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金策

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 方針は決まった。
 生活基盤を整えながら、元の世界への転移方法を探る。
 そのあいだ異世界生活を満喫するのだ。
 元の世界へ帰るかどうかは、手段が見つかってからでいいだろう。
 別に自棄やけになったりはしていない……はずだ。

 さて生活する上で何が必要かといえば、基本は衣食住だが、残念ながらただで手に入りはしない。
 となると、まずはやっぱりお金か。
 異世界でも金銭絡みの問題からのがれることはできないようだ。
 だけどまだ異世界の常識に疎い状態で、仕事を探したりするのは大変そうなので、もうすこし情報を集めよう。

 そういえば話しかけてきた黒髪の女剣士はいつの間にか去っていた。
 いろいろ訊きたいこともあったのだが……まあ、結構な時間を考え事に費やしていたし仕方がない。
 広場には他にも大勢の人々が行きかっているし、別の人に訊ねればいいか。

 ただし誰でもいいわけじゃない。

 何も知らない世間知らずの子供と思って――というか実際にそうなのだが、騙そうとする人間も中には存在するかもしれないのだ。
 いざとなれば〈森羅万象〉があるので自己解決できるはずだが、保有魔力との兼ね合いもあるし、頭が痛くなるのが地味に辛い。
 一度に大量の新たな知識や情報を得ると、それらを記憶するために脳が一気に活性化するのが原因のひとつのようだ。
 脳細胞が死滅してるんじゃなくてほっとしたけど、精神的な負荷ストレスにはなりそうだし、できることなら使用は控えたい。

 というわけで、しばらくは魔法に頼らず異世界の住人たち観察していると、服装だけでなく人種の多様性にも気がついた。
 黒髪と褐色の肌を持つ商人らしき男が民族衣装のようなものを身に纏い、客に向かって織物を広げているかと思えば、鎧を装備した金髪の白人が槍を片手に広場に目を光らせている。
 他にも外套マントを纏った茶髪の男や、いわゆる貫頭衣チュニックと呼ばれる服を着た赤毛の少女が買い物をしていた。
 おかげでといっていいのか、僕の存在もあまり悪目立ちすることはなさそうだ。

 次に気がついたのは言語の違いだ。
 最も多いの黒髪の女剣士が話していたのと同じで今の僕にも理解できる言語だが、それ以外の言語も使われているらしい。
 ある人々の言葉だけ理解できなくて、一瞬戸惑ったが、人種や民族などが多様に存在するなら、言語や慣習なども同様にそれぞれ違っていて当然だろう。

〈森羅万象〉によって得られた知識によれば、いま僕が理解可能な言語はウルクス語と呼ばれるものだ。
 ウルクスとはこの都市の名であり、国の名前でもあるらしい。
 元は都市国家として誕生し、現在では複数の植民地や属州を有する大帝国として発展した。
 そうした結果、ウルクス語は貿易言語として、この世界で広く話されているようだ。

 というわけで〈森羅万象〉を使えばその他の言語も理解できるようになるだろうが、現状ではそこまでしなくても特に問題はないだろう。
 しかし異世界特有の言葉や知識は、うまく翻訳されないというか理解しにくい概念もある。
 だからと言って誰かれ構わず訊いてまわるのも面倒だし……。

 やっぱり安全第一で気になったものは〈森羅万象〉で調べることにしようかな。

 転移の謎を解明するつもりなので、まずはこの都市のことを知るのがいいだろう。
〈森羅万象〉を使用するため、精神を集中し魔力を思念操作する。
 周辺情報を探るように体内の魔力が放射されたあと、反射するように戻ってきた。
 どうやら今回はうまく発動したようだ。
 相変わらずの頭痛とともに、この都市の全景と概観が脳裏に浮かぶ。

 城壁に囲まれた、人口数十万人を擁する、この世界で最大級の都市。
 南側の城壁外に広がる貧民街も含めれば約百万人規模の大都市となる。
 現在地の中央広場を中心に大雑把に分けると、帝宮や貴族街がある北地区、商人街の東地区、職人街の西地区、歓楽街の南地区といった感じだ。

 一番気になっていた広場中央にある紋様は、転移門と呼ばれる魔法陣の一種ということも分かった。
 これがどこと繋がっているかというと、地下に存在する迷宮と呼ばれる異空間らしい。
 迷宮は元々古王国時代の領地として創造されたものらしいのだが、古代の王が魔術の儀式に失敗し、以来危険な魔物が跋扈する異界と化したと伝えられている。
 その際に王は崩御し、古王国は一時君主不在の空位時代を得て、現在にいたっているそうだ。

 まあ、そんな歴史は置いといて、僕にとって重要なのは、その混乱期に門の管理者がいなくなって以来、転移門の挙動は不安定な状態にあるという情報だ。
 過去に異世界と繋がったり、異世界人が現れたという話はないようだが、魔物が転移してきたことはあるらしい。
 やはりこの転移魔法陣が原因解明の鍵なんだろう。
 研究者は最奥に存在する管理用魔法陣を解析すれば、かつてのような制御可能状態にできるはずだと考えているようだが……。

 もしかして〈森羅万象〉なら最奥まで行かずとも解析できるのではないだろうか?

 再び魔法を使用してみるが、帰還方法を探ったときのようにうまくいかない。
 どうも迷宮は一種の異界というだけあって、魔法が上手く作用しないみたいだ。

 解析は失敗したが、代わりにすこし〈森羅万象〉のことが掴めてきた。
 現時点の保有魔力で、距離はこの帝都全域程度は十分に有効範囲内だが、断絶した空間や異世界などの場合、うまくいかないようだ。

 これ以上は不明なので、この問題については後でゆっくり考察するとして、都市情報に戻る。

 帝宮や貴族街などからもわかるようにウルクスには身分制度があり、貴族と平民だけでなく、自由民と不自由民、市民権の有無など様々な区分によって扱いの差がある。

 僕の身分は自由民ではあるが市民権を持たないので、ただの異邦人という扱いになるようだ。

 この場合、信用度が低く働こうと思っても、まともな職につくことは難しい。
 もっともこの都市に存在する多くの職業が同職組合ギルドを組織しており、部外者が参入するのを妨げているので、組合の人間と縁故でもない限り、そもそも仕事にありつけないのだが。

 残されているのは日雇いの肉体労働や、屑屋とか拾い屋と呼ばれるもの、物乞い、売春、盗人など。
 日雇いの仕事には煙突掃除人やごみ運搬人、荷運びなど様々だが、どれにも共通するのが重労働だが賃金が安く、なにより臨時雇いなので仕事にあぶれることが多いということだ。

 かといって物乞いや売春は嫌だ――ちなみにこの都市には男娼などもいるらしい。もちろんなるつもりはない。
 盗みは犯罪なのでこちらもなし。

 拾い屋は場所や、対象によっていくつか種類があるようで、路地裏やごみ捨て場をあさる屑拾いや、路地で野良犬や馬車馬の糞を集めて皮鞣し工などに売る糞拾いのようなものまで様々だ。
 なかでも都市の西側を流れるプラト河や下水溝を漁る溝浚どぶさらいは、鉄くずなどの金属片に混ざって、金貨や銀貨、銀食器などが見つかることもある、なかなか実入りのいい仕事らしい。
 普通はそう簡単に見つかりはしないのだが――僕には〈森羅万象〉がある。
 そう考えると手っ取り早く、一番稼げそうな仕事は拾い屋しかないか……。

 正直あまり気は進まないが、〈森羅万象〉で金目の落し物を探索する。
 発動後すぐに、都市のいたるところに発見したので、情報収集しつつ拾い集めに行く。

 中央広場はウルクスの中心部だけあって、そこに面しているのは都市神殿や市庁舎、交易取引所、各組合館など公共的な建物が多いみたいだが、南地区へ向かって大通りを歩いていると雰囲気が変わってきた。
 歓楽街に相当する南地区には酒場や宿が並ぶ宿屋通り、公衆浴場、それに巨大な闘技場などが目立つ。
 すごいな、何万人収容できるんだろ。

 りに狙われないように、注意してるつもりだけど、気がつくと観光気分できょろきょろと辺りを見渡してしまうくらい異国情緒に溢れている。
 とはいえ南地区では気を引き締めないと拙いだろうが。
 路地を一本奥へ入れば娼館が集まった娼館街など、いかにも治安が悪そうな場所にも通じているのだ。

 南地区は人通りも落し物も多く、それゆえ多くの拾い屋たちも集まって、縄張り争いをしているらしい。
 僕が拾い物をする際にはさり気ない行動を心がける。
 そのおかげか誰にも見咎められず、ある程度回収することができた。

 現在の所持金は銀貨二枚と銅貨八枚。

 ウルクスで使用されている貨幣は、主にレオル金貨、シリル銀貨、ドール銅貨の三種類で、それぞれの価値は銅貨十枚で銀貨一枚に相当し、銀貨十枚が金貨一枚に値するらしい。
 硬貨の表には皇帝の肖像と名前が、裏にはウルクスの都市神が刻印されていて、統治者を広く知らしめる役割も担っているようだ。
 ちなみにウルクスの文字は主に直線で構成されているのが特徴的な見知らぬ文字だったが、特に問題なく読むことができた。
〈森羅万象〉便利すぎるな。

 それはともかく大通りに面する高級宿に一泊するなら、最低でもレオル金貨一枚程度は必要で、一般的な宿ならシリル銀貨一枚から二枚くらいで泊まれる。
 食事は一食あたりドール銅貨五枚くらいあれば問題なさそうだ。
 現状はぎりぎり一泊できる程度か。

 やっぱり都市の西側を流れるプラト河や下水溝の溝浚いのほうが、金目の物は期待できるようだ。
 思うに、道端で落としたならともかく、河や下水溝に落とした場合、わざわざ水に浸かってまで拾おうと思う人は少ないのではないだろうか。
 特に金持ちほど、その傾向は高くなるので金貨などもそのまま放置されているというわけだ。

 まあ、その気持ちは分からなくもない。
 僕もお金に困ってなかったら、こんなことをしようとは思わなかっただろうし。
 だけどいまはそんな贅沢は言ってられない。
 さすがに下水溝の溝浚いはしないけど、河ならまだマシだ。

 プラト河は北から南へと流れる大河で、ウルクスの大切な水源のひとつでもある。
 そのため城壁に囲まれた都市内では、下水だけでなく、皮鞣し工や染色工などの工場からでる排水も流してはならないことになっているらしい。
 また多数の貨物船や材木船が行き交う港湾があり、高価な物品も扱われている。
 なにより〈森羅万象〉による情報では金貨だけでなく、宝石のついた装飾品なども発見した以上は行くしかない。
 人通りの多い道を選びつつ河へと向う。

 目的地のプラト河沿岸は、船着場以外は対して整備されておらず、誰でも河へ下りていけるようになっていた。
 ふむ、さっそく移動してきたんだけど、どうやって取ろうか?
 僕がいま履いているのは革の靴ブーツなので、このまま水に浸かりたくはないんだけど、裸足だと怪我をする危険性がある。
 もし破傷風とか、異世界の変な病気になったら助かるのだろうか?
 その危険性を考えるなら、裸足で行くのはありえないが、靴だけじゃなくて着替えの服もない……。

 うーん、どうしよう?

 しばらく河を眺めながら悩んでいると、すぐ隣に継ぎはぎだらけの服を着た子供が二人やって来た。

「どうしたんだ? なんか困ってるのか?」

 話しかけてきたのは十歳前後の男の子で、もう一人の女の子は男の子の後ろに身体を半分隠しながらこちらの様子を窺っている。

「まあ、そうだけど……なにか用?」
「おれはロイ。で、こっちは妹のエルルゥ。便利屋だ」
「便利屋?」
「靴磨きでも、落し物探しでもなんでもするぞ」

 そういってロイと名乗った男の子は手のひらを僕に向かって差し出してきた。
 えっと……もしかしてこの子達は孤児なんだろうか?
 こんな小さな歳で働いているんだし、それ以外ないか。
 可哀想ではあるが、僕もいまはお金がほとんどない。
 だからといって、こんな子供たちに働かせるのもな……。
 しょうがない。

「ほら」

 手持ちの全額を二人にあげた。

「おお! 銀貨だ!」
「すごい」

 ロイだけでなく、後ろに隠れていたエルルゥという少女も声をあげて喜んだ。
 さて、再び一文無しになったわけだが、まあいいか。
 これくらいで彼らの生活が劇的に良くなるわけでもないし、かといってこの先も関わり続けるわけでもない、偽善的な自己満足だが、見過ごすこともできなかった。
 代わりに迷いは吹っ切れた。
 靴を履いたまま取りに行くか。
 僕が河に近づくと、二人もついてきた。

「なにをするんだ?」
「落し物を拾いに行くんだよ」

 なんだか懐かれたというか、興味津々で訊ねてくる。

「どのあたり?」
「あそこ」

 僕が指をさすと、ロイが躊躇ちゅうちょなく河に入った。
 え?

「なにしてるんだ!?」
「なにって、代わりに取ってきてほしいからお金くれたんだろ?」

 あれ?
 そういえばはっきりあげるとは言ってなかったっけ。

「いや、そういうんじゃなくて――」
「やっぱり無しっていっても、もう遅いぞ」

 ロイは不服そうに言った。
 どうしよう?
 子供に仕事を頼むのは、どうかと思わないでもないが……・
 この国の社会を変革しようだなんて気も無いのに、子供に労働させてはいけない、なんていうのこそ自己満足の偽善にしかならないか。
 それなら自分の力で稼ごうとしている意欲を削ぐようなことはしないほうがいい。
 まあこれはこれで結果良しとしておこう。

「えーと……そう、まだなにを探すか言ってなかっただろ?」
「ああ、そういえば! で、なにを見つければいいんだ?」
「指環と金貨だ」
「金貨! 兄ちゃんはお金持ちなんだな~」

 ロイが感心するようにいったが、実は誰かの落し物だなんていえないな。

 その後は適当にお喋りしながら、もうすこし前だとか、右に二歩だとか的確な指示を出した結果、ものの数分で指環と金貨三枚を回収できた。
 深いところには、他にもまだいろんなものが落ちていたが無理は禁物だ。

「助かったよ、ロイ、エルルゥ。これは成功報酬だ」
「おお! 本当にいいのか!?」
「ああ、だけど孤児院だっけ? そこの院長に預かってもらうんだぞ?」

 二人――特に依頼料を落とさないようにと、河岸で待機していたエルルゥから聞いた話によると、ロイたちはやはりというか孤児で、普段は孤児院で暮らしているようだった。
 だがその孤児院はあまりお金がないのか、お下がりの古着や、物足りない食事など大変な暮らしのようで――満たされぬ者は、まず自ずから求めよ――という教えのもと、ロイたちは暇を見つけてはこうして稼いでいるらしい。

 苦労してるんだな。

 思わず二人に河で拾った金貨を、成功報酬として一枚ずつ渡しちゃったけど……大金を持たせて大丈夫かな?

「また困ったことがあったら、いつでも頼っていいぞ」
「ばいばい」

 ロイが自慢げに胸を張り、エルルゥは小さく手を振りながら別れを口にすると二人はまっすぐ帰っていった。
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