、その時分からセオドアを巡ったトラブルは時折耳にしていた。彼の婚約が決まった時には信者達は暫く泣き暮らしていたらしい。そんな連中がセオドアの忘れ形見を欲するのは自明の理なのかもしれない。
セオドアよりも更に中性的な美貌は瑞々しく、透き通るような白い肌も漆黒の髪も魅力的だ。魔術師の家系のせいか細身の体は庇護欲と加虐心を唆る。
何より素晴らしいのはその眼だ。セオドアの血を色濃く受け継いだ月光のような銀色の瞳は王都にいる時は澱んでいたが、今は潑剌と輝いている。これに真っ直ぐに見つめられて魅了されない者なんていないだろう。
正に魔性。これを自らの手に囲い込み、独り占めに出来たなら。そんな想像に再び背筋が震える。
もっと下卑た想像をする連中なんて山程いるだろう。失脚した者の末路は悲惨だ。実際、美しいこの青年を手に入れようと画策している者は幾人もいる。
どうやらセオドアとは違い、セイアッドはそういった方面の危機感は薄いようだ。自分がそういった対象にされているなんて思いもしないのだろう。その警戒心の薄さがまた唆る、などと考えたところでシガウスは思考を打ち切った。
外から馬のいななきが聞こえてきたからだ。
セオドアとのもう一つの違いは番犬がいる事だろう。それも、恐ろしく凶暴な狂犬が。
シガウス自身、レヴォネ領を訪ねた時にオルテガがいた事に酷く驚いたものだ。それもあのように見せ付けてくるとは。あれが傍にいるならば、如何なる者でもそう易々とは手が出せないだろう。
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