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第7章 旅立ち
7ー10 人狼たちの時間6(5日目夜2)
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「お疲れ」
「うん」
自室に戻ったナイナは道具箱に衣装類を仕舞うふりでニルマラのベッドを通り過ぎ、奥のカーテン向こうから頭の方に回って飛び出し不意に首下へ縄を回す。
「まっ……オーディ……」
何か言いかけたが一気に左右に縄を引く。
「っっ!」
ドン!
ベッドから伸ばした両足に勢いよく蹴り飛ばされた。かろうじて右手に縄が残る。
「さっき見せた! わたし本当に漂泊者っ!」
「……」
逃げ回るニルマラを追い回す。
ナイナの有利な点は部屋の外にも出られること、と意識してニルマラをドア付近へ追い詰める。
「止めてっ! 助けてっ! わたし大事な……」
縦横無尽に走り回るニルマラに追い着くのに息が切れる。バンとドアを蹴った。
『ここまでがナイナに聞いた話だ』
3分近く時間が過ぎたら、または中で大きな音がしたら助けが必要と判断して部屋に入る。言っておいた通りナラヤンはドアを開けた。
虎面を見てニルマラの目が恐怖に染まったのをよく覚えている。
「いっ!」
まず彼女の両手首上を握って押さえナイナに目で合図する。
先ほどの教訓、敵の手を自由させない。
「ナラヤンだよね。わたし本物の漂泊者なの! さっき画面で……」
名前を呼ばれたのが応えた。
ナイナに再度縄を首に巻かれ激しく暴れる。
(うっ!)
蹴りが腹に入ったところで腕を体の下にしてニルマラを床に押し倒す。
暖かく柔らかい胸の上に乗って動きを封じ、縄の片端をひったくって左に引く。罪悪感を焦りが端から塗り潰す。
ナイナは反対の右方向へ両腕で体重をかけて引っ張る。
そろそろ落ちるだろうという感覚もわかってきた。訴える目が虚しく空を泳ぎニルマラの首はがくりと力を失った。その後しばらく無言で縄を引いた。
「終わった」
立ち上がると、
「帰る前にニルマラを外に出してってくれない?」
「は?」
「このまま死体と一緒に一晩寝るの? 私無理」
気持ちはわからなくもない。
人狼が外へ連れ出したストーリーを作っておいてと言い捨て作業を始めようとすると、
「待って!」
「何だ?」
「このドア、10号室までまっすぐなの。もしアディティがドアを開けてたら何してるか見えるかも」
この部屋は10号室とはロビーを挟んで同じ手前側だ。
「……どうしたいんだ?」
怒鳴らなかったのは気持ちが疲れ切っていたことと、ナイナに手を下させてしまった後ろめたさからだろう。
結局ナイナは遺体の手首をベッドに縛るよう頼んだ。
「動けないでしょ」
死んだ人間に意味はないと思ったが、
(それくらいおかしくなってるんだ。ナイナも)
10号室の件もよく考えればドアは開けられても顔は出せないのでわずかな目の前が見えるだけ、見通せない。なのにー
人を初めて殺した時に滑り落ちたものを懸命に拾い集めているのか。
無駄なことだ。人殺しに見える風景は元の世界とは違う。
『ナイナのことは本当に残念だ。ぼくの配慮が足りなかった……選択を間違えた』
面会にきた両親から婚約破棄を伝えられたその日、ナイナは更生施設で命を絶った。女子の生存者は今やここにいるアディティとシャキーラの2人だけだ。
少女少年院でも立場上特別扱いされてきたナイナだったが、夜、
「ハリ、ハリ♪」
「うるさいよ! っ!!」
ミーラーバーイを歌い出せば流石に同房者から文句が出る。と、脱いだ上着を細くよじって牢の格子に結びつけているのに慌てて職員が呼ばれた。
「まるで神様が手助けをしたように」
目撃者の証言だ。
足が地に着く縊死は見事に急所に嵌り、同房者が助け職員が駆けつけた時には手遅れだった。運ばれた病院でナイナの死が確認された。
未成年の誘拐被害者についてマスコミ報道は一切ない。
だがネット上では別だ。同じ少年院行きでも一庶民のナラヤンは大して騒がれなかったがナイナは違った。
人殺しを妻に迎えるのかと罵倒が殺到していた海運会社へのネット世論は反転し、今度は婚約破棄へ石を投げ出した。元婚約者が、
「今時、子どもの時の婚約なんて本気にしているとは思わなかった」
と言ったインタビュー動画が可燃剤のように炎上を助けた。海運業ではなく消費者相手の商品を扱っていたら倒産したのではと言われるほどの攻撃ぶりだった。
親友同士で幼い子どもを婚約させたが、当時は同レベルでもその後州トップクラスとなったナイナの父の会社に対し、インド全土でも著名な規模に成長した婚約者父の会社からすればナイナとの結婚は利益が薄く理由をつけて取りやめたかったのではないか、とは新聞を読んでいれば高校生でも知っている話だ。
「ナイナはやれパーティーでどのスターに会っただの、ブランドの新作を手に入れただのそういう自慢は面倒な人だったけど、フィアンセについては違ったんだよね」
シャキーラが語る。
「よく女の子が自慢する自分にどれだけ優しいかとか、どんな高価なものを買ってくれただとか、そういうのあっても全然おかしくないのに言わなかった。写真は見せびらがされたけどイケメンだとも自慢しなかったし、学歴もそう。しゃべったのはどんな努力をしたとか、どんな賞をもらったかとかー」
「考え方が堅実だとか、発想が凄くて視野が広いとかも」
アディティも言えば頷く。
「ナイナ、本当にあの人のことが好きだったんだと思う」
「……」
シャキーラは皮肉気に頬を緩め、
「わたしはそんな風に愛せるのかな。ナイナとか、コマラとかマリアとか思うと不安になることもあるよ」
命を投げ出すほどの恋愛などそうない。ルチアーノは思うが、あのゲームの中で、終わった後のナイナもとクラスでは続出した。シャキーラが不安に思うのも無理はない。
彼女は留学先のアメリカで姉夫婦紹介の男性と見合いをし、問題がなければそのまま結婚して大学生活を過ごすことが決まっている。
「お父様、修行者になられたんだよね」
黙ってしまった回りにアディティが口を開いた。
父親は末娘のナイナをそれはもう可愛がっていた。ナイナを弔った後会社を売却し、家族のことを親戚に任せると出家した。道場や寺院へではなく、ただひとり、最低限の持ち物のみで聖地を巡礼する本物の「漂泊者」となったのだ。やれヴリンダーヴァンへの道で見た、いやプラヤーグラージ方面だの噂が出ているがやがて髪も髭も伸びCEOの面影がわからなくなれば誰にも知られず修行に励み、彷徨い、そして倒れて死んでいくのだろう。
『皮肉なことだけど、ラジューを襲った時モニターに出た文章で彼が本当に「象」だと見当がついた。昨日の推測は偶然当たっていたことになる。6日目の朝にはバーラムだけでなくシャキーラも脱出していて残ったのは9人となった。
これは勝てる! ぼくは興奮し、ますます人狼としての勝利を貪欲に求めた。
それでいて「人狼の仕事」をカルマ・ヨーガとして神様に捧げているつもりだった』
画面の向こうでナラヤンの声が低く響いた。
〈注〉
・ミーラーバーイ 15世紀インドの女性詩人、聖者。
クリシュナ神への愛と献身に生き、その詩は今も広く愛され歌われている。
・ハリ ここではクリシュナ神の別名、呼びかけ
・ヴリンダーヴァン クリシュナ神生誕伝説の聖地。ウッタル・プラデーシュ州。
・プラヤーグラージ ガンジス川とヤムナー川合流の聖地。旧名アラハバート。ウッタル・プラデーシュ州。
「うん」
自室に戻ったナイナは道具箱に衣装類を仕舞うふりでニルマラのベッドを通り過ぎ、奥のカーテン向こうから頭の方に回って飛び出し不意に首下へ縄を回す。
「まっ……オーディ……」
何か言いかけたが一気に左右に縄を引く。
「っっ!」
ドン!
ベッドから伸ばした両足に勢いよく蹴り飛ばされた。かろうじて右手に縄が残る。
「さっき見せた! わたし本当に漂泊者っ!」
「……」
逃げ回るニルマラを追い回す。
ナイナの有利な点は部屋の外にも出られること、と意識してニルマラをドア付近へ追い詰める。
「止めてっ! 助けてっ! わたし大事な……」
縦横無尽に走り回るニルマラに追い着くのに息が切れる。バンとドアを蹴った。
『ここまでがナイナに聞いた話だ』
3分近く時間が過ぎたら、または中で大きな音がしたら助けが必要と判断して部屋に入る。言っておいた通りナラヤンはドアを開けた。
虎面を見てニルマラの目が恐怖に染まったのをよく覚えている。
「いっ!」
まず彼女の両手首上を握って押さえナイナに目で合図する。
先ほどの教訓、敵の手を自由させない。
「ナラヤンだよね。わたし本物の漂泊者なの! さっき画面で……」
名前を呼ばれたのが応えた。
ナイナに再度縄を首に巻かれ激しく暴れる。
(うっ!)
蹴りが腹に入ったところで腕を体の下にしてニルマラを床に押し倒す。
暖かく柔らかい胸の上に乗って動きを封じ、縄の片端をひったくって左に引く。罪悪感を焦りが端から塗り潰す。
ナイナは反対の右方向へ両腕で体重をかけて引っ張る。
そろそろ落ちるだろうという感覚もわかってきた。訴える目が虚しく空を泳ぎニルマラの首はがくりと力を失った。その後しばらく無言で縄を引いた。
「終わった」
立ち上がると、
「帰る前にニルマラを外に出してってくれない?」
「は?」
「このまま死体と一緒に一晩寝るの? 私無理」
気持ちはわからなくもない。
人狼が外へ連れ出したストーリーを作っておいてと言い捨て作業を始めようとすると、
「待って!」
「何だ?」
「このドア、10号室までまっすぐなの。もしアディティがドアを開けてたら何してるか見えるかも」
この部屋は10号室とはロビーを挟んで同じ手前側だ。
「……どうしたいんだ?」
怒鳴らなかったのは気持ちが疲れ切っていたことと、ナイナに手を下させてしまった後ろめたさからだろう。
結局ナイナは遺体の手首をベッドに縛るよう頼んだ。
「動けないでしょ」
死んだ人間に意味はないと思ったが、
(それくらいおかしくなってるんだ。ナイナも)
10号室の件もよく考えればドアは開けられても顔は出せないのでわずかな目の前が見えるだけ、見通せない。なのにー
人を初めて殺した時に滑り落ちたものを懸命に拾い集めているのか。
無駄なことだ。人殺しに見える風景は元の世界とは違う。
『ナイナのことは本当に残念だ。ぼくの配慮が足りなかった……選択を間違えた』
面会にきた両親から婚約破棄を伝えられたその日、ナイナは更生施設で命を絶った。女子の生存者は今やここにいるアディティとシャキーラの2人だけだ。
少女少年院でも立場上特別扱いされてきたナイナだったが、夜、
「ハリ、ハリ♪」
「うるさいよ! っ!!」
ミーラーバーイを歌い出せば流石に同房者から文句が出る。と、脱いだ上着を細くよじって牢の格子に結びつけているのに慌てて職員が呼ばれた。
「まるで神様が手助けをしたように」
目撃者の証言だ。
足が地に着く縊死は見事に急所に嵌り、同房者が助け職員が駆けつけた時には手遅れだった。運ばれた病院でナイナの死が確認された。
未成年の誘拐被害者についてマスコミ報道は一切ない。
だがネット上では別だ。同じ少年院行きでも一庶民のナラヤンは大して騒がれなかったがナイナは違った。
人殺しを妻に迎えるのかと罵倒が殺到していた海運会社へのネット世論は反転し、今度は婚約破棄へ石を投げ出した。元婚約者が、
「今時、子どもの時の婚約なんて本気にしているとは思わなかった」
と言ったインタビュー動画が可燃剤のように炎上を助けた。海運業ではなく消費者相手の商品を扱っていたら倒産したのではと言われるほどの攻撃ぶりだった。
親友同士で幼い子どもを婚約させたが、当時は同レベルでもその後州トップクラスとなったナイナの父の会社に対し、インド全土でも著名な規模に成長した婚約者父の会社からすればナイナとの結婚は利益が薄く理由をつけて取りやめたかったのではないか、とは新聞を読んでいれば高校生でも知っている話だ。
「ナイナはやれパーティーでどのスターに会っただの、ブランドの新作を手に入れただのそういう自慢は面倒な人だったけど、フィアンセについては違ったんだよね」
シャキーラが語る。
「よく女の子が自慢する自分にどれだけ優しいかとか、どんな高価なものを買ってくれただとか、そういうのあっても全然おかしくないのに言わなかった。写真は見せびらがされたけどイケメンだとも自慢しなかったし、学歴もそう。しゃべったのはどんな努力をしたとか、どんな賞をもらったかとかー」
「考え方が堅実だとか、発想が凄くて視野が広いとかも」
アディティも言えば頷く。
「ナイナ、本当にあの人のことが好きだったんだと思う」
「……」
シャキーラは皮肉気に頬を緩め、
「わたしはそんな風に愛せるのかな。ナイナとか、コマラとかマリアとか思うと不安になることもあるよ」
命を投げ出すほどの恋愛などそうない。ルチアーノは思うが、あのゲームの中で、終わった後のナイナもとクラスでは続出した。シャキーラが不安に思うのも無理はない。
彼女は留学先のアメリカで姉夫婦紹介の男性と見合いをし、問題がなければそのまま結婚して大学生活を過ごすことが決まっている。
「お父様、修行者になられたんだよね」
黙ってしまった回りにアディティが口を開いた。
父親は末娘のナイナをそれはもう可愛がっていた。ナイナを弔った後会社を売却し、家族のことを親戚に任せると出家した。道場や寺院へではなく、ただひとり、最低限の持ち物のみで聖地を巡礼する本物の「漂泊者」となったのだ。やれヴリンダーヴァンへの道で見た、いやプラヤーグラージ方面だの噂が出ているがやがて髪も髭も伸びCEOの面影がわからなくなれば誰にも知られず修行に励み、彷徨い、そして倒れて死んでいくのだろう。
『皮肉なことだけど、ラジューを襲った時モニターに出た文章で彼が本当に「象」だと見当がついた。昨日の推測は偶然当たっていたことになる。6日目の朝にはバーラムだけでなくシャキーラも脱出していて残ったのは9人となった。
これは勝てる! ぼくは興奮し、ますます人狼としての勝利を貪欲に求めた。
それでいて「人狼の仕事」をカルマ・ヨーガとして神様に捧げているつもりだった』
画面の向こうでナラヤンの声が低く響いた。
〈注〉
・ミーラーバーイ 15世紀インドの女性詩人、聖者。
クリシュナ神への愛と献身に生き、その詩は今も広く愛され歌われている。
・ハリ ここではクリシュナ神の別名、呼びかけ
・ヴリンダーヴァン クリシュナ神生誕伝説の聖地。ウッタル・プラデーシュ州。
・プラヤーグラージ ガンジス川とヤムナー川合流の聖地。旧名アラハバート。ウッタル・プラデーシュ州。
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