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57 血の呪い
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「ジェレミーの母は、先代侯爵に乱暴されて身籠ったと言ったんだ」
話が不穏な方向に向かっている事に、私は思わず眉根を寄せた。ドクドクと鼓動が早くなるのを感じる。
「それは……、事実、なのですか?」
「いや、恐らく虚偽だと思われる」
そう言われて、ホッと息を吐く。
「その根拠は?」
「フィルマンに調べさせた所、ジェレミーを身籠った頃に関係を持った事は確かだが、どちらかと言えば彼女の方が積極的に父に言い寄っていたらしい」
旦那様の言葉を受けて、壁際のフィルマンに視線を向けると、彼は小さく頷いた。
「父はクズだが、女性を手篭めにしたりはしない。
良くも悪くも、母以外の女性には全く執着しない人だったから。
沢山の女性と関係を持っていたが、ひととき気を紛らわせることさえ出来れば、相手は誰でも良かったんだ。
父は美しい容姿と高い地位を持っていたから、一夜限りの相手に立候補する女性は大勢いたし、無理矢理女性を襲う必要など無かったはず。
だが、これも死人に口無しで証明するのは難しい」
「酔っ払って普段と違う行動をした可能性は?」
「私もそうだが、父も酒豪だった。
しょうっちゅう浴びる様に酒を飲んでいたが、酔った姿は一度も見た事がない」
「では、その線は薄いですね」
媚薬などの薬物を飲まされた可能性は残るが、その場合は薬を盛った者が責められるべきだろう。
それに、来る者拒まずの先代侯爵に媚薬を盛るなんて意味が無い。
「その後、彼女は?」
「女はジェレミーを盾に金をせびった。
結局、余計な事を喋らない様にとレオが丁重に説得をして、ジェレミーはこちらで引き取り、手切金を渡して穏便にお帰り頂いた。
暫くは見張りの者を付けていたけれど、似た様な手口で他の貴族を強請ろうとしてトラブルになり、刺されて死んだ。
本当は、あの女が死ぬ前までは、もしかしたら彼女も私と同じ被害者だったかもって少しだけ思っていた。
だが、その末路を見ると、とてもそうは思えない」
ジェレミーの実の母が亡くなってしまった事については残念だが、ジェレミーの将来を脅かす存在になる可能性があるのならば、いない方が良いのかもしれない。
不謹慎かもしれないが、正直に言えば私は安堵していた。
悲しいけれど、世の中には、子供にとって毒にしかならない親というのが実際に存在するのだ。
旦那様は自分が性被害に遭っているからこそ、偽りの被害を訴えたその女性の事が許せないのかも知れない。
勿論、ジェレミーを売った事も許せないのだろうけど。
「この話が何処かから漏れてしまった場合、父の子として手続きするよりは、私の子としておいた方が対処がし易いと考えた」
普通ならば、以前ペネロープが経験したみたいに、高い地位を持っている侯爵家の言い分の方が聞き入れられる可能性が高い。
決してそれが正しい事とは思わないけれど、この件に限っては、そうなってくれればこちらにとっては都合が良かった。
だが、当時は加害者とされる先代侯爵は既に死亡しており、被害者を名乗る女性は生存している状態だった。
女性側が悪評を吹聴して周ったら、確実な証拠がない限り、疑惑はなかなか消えてくれないだろう。
私や旦那様の噂みたいに、酷い醜聞ほど広がり易いのも事実なのだ。
長い昔話を語り終え、旦那様は紅茶で渇いた喉を潤した。
「他に何か疑問があれば、何でも答えるよ」
「ジェレミーは、この事を知っているのですか?」
「ああ。
流石にあの女の主張全ては話せないが、私とジェレミーの本当の関係性は話してある。
あの子がウチに連れて来られたのは、二歳の頃だけど、もしかしたら、何らかの記憶が残っている可能性もあると思った。
年齢の割には聡い子だから、何かに勘付くかも知れないし、変な形で知られるよりは良いだろうと」
「そうですね」
孤児院時代には周囲に多くの子供が居た。
その子達の感じだと、二歳時の記憶は全く残って無い子が多かったと思うが、稀に一部だけ覚えているという子もいた。
私の一番古い記憶は、木造の粗末な家で、祖母らしき人物が私にカボチャのスープを飲ませてくれた記憶だ。
おそらくそれも二歳くらいの頃だと思う。
そんな日常的な光景は覚えているのに、何故か孤児院の前に置き去りにされた時の様にインパクトが強いはずの記憶は、全く覚えていなかったりする。
人間の記憶って不思議だ。
「だが、本人に真実を伝えるのが正しかったのか、今でもよく分からないんだ」
「難しい問題ですから何が正解なのかは簡単には分かりません。
でも、そんなに悩んでいるのは、旦那様がジェレミーの事を大切に想っているからでしょう」
「………………違う」
そう呟いた旦那様の明るい青の瞳には、ほんのりと暗い影が落ちていた。
「どこが違うのです?」
「……私が、ジェレミーを大事に育てていたのは、証明したかったからなんだ」
「証明?」
「この家の当主は皆んな何処かおかしい。それは、血筋に染み付いた呪いみたいに……。
だけど、まだ幼く無邪気なジェレミーを見て思った。
デュドヴァン家の血を引いている子供でも、善良でまともな人間に育つ事が出来るかもしれないと。
私は……、それを証明して私自身が安心したいが為に、あの子を利用したんだ」
苦い表情でそう言った旦那様に、深い心の闇を見た気がした。
本人にお会いした事は無いが、その所業を聞けば、彼の祖父はお世辞にも善良な人間とは言い難いだろう。
そして、愛妻家だったはずの父親も、妻を亡くした事を切っ掛けにおかしくなってしまった。
だから、ずっと、彼は恐れていたのだ。
いつか自分もおかしくなってしまうのでは無いかと。
いや……、祖父や父とは正反対に、女性を一切受け付けなくなってしまった彼は、ある意味自分自身の事も既にまともでは無いと思っているのだろうか。
自分の幼少期にソックリなジェレミーに出会った彼は、自分自身を育て直している様な気持ちで、ジェレミーを育てて来たのかもしれない。
私はテーブルの上で強く握り締められていた彼の手を取り、両手で柔く包み込んだ。
どうかこの温もりが、彼の心を癒してくれます様に。と、願いながら。
「どんな目的があろうと、旦那様が子育てに真摯に向き合って来た事実は変わりません。
利用するとか、義務感からとかだけで無く、そこには確かに愛があったと私は思います。
それはジェレミーにもちゃんと伝わっていますよ。
その証拠に、ジェレミーは旦那様の事が大好きでは無いですか」
複雑な事情を抱えているとは思えないくらい、素直に育ったジェレミー。
それはきっと、父親に愛されているという絶対的な安心感があるからだ。
それに、旦那様はきっと気付いていないのだ。
自分が普段、どんなに優しい表情でジェレミーと接しているのか。
どんなに愛しい者を見る眼差しで、ジェレミーを見詰めているのか。
旦那様は俯いていた視線をゆっくりと上げた。
そして、私と目が合うと、彼は暗く沈んでいた青の瞳を微かに細めた。
その表情は、泣いている様にも、微笑んでいる様にも見えた。
話が不穏な方向に向かっている事に、私は思わず眉根を寄せた。ドクドクと鼓動が早くなるのを感じる。
「それは……、事実、なのですか?」
「いや、恐らく虚偽だと思われる」
そう言われて、ホッと息を吐く。
「その根拠は?」
「フィルマンに調べさせた所、ジェレミーを身籠った頃に関係を持った事は確かだが、どちらかと言えば彼女の方が積極的に父に言い寄っていたらしい」
旦那様の言葉を受けて、壁際のフィルマンに視線を向けると、彼は小さく頷いた。
「父はクズだが、女性を手篭めにしたりはしない。
良くも悪くも、母以外の女性には全く執着しない人だったから。
沢山の女性と関係を持っていたが、ひととき気を紛らわせることさえ出来れば、相手は誰でも良かったんだ。
父は美しい容姿と高い地位を持っていたから、一夜限りの相手に立候補する女性は大勢いたし、無理矢理女性を襲う必要など無かったはず。
だが、これも死人に口無しで証明するのは難しい」
「酔っ払って普段と違う行動をした可能性は?」
「私もそうだが、父も酒豪だった。
しょうっちゅう浴びる様に酒を飲んでいたが、酔った姿は一度も見た事がない」
「では、その線は薄いですね」
媚薬などの薬物を飲まされた可能性は残るが、その場合は薬を盛った者が責められるべきだろう。
それに、来る者拒まずの先代侯爵に媚薬を盛るなんて意味が無い。
「その後、彼女は?」
「女はジェレミーを盾に金をせびった。
結局、余計な事を喋らない様にとレオが丁重に説得をして、ジェレミーはこちらで引き取り、手切金を渡して穏便にお帰り頂いた。
暫くは見張りの者を付けていたけれど、似た様な手口で他の貴族を強請ろうとしてトラブルになり、刺されて死んだ。
本当は、あの女が死ぬ前までは、もしかしたら彼女も私と同じ被害者だったかもって少しだけ思っていた。
だが、その末路を見ると、とてもそうは思えない」
ジェレミーの実の母が亡くなってしまった事については残念だが、ジェレミーの将来を脅かす存在になる可能性があるのならば、いない方が良いのかもしれない。
不謹慎かもしれないが、正直に言えば私は安堵していた。
悲しいけれど、世の中には、子供にとって毒にしかならない親というのが実際に存在するのだ。
旦那様は自分が性被害に遭っているからこそ、偽りの被害を訴えたその女性の事が許せないのかも知れない。
勿論、ジェレミーを売った事も許せないのだろうけど。
「この話が何処かから漏れてしまった場合、父の子として手続きするよりは、私の子としておいた方が対処がし易いと考えた」
普通ならば、以前ペネロープが経験したみたいに、高い地位を持っている侯爵家の言い分の方が聞き入れられる可能性が高い。
決してそれが正しい事とは思わないけれど、この件に限っては、そうなってくれればこちらにとっては都合が良かった。
だが、当時は加害者とされる先代侯爵は既に死亡しており、被害者を名乗る女性は生存している状態だった。
女性側が悪評を吹聴して周ったら、確実な証拠がない限り、疑惑はなかなか消えてくれないだろう。
私や旦那様の噂みたいに、酷い醜聞ほど広がり易いのも事実なのだ。
長い昔話を語り終え、旦那様は紅茶で渇いた喉を潤した。
「他に何か疑問があれば、何でも答えるよ」
「ジェレミーは、この事を知っているのですか?」
「ああ。
流石にあの女の主張全ては話せないが、私とジェレミーの本当の関係性は話してある。
あの子がウチに連れて来られたのは、二歳の頃だけど、もしかしたら、何らかの記憶が残っている可能性もあると思った。
年齢の割には聡い子だから、何かに勘付くかも知れないし、変な形で知られるよりは良いだろうと」
「そうですね」
孤児院時代には周囲に多くの子供が居た。
その子達の感じだと、二歳時の記憶は全く残って無い子が多かったと思うが、稀に一部だけ覚えているという子もいた。
私の一番古い記憶は、木造の粗末な家で、祖母らしき人物が私にカボチャのスープを飲ませてくれた記憶だ。
おそらくそれも二歳くらいの頃だと思う。
そんな日常的な光景は覚えているのに、何故か孤児院の前に置き去りにされた時の様にインパクトが強いはずの記憶は、全く覚えていなかったりする。
人間の記憶って不思議だ。
「だが、本人に真実を伝えるのが正しかったのか、今でもよく分からないんだ」
「難しい問題ですから何が正解なのかは簡単には分かりません。
でも、そんなに悩んでいるのは、旦那様がジェレミーの事を大切に想っているからでしょう」
「………………違う」
そう呟いた旦那様の明るい青の瞳には、ほんのりと暗い影が落ちていた。
「どこが違うのです?」
「……私が、ジェレミーを大事に育てていたのは、証明したかったからなんだ」
「証明?」
「この家の当主は皆んな何処かおかしい。それは、血筋に染み付いた呪いみたいに……。
だけど、まだ幼く無邪気なジェレミーを見て思った。
デュドヴァン家の血を引いている子供でも、善良でまともな人間に育つ事が出来るかもしれないと。
私は……、それを証明して私自身が安心したいが為に、あの子を利用したんだ」
苦い表情でそう言った旦那様に、深い心の闇を見た気がした。
本人にお会いした事は無いが、その所業を聞けば、彼の祖父はお世辞にも善良な人間とは言い難いだろう。
そして、愛妻家だったはずの父親も、妻を亡くした事を切っ掛けにおかしくなってしまった。
だから、ずっと、彼は恐れていたのだ。
いつか自分もおかしくなってしまうのでは無いかと。
いや……、祖父や父とは正反対に、女性を一切受け付けなくなってしまった彼は、ある意味自分自身の事も既にまともでは無いと思っているのだろうか。
自分の幼少期にソックリなジェレミーに出会った彼は、自分自身を育て直している様な気持ちで、ジェレミーを育てて来たのかもしれない。
私はテーブルの上で強く握り締められていた彼の手を取り、両手で柔く包み込んだ。
どうかこの温もりが、彼の心を癒してくれます様に。と、願いながら。
「どんな目的があろうと、旦那様が子育てに真摯に向き合って来た事実は変わりません。
利用するとか、義務感からとかだけで無く、そこには確かに愛があったと私は思います。
それはジェレミーにもちゃんと伝わっていますよ。
その証拠に、ジェレミーは旦那様の事が大好きでは無いですか」
複雑な事情を抱えているとは思えないくらい、素直に育ったジェレミー。
それはきっと、父親に愛されているという絶対的な安心感があるからだ。
それに、旦那様はきっと気付いていないのだ。
自分が普段、どんなに優しい表情でジェレミーと接しているのか。
どんなに愛しい者を見る眼差しで、ジェレミーを見詰めているのか。
旦那様は俯いていた視線をゆっくりと上げた。
そして、私と目が合うと、彼は暗く沈んでいた青の瞳を微かに細めた。
その表情は、泣いている様にも、微笑んでいる様にも見えた。
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