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第6章 狼はすぐそこに(6日目)

幕間3 前進

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「ラクシュミ。食べることも住むことも不自由しない立場に生まれたならば、今世は弱い立場の人を助けるカルマを持っているのかもしれない」
 だから人々を助けるのだと父は言った。

 ラクシュミは父の公私を貫くこの考え方が好きではなかった。
 貧しい家に生まれたのはその人間の前世までのカルマだ。必要なのは自助努力である。
 家庭内DVや親の教育への無理解から進学出来ないといったケースには助けが必要だとは思うが、多くは啓蒙と政策からのシステム作りで救済すべきだ。
 わが国インドは世界最大の民主主義国、奨学金制度もあれば弱い立場の人々を優先して入学させたり役所や大企業に就職させる制度もある。NGOや各宗派ではプロと学生のボランティアが協力して活発に活動している。これ以上何が必要なのだ?

 だが、リアル人狼ゲームを進めた「彼ら」からすれば弁護士夫妻の娘で州政府の役人だった自分も、それどころか州知事閣下ですら「弱い」方に入った。
 そのゲーム運営よりもおそらく富豪の「顧客」はもっと強い。
 強いか弱いかは相対的なものに過ぎない。
 そして生きやすくなるための日々の変革と前進は自分たちにも必要だ。
 ラクシュミは父の生き様を少し理解した。

 労働争議や役人との争いで貧しい人たちの側に立つ父と対称的に、母は中堅企業の顧問弁護士を兼任していた。それが我が家のリスク分散だと両親は言っていた。
 ラクシュミが解雇されたのと前後し母もほとんどの企業から解雇された。
 クライアントはそれぞれ申し訳なさそうに、ほとぼりがさめたらまたお願いするからと頭を下げたそうだ。だがその間に新しく雇われる弁護士との兼ね合いもあり、問題が解決したら無条件で復職とはいかないと母は断じ、新たなクライアントを探した。
 安定していないと思われていた父の方は自分の事務所でいつものように警察や役所と喧嘩して変わりはなかった。ラクシュミが逃げた時のリクシャーやタクシーの運転手も、途中一時匿ってくれた家庭も全て父の依頼者だった人々だ。
『先生にはお世話になりました。お嬢さんが危ないとのことで少しですがお手伝いさせてください』
 このカルマはどの天上に昇るのだろうか。

 リアル人狼ゲームの運営企業は崩壊した。
 モニターを監視し、ボタンひとつで意識を失わせ、殺害処理の手先となっていた十代監視員のほとんどは銃殺された。
 残ったのはサブチーフだったという今回ゲームに潜入していた「ラジュー」、撃たれた少女ー少年たちがいっせいにハリーに襲いかかった時に足の下をくぐって部屋を逃げ出したという、そしてアフリカで保護された少女たちだ。

 疑いを持った監視員は当初グジャラートの少女のように事故に見せかけて殺していた。だがきりがない。サブチーフ抜擢制度を飴、海外支社への転勤を鞭として会社は監視員を支配した。
 アフリカ支社へと指名された少年少女は空港からのタクシーに現地語で書かれたメモを見せ目的地へ向かう。降りた先は支社とはかけ離れた治安の悪い場所で、夜の便で着いた彼らはそこで行方不明となる。
 親へは海外出張の同行を命じたら逃げたと脅し、戻ってももう雇わない代わりにと小金を掴ませて黙らせる。
 今回の事件後にインド側から現地警察に依頼したところ少女ふたりが売春宿から保護された。少年たちとその他の少女は引き続き捜索中だ。
 他にひとり、会社から「ギニ」と名付けられた少女はたまたま親切なタクシー運転手に出会い、その息子が英語でネットを調べ支社の本当の場所まで連れて行ってくれた。社員は仕方なく少女を下働きに使い「ゲーム」が始まれば投入した。驚いたことにギニは3回潜入させられ全てで生還した。ろくに言葉も通じないのにたいしたものだとラクシュミは思う。
 支社のインド人はパスポート返納を命じられ全員インド送還となって「ギニ」も保護された次第だ。

 海外逃亡を図った幹部社員たちは空港で止められて取り調べにかけられ、誘拐罪等で収監された。殺人の立証は難しかった。
 社長のミッタルとその右腕のひとりハリーは真っ先に逃げ、アフリカ支社のある国に着いたものの会社には顔を見せず行方をくらました。
(私達の「ゲーム」に潜入していた時は「ゴパル」と名乗っていた)
 あれだけ痛い目にあっても懲りなかったとは余程悪に取り憑かれるカルマを持つのだろう。

 そのラクシュミたちの件や海外での「ゲーム」にも捜査の手は伸びた。詳細な報告書が作られたが公表直前になって一度取りやめになった。
 圧力ではなかった。

『クリスティーナのノートが見つかったの!』

 ラクシュミはらしくない興奮のままアンビカに伝えた。
 最初にラクシュミたちが監禁された邸宅跡が発見された。彼らに燃やされていたがmacojin製の火葬室だけはそのまま残っていた。
 後始末に来た社員たちがクリスティーナの記録や共同のノート・タブレットや皆の遺髪と証拠になりそうなものを火葬室に入れ、焼却しようとしたところで既に電力を落としていて稼働しないことに気付いた。放置して次に館ごと焼却した時にはそれを忘れていたという。
 膨大な資料の発見に警察は新たな捜査を余儀なくされている。
(あの物語狂い、何より読んで書くのが好きだったろうから)
 クリスティーナのノートが残ってよかった。
 あの魂自体は天界にも冥界にももうどの世界にもいないけれど。


 高校生たちの事件ではクラスメート殺害を実行した「人狼」は更生施設へ、その他は学生生活に戻り何事もなかったように時間は動き続けた。
 これでいい、とはいかない。
 復讐せずにはいられない。
 この行動こそがカルマヨーガだ。

 あの時十年生だった誘拐被害者たちも卒業となった。
 転校した生徒も含め今日は当時の担任教師ルクミニーの墓前で卒業を報告するという。
(見守りに行ってきますか)


 かつて「我が国は世界最大の民主主義国家」との演説を説得力のある女声で聞いた記憶がある。誰だったろうか。与野党の女性政治家、地方議員など軒並み思い起こしてからようやく気付きラクシュミは顔を歪めた。
「ダルシカだ」
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