ワンダラーズ 無銘放浪伝

旗戦士

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最終章: Wanderers

第百十一伝:鬼天狗

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<研究所三階・実験室>

 三人と対峙する暴走したフィオドールは雄たけびを上げながら真っ直ぐと平重郎に向かってくる。
既に彼の姿はかつての面影など無く、ただ憎しみを撒き散らす魔獣と化していた。
右方から振るわれた鞭型の得物、蛇腹剣が刀身を分離させながら平重郎の身体に傷を負わせようと唸りを上げる。

その攻撃を空中に飛び上がる事で回避し、肥大化した左腕の攻撃を受け止める為に仕込み刀を右手に持ち替えた。
直後、凄まじい突風と共に鉄塊のような一撃が刀身に走る。

「さっきより良いじゃねェか」

平重郎は眉一つ動かさず、身体を一回転させてから下駄を履いた右脚でかかと落としをフィオドールの脳天に叩き込んだ。
鉄のような堅牢な感触に思わず顔を顰めるが、構わずに足を振り抜く。
強制的にフィオドールの顔面は地面に叩き付けられ、再度土煙が周囲に立ち込めた。

「そんなんで沈むタマじゃねェだろう? 」

その声に応えるかのようにフィオドールは身体を起こし、真っ直ぐに平重郎を捉える。
彼の行動がより一層癪に障ったのか、咆哮を上げながら蛇腹剣の刃を分離させた。
フィオドールは暴走する本能にかき消され、ただ右手の中にある得物を振り上げる。

だが。
彼は忘れている。
怒り狂う野生の本能に理性を奪われ、平重郎の他にあと二人ほどの相手がいる事に。

「止めさせて貰う! 」
「こっちだ、化け物ッ! 」

ハインツとレーヴィンの両者が彼の前に飛び出し、迫っていた巨大なクローと蛇腹剣の刀身を弾いた。
2人が創り出した一瞬の隙を突くように平重郎は中腰の姿勢から地面を蹴り、血走った双眸のフィオドールと真正面から対峙する。

「――――居合」

思わず平重郎は、そう口にした。
目の前の敵は彼の全力を尽くさなければ倒せない。
故の集中。
長年培われてきた勘と極限にまで研ぎ澄まされた感覚を用いり、平重郎は仕込み刀の柄を握り締める。

愛刀を引き抜いた瞬間、一瞬だけ時が止まったような感覚に陥った。
神速の閃光がフィオドールの顔面に走り、途端に鮮血が噴き出す。
苦悶の咆哮を一瞥しながら彼は顔を抑え、周囲にいた三人を吹き飛ばした。

平重郎の一閃により、再生が追い付いていない。
魔獣の力による自動治癒の能力よりも速く斬撃を加える事が出来れば、の話だが。

「鬼天狗! 無事か! 」
「問題ねェ……! それよりも自分の事に集中しろォ! 」
「だが――ッ!? 」

ハインツが何か言い掛けようとしたその時、暴れ狂ったフィオドールの義手が彼の胴体に直撃する。
再度壁に叩き付けられ、苦悶の声を上げた。

「ハインツ! 」

彼を助け出そうとレーヴィンは真っ直ぐフィオドールの下へ駆ける。
迫る彼女へ蛇腹剣の刃が唸りを上げて殺到するが、装備した盾と愛剣を駆使して躱した。

「その手を離せェッ!! 」

レーヴィンの剣がフィオドールの肩口を捉え、再度血の雫が周囲を舞う。
僅かばかり義手の拘束が弱まり、ハインツも対峙した獣の腹部に蹴りを浴びせた後に左手の中にあった剣を振るった。

「やるな、フィオドール……! 」

人工魔獣の力のお蔭か、不思議とハインツの神経は痛みを伝達しない。
否、既に感覚が死んでいると言った方が正確か。
体勢を立て直した拍子にハインツはがら空きになったフィオドールの鳩尾へ剣を突き立て、銀色の刀身が彼の身体を貫いた。

咆哮と同時にハインツは無理やり引き剥がされ、得物の柄を手放してしまう。
だがすぐ傍にいたレーヴィンが胸部に突き刺さったハインツの剣を引き抜き、怒涛の連撃を見舞った。
その様子を見ていた平重郎も再度戦闘に参加し、空いていたフィオドールの右方へと飛び込む。

彼の狙いは蛇腹剣を握る右手だった。
刃の軌道が不規則すぎる故、平重郎の弱点となり得るからだ。

「お姉ちゃん、退いてなァ」

二刀の連撃を叩き込んでいたレーヴィンは彼の声に応え、左方へ身体を移動させる。
二振りの剣がフィオドールの巨大な義手を鍔競り合う光景を一瞥し、平重郎は再度仕込み刀を抜刀した。

骨を断つ不気味な感覚が彼の右手に走るが、そのまま刀を振り抜く。
切り口から大量の血を流しながら蛇腹剣を握った右手が斬り落とされ、ゴトリと鈍い音が響いた。

それでもフィオドールは抵抗を止めない。
痛みに耐える叫び声を上げながらレーヴィンの拘束を解き、彼女を殴りつけた。

「レーヴィン! 」
「構うな……ッ!! 」

義手のクローが彼女の鎧の隙間に入り込み、脇腹に一撃を浴びせる。
想像を絶する痛みがレーヴィンを襲うが、フィオドールの狙いは彼女ではない。

左方から迫る血濡れたクローをいち早く察知し、平重郎は本能的に刀を振り上げる。
鋼がぶつかり合う甲高い音を耳にしながらクローは弾かれ、彼は飛び上がった。

「言っただろう、遅ェってな」

綺麗に義手の上に着地しながら身体を捻転させる勢いで刀を横一文字に振り抜き、愛刀の刃がフィオドールの首筋を捉える。
直後彼はフィオドールの左頬を足掛かりにして再度宙を舞うと、地面に着地した。
平重郎の降り立った地点に体勢を立て直したレーヴィンとハインツが集まり、3人は再びフィオドールと対峙する。

「お二人さん、左右から攻めてくれ。止めは俺が決める」
「承知した」
「……終わらせてやろう」

レーヴィンはハインツに彼の両刃剣を受け渡すと、その場に留まっている目の前の獣へ視線を向けた。
ヴィルフリート王と同じ結末になるとは。
そんな事を思いながら、憐みの感情が彼女の視線に付随する。
斬り落とされた右腕は徐々に再生し、肌色の腕が姿を現した。

「来るぞ! 」

完全に人工魔獣の力によって汚染された腕は鞭のように伸び、三人の足元を殴りつける。
その瞬間に彼らは宙を飛び、単純極まりない攻撃を躱しながらレーヴィンとハインツはフィオドールの懐へ入り込んだ。
両者の剣が右腕と左腕を斬り落とす。
返り血を浴びながらも二人は最後にやって来た平重郎の為に左右へ飛び退き、両腕を失った彼と平重郎は対峙した。

そんな事を口にしながら、平重郎は全身の力を抜く。
腕を切断されても尚抵抗の意思を見せ、向かってくる獣に双眸を向けながら。

「――あばよ、兄ちゃん」

両者は一度だけすれ違い、互いに背中を向ける。
赤い雫が付着した刀身を一度だけ振り払うと平重郎は手にした鞘に刀を納め始めた。
そして刀が完全に納刀され甲高い音が周囲に響いたその瞬間。

「斬り捨て――御免」

フィオドールの全身が真っ二つに割れ、ようやく彼はその生涯を閉じる事が出来た。
斬り捨てられた二つの死体が鈍い音が彼らの耳に響く。

「……地獄で会おうや。その時にゃまた殺し合ってやるよ」

独り言を呟きながら、今度はハインツに視線を向ける。
レーヴィンも覚悟を決めていたようで、愛剣の切っ先を彼に向けたまま動かない。

「さて、どうする? このまま俺達と戦り合うかい、騎士の兄ちゃんよ」

だが、ハインツの答えは彼らの予想を覆した。
手にした剣を腰の鞘に納め、二人に歩み寄ってくる。

「いや、既に勝敗は決した。レーヴィンや貴殿のような者と剣を交えて死ぬのも悪くは無いがな」
「そうかい。んじゃあ、俺達ァ先に行くぜ」
「ハインツ……」
「行け、レーヴィン。私はここで大人しく死を待つとするさ」

彼の言葉を嚙み締め、先に歩く平重郎の後に続こうとレーヴィンも足を進めようとした。
しかし、その時。

『レーヴィン! 聞こえているか! 返事をしろ! 』

彼女が首から下げていたネックレスの赤い宝玉から突如として声が鳴り響く。
後方で戦線を指揮しているゼルギウスからの通信だった。

「聞こえています、大統領。どうかなされたのですか? 」

何故だが悪寒が彼女の背筋に走る。
レーヴィンの悪い予感は、的中した。

『……防衛班の被害が甚大だ。覚悟はしておけ』
「ッ!? どうして……! 」
『君たちを研究所へ送り届けた後、彼らは此方の遊撃部隊に加勢した。だが、思った以上に敵の抵抗が強い』
「他の部隊を援護に回せないのですか! 」
『出来なくは無いが、時間が掛かる。それまでに彼らが耐えられるかどうか……』
「そ、それじゃあヴィクターや他の者はどうなるのですか!? 見殺しにしろと!? 」
『これは戦だ、個人的な戦いではない! 君も良く分かっている筈だ……! 』

ゼルギウスの声は険しい。
上に立つ指揮官としての経験がある為、彼の主張も痛いほど理解できる。
だが、受け入れたくは無かった。
背中を預けてきた戦友や自分の後に続いた未来ある騎士、そして最愛の人が死ぬのを見逃す事を。
その時、ハインツが彼女の肩を叩く。

「……力が必要なのだろう。ならば、私が力を貸そう」
「ハインツ!? 」
『ハインツ・デビュラール……!? 死んだと聞いていたが……』
「ご無沙汰しております、ゼルギウス様。再びお見受けできるとは思いませんでした」

2人の様子を見かねたのか、平重郎もレーヴィンの隣に近づいてきた。

「先ほどのお話、失礼ながら聞かせて頂きました。陛下に刃を向けた逆賊を信じて頂けるかは貴方に御任せしますが、微力ながら私も力をお貸し致します」
『……わかった。全軍に通達しておく。再びこちらに戻って来てくれた事、感謝する』
「待ってください大統領! 私がそちらに――――! 」
「そりゃァ無理な話だ、お姉ちゃん。ロイの野郎は俺たちを指名している。誰一人として欠ける事は出来ねェ」

平重郎の言葉を受け止めながらレーヴィンは顔を俯かせる。
また自分は彼に頼ってしまうのか。
自らの手で殺そうとした戦友を。
そんな感情が彼女の胸の中に渦巻く。

「……そういう事だ、レーヴィン。私に任せろ。幸い、私に与えられた力は皆を守るのに最適だ」
「だが、それでは……! お前がまた……! 」
「立ち止まっている暇などない。世界はお前たちに託す。君は私に仲間を託す。何の問題もない」

優しくハインツの手がレーヴィンの肩を叩いた。

「私を頼ってくれ、友よ。私の目を覚まさせてくれた恩返しがしたい」
「……俺もその方が最適だと思うがねェ。どうする、お姉ちゃん。時間がねェぞ」

空いた両手を握り締めながら、レーヴィンはハインツを見つめ直す。
そして着けていたネックレスを外し、彼に手渡した。

「頼む、ハインツ。私の仲間を、戦友を、恋人を救ってくれ。君の力が必要だ」
「任せろ、我が友よ」

その二言だけ交わすとレーヴィンは彼に背を向けて歩き始め、実験室の出口へと足を速める。

「……あんた、いい男だねェ」
「褒めて貰えて光栄だ。貴殿も早く行かれよ。この階を上がれば、ロイが居る筈だ」
「そうさせてもらうよ」

同じようにして平重郎も研究室の奥に消え、上の階へと向かって行った。
彼らを見送ったハインツは踵を返し、宝玉を握り締めながら入り口の方へと駆ける。

「陛下、その防衛班とやらの場所をお教え下さい。これよりハインツ・デビュラールは貴方の傘下に入ります」
『分かった。……あまり時間が無い、急いでくれ』

その言葉と共にハインツは更に走る速度を上げていく。

「さらばだ、友よ。出会えたことを、誇りに思う」

そんな言葉が、白い研究室に響いた気がした。
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