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第三章

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「おはようございます、契さま」


 莉一の家から契の学校まで。交わされた会話は、これだけだった。車に乗っていた時間はそう長いものではないが、全くの無言で過ごすには少し長すぎた。

 車に乗っている間、契はずっとうつむいていた。氷高が視界にはいらないようにしていた。……彼を見てしまったら、自分がおかしくなる、そう思っていたから。

 昨晩、莉一に抱かれている間、ずっと氷高のことを考えていた。あんなに憧れていた彼に触られているというのに、昔からそばにいた執事のことばかり考えていた。氷高の何を考えていたのかと思い返せばはっきりとはわからないが、あの状況の中氷高のことで頭がいっぱいだったという事実が、契にとっては衝撃だった。

 氷高のことを、見つめることができない。氷高以外の人に抱かれることに違和感を覚えてしまう自分は、いったいなんなんだろう。もし、今ーー氷高に抱かれたら、自分はどうなるのだろう。

 でも、そんなことを考えても、氷高は何も応えてくれない。自分から手を出してきたくせに、何をしたいのかはっきりと言ってくれない。

 遊ばれていた? それにしては氷高の言葉には嘘はなかった。じゃあ、氷高はいったい何を考えていたのか。どうして今はこんなにも触れてくれないのか。


「……少し、早くついてしまったみたいですね。まだ、ほとんど生徒が……」


 悶々と契が考えていれば、車は学校についてしまった。氷高の言うとおり、生徒の影がなく、到着がいつもよりも早くなってしまったらしい。

 校門は開いている。さっさと車を出て氷高から離れたらいい。しかし、契は動かない。


「……氷高は、」

「え?」

「氷高は、なんで、……昨日、俺を止めなかった」



 契は下を向いたまま、氷高に問いかける。

 なぜ、こんなことを彼に聞いているのか自分でもわからない。けれど、胸のなかにもやもやと渦巻いている感情をどうにかして吐き出さなければ、気が狂いそうになる。


「……なぜ、って……だって、篠田さまは契さまの憧れの人で……私に、止める理由なんて、ないじゃないですか」

「……止める理由、ないのかよ!」

「……契、さま?」


 車を停車した氷高が、驚いたように目を瞠る。契がなぜ、怒っているのか理解できないといった目で。

 契は、そんな氷高の表情に腹が立った。なぜ腹が立ったのかはわからない。けれど、血が茹だるようなそんな怒りを覚えて、叫ぶ。


「俺に……俺に、あんなことしてきたくせに! 俺の、全部を奪ったくせに! それなのに、俺のことを、……欲しいって、思ってもいなかったのか!」

「なっ、……」

「なんで止めてくれなかったんだよ、なんで莉一さんのところに行かせたんだよ! 無理矢理犯してでも、拘束してでも、……止めてくれれば、よかったのに……!」


 自分でも、何を言っているのかわからなかった。それでも、言ってしまえばなぜか胸のつっかえはとれてしまった。

 ……ああ、そうか。俺は、氷高に求められたかったんだ、と。

 契はぐっと氷高のネクタイを掴んで彼をを引き寄せる。そして――触れるだけの、キスをした。


「……、契、さま」


 氷高はポカンと呆気にとられたような顔をしていた。契はそんな氷高を突き飛ばし、車を降りて出て行ってしまう。

 契が車を出て行く瞬間に、氷高は咄嗟に手を伸ばした。しかし、それを契に気付かれることは、なかった。
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