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序章 過去
0ー1 青い箱(ムンバイ 2023年6月)
しおりを挟む「This is a pen」
を例えばグジャラート語で通常、
「でぃす いず あ ぺん」
と表すとする。
早くに学校を辞めた彼女はそれを知らなかった。だから聞いた通り、つまり自分が教えた通りに、
「でぃーしーざ ぺん」
と書いた。
アルファベットは知らず母語グジャラート語の文字もそこまで上手くはない。それは彼女の「暗号」に有利に働いた。
マイナス点は、手紙の宛先である自分にも読めなかったことだ。
「へうぷ(help)」
「きう(kill)」
助けて、殺されるとの必死の訴えに彼女が死んでから気付くなど無様なものだ。
『モニターを見ていると目が痛くなります。
お兄ちゃんはもっとコンピューターを見ていますか。
目は大丈夫ですか?
またいっしょに鳥を見たいです。』
表向きの文章の文字の輪郭に沿って針であけたようなごく小さな穴が並ぶ。
しかも一部は上からフリーペーパーより切り抜いた着てみたい服だの、シャールクやリティクの写真だのを貼り付けカバーしてあって、グジャラート語ネイティブの自分でも解読に苦労した。
彼女を雇い、そして殺した企業は存在に気づいても読めず暗号を放置したのかもしれない。
「このままじゃお姉ちゃんがお嫁に行けない」
隣村との境、森のそばにある大きな岩の上で彼女は嘆いた。
あの一族は代々建設作業員で男たちはかなり前から中東に出稼ぎに行っている。確か大叔父のひとりがクウェート紛争で怪我をしたはずだ。一方女たちは地元の現場での雑役が仕事だ。サリー姿でよく重い鉄筋を運べるものだと感心と不安を持ちつつ通り過ぎたものだったが、あの子だけがどういう訳か重い物を持てなかった。
母や姉と一緒の現場で働きセットで何とか使ってもらっていたそうだが、自分のせいで姉が結婚出来ないと悩んでいた。
だからモニターで監視するだけの、視力はいるが腕力も学力もいらないという仕事への応募は自分も思い切り勧めた。ヒンディー語と英語の試験があったと聞いて失敗を悟ったが、どちらもまともに学んでいない彼女は受かった。
それから村を離れ、空調の聞いた部屋でモニターを見てボタンを押す訓練をしていると大学の寮に届く手紙にほっとしていた。
拐かして来た若者に人殺しのリアリティショーを強制する。
疑いを持てば監視員も殺される。
何通もの手紙、隠された途切れ途切れの単語を集め読み取れた恐ろしい事実だ。
村で二番目に裕福な家で育ち、皆から坊っちゃまと言われ頭を下げられる理由はいざという時村を守る先頭に立つからだ。なのにー
パタン。
手紙を元の青い箱に仕舞い込む。
絨毯屋も偉い女の役人もこのムンバイには山のようだが、某州知事側近の息子だけは限定出来る。ここから切り込んでみよう。
(奴らは、遺族に商店の連なる建物丸ごとを買い与え懐柔するほどの財力がある)
ちょっとばかり金持ちなだけの自分の実家とは違う。
(働いていた会社の本体もわからない)
隠し通す政治力もある。
そして、逆らった者は殺されるー
目を閉じて、村の大空を飛ぶ悠然たる鳥の姿を思い起こした。途端にムンバイにはない草と砂の匂いの風が心地良く頬の横を過ぎる。
指差す彼女のふっくらとした手。
あの場所を守るために先祖代々我らは命を繋いできた。
だからこれは自分が成すべき「仕事」だ。
最愛の新婚の妻を残し、命に替えても。
彼は唇の中で小さく長い祈りを唱えた。
〈注〉
・グジャラート語 インド北西部グジャラート州の公用語
・シャールク シャー・ルク・カーン
・リティク リティク・ローシャン 共にボリウッドの映画スター
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