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第6章 狼はすぐそこに(6日目)

6ー3 狂想曲

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「ええと……確認のためにあえてはっきりした言葉を使わせてもらうけど、ふたりとも生理になった、ってことでいい?」
 アッバースが先ほどまでとは打って変わった及び腰で尋ねた。
「私は昨日のランチからキッチンには入っていない。ナイナは今朝からだって」
 アディティは椅子を下げて男子たちから距離を取る。
 頭痛に腹痛、全身の倦怠感ー生理前のいつもの症状だ。体を冷やし過ぎて風邪を引いたかと案じたが何のことはない。予定より半月近く早く来たのでそう思わなかっただけだ。
 ストレスがかかるとリズムが狂う。ナイナもあり得ない時期に来たと今朝ぼやいていた。
 クローゼットには高品質な衛生用品も海外製の専用ショーツもたっぷり並びアディティは正直贅沢な気分だ。お腹の重さを除けば生理期間に入った方が楽になるタイプなので今はそこまで辛くはない。
 だが生理中の女性は台所には入れない。

「こっちは俺とルチアーノで頑張る」
 振り返るアッバースに頷くルチアーノ、共に顔は引きつっている。
 このふたりが調理に参加していたノンベジはいいが、
「うちはどうなるんだよ!」
 イジャイが叫んだ。
「チャイと、教えていただいたチャパティはお出し出来ますがお料理の方は……」
 背を丸めるラジューを、
「人狼に料理させられるか。何を入れられるかわからないだろ」
 ナラヤンが叱りつける。
「じゃあどうするんだよ!」
 ベジタリアン食堂を使うのは今やこの3人とナイナのみだ。

「ナイナからレシピを預かってきた。ダルと野菜カレー。あの子は部屋にこもるから食事は運んでくれって」
 レトルトカレーの裏側にフルーツナイフで切り込んで書いたという二枚を差し出せばイジャイが受け取ってテーブル上に置く。
「私は食堂の隅で食べさせてもらってもいい?」
「ああ」
 アッバースがアディティに請け負いルチアーノたちも頷く。ヴィノードが苦い顔をしているのは見ないことにする。
 レンズ豆、ニンニク、生姜ー
「これレシピってより材料表じゃね? どうやって作るのさ?」
 イジャイが顔をしかめた。 
「そこはアッバースとルチアーノに教えてもらってって」
 これらのベジカレーならノンベジでもそう作り方は変わらないだろう。ナイナの言葉を伝えると、アッバースたちは敵がタイガーかパターンだと知ったような顔で絶句した。


 水に浸したレンズ豆を圧力鍋に入れて火にかけるとようやくベジのキッチンは落ち着いた。
『このレシピ、上級者向け過ぎねえか』
 首をひねったアッバース。ナイナは料理が上手いからとアディティは言ったがベジ男子三人にそこは疑問だ。ともかく広間ではアディティとアッバース、ルチアーノの三人でいかに簡単に食事を作るかのアレンジがなされた。
『塩とターメリックとクミン。これを1:1:1。ベジ向けならオールマイティだ。仕上げに味を見てチリを一掴みぶっかければどうにでもなる』
『ホールかパウダーか言わなきゃわからねえよ』
『これは全部パウダー。粉の奴』
 クミンは種形状のシードもあるから気を付けること。
『とにかくギーを使え。ギー自体が旨いからチート出来る。青菜炒めサグにも豆のカレーダルのテンパリングにも』
『テンパリングって何だ?』
『ほら、ダルの仕上げに合わせるオイルにクミンシードとか入れて味移すだろ?』
『アレのことか』
『訳わかんねえ専門用語使うんじゃね~!』
青菜炒めサグにまで使うの?』
『金払わなくても使い放題なんだから入れちまった方が得だ』

 最初から大成功など絶対にあり得ないので、
『どうせチリで味ごまかすなら最初のオイルからぶっ込んだら?』
『量が多い時ならいいけど四人分なら焦げ付かない?』
『油熱してから入れて、様子見て引き上げて、って難しいよな』
『工程はなるだけ減らした方がいい』
 ベジ男子三人は目を白黒させ呪術師タントラの呪文のように意味不明な言葉が左右に流れるのを眺めた。
『ニンニクやトマトは使っていいんだって?』
『一番うるさかったのはバーラムで、後はスレーシュだったから』
『なら旨味は出せるな』
 今朝は豆のカレーダル青菜炒めサグのみ。切ったり皮を剥いたりが多く入る野菜カレーは昼以降に挑戦と決まった。調理担当はラジューとナラヤン。イジャイはラジューが下手なことをしないかの見張りとして彼らの後ろに立ってー
 バシュッ!
「危ない!」
 とっさにふたりの首根っ子を掴んで引き倒す。
「何仕掛けた。殺す気か!」
「わたしは何も……」
 掴みかかるナラヤンから顔を守るラジュー。
「鍋の蓋がぶっ飛んだだけだよ。喧嘩しているより後始末を考えようよ」
 イジャイはたしなめる。
「わたし、片付けをしますので……」
「駄目だ。台所は寺院だぞ。掃除した汚い手で料理なんて言語道断だ」
「俺が片付けるのはいい? ダル熱いし火傷するよ」
 ナラヤンは灰色のスリッパを履いているがイジャイとラジューは台所では裸足だ。
 イジャイの申し出にナラヤンは我に返ったようにOKを出した。

 ダルは吹っ飛び頭もすっ飛ぶ
 何が何やらわからねえ Hoo!
 メシにありつくまで何千里? 家に帰れるまで何億年?
 ゲーム ゲーム ふざけたゲーム
 ゲーム ゲーム 血まみれゲーム
 もう飽きた嫌だ許さねえぞ腹へった Woo!


「それで大丈夫だったの?」
 圧力鍋のセットを失敗して中身がすっ飛んだ。ナラヤンが鍋の使い方の確認に来たと聞きアディティはチャパティをちぎりながら尋ねた。
「そこはとっさにイジャイが引っ張ったらしくて」
 幸いナラヤンとラジューが鍋から距離をとっていたのもあり火傷はなかったそうだとアッバースが答える。
「良かった。ダルは出来そう?」
「……知らねえ」
「食べ終わったら様子見て、ナムキーンか何かナイナに持っていってあげなきゃ」
「腹減って怒ってるかもな」



 圧力鍋の中身が噴出した時点でナラヤンは料理の気力を失った。
 鍋に残った豆はごくわずか。また水に浸して鍋へとやり直したら、
(昼近くになる)
「どうする? レトルト温める?」
「そうしたいか?」
 イジャイは首を横に振る。
「残りの豆、普通のお鍋で煮ましょうか」
「何時間かかる?」
「わかりません。ですが勿体ないので……」
「もういいよ。チャパティとサグにアチャールでも付ければ腹は何とかなる。ラジューの言う通りそこのダルは勿体ないから最後まで料理してソース程度の量でいいから分け合おうよだからさ」
 イジャイも投げやりだった。
 ただしレトルトは避けたい。おそらくラジューもだ。三人とも泣けるなら泣きたいという顔で肩を落としている。
 こうしていると何か仲間のような気がしてくるが人狼と村人、夜になれば牙を剥く同士だ。イジャイは首を横に振った。


 彼らが朝食にありつけたのは10時半頃だった。
 その間アディティが食材庫と女子棟を往復し、ナムキーン類にビスケット、出来合いのパパドにこれだけはきちんとラジューが焼いたチャパティをナイナへ運んだ。
「何これ! チャパティ立つんだけど! 中まで火入ってる?!」
「あきらめて。初めて台所に入った人たちなんだから」
 悲鳴ともつかぬ声を背にアディティはナイナの部屋から足を戻した。
 早くも疲れた。だが誰が人狼かが明確になった中、果たして夜まで無事に過ごせるだろうか。



<注>
・タイガー・パターン  それぞれボリウッドの大ヒット映画の登場人物。
 有能なインドのスパイ。
 敵側にも名高い無敵のヒーローなので、敵国スパイやならず者は対峙した時点で死が決まったようなものとなる。(2024年5月現在「タイガー 裏切りのスパイ」上映中なのでこの恐怖を確かめたい方は劇場へどうぞ)
・ギー インドの無塩バター(のようなもの)
・パパド 米と豆の粉で作ったパリパリとした丸く薄いスナック(またはパン)

※チャパティは通常ナン以上に薄いシート状なので立つというのは非常識に分厚いです。

※塩とターメリックとクミンパウダーで1:1:1が黄金パターンなのは本当ですが、作るのでしたら仕上げのチリは「ひとつまみ」が適当です。ここでの「一掴み」は現地想定なので念の為。

※このような差別を肯定するものではないことを前提に余計な解説
 ベジタリアン食堂で調理に入った三人はカーストの高い順に
 ラジュー →  ナラヤン  →イジャイ
 となります。
「穢れ」の観点から自分より下のカーストが調理したものを食べるのを避けることもありシェフにはバラモン階級(一番上)の人も多い、と聞きますがこのあたりはとても複雑なようです。
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