恋仮想

小春佳代

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8.在り方

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もう決して新しくはないドアを開け、いつも最初に目に飛び込んでくるのは、真正面の窓から降り注ぐ日の光に逆光して存在する部員たち。
 左側に乱雑に保管されているのは、大きなサイズのドーム型テントが入れられた筒状の袋、テントを固定するためのペグの袋、灯火すれば雰囲気が出そうな金属製ランタンとそれに取り付けるガスカートリッジ、マトリョーシカ人形のように大きさに沿って収納されている小型の調理器具コッヘル。
 右側の灰色コンクリート壁にまばらに点在するのは、ひとつひとつのイベントがそれぞれに記されたA4用紙の数々。



「これ、願望も含めたイベントなんだよ」

 入部の翌日、講義と講義の合間に部室に訪れた私に江藤さんが教えてくれた。

「そうなんだ!」
「だから好き勝手に書いていいよ」

 優しい……、とただ事実を言ったまでの言動に対してでも異常な感動を抱く私。

 私はふわふわしながら、緑色のサインペンで用紙の上部に大きく『カフェ巡り』と書いた。

「アウトドアサークルで誰が行くのかね、それに!」
「部長うるさい」
「あ、俺行く」

 ふぇ?????

「え、え、江藤さん、カフェ好きなの……???」
「俺んとこ、ばあちゃんが昔純喫茶やっててさ」
「えー!!!初耳だ、初耳だ!」
「さすがに昨日初めて会ったんだから、そうだろうよ」

 眼鏡部長のツッコミはガン無視し、私は28歳現実世界の二人飲みの席を思い返していた。江藤さんと時間を共にする時はいつも、お酒がお供だったから。

「一緒に行ってくれるの……?」
「うん」

 夢なのかな……???

 あ、そうだ……。

 ここは、仮想空間。

 夢みたいなものだった。

「じゃあ私、莉子とかも誘ってみ……」
「江藤くーん!」

 ドアが勢い良く開かれた音がかき消される程の甲高い声が、一瞬部室内をめた。

 入って来たのは、長身、黒ストレートロングヘアー、つり目気味でお化粧ばっちりのモデルのような女性。

「良かった―、居た居た。今日ねー、突然休講になったのー、だから今から……あら?」

 このサークル内では新キャラである私に、そのロングスカート美女は目を止めた。

「部長、新しい子……?」
「はっはっはっ、そうだ!僕の魅力に導かれるように入部した、かえやんとやらだ!」
「え?は?あ!は、初めまして!き、昨日入部しました、さ、斉藤楓という者です」

 もしかしてもしかして、まだ全然まったく分かんないけど、恋の美女ライバル登場とかそういう展開ですか……???

「わぁ!かえやん噛み過ぎー、ウケる」
「はっ」

 しかも見た目通りに性格も強め!

「私は3年の小寺でーす。備品係やってまーす」
「えー!」

 そしてこの麗しいお姿で、サークル内のキャンプ用品を取りまとめる備品係をやられているなんて、ギャップも完璧!

「てゆうかすごいねー!女子入ったじゃーん!って、そうそう、江藤くん!言ってた買い出しさぁ、今から行かない?」
「あ、まじですか」
「うんうん、やっぱ江藤くんはゆくゆく備品係引き継ぐんだから、教えられる時にいろいろ教えたいじゃん」
「あざーす!」
「ってゆー、職権乱用ってことでっ」

 小寺さんはウキウキしながらそう言うと、私の目の前で江藤さんの肘辺りの腕を取った。

 あぁ、すごい、本当にそうなんだ、これが、恋のライバルってやつなんだ。

 いや、違うな。

 ライバルって何だっけ。

 私はライバルを設定してもいい立場なんだっけ。

 だって本来私なんて、江藤さんの人生に何の関係もない女なんだよ。

 可笑しな欲が空間を歪ませて、こんな仮想空間を作り上げてしまったけど。

 どっちみち江藤さんは、28歳になったら。

 純白のウェディングドレスを纏った色白のお姫様と。

 結婚するんだから。

「さー、行こ行こーっ」

 引っ張られるように部室を出て行こうとする江藤さんの背中をぼんやりと目で追いながら、この仮想空間での在り方についてまだ決め兼ねている自分に気付かされていた。

『一度でいいから付き合ってみたかったな』って、何だ。

「あ、楓さん」

 その尊い呼び掛けに、一瞬うつむきかけていた私はハッと顔を上げた。

「純喫茶、明日行こうよ」

 江藤さんはわざわざ少し戻るような角度で、ドアの隙間から顔を覗かせている。

「あ、あ、でも明日、莉子たぶん忙しいと思……」
「二人でいいよ」

 いつか終わる幸せの虚しさを恐れている場合じゃない。

「またLINEするよ」

 江藤さんからもらえる宝物を、決して取りこぼしてはいけないの。
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