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第1章

13話―不幸は続くものですよね。

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 ネリージャの脅威が去ったと思ったら、新たな怪物が現れた。
 固まる私と守るように肩を抱いてくれるレンくん前には、さっきのネリージャと大差ない巨大な白い狼が悠然と立っている。
 今度こそ終わったと思った。
 せっかく異世界で第二の人生を謳歌しようと思っていたのに、まだまだ食べたい料理だって沢山あったのに、恋だってしたかったし、デートだって……ゆくゆくは大好きな人と結婚だってしたかった。
 様々な思いが涙と一緒に流れ落ちた。
 狼が一歩踏み出す。
 せめて噛まずに丸飲みでと願った時、私の頭からワサビちゃんが飛び出した。
 ふよふよと飛び上がり、あろうことか狼の鼻先へぴとっとくっついた。

「ホルケウ様あ~。もぅ駄目かと思いましたぁ~」

 と、えんえん泣きながら頬をスリスリしているではないか。

「へ?」
「は?」
「え?」

 私、レンくん、アルクさんの声がハモって響く。
 メアリはその時、恐怖のあまり気絶していて、三人の見事なハーモニーを耳にすることは無かったのだった。


 動けない……これが恐怖なのか……。
 アルクとレンは、突如現れた巨大な狼を前にして、指の先すら動かせずにいた。
 ネリージャとは互角に戦ったレンだったが、今目の前にいる怪物は次元が違う。
 相手の放つ魔力を伴ったプレッシャーだけで身動きが取れないのは初めてだった。
 アルクに至っても同様だ。
 二十五とまだ若いが、王宮の騎士団長の一人にまで登りつめた男だ。レンの歳には戦場も経験していた。
 魔物との戦闘も何度も経験済みだった。
 それがこの様だ。
 目の前でえみとレンが獣の脅威にさらされているのに、抜刀するどころか足を踏み出すことすら出来ない。
 自分の無力さに腹が立った。
 獣が身動きする。
 アルクですら二人の死を覚悟した時、ワサビが飛び出して獣にへばりついた。
 極度の緊張の中のワサビの行動であったのだ。
 三人が間抜けな声を上げたのも無理はない。


「ワサビちゃん、知り合いなの?」

「ホルケウだ。四聖獣の。風を司る聖獣と言われてる」

 レンくんの緊張を含んだ声が、目の前に悠然と佇む狼の存在の大きさを物語っている。
 と言うことは、風の精霊であるワサビちゃんの上司という事だ。
 私は改めて狼を見つめた。
 真っ白で綺麗な毛並みは少し硬そうに見える。
 ピンと立った耳に通った鼻筋。
 こちらを見つめる黄金色の瞳は強さを感じながらとても美しく光っている。
 神々しいとは、きっと彼のことを言うのだろうな。

「チビよ。お前はいつの間に主人を得たのだ」

 頭に直接響くような声だった。
 ワサビちゃんはようやく泣き止み、涙を両手で拭いながら答える。

「えみ様はワサビに名前と魔素をくださいました。だからお側にいると誓ったのです」

「ほぉ」

 ホルケウさんの視線が私へ向けられ、何となくペコリとお辞儀しておいた。

「で?  ぬしらはいつまで縮こまっているのだ。我にぬしらを害する理由はない」

 言われて初めて自分達の状況を理解した。
 レンくんは慌てて私を離すと顔を背けてしまった。耳が赤いのは私も同じだったから言わない事にする。
 ゆっくり立ち上がると、何とか足に力を入れる。
 ワサビちゃんが私の肩へ戻ってきた。いつもの定位置にちょこんと座る。

「あの、ホルケウさん。助けてくれてありがとうございました」

「よい。チビを…ワサビを助けたまでのこと。礼には及ばぬ」

 アルクさんが気絶したままのメアリを連れて側までやってきた。
 レンくんに彼女を託し、ホルケウさんに向かって最上礼を施した。

「私どもはここ、アルカン領の一族、アルク・ローヴェン・アルカンと申します。此度の事、誠にお礼申し上げます」

「よい。領主の息子よ。礼はすでに受けた」

「ホルケウ殿。突然で無礼は承知です。ですがわからない事が多すぎて、正直困っています。厚かましいとは思いますが、我々に少しお時間を頂きたい。場所を変えてお話出来ませんか?」

 緊張して話すアルクさんが珍しく、二人のやり取りをレンくんと共に見守る。
 ホルケウさんは一度私を見るといいだろうと承諾した。


 ハンナさんとルファーくんの待つ樹まで戻る事になったのだが、せっかく集めた木の実が、ネリージャ騒ぎで散々なことになってしまった。
 私のかごは空っぽだし、メアリのかごも倒れた時に落としてしまい、半分以下になっていた。
 せっかく来たのにとがっかりしていると、ワサビちゃんがホルケウさんにうるうるしながら「何とかしてくださぁい」と泣きついている。
 ホルケウさんはハァと溜め息をつくと、「これっきりだ」と風を使って、落ちた木の実を拾い集めてくれたのだ。
 驚いたが、嬉しさのあまりワサビちゃんと大喜びしてしまった。
 顔は怖いけど、とっても優しい上司のようだ。


 樹の下に戻ると、心配したハンナさんとルファーくんが駆け寄ってきた。
 ネリージャと戦った時の音や声がここまで聞こえていて、不安で不安でいても立ってもいられなかったようだ。
 そして、私達と共に現れた巨大な狼に、二人とも腰を抜かしてしまった。
 その後すぐにメアリも目を覚まし、ホルケウさんに驚き、腰を抜かすとという流れを終えて、皆が落ち着きを取り戻した頃、アルクさんが本題に入った。


 皆の手元には、メアリの淹れた美味しいお茶と、私が作ったマフィンとクッキーが置かれている。
 私は助けてもらったお礼も兼ねて、ホルケウさんにもそれらを差し出した。
 初め、ホルケウさんは「人の作ったものは喰わん」と言っていた。「不味い」かららしい。
 しかし、ワサビちゃんが私のご飯はとっても美味しいからと勧めてくれて、少し考えた後にマフィンに口をつけたのだ。
 ドキドキしながら見ていたが、成る程なと一人納得すると、なんと完食したのだった。
 口に合ったようで、ホッと胸を撫で下ろした。


「して、領主の息子よ。我に何を問う」

 アルクさんは一度こちらを見ると、ホルケウさんへと視線を戻した。

「えみのことです」

 わかってはいたが、改めて話題にされると何だか緊張してしまう。

「わからないことだらけで、何から聞いたらいいものかもわかりません。どんな些細な事でも構いません。『女神の代弁者』と言われるあなたなら、何か知っているのではありませんか?」

 沈黙が重い。

 時間がゆっくり過ぎているような気さえしてくる。
 ホルケウさんの視線が私へと向けられた。

「この娘は『女神の使者』だ」
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