腕の折れた死体

ヨージー

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 つい先日まで緑の葉をつけていた学内の木々は、徐々に赤身がさしてきていた。暑さから逃げるように室内へ足早に移動していた頃は気づかない、屋外の変化が目についた。夜になると風が寒く感じるが、日中はまだ活動に支障をきたさない。友也は午後の二コマ目の講義を終えて、日の入りの早まりを実感していた。水曜日の最後の授業は学内で正門からもっとも遠い学部搭のため、帰り道が少し遠く感じる。ここには水曜日にしかこないが、他の学生はサークル搭があるため、頻繁に足を運んでいる。友也は入学当初のサークル紹介の熱に当てられ、どれも見学だけで終わりにしてしまった。友也は自分にとってエネルギッシュ過ぎると敬遠してしまっているが、友人からの話を聞いていると、入り損ねたサークルに未練を感じてしまう。ついサークル搭に近づいて、学生たちが集っている様子を遠目に見てしまった。帰り道へ振り返る。縁のない事柄もあるものだ、と諦めることにした。ふと既視感にとらわれた。ゆっくりサークル搭側を振り返る。そこには足早に歩く例の彼女がいた。
 友也は暗くなりはじめた学内で女学生の後をつけはじめた。まさか同じ大学に通っていたとは。しかし、他に近辺に学校がないのも事実で、近所であったわけなのだから当然といえば当然だった。彼女は今日も全身黒ずくめだった。地厚なパーカーにデニムスカートだ。彼女はサークル搭の中へ入っていく。思わず友也も建物に入ってしまう。サークル搭に足を踏み入れたのは入学初期のサークル紹介時期以来だった。比較的大きな建物で、長い通路沿いに複数の部室が備え付けられており、四階建てのようだった。部屋数を、扉の数で暗算しようとしたが、彼女が階段を上がっていくのが見えて、見失わないよう後をつけた。サークルは人数が満たないなどの理由で非公認も多い。サークル搭に空き部屋がないため、空き待ちをしている団体もあるらしい。全て幸也からの情報だった。幸也は複数のサークルに所属しており、サークル搭で木口幸也の名前を出せば、必ず知っている人物に会えるらしい。本人曰くなので、信憑性はわからないが。彼女はどうやら四階に用があるようだ。三階から上の階段を上っている。サークル搭の中で今電灯がついているのは数えるほどで、今日はあまり活動が行われていないのかもしれない。四階の通路にでると、通路に彼女の姿が見えなくなってしまった。友也は少し駆けてから左右を確認した。見失ってしまった。一本道だったのにどうして?疑問が頭を占めた。何度か振り返っていると、目前に体格のいい男子学生が迫っていた。こちらを見ている。視線を合わせたまま動けない。その時後ろから声がかけられた。
「あなた、事件のとき見たわね」
 友也が振り返るとあの彼女が仁王立ちしていた。友也が言葉を返そうとすると背中側で手首を捻られた。
「いだだ」
 近づいてきていた男による仕業だ。彼女は痛みに表情を歪ませる友也を眺めながら、最寄りの扉を開けて中に入っていく。友也もまた男に押し込まれる形で部屋に足を踏み入れた。
 友也は椅子に座らせられる。彼女が部屋の明かりをつけた。白熱灯は数度瞬くように点滅したあとゆっくり明るさを増していった。部屋は両脇にガラス戸のついた戸棚がそびえる他、机と椅子しかなかった。幸也の冗談を思い出す。もし彼女が犯人だとして後ろに控える男が共犯者だとしたら、腕を折るくらいのことはできるかもしれない。
「あなた何してるの?」
 彼女が机を挟んで椅子に腰かけた。男は座っている友也の両肩を抑え込んでいる。友也は足を踏ん張ってみたが立ち上がれそうにない。
「なにって、なにも」
 友也は内心の恐怖を隠しながら、ふてくされたようにこたえる。
「へえ、女の子の跡をつけておいて、ね」
 友也は悶絶する。そう、そうだ。内容に間違いはない。自分の方が不審者ではないか。
「いや、違う。君が事件のときに死体をいじくっていて、友達に話したら犯人かもって、それで」
 後ろ手に抑え込んでいた男が笑っているのが抑えられている手をつたってわかった。
「へえ、殺人犯を追って、こんな人気の少ない、逃げ場のないとこにきちゃったんだ」
 友也は冷や汗をかく。先ほどの恐怖と別な恐怖を感じていた。自分は捕まるのか?彼女の表現は友也が不審者であることを裏付けているように聞こえてきた。
「いや、つけるつもりはなくて、つい、というか、誰だってあんな怪しいことしてた人物気になるでしょう」
 裏手の男がこらえきれず声を出して笑い出した。
「でも、ここにきてわかった。後ろの男が共犯だったんだな。こいつなら、男の腕ぐらい折れるだろう」
 友也のとっさの言葉が部屋の空気を変えた。
「へえ、調べたんだ」
 彼女は余裕の表情で話を続けた。
「私は本庄貴音。あの事件を調べていたの」
 友也は返答に戸惑う。
「事件を調べる?どうして?」
 本庄は怪しげな笑顔を見せた。
「それはそういうサークルだからよ」
「サークル?」
「武井君離してあげていいわよ」
 友也を抑えていた力が緩んだ。
「私たちはね、所謂ミス研なのよ」
 友也は押さえ付けられていた肩をもみながら考える。ミス研、ミステリー研究会というやつか。
「だとしても、死体をあんな、調べるみたいなこと素人がしていいのかよ」
「俺もそう思うぞ、かなりヤバい奴だ」
 友也の言葉に武井と呼ばれた男が呼応した。
「それは、情報がないと調べられないのだから仕方ないでしょう。必要悪よ」
 貴音の表情の余裕が失われた。
「倫理観の問題だよ。おれは武井慎吾、よろしく」
「よ、よろしく」
 友也は現状への理解が追い付きはじめていた。友也は落ち着きを取り戻し、辺りを観察している。部屋の戸棚には本が並べられている。ミステリー小説だろうと推測できる。ほかにはファイルが何冊か並べられているようだ。部屋の印象は寒さが一番強かった。外気に接しているわけでもないのに、外にでているのと大差ない。とてもコートは脱げない室温だった。幸也から聞いたことがある。サークル搭の最上階は、窓際組らしい。下の階までは純粋に空き部屋へあてがわれて新しいサークルが入るだけだが、最上階は実績不足や、人数不足による解散予備軍と呼ばれている。何故解散させられずに居座れるかは、歴史あるサークルだったり、悪質なクレーマーになりかねないという判断だったりもするらしい。そこであてがわれるのが、設備の悪い最上階ということらしい。元々全フロアに導入されるはずだったエアコンなどの設備が、当時サークル搭を管理していた学生団体の経理ミスで、ワンフロア手付かずになってしまったらしい。そこが、時代を経ていった結果、窓際団体が追いやられ、自主的に解散申請させるための部室として利用されているとのことだった。友也は貴音が最上階に上るのを見て、人の寄り付き難い最上階を利用して事件の後始末なんかをしているのでは、と憶測していた。まさか、廃部危機のサークルに所属しているだけとは思わなかった。友也には貴音からそれだけの異彩を感じていた。少し残念な気持ちでもある。
「さて、では事件についてわかっていることを共有してあげよう」
 貴音は気を取り直して堂々と話し始めた。
「遺体があったのは繁華街とも言える駅の近い商店街から歩いて数分の住宅街ね」
貴音の視線が先ほどまでよりも鋭くなっている。住宅街は夕刻ではあっても人通りはまばらで、有力な目撃情報はあがっていない。男の死因は腹部の刺し傷で、刺されたあとうつぶせに倒れこんだため、柄が横倒しになって、傷口を広げたようだった。正面から刺されているが、比較的低い位置から刺されていたことを確認している。貴音が少しにやける。この死体の特徴的なところは、致命傷以外に外傷があること。右腕の肘から先を骨折していた。死因と直接関係はないかもしれないが、街中でどうやって腕を折ったのか興味深い。
「刺された後でどこかから突き落とされたんじゃないのか?」
 慎吾が声をあげた。
「辺りは一軒家に囲まれていて、敷地内ならともかく、不自然ね」
「殺された後で車にひかれた…とか」
 友也も控えめながら意見する。
「うーん、殺人犯と別に運転手が轢き逃げしたっていう考えね、一考の余地はあるけど、残念ながら車道には体の左側が向いていたし、腕を骨折させられる速度でぶつかってたら、遺体が移動して血痕が他にもあっただろうし、他にも打撲ができてもおかしくない」
「右腕に恨みがあった?」
「可能性限りなく低いね」
 その後もいくつかの意見がでたがあまりしっくりとはしなかった。しかし、話が進むにつれて、貴音が笑いはじめた。
「いいわね、佐切くんミス研に入れてあげるわ」
「は?」
「変態趣味がキズだけど、考えようという姿勢は採用の価値があるわ」
「だれも頼んでない」
 友也が講義すると、慎吾に肩を叩かれた。
「後をつけちゃうほどの女の子と同じサークルだ。願ってもないんじゃないの?」
「だから、ちがうって」
 慎吾との論争に貴音が手を挙げて制止を促した。
「悪いけど、今回の件、すでにあたりがついているの」
「え?」
「佐切くん、日曜日は空いているかしら?」
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