すみっこ屋敷の魔法使い

うめこ

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第四章:ハチミツと檸檬と子守歌

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 夜が更ける。モアはシャワーを浴びて、ネグリジェに着替えた。あとは少しお茶を飲んでのんびりして、イリスと一緒に眠る。いつものルーティンだ。

 リビングに戻って、モアは「あ」と小さく声をあげる。

 ソファで、イリスが眠っていたのだ。

 起こさないようにそろそろと近づいてみる。

 イリスは身長が高いので、ソファにその肢体は収まらない。脚が投げ出されていて、少々居心地が悪そうだ。それでもソファで寝ているから、疲れていたのかもしれない。


「ん……」


 イリスが小さく声をあげたので、モアはびっくー!と肩をふるわせる。起こしてしまったのだろうか、と咄嗟に両手で自らの口を塞いた。

 しかし、イリスは起きない。

 眉をひそめて、少し苦しそうな表情を浮かべている。夢見が悪いのだろうか。心配になってしまう。


(あ……)


 思い浮かんだのは、カリーナの子守歌。

 子守歌は、優しい眠りを誘う唄。

 イリスにも歌ってあげられないだろうか――モアはそう思ったのである。

 モアは考える。カリーナがリーサにしていたように、腕でイリスを抱くのは難しい。そうなると……。

 モアはそーっとソファに座る。そして、ゆっくりとイリスの頭を持ち上げて、自らの太ももに乗せてあげた。これなら、そのまま寝るよりも多少は楽になるだろう。

 そして、カリーナの唄を思い浮かべる。優しくて、どこか甘い歌声。歌詞は曖昧にしか覚えていないけれど……ふんわりと記憶を辿ってみる。


「イリス……」


 そっと、イリスの頭を撫でる。

 少し前まで――自分の手が、醜いものにしか思えなかった。けれど、イリスがたくさん触れてくれたその手は。いまでは、ほんの少しの臆病を残して、温かいもののように思えている。

 イリスのおかげ。

 ぜんぶ、ぜんぶ。

 どうか、イリスを苦しめる悪夢はいなくなって。イリスを苦しめないで。イリスは、私のぜんぶなの。

 イリスを撫でる手は切ないほどに慈しみが込められて。髪の毛の一本一本まで愛撫するように。甘い子守歌が、ヴェールのようにイリスを包み込む。


「ん――……」

「あ……イリス……」


 ぴく、と震えて。イリスがまぶたを開ける。

 イリスはおぼろげに、視界にモアをとらえた。ぱち、と目が合って、モアはどき、と胸が震えたのを覚える。


「モア……?」


 イリスはぼんやりと目を動かして、状況を理解したようだ。

 驚いたように目をぱちくりとさせている。


「あ……おはようございます、イリス。どうしましたか、そんなに驚いて……」

「ああ、いや……ちょっと嫌な夢を見て。やさしい声が聞こえたから手を伸ばしたら……きみの声だったんだね」

「悪い夢から覚めたのなら、なによりです」


 イリスは目を細めて、安堵したように目を閉じる。

 その顔が穏やかだったので、モアはどきっとしてしまった。自分の膝の上で穏やかに目を閉じるイリス。もう一生見ることがなさそうな光景。このまま、時が止まってくれないだろうか。そんなことを思う。


「ねえ、モア。もう少し……こうしていていい?」

「はい」

「ありがとう」


 とくん。心臓が鼓動する。

 イリスが起きてしまったから、もう唄は歌わない。けれども、こうしてイリスを見つめているだけで、穏やかな時間が流れているような気がした。今まで体験したことがないような、やさしい時間。

 そっと、イリスの頭を撫でる。

 イリスがかすかに目を開けて、また閉じる。もっと撫でてほしい、と言っているかのようで。


「モア。あとで、レモネードを飲もう。夜だから、温かいレモネードがいいかな」

「はい……イリス」
 

 こうして、二人だけの夜がやってくる。誰も知らない、やさしい夜。


 
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