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第5章 束の間の休息(5日目)

5ー13 世界

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 二度、目が覚めた。
 一度目は寝息に気付いた。
 肩に寄りかかったシャキーラの顔がバーラムの目の先すぐにあった。
「!」

「……うん……んん……」
 何やらうなされてもいる。
「……」
 掛けていたコットンショールを引っ張って肩に乗せ彼女の顔が自分に触れないようにしてやる。
(全く)

 一度ひとりで道を降り出してから、ベルトを外した自分に彼女が怯えた本当の理由に思い当たった。自分がその手の悪辣な人間に見えたのかと猛烈に腹が立った。
 シャキーラは守るべき同じクラスの女子で、しかも今はろくでもない誘拐犯の手の内だ。常に警戒していなければならない。人目がないから悪さをしようなど全く考えない!
 勝手に誤解したくせに、寝ていて意識がないとはいえ自分に寄りかかるとは何事だ。
 ルチアーノが今夜の会議で票を入れたのにも憤激した。黙っていたからなど理由にもならない。立場が分かれてしまった人間がいるあの場所では、余程配慮をしなければ言えることなどない。スティーブンやアッバース、アディティなど限られた知恵者以外、口を出しても混乱するだけだ。
 逆ギレした自分に取り合わず去っていった姿が余裕ありげでまた苛立った。

 そのルチアーノも、最後の同室者となってしまったナラヤンも、アディティやナイナら女子は勿論全員を助けるために自分は5日目脱出権を行使した。
 命を奪うのが当たり前の場所にはいられない。
 生き延びたいのは勿論だがーシャキーラの言った出てきたのは「将来のため」もそういうことだろうー誰かが助けを求めなくてはあの場はどんどん酷くなる。
 人狼の殺しを止め、クラスメートがこれ以上殺されるの防ぐ。そのために一刻も早く安全な場所へ転がり込む。
 ミナが殺されているとは思わなかったが時間が経っても救助が来ないこと、そして初日の脱出権の結果からも決して安全だとは思わなかった。それでも逃げた。

 一度門扉に着いてから坂を登り戻っていく時に、姉のことを思い出した。
『バーラム。お迎えよろしく』
 父が帰っていない時には塾まで姉を迎えに行くのは自分の役目だった。
 姉の行動範囲も時間も自分よりかなり限られている。女性には女性の心配があるのだからシャキーラの誤解も、と頭では思っても腹はまだ収まらない。
 ベルトを使ったのだって、先に土を弱く探って虫や小動物を追い払い、穴がないかを確かめる時に出来る限り命を損なわないためだ。もっとも真っ暗な闇に小さな光、完全には排除出来ていない可能性が、この世界と命の調和を破ったかもしれない虞れが自分を責める。
 姉のことを思い出すと続いて母や父、リビングのテレビで見るクリケットの試合など次々に思い出されて泣きたくなった。
(もう少しだ。もう少しできっと家へ帰れる)
 道の途中に落とし穴を仕掛けるような連中のことこの後も何があるかわからないがー緊張しつつ浅い眠りに入った。

 二度目は手に寒さを感じた。シャキーラは相変わらずうなされていたが、両腕で体を抱いてこちらも見るからに寒そうだ。
(カーディガン、薄いな)
 女子のクローゼットにセーターはなかったのだろうか。
 自分は荷物運び用のコットンショールの他防寒には厚いウールショールを羽織っている。寝る前にコットンショールの方をシェアしたがこれだけでは可哀想だ。かといって背に回すために体を動かしたら起こしてしまう。そもそもどう触れていいのかもわからない。
 結局ウールショールを自分とシャキーラの体の前面に回し毛布のように被せた。
 時間は二時過ぎ。まだもう少しある。


 目を覚ましたのはふたり同時だった。
 車の音が回収箱の向こうから聞こえ、ライトが暗い土道をまぶしく照らす。小ぶりなトラックがバックで入ってきて森と道の境のところで停まればまたライトが落ちた。運転席の様子は見えない。
 銀色のコンテナの扉を手で押すと動くが、
「!」
 びくりとシャキーラが肩を震わせる。

『このイヤホンとリストウォッチを回収箱に戻してください。代わりに回収箱の中から目隠しをし、車の前で着けてから荷台に乗り込んでください』

 急にイヤホンから声が流れたのに驚かされた。
「おれが先に行く」
 当惑して立っているシャキーラにぎりぎりの小さな声で耳打ちすると指示通りにしてバーラムはもう一度トラックの荷台に手をかけた。さほどの重さもなく扉は開く。握るための棒があるようだ。掴まって上半身を這わせればすぐによじ登れた。
 視界はきかない。がどうやらほとんど空の様子だ。扉を閉めてその後シャキーラが乗れなくなったら困る。足をはさんでおこうかー
(?)
 気配を感じ神経を尖らせた瞬間、
「うわっ!」


 イヤホンはもう回収箱に戻しリストウォッチも外すところでシャキーラはその声を聞いた。続いて、
「逃げろっ!」
 門扉にそって道の反対側まで逃げ、木々の茂みに入って大丈夫か考え始めた時、荷台から転がり落ちるものがあった。ライトモードで照らす。
 ぎらりと光った目。
(狼?)
 思ってしまったのは「人狼ゲーム」の世界に閉じ込められていたからだろう。
「逃げろ!」
 バーラムが格闘しているのは犬だ。よく道ばたにいそうな痩せた薄い色の犬が暴れるのを背中に手をやり懸命に抑えようとしている。右腕が噛みつかれているのか!
 左手で目隠しをざっと外し彼は叫ぶ。
「駄目だ! 遠くに!」
 自由な方の左腕を振り回す。シャキーラは遠回りして犬の後ろから近づきその首を握った。力を込めるが上手くいかない。
「何するんだ! 止めろ! っっ!」
 顔を歪めるバーラム。
 ぶおおっ。
 ライトが点いたのとトラックが遠ざかっていくのは同時だった。がシャキーラはちらと横目を走らせるだけしか余裕がない。犬が大きく口を開けて暴れる。やっとバーラムの腕が自由になった。
 そしてシャキーラに向かい跳躍しようとー
 ざっ!
 回収箱の上に渡してあった目隠しを手に取ると犬の首に絡める。成功した!
(あんまり大きくない)
 交差させると上に持ち上げた。
「オイっっ!」
 重すぎてすぐに落ちる。
「うっ、動かないでっ!」
 目隠しの片方を左足で踏み、両手で反対端を全力で引き上げる。
「駄目だ! 殺しちまう! うっ!」
 バーラムの言葉を聞いている余裕はなかった。
 犬が動かなくなるまでは。
「止めろ」
 バーラムから目隠しを払われ手から落とす。
 犬は小さく痙攣したのが最後だった。
「何てことをするんだ!」
 座り込んだバーラムは、
「死んじまったじゃねえか!」
 と絶叫した。
「あなたを助けたかったの!」
 シャキーラは怒鳴り返した。チラチラ動く小さな明かりの中だけでも彼がずっと腕を押さえているのがわかった。


 布を首に残し地に落ち動かなくなった犬の姿を見てバーラムはぞわっとした。
 闇の中の空気が、道の向こうの森の木々と草とそこで生きる生き物たちが、自分とシャキーラの二つの心臓が、それらを含んでいたジーヴァの調和が崩れ凶々しいものに変わったのを肌で感じた。
 この喪失に恐怖しぺたりと尻をついてバーラムは叫んだ。
「何てことをするんだ! 死んじまったじゃねえか!」
 その叫びは余計に調和を乱し場の空気を悪化させた。
「あなたを助けたかったの!」
 絞り出したシャキーラの声を聞きながらバーラムは項垂れた。
「うっ」
 左手で押さえたままの右腕がじくじくと痛む。
 取り返しのつかないことが起きてしまった。

 共にイヤホン、リストウォッチを付け直し元の門扉中央に寄りかかる。
 「まず足の治療からする」
 脱ぎ始めてまた怯えられると気分が悪い。あらかじめ予告してから靴下をめくった。
「足も噛まれたの!」
「最初に」
 痛みと犬の死のショックで考えが上手くまとまらない。
 荷台の中、ハッハッといううめきに気づくや否やまず左足に噛みつかれた。足を振りまくって離れて逃げようとするとまともに顔に向かってこられた。首をやられたら一発で終わりだ。かばった右腕をがぶり、とやられたところで痛みで体勢を崩し、寄りかかった扉から仰向けに外に落ちた。

 靴下の上から噛まれたのもあって足には小さな傷しかない。
 左手でミネラルウォーターから流した水で洗い、次にタオルで拭き、消毒薬を浸したハンカチで拭う。包帯を使おうとしたがハサミ類がないので切れないと気付き代わりにタオルハンカチを巻く。
「凄い。そんなに持ってきたんだ」
 広げた荷物を見てシャキーラが感嘆の声を上げた。
 絆創膏、消毒薬、包帯。薬の数々を1シートずつ。
 だるく頷く。右腕はより状態が悪い。二度噛みつかれたので傷が多く血も流れている。血を拭い、水で洗ったところで、
「わたし、やろうか?」
 シャキーラが申し出てきた。
「変な菌が付いているかもしれない。直接触れないように、タオルの上からやってくれると助かる」
 消毒薬を浸したハンカチの上にタオルを乗せおっかなびっくりの手つきながら彼女は丁寧に治療をしてくれた。最後にそのタオルで傷口全てを覆って巻いてもらう。
 遠く高い空に微かに星が瞬く。
 自分はこの世界に恥じない生き方が出来ただろうか。今またここで動物が魂を失ったのを止められなかったのに。


「どうしよう」
 シャキーラが半ば独り言のようにつぶやく。
「明るくなったらここを越えよう」
 仰々しく鎖が巻かれた鍵がつく門扉に目を遣る。
「暗いうちは仕掛けがあっても見えない」
 寝る前に門の外を照らしてみた時、土に掘り返したような跡が見えた。ここも罠があるのかもしれない。必要以上に恐がらせたくないのでこれは口にしなかったが。
「明るくなってもおれが寝ていたら起こしてくれ。悪い、足も手も痛む。横になる。そっちは使え」
 コットンショールは下に敷き、ウールショールを顎で指すのもだるくすぐ門扉にそって体を横たえる。
 シャキーラは座ったまま動かない。
「痛いの? 大丈夫なの」
「鎮痛剤は飲んだ。それ以上、君もおれもここでは何も出来ない」
 ひとつ思いついて尋ねる。
「何故トラックに乗らなかった?」
 彼女だけでも助かるかもしれなかったのに。
「そ……わ……な、何言ってるの? 荷台にを仕掛けおくような奴らよ! 言う通りに乗っていったら次は何がある? そんなところへ女ひとりで行けっていうの!!」
 泣きか怒りかわからない叫びだ。
 そして筋が通っている。
「そうだな」
(やはりだよな)
 ひょろりとした体型、ぼさぼさの体毛は飼い犬ではないだろう。つまり、
(おれはもう駄目だ)
 ー狂犬病

 我が国インドの野良犬は狂犬病を持つことが少なくない。小学校の時に教わった。犬に噛まれたらすぐに病院へ、学校が近ければ学校に、そうでなければ家に、近くに親戚や友達の家があったらそこへ飛び込みなさい。
 噛まれてすぐに治療した時助かる見込みがある。
(この状態では……)
 何時間経ったら病院に行けるのかわからない。
 あの犬が狂犬病を持っていたら自分はもう助からない。
 ただ発症までは結構時間があると聞いた。シャキーラに付き添い大人に助けを求めるところまではもつだろう。
 もたせなければならない。
 腕の痛みが増してきた。噛まれた傷がどうなるかが不安だ。背中回りのじんじん広がる痛みはコンテナから落ちて打った時のものだろう。この体で行けるのか?
 だが女子をひとりで(おそらく)人里離れたところへ放り出すわけにはいかない。
 クラスの皆を、もうかなり減ってしまったけれど生き残り、殺される恐怖または殺さなければならない恐怖に怯える彼らを救わなければならない。
 切り札を持った以上ー
「バーラム。寝ちゃったの?」
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