上 下
57 / 106

57 血の呪い

しおりを挟む
「ジェレミーの母は、先代侯爵に乱暴されて身籠ったと言ったんだ」

 話が不穏な方向に向かっている事に、私は思わず眉根を寄せた。ドクドクと鼓動が早くなるのを感じる。

「それは……、事実、なのですか?」

「いや、恐らく虚偽だと思われる」

 そう言われて、ホッと息を吐く。

「その根拠は?」

「フィルマンに調べさせた所、ジェレミーを身籠った頃に関係を持った事は確かだが、どちらかと言えば彼女の方が積極的に父に言い寄っていたらしい」

 旦那様の言葉を受けて、壁際のフィルマンに視線を向けると、彼は小さく頷いた。

「父はクズだが、女性を手篭めにしたりはしない。
 良くも悪くも、母以外の女性には全く執着しない人だったから。
 沢山の女性と関係を持っていたが、ひととき気を紛らわせることさえ出来れば、相手は誰でも良かったんだ。
 父は美しい容姿と高い地位を持っていたから、一夜限りの相手に立候補する女性は大勢いたし、無理矢理女性を襲う必要など無かったはず。
 だが、これも死人に口無しで証明するのは難しい」

「酔っ払って普段と違う行動をした可能性は?」

「私もそうだが、父も酒豪だった。
 しょうっちゅう浴びる様に酒を飲んでいたが、酔った姿は一度も見た事がない」

「では、その線は薄いですね」

 媚薬などの薬物を飲まされた可能性は残るが、その場合は薬を盛った者が責められるべきだろう。
 それに、来る者拒まずの先代侯爵に媚薬を盛るなんて意味が無い。

「その後、彼女は?」

「女はジェレミーを盾に金をせびった。
 結局、余計な事を喋らない様にとレオが丁重にをして、ジェレミーはこちらで引き取り、手切金を渡して穏便にお帰り頂いた。
 暫くは見張りの者を付けていたけれど、似た様な手口で他の貴族を強請ろうとしてトラブルになり、刺されて死んだ。
 本当は、あの女が死ぬ前までは、もしかしたら彼女も私と同じ被害者だったかもって少しだけ思っていた。
 だが、その末路を見ると、とてもそうは思えない」

 ジェレミーの実の母が亡くなってしまった事については残念だが、ジェレミーの将来を脅かす存在になる可能性があるのならば、いない方が良いのかもしれない。
 不謹慎かもしれないが、正直に言えば私は安堵していた。
 悲しいけれど、世の中には、子供にとって毒にしかならない親というのが実際に存在するのだ。

 旦那様は自分が性被害に遭っているからこそ、偽りの被害を訴えたその女性の事が許せないのかも知れない。
 勿論、ジェレミーを売った事も許せないのだろうけど。

「この話が何処かから漏れてしまった場合、父の子として手続きするよりは、私の子としておいた方が対処がし易いと考えた」

 普通ならば、以前ペネロープが経験したみたいに、高い地位を持っている侯爵家の言い分の方が聞き入れられる可能性が高い。
 決してそれが正しい事とは思わないけれど、この件に限っては、そうなってくれればこちらにとっては都合が良かった。
 だが、当時は加害者とされる先代侯爵は既に死亡しており、被害者を名乗る女性は生存している状態だった。
 女性側が悪評を吹聴して周ったら、確実な証拠がない限り、疑惑はなかなか消えてくれないだろう。
 私や旦那様の噂みたいに、酷い醜聞ほど広がり易いのも事実なのだ。

 長い昔話を語り終え、旦那様は紅茶で渇いた喉を潤した。

「他に何か疑問があれば、何でも答えるよ」

「ジェレミーは、この事を知っているのですか?」

「ああ。
 流石にあの女の主張全ては話せないが、私とジェレミーの本当の関係性は話してある。
 あの子がウチに連れて来られたのは、二歳の頃だけど、もしかしたら、何らかの記憶が残っている可能性もあると思った。
 年齢の割には聡い子だから、何かに勘付くかも知れないし、変な形で知られるよりは良いだろうと」

「そうですね」

 孤児院時代には周囲に多くの子供が居た。
 その子達の感じだと、二歳時の記憶は全く残って無い子が多かったと思うが、稀に一部だけ覚えているという子もいた。

 私の一番古い記憶は、木造の粗末な家で、祖母らしき人物が私にカボチャのスープを飲ませてくれた記憶だ。
 おそらくそれも二歳くらいの頃だと思う。
 そんな日常的な光景は覚えているのに、何故か孤児院の前に置き去りにされた時の様にインパクトが強いはずの記憶は、全く覚えていなかったりする。
 人間の記憶って不思議だ。

「だが、本人に真実を伝えるのが正しかったのか、今でもよく分からないんだ」

「難しい問題ですから何が正解なのかは簡単には分かりません。
 でも、そんなに悩んでいるのは、旦那様がジェレミーの事を大切に想っているからでしょう」

「………………違う」

 そう呟いた旦那様の明るい青の瞳には、ほんのりと暗い影が落ちていた。

「どこが違うのです?」

「……私が、ジェレミーを大事に育てていたのは、証明したかったからなんだ」

「証明?」

「この家の当主は皆んな何処かおかしい。それは、血筋に染み付いた呪いみたいに……。
 だけど、まだ幼く無邪気なジェレミーを見て思った。
 デュドヴァン家の血を引いている子供でも、善良でまともな人間に育つ事が出来るかもしれないと。
 私は……、それを証明して私自身が安心したいが為に、あの子を利用したんだ」

 苦い表情でそう言った旦那様に、深い心の闇を見た気がした。

 本人にお会いした事は無いが、その所業を聞けば、彼の祖父はお世辞にも善良な人間とは言い難いだろう。
 そして、愛妻家だったはずの父親も、妻を亡くした事を切っ掛けにおかしくなってしまった。
 だから、ずっと、彼は恐れていたのだ。
 いつか自分もおかしくなってしまうのでは無いかと。
 いや……、祖父や父とは正反対に、女性を一切受け付けなくなってしまった彼は、ある意味自分自身の事も既にまともでは無いと思っているのだろうか。

 自分の幼少期にソックリなジェレミーに出会った彼は、自分自身を育て直している様な気持ちで、ジェレミーを育てて来たのかもしれない。


 私はテーブルの上で強く握り締められていた彼の手を取り、両手で柔く包み込んだ。

 どうかこの温もりが、彼の心を癒してくれます様に。と、願いながら。

「どんな目的があろうと、旦那様が子育てに真摯に向き合って来た事実は変わりません。
 利用するとか、義務感からとかだけで無く、そこには確かに愛があったと私は思います。
 それはジェレミーにもちゃんと伝わっていますよ。
 その証拠に、ジェレミーは旦那様の事が大好きでは無いですか」

 複雑な事情を抱えているとは思えないくらい、素直に育ったジェレミー。
 それはきっと、父親に愛されているという絶対的な安心感があるからだ。

 それに、旦那様はきっと気付いていないのだ。
 自分が普段、どんなに優しい表情でジェレミーと接しているのか。
 どんなに愛しい者を見る眼差しで、ジェレミーを見詰めているのか。


 旦那様は俯いていた視線をゆっくりと上げた。

 そして、私と目が合うと、彼は暗く沈んでいた青の瞳を微かに細めた。
 その表情は、泣いている様にも、微笑んでいる様にも見えた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~

Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。 そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。 「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」 ※ご都合主義、ふんわり設定です ※小説家になろう様にも掲載しています

生まれたときから今日まで無かったことにしてください。

はゆりか
恋愛
産まれた時からこの国の王太子の婚約者でした。 物心がついた頃から毎日自宅での王妃教育。 週に一回王城にいき社交を学び人脈作り。 当たり前のように生活してしていき気づいた時には私は1人だった。 家族からも婚約者である王太子からも愛されていないわけではない。 でも、わたしがいなくてもなんら変わりのない。 家族の中心は姉だから。 決して虐げられているわけではないけどパーティーに着て行くドレスがなくても誰も気づかれないそんな境遇のわたしが本当の愛を知り溺愛されて行くストーリー。 ………… 処女作品の為、色々問題があるかとおもいますが、温かく見守っていただけたらとおもいます。 本編完結。 番外編数話続きます。 続編(2章) 『婚約破棄されましたが、婚約解消された隣国王太子に恋しました』連載スタートしました。 そちらもよろしくお願いします。

私のことが大嫌いらしい婚約者に婚約破棄を告げてみた結果。

夢風 月
恋愛
 カルディア王国公爵家令嬢シャルロットには7歳の時から婚約者がいたが、何故かその相手である第二王子から酷く嫌われていた。  顔を合わせれば睨まれ、嫌味を言われ、周囲の貴族達からは哀れみの目を向けられる日々。  我慢の限界を迎えたシャルロットは、両親と国王を脅……説得して、自分たちの婚約を解消させた。  そしてパーティーにて、いつものように冷たい態度をとる婚約者にこう言い放つ。 「私と殿下の婚約は解消されました。今までありがとうございました!」  そうして笑顔でパーティー会場を後にしたシャルロットだったが……次の日から何故か婚約を解消したはずのキースが家に押しかけてくるようになった。 「なんで今更元婚約者の私に会いに来るんですか!?」 「……好きだからだ」 「……はい?」  いろんな意味でたくましい公爵令嬢と、不器用すぎる王子との恋物語──。 ※タグをよくご確認ください※

妹と婚約者が結婚したけど、縁を切ったから知りません

編端みどり
恋愛
妹は何でもわたくしの物を欲しがりますわ。両親、使用人、ドレス、アクセサリー、部屋、食事まで。 最後に取ったのは婚約者でした。 ありがとう妹。初めて貴方に取られてうれしいと思ったわ。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

処理中です...