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第八十四話 アトレ
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「私のことをご存じなのですか!?」
「ああ……忘れるはずもない。まさか、生きてくれていたとは……!」
彼は深いシワが刻まれた目じりに沢山の涙を貯めながら、噛みしめるように言葉を紡いだ。
やっぱりここは、私の故郷で間違いないんだ……本当に、帰ってこられたんだ!
「あの、お母さんはどこにいるんですか!?」
「……アトレは……」
「アトレ? ご老人、今確かにアトレと仰りましたか?」
「ええ。彼女の母はアトレという名じゃ」
アトレ……私達の薬屋と同じ名前だ! もしかして、自分では思い出せないくらいの深い記憶の中に、お母さんの名前が刻み込まれていて、それが薬屋の名前を出す時に出てきたというの?
きっとそうに違いない。自分で気づけていなかっただけで、私はお母さんと一緒にたくさんの人を救っていたんだ……!
「それで、アトレは……あそこに見える家におる」
「あの家ですね!」
「あ、エリン! そんなに走ったら危ないぞ!」
オーウェン様の注意の声なんて全く耳に入らないまま、教えてもらった家の中に飛び込んだ。
家の中は、驚く程ボロボロだった。家具は半分以上使い物にならなさそうだし、壁や屋根には穴が開いている。
そんな家の隅に置かれたベッドの上で、一人の女性が眠っていた。
……間違いない。この人は私のお母さんだ。私の奥底に刻まれた記憶だけじゃない……私の体の全てが、この人は間違いなく私のお母さんだと言っているのがわかるの。
「……お母さん……?」
お母さんに呼び掛けてみるも、一切の返事はなかった。
既に外は明るくなってから時間が経過しているのに、寝ているのはおかしいと思ったけど……枕元でよくお母さんのことを見てみると、明らかに普通ではない。
頬は痩せこけ、顔の一部が紫色に変色し、髪にも艶が一切無い。どう見ても、健康な人間には見えない。
「お母さん? ねえ、返事をして……お母さん!」
「……んんっ……」
「お母さん!」
「……? どちら様でしょうか……?」
「私だよ、お母さん! エリンだよ!」
「エリン……?」
なるべく顔がわかるように、シュシュと眼鏡を取ってお母さんによく顔を見せた。
お母さんは寝ぼけているのか、半分だけ開いた目で、私のことをジッと見つめる。それから間もなく、その目を丸くさせた。
「そんな……その顔、確かに面影が……いえ、あの子はもう帰ってこない……きっとこれは夢ね……あの日から何度も見た……愛する娘との幸せな時間を過ごす……夢……」
「夢じゃないよ! 私は帰ってきたんだよ!」
私はボロボロになった掛け布団の中に手を入れて、お母さんの手を強く握る。お母さんの手は、骨と皮しか無いといっても過言ではないくらいに痩せ細り、冷たくなっていた。
「暖かい……これは、夢じゃないの? 本当にエリンなの……?」
「そうだよ! ずっと……ずっと会いたかった!」
「エリン……ああ、私の愛しい娘……帰ってきてくれたのね……!」
「お母さんっ!!」
微かではあったけど、私の手を握り返してくれたお母さん。その目からは、一筋の喜びの涙が流れた。
もちろん私も嬉しくて……感情を抑えきれなくなり、子供のように声を上げて泣いてしまった――
****
「エリン、落ち付いた?」
「うん……ごめんねお母さん。やっと会えたのが嬉しくて、つい子供みたいに……」
「いいのよ。お母さんもね……あなたが帰って来てくれて、本当に嬉しいもの」
「エリン、本当に良かったな」
私が泣き止んでお母さんと話していると、まるでタイミングを見計らったように、オーウェン様が家の中に入ってきた。その隣には、先程の男性も立っている。
「オーウェン様! はい……! これも、全部オーウェン様のおかげです!」
「俺はほんの少しエリンの手伝いをしただけだよ」
「エリン、そちらの方は……?」
そうだ、お母さんはオーウェン様のことを知らないのに、勝手に話を進めてしまったわ。ちゃんと紹介をしないと!
「紹介するね! この方はオーウェン・ヴァリア様! 私の恋人で、一緒に薬屋をしているのよ!」
「恋人……? 薬屋……?」
「はじめまして、アトレ殿。ご紹介にあずかりました、オーウェン・ヴァリアと申します。彼女とは縁があり、一緒に薬屋を営みながら、交際させていただいております」
「まあ……! エリンが帰ってきただけじゃなくて、恋人まで連れてくるなんて……やっぱりこれは夢じゃないかしら?」
「お母さんってば、これは夢じゃないから!」
どうしよう、お母さんと話していると思うだけで、顔がニヤニヤしちゃう。オーウェン様の時もニヤニヤしちゃうんだけど、それとはまたちょっと違った感情なのよ。説明が難しいけど……。
「……ごめんなさい……エリン、オーウェンさん。本当はエリンを抱きしめたいし、オーウェンさんと親愛の握手を交わしたいのだけど……体が思うように動いてくれないの」
「お母さん、やっぱり調子が悪いの……?」
「お二人共、これ以上はアトレの体に障る。話の続きは、ワシの家でさせてほしい」
「……わかりました。お母さん、また後で来るから、ちゃんと休んでてね。話したいこと、たくさんあるんだ」
「ええ。ありがとう、エリン。楽しみにしているわ」
後ろ髪を引かれる思いで家の玄関まで行くと、エリン……と私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「なに、お母さん?」
「……おかえりなさい」
「っ……! うん、ただいま!」
――おかえりなさい。
それは、たった一つの言葉だというのに、お母さんのたくさんの気持ちが含まれていた。それが嬉しくて……どうしようもないくらい嬉しくて。私は涙を流しながら、大きく頷いて見せた。
「ああ……忘れるはずもない。まさか、生きてくれていたとは……!」
彼は深いシワが刻まれた目じりに沢山の涙を貯めながら、噛みしめるように言葉を紡いだ。
やっぱりここは、私の故郷で間違いないんだ……本当に、帰ってこられたんだ!
「あの、お母さんはどこにいるんですか!?」
「……アトレは……」
「アトレ? ご老人、今確かにアトレと仰りましたか?」
「ええ。彼女の母はアトレという名じゃ」
アトレ……私達の薬屋と同じ名前だ! もしかして、自分では思い出せないくらいの深い記憶の中に、お母さんの名前が刻み込まれていて、それが薬屋の名前を出す時に出てきたというの?
きっとそうに違いない。自分で気づけていなかっただけで、私はお母さんと一緒にたくさんの人を救っていたんだ……!
「それで、アトレは……あそこに見える家におる」
「あの家ですね!」
「あ、エリン! そんなに走ったら危ないぞ!」
オーウェン様の注意の声なんて全く耳に入らないまま、教えてもらった家の中に飛び込んだ。
家の中は、驚く程ボロボロだった。家具は半分以上使い物にならなさそうだし、壁や屋根には穴が開いている。
そんな家の隅に置かれたベッドの上で、一人の女性が眠っていた。
……間違いない。この人は私のお母さんだ。私の奥底に刻まれた記憶だけじゃない……私の体の全てが、この人は間違いなく私のお母さんだと言っているのがわかるの。
「……お母さん……?」
お母さんに呼び掛けてみるも、一切の返事はなかった。
既に外は明るくなってから時間が経過しているのに、寝ているのはおかしいと思ったけど……枕元でよくお母さんのことを見てみると、明らかに普通ではない。
頬は痩せこけ、顔の一部が紫色に変色し、髪にも艶が一切無い。どう見ても、健康な人間には見えない。
「お母さん? ねえ、返事をして……お母さん!」
「……んんっ……」
「お母さん!」
「……? どちら様でしょうか……?」
「私だよ、お母さん! エリンだよ!」
「エリン……?」
なるべく顔がわかるように、シュシュと眼鏡を取ってお母さんによく顔を見せた。
お母さんは寝ぼけているのか、半分だけ開いた目で、私のことをジッと見つめる。それから間もなく、その目を丸くさせた。
「そんな……その顔、確かに面影が……いえ、あの子はもう帰ってこない……きっとこれは夢ね……あの日から何度も見た……愛する娘との幸せな時間を過ごす……夢……」
「夢じゃないよ! 私は帰ってきたんだよ!」
私はボロボロになった掛け布団の中に手を入れて、お母さんの手を強く握る。お母さんの手は、骨と皮しか無いといっても過言ではないくらいに痩せ細り、冷たくなっていた。
「暖かい……これは、夢じゃないの? 本当にエリンなの……?」
「そうだよ! ずっと……ずっと会いたかった!」
「エリン……ああ、私の愛しい娘……帰ってきてくれたのね……!」
「お母さんっ!!」
微かではあったけど、私の手を握り返してくれたお母さん。その目からは、一筋の喜びの涙が流れた。
もちろん私も嬉しくて……感情を抑えきれなくなり、子供のように声を上げて泣いてしまった――
****
「エリン、落ち付いた?」
「うん……ごめんねお母さん。やっと会えたのが嬉しくて、つい子供みたいに……」
「いいのよ。お母さんもね……あなたが帰って来てくれて、本当に嬉しいもの」
「エリン、本当に良かったな」
私が泣き止んでお母さんと話していると、まるでタイミングを見計らったように、オーウェン様が家の中に入ってきた。その隣には、先程の男性も立っている。
「オーウェン様! はい……! これも、全部オーウェン様のおかげです!」
「俺はほんの少しエリンの手伝いをしただけだよ」
「エリン、そちらの方は……?」
そうだ、お母さんはオーウェン様のことを知らないのに、勝手に話を進めてしまったわ。ちゃんと紹介をしないと!
「紹介するね! この方はオーウェン・ヴァリア様! 私の恋人で、一緒に薬屋をしているのよ!」
「恋人……? 薬屋……?」
「はじめまして、アトレ殿。ご紹介にあずかりました、オーウェン・ヴァリアと申します。彼女とは縁があり、一緒に薬屋を営みながら、交際させていただいております」
「まあ……! エリンが帰ってきただけじゃなくて、恋人まで連れてくるなんて……やっぱりこれは夢じゃないかしら?」
「お母さんってば、これは夢じゃないから!」
どうしよう、お母さんと話していると思うだけで、顔がニヤニヤしちゃう。オーウェン様の時もニヤニヤしちゃうんだけど、それとはまたちょっと違った感情なのよ。説明が難しいけど……。
「……ごめんなさい……エリン、オーウェンさん。本当はエリンを抱きしめたいし、オーウェンさんと親愛の握手を交わしたいのだけど……体が思うように動いてくれないの」
「お母さん、やっぱり調子が悪いの……?」
「お二人共、これ以上はアトレの体に障る。話の続きは、ワシの家でさせてほしい」
「……わかりました。お母さん、また後で来るから、ちゃんと休んでてね。話したいこと、たくさんあるんだ」
「ええ。ありがとう、エリン。楽しみにしているわ」
後ろ髪を引かれる思いで家の玄関まで行くと、エリン……と私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「なに、お母さん?」
「……おかえりなさい」
「っ……! うん、ただいま!」
――おかえりなさい。
それは、たった一つの言葉だというのに、お母さんのたくさんの気持ちが含まれていた。それが嬉しくて……どうしようもないくらい嬉しくて。私は涙を流しながら、大きく頷いて見せた。
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