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第10章 ムンバイへの道(新7日目)
10ー1 ゲームの終わり(新6日目夜ー7日目)
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「あんたも俺のこと『爆弾魔』だと思ってたワケ?」
「……そうだね」
マーダヴァンは曖昧に笑った。
「どうしてです? 俺が機械工学専攻だから?」
「うん。それもある」
荷物の詰め込まれた荷台、運転席を背にした右側でマーダヴァンとスンダルは低い声で交わす。左ではイムラーンが適当に布にくるまって仮眠中だ。
「というより君以外ではしっくりこない感じだったかな」
小さくため息を吐く。
数分前にラクシュミと運転を交替した。今のところ問題はないようだ。
助手席のアンビカに、いざという時のために見て覚えろ、と無茶ぶりしているのが聞こえたのには苦笑した。見て運転出来たら苦労しない。自分が免許持ちならわかるだろうにと首を傾げる。
荷台が男三人になったらひとり仮眠というのはラクシュミの指示で、ライフルを構え警戒し続けていたイムラーンからと促したのはスンダルだ。
流れる街灯のオレンジの光に少し体を丸めた寝顔は精悍さが消え年よりも幼く見える。
(……)
どうしてこんなことになったのやら。
シャツの下で汗ばむ体を感じながらスンダルは思い返していた。
ー美しい。
初代「シュラーダーちゃん」から流れるそれは子守唄のようにスンダルの耳をうっとりさせた。
マートゥリーが皆のタブレットに送り込んだチャットシステムに対し「連中」は当初通信経路を止めるだけの応急措置をした。今の首輪扱いと同じだ。プログラムが消されたのは翌日の昼だった。
様子を見つつその前に早々とプログラムをメモアプリにコピーし、二枚目以下に移し読み上げ機能で語らせシーツの下で延々と紙に書き取った。
建物移動でその紙も失ったが何度も聞いたお陰でフローチャートは頭に残っていた。それをモデルにスンダルは新たなチャットを作成した。
危険を冒し、また我ながら驚異的な忍耐力でプログラムを書き取ったのは、マートゥリーのプログラムが無駄なくかつ最大限に可能性が配慮された美しいものだったからだ。
IT方面への志望を止め機械工学へ進んだ理由のひとつは、コンピューターなら高校まで十分自力でやって今更学校で教わらなくてもと思ったためだ。
だがマートゥリーはーインド工科大という最高峰ということもありーあの短い間に自分とはレベル違いのプログラムを組んだ。おそらく、それ故連中に殺された。
スンダルは初めて大学でITを専攻しなかったことを悔しく思った。
だがそれは生き延びてから、とタブレットをいじりネットワークを観察出来る目途がついたのはこちらに移動しての四日目だ。
通信状況を見ればウルヴァシが「連中」と何らかの関係があるとわかる。
逃亡に回りの人間を利用しようと考え「爆弾魔」として布巾でデビューした直後で、早まったかと青くなった。
その後チャットシステムを真の連絡手段に変えて何とかここまで来た。故マートゥリーには頭が上がらない。
「キャサリン」
運転席からラクシュミの声が聞こえた。
助手席側のドアは最初からガラスはなく、運転席側は開けてあるので声はそれなりに通る。
マーダヴァンと、寝ていた筈のイムラーンまで笑い出した。
「爆弾の名前が『キャサリン』ってのはね」
腹まで押さえるマーダヴァンに、
「それ違うって! 布巾はチャットより一日遅らせるとか、あいつの暗号名をRTLにしたのとか同じ、符丁って奴ですよ。イムラーン、お前は寝ている時間だろ」
結局建物からの脱出自体には爆弾は不要となり、攪乱のため自分のタブレットで爆音まがいを作って逃亡経路とは反対側で流したがそれなりには機能しただろうか。
そして「キャサリン」はー
「眠れませんよ。毎晩この時間は神経を尖らせて起きていたでしょう。急に眠れって言われても……皆さんもそうじゃなかったですか」
イムラーンは起き上がって文句を言う。
今は二十三時半過ぎ。まだ「人狼」の時間には間があり、
「眠れたんじゃないかな。十二時にアラームを掛けておけば今だけは仮眠出来たと思うよ。……実は、わたしはそうしていた」
「眠れたんですか」
「それなりに」
と少し調子を変え、
「誰が『人狼』かわからなかったからこういうことは言わなかったけど、もういいよね」
暗い夜道にしみじみとマーダヴァンの声が流れる。
首輪がある限り奴らからはまだ逃れきっていないが、
「『リアル人狼ゲーム』はもう終わったんだな」
スンダルも返した。自分だけでなく皆実感しているだろう。
「考えてみれば酷くておかしな話でした。誘拐された同士で殺し合うなんて」
イムラーンの声は辺りの闇のように暗い。
「実際に殺したのはラジェーシュさんと、こっち側では最初はジョージさん。移動してからはロハンだけどね」
投票で決まった被処刑人を「刑場」まで力ずくで引っ張ってその日の「仕事」を終わらせたのは力自慢の彼だ。
「僕たちも同じです。あの人たちにやってもらったってだけですから」
イムラーンが反駁する。口の中でアッラーと神の名と共に何か唱えているのは許しを請うているのか。
(そりゃそうだけどさ)
大本の悪いカルマは誘拐犯連中が負うものだろう。
生き残るための正当防衛、かつ上手く立ち回って今日まで手を汚さなかったことに罪悪感も何もスンダルにはない。
さっき車で武装警備員を轢き殺したことでは気分が良くなっている。
(この業だけは来るかもしれないな)
「RTLってもしかしてUrvashi Rautelaから?」
空気を変えようとかマーダヴァンが尋ねた。
「そうですよ」
「『シュラーダー』は、シュラーダー・カプールだったり?」
「当たりです。何ですかその顔。悪いです?」
「ごめん。全然悪くないよ。好きなの?」
シュラーダーもウルヴァシも、と畳みかける。頷いて、
「ファンですよ」
「……随分好みの幅が広いなあと噂してた。ロハンとプラサットが」
そこか。
(ったく)
「シュラーダー・カプールは可愛い系、ウルヴァシ・ラウテラはセクシー系枠です。後は『賢いお姉さん系』が空白なんですけど、誰か知りません?」
「……ナヤンターラさん」
再度荷台の隅に横たわり直したイムラーンが腕を抱えたまま言う。
「は? 知らねえよ。もしかして南? タミルの女優さんとか?」
「そうです」
「タミル語なんてわかんねえもん! 意味ねえじゃん」
言い立てればイムラーンはぷいと首を側板に向ける。
「ところで『キャサリン』は誰? ハリウッドの人ならわたしはわからないかな」
「『RRR』。暴虐の限りを尽くすってことで」
マーダヴァンはまた笑い、イムラーンもぴくりと肩を揺らした。
「『RRR』からとは気が付かなかったな」
助手席ではアンビカが笑いを漏らす。
「ラクシュミは娯楽映画は見ないんだったよね。『RRR』も見てないか」
「見た」
慎重にハンドルを握りつつ答える。
ゴールデングローブのノミネートあたりから、仕事で会う外国人がやたらと話題に出してきた。インド人の自分が知らないのではと久々にヒット中の商業映画を見たがラクシュミの好みには合わなかった。
歴史の歪曲が目に余る。
史実では会うことがなかった独立運動の闘士の友情物語をでっち上げただけではなく、ラーマラージュの職業を勝手に警察官に変えている。実在の人物への冒涜だ。そういう話を書きたいのなら完全なフィクションで人物を作ればいいのにと思う。
評価出来る点はひとつ。
大英帝国の圧政への、ヒーローだけではないありとあらゆる人民の怒りが良く現れていたことだけだ。
「総督夫人、確かに暴虐の限りを尽くしてたね」
「力はシャクティだしね」
神の科学において、パワーは女神の力だ。その意味で女性名で悪くないかもしれない、とアンビカが言ったのとは全く違うことをラクシュミは返しー
「来た! 敵襲」
ダン、ダン。
銃撃だ。
叫んでハンドルを目の端に見えた光と反対側に切るが右腕に力が入りきらないうちに右脇道から出て来た車に先を塞がれかけ、急いで逆にハンドルを回す。
ドスッ! 向こうのライトとこちらの先頭が軽く接触するが乗用車と軽トラックではこちらの方がパワーは強い。反対車線に出て少し走ってからまた元の車線に、と敵の赤みを帯びた車が路肩側から見る間に追いついてくる。軽トラと乗用車ではスピードは勝負にならない。
ヒュッ!
後部窓から体を大きく乗り出した男がまた銃を撃ってきた。
軽トラの運転席の高さには届かず下部に当たったようだ。
射撃からはジグザクに逃げるといい、というのは俗説かどうか知らない。ラクシュミは右に左にと不規則に軽トラックを揺らしつつ先を急ぐ。
「運転席っ!」
荷台からスンダルの怒鳴り声。
「わかってる!」
敵を前に迎えるのは良くない。「道具」類とそれを操る「爆弾魔」は荷台で準備を揃えている。脇道に入って敵を後ろに付けさせるはずが曲がりきれなかった。目を凝らしてもしばらく入り込める道が見えない。が、
(あそこ!)
大きな木を半円で囲むように路肩に出っ張った箇所が見えた。
「撃つな!」
荷台で背を丸めて準備するスンダルがイムラーンを止める。
敵乗用車に見える人員はふたり。どちらも先ほど建物周りに居たのと同じ黒のアーマー姿、後部座席の男が最大限に乗り出しこちらに銃を向ける。
「ここから撃ったら奴らは余計前に回る。女の人たちが危険になる」
車はこの軽トラより軽く先行して寄せて来ている。
「ですがー」
「待とう」
やはり肩からライフルを掛け前を凝視するマーダヴァンが宥める。
だがこのままでは前方が危ないのは代わらない。今ここから自分だけ逃げる方法もない。
(やっぱ面倒臭え)
ダン!
(アンビカさん?)
助手席側からライフルが突き出て、前に回ろうとする車に向かって一発。
反動を抑えられず銃弾は思い切り上に飛んだようだ。彼女が撃つとは意外だ。
ダダダ!
「銃のレベルが違う」
イムラーンの嘆きの通り敵の方が武器がいい。撃ち合いは自殺行為だ。きゃあとアンビカが悲鳴を上げるが怪我はしていないようだ。ラクシュミはよく不規則に車を動かして致命傷を避けているが軽トラ前方にはもういくつも穴が開いているだろう。
「投石!」
左右に分かれマーダヴァンとイムラーンが荷台の石を車に投げるが前方距離があり当たっていない。いや、
バツン!
イムラーンの一発が後部ウインドウを破壊した。
(やった!)
タイヤがきしみ左方の大木の裏に回り込み、敵が荷台からもよく見えるようになる。
(危ないことはしたくないんだけどね)
猶予はない。
側板に片足をかけ手にしたものを二度に分けて投げた。次の瞬間、
「うわあっ!」
スンダルは絶叫した。
<注>
・シュラーダー・カプール ボリウッドの人気女優
・ウルヴァシ・ラウテラ 映画女優・モデル
デビューはボリウッド(ヒンディー語映画)、近年はタミル語やテルグ語など南インド映画にも出演。
・ナヤンターラ 南インド映画界のスター女優
マラヤラム語、タミル語、テルグ語映画などに出演。
※くわしい方への言い訳
これを執筆・アップした2023年11月現在では、ナヤンターラはボリウッドのトップスター、シャー・ルク・カーンと共演の『Jawan』(ヒンディー語)により全インド的に知名度が上がっていると思われます。
するとスンダルのセリフはおかしいのですが、作中設定は2023年の4月から5月頃のため、まだ『Jawan』の宣伝はそこまで本格的でなかっただろうと想定しました。(現地にて既にその頃有名だったならごめんなさい)
ついでですが同じくインドーカナダの外交関係も悪化してないので、アビマニュ家族も問題なく行き来出来ています。
「……そうだね」
マーダヴァンは曖昧に笑った。
「どうしてです? 俺が機械工学専攻だから?」
「うん。それもある」
荷物の詰め込まれた荷台、運転席を背にした右側でマーダヴァンとスンダルは低い声で交わす。左ではイムラーンが適当に布にくるまって仮眠中だ。
「というより君以外ではしっくりこない感じだったかな」
小さくため息を吐く。
数分前にラクシュミと運転を交替した。今のところ問題はないようだ。
助手席のアンビカに、いざという時のために見て覚えろ、と無茶ぶりしているのが聞こえたのには苦笑した。見て運転出来たら苦労しない。自分が免許持ちならわかるだろうにと首を傾げる。
荷台が男三人になったらひとり仮眠というのはラクシュミの指示で、ライフルを構え警戒し続けていたイムラーンからと促したのはスンダルだ。
流れる街灯のオレンジの光に少し体を丸めた寝顔は精悍さが消え年よりも幼く見える。
(……)
どうしてこんなことになったのやら。
シャツの下で汗ばむ体を感じながらスンダルは思い返していた。
ー美しい。
初代「シュラーダーちゃん」から流れるそれは子守唄のようにスンダルの耳をうっとりさせた。
マートゥリーが皆のタブレットに送り込んだチャットシステムに対し「連中」は当初通信経路を止めるだけの応急措置をした。今の首輪扱いと同じだ。プログラムが消されたのは翌日の昼だった。
様子を見つつその前に早々とプログラムをメモアプリにコピーし、二枚目以下に移し読み上げ機能で語らせシーツの下で延々と紙に書き取った。
建物移動でその紙も失ったが何度も聞いたお陰でフローチャートは頭に残っていた。それをモデルにスンダルは新たなチャットを作成した。
危険を冒し、また我ながら驚異的な忍耐力でプログラムを書き取ったのは、マートゥリーのプログラムが無駄なくかつ最大限に可能性が配慮された美しいものだったからだ。
IT方面への志望を止め機械工学へ進んだ理由のひとつは、コンピューターなら高校まで十分自力でやって今更学校で教わらなくてもと思ったためだ。
だがマートゥリーはーインド工科大という最高峰ということもありーあの短い間に自分とはレベル違いのプログラムを組んだ。おそらく、それ故連中に殺された。
スンダルは初めて大学でITを専攻しなかったことを悔しく思った。
だがそれは生き延びてから、とタブレットをいじりネットワークを観察出来る目途がついたのはこちらに移動しての四日目だ。
通信状況を見ればウルヴァシが「連中」と何らかの関係があるとわかる。
逃亡に回りの人間を利用しようと考え「爆弾魔」として布巾でデビューした直後で、早まったかと青くなった。
その後チャットシステムを真の連絡手段に変えて何とかここまで来た。故マートゥリーには頭が上がらない。
「キャサリン」
運転席からラクシュミの声が聞こえた。
助手席側のドアは最初からガラスはなく、運転席側は開けてあるので声はそれなりに通る。
マーダヴァンと、寝ていた筈のイムラーンまで笑い出した。
「爆弾の名前が『キャサリン』ってのはね」
腹まで押さえるマーダヴァンに、
「それ違うって! 布巾はチャットより一日遅らせるとか、あいつの暗号名をRTLにしたのとか同じ、符丁って奴ですよ。イムラーン、お前は寝ている時間だろ」
結局建物からの脱出自体には爆弾は不要となり、攪乱のため自分のタブレットで爆音まがいを作って逃亡経路とは反対側で流したがそれなりには機能しただろうか。
そして「キャサリン」はー
「眠れませんよ。毎晩この時間は神経を尖らせて起きていたでしょう。急に眠れって言われても……皆さんもそうじゃなかったですか」
イムラーンは起き上がって文句を言う。
今は二十三時半過ぎ。まだ「人狼」の時間には間があり、
「眠れたんじゃないかな。十二時にアラームを掛けておけば今だけは仮眠出来たと思うよ。……実は、わたしはそうしていた」
「眠れたんですか」
「それなりに」
と少し調子を変え、
「誰が『人狼』かわからなかったからこういうことは言わなかったけど、もういいよね」
暗い夜道にしみじみとマーダヴァンの声が流れる。
首輪がある限り奴らからはまだ逃れきっていないが、
「『リアル人狼ゲーム』はもう終わったんだな」
スンダルも返した。自分だけでなく皆実感しているだろう。
「考えてみれば酷くておかしな話でした。誘拐された同士で殺し合うなんて」
イムラーンの声は辺りの闇のように暗い。
「実際に殺したのはラジェーシュさんと、こっち側では最初はジョージさん。移動してからはロハンだけどね」
投票で決まった被処刑人を「刑場」まで力ずくで引っ張ってその日の「仕事」を終わらせたのは力自慢の彼だ。
「僕たちも同じです。あの人たちにやってもらったってだけですから」
イムラーンが反駁する。口の中でアッラーと神の名と共に何か唱えているのは許しを請うているのか。
(そりゃそうだけどさ)
大本の悪いカルマは誘拐犯連中が負うものだろう。
生き残るための正当防衛、かつ上手く立ち回って今日まで手を汚さなかったことに罪悪感も何もスンダルにはない。
さっき車で武装警備員を轢き殺したことでは気分が良くなっている。
(この業だけは来るかもしれないな)
「RTLってもしかしてUrvashi Rautelaから?」
空気を変えようとかマーダヴァンが尋ねた。
「そうですよ」
「『シュラーダー』は、シュラーダー・カプールだったり?」
「当たりです。何ですかその顔。悪いです?」
「ごめん。全然悪くないよ。好きなの?」
シュラーダーもウルヴァシも、と畳みかける。頷いて、
「ファンですよ」
「……随分好みの幅が広いなあと噂してた。ロハンとプラサットが」
そこか。
(ったく)
「シュラーダー・カプールは可愛い系、ウルヴァシ・ラウテラはセクシー系枠です。後は『賢いお姉さん系』が空白なんですけど、誰か知りません?」
「……ナヤンターラさん」
再度荷台の隅に横たわり直したイムラーンが腕を抱えたまま言う。
「は? 知らねえよ。もしかして南? タミルの女優さんとか?」
「そうです」
「タミル語なんてわかんねえもん! 意味ねえじゃん」
言い立てればイムラーンはぷいと首を側板に向ける。
「ところで『キャサリン』は誰? ハリウッドの人ならわたしはわからないかな」
「『RRR』。暴虐の限りを尽くすってことで」
マーダヴァンはまた笑い、イムラーンもぴくりと肩を揺らした。
「『RRR』からとは気が付かなかったな」
助手席ではアンビカが笑いを漏らす。
「ラクシュミは娯楽映画は見ないんだったよね。『RRR』も見てないか」
「見た」
慎重にハンドルを握りつつ答える。
ゴールデングローブのノミネートあたりから、仕事で会う外国人がやたらと話題に出してきた。インド人の自分が知らないのではと久々にヒット中の商業映画を見たがラクシュミの好みには合わなかった。
歴史の歪曲が目に余る。
史実では会うことがなかった独立運動の闘士の友情物語をでっち上げただけではなく、ラーマラージュの職業を勝手に警察官に変えている。実在の人物への冒涜だ。そういう話を書きたいのなら完全なフィクションで人物を作ればいいのにと思う。
評価出来る点はひとつ。
大英帝国の圧政への、ヒーローだけではないありとあらゆる人民の怒りが良く現れていたことだけだ。
「総督夫人、確かに暴虐の限りを尽くしてたね」
「力はシャクティだしね」
神の科学において、パワーは女神の力だ。その意味で女性名で悪くないかもしれない、とアンビカが言ったのとは全く違うことをラクシュミは返しー
「来た! 敵襲」
ダン、ダン。
銃撃だ。
叫んでハンドルを目の端に見えた光と反対側に切るが右腕に力が入りきらないうちに右脇道から出て来た車に先を塞がれかけ、急いで逆にハンドルを回す。
ドスッ! 向こうのライトとこちらの先頭が軽く接触するが乗用車と軽トラックではこちらの方がパワーは強い。反対車線に出て少し走ってからまた元の車線に、と敵の赤みを帯びた車が路肩側から見る間に追いついてくる。軽トラと乗用車ではスピードは勝負にならない。
ヒュッ!
後部窓から体を大きく乗り出した男がまた銃を撃ってきた。
軽トラの運転席の高さには届かず下部に当たったようだ。
射撃からはジグザクに逃げるといい、というのは俗説かどうか知らない。ラクシュミは右に左にと不規則に軽トラックを揺らしつつ先を急ぐ。
「運転席っ!」
荷台からスンダルの怒鳴り声。
「わかってる!」
敵を前に迎えるのは良くない。「道具」類とそれを操る「爆弾魔」は荷台で準備を揃えている。脇道に入って敵を後ろに付けさせるはずが曲がりきれなかった。目を凝らしてもしばらく入り込める道が見えない。が、
(あそこ!)
大きな木を半円で囲むように路肩に出っ張った箇所が見えた。
「撃つな!」
荷台で背を丸めて準備するスンダルがイムラーンを止める。
敵乗用車に見える人員はふたり。どちらも先ほど建物周りに居たのと同じ黒のアーマー姿、後部座席の男が最大限に乗り出しこちらに銃を向ける。
「ここから撃ったら奴らは余計前に回る。女の人たちが危険になる」
車はこの軽トラより軽く先行して寄せて来ている。
「ですがー」
「待とう」
やはり肩からライフルを掛け前を凝視するマーダヴァンが宥める。
だがこのままでは前方が危ないのは代わらない。今ここから自分だけ逃げる方法もない。
(やっぱ面倒臭え)
ダン!
(アンビカさん?)
助手席側からライフルが突き出て、前に回ろうとする車に向かって一発。
反動を抑えられず銃弾は思い切り上に飛んだようだ。彼女が撃つとは意外だ。
ダダダ!
「銃のレベルが違う」
イムラーンの嘆きの通り敵の方が武器がいい。撃ち合いは自殺行為だ。きゃあとアンビカが悲鳴を上げるが怪我はしていないようだ。ラクシュミはよく不規則に車を動かして致命傷を避けているが軽トラ前方にはもういくつも穴が開いているだろう。
「投石!」
左右に分かれマーダヴァンとイムラーンが荷台の石を車に投げるが前方距離があり当たっていない。いや、
バツン!
イムラーンの一発が後部ウインドウを破壊した。
(やった!)
タイヤがきしみ左方の大木の裏に回り込み、敵が荷台からもよく見えるようになる。
(危ないことはしたくないんだけどね)
猶予はない。
側板に片足をかけ手にしたものを二度に分けて投げた。次の瞬間、
「うわあっ!」
スンダルは絶叫した。
<注>
・シュラーダー・カプール ボリウッドの人気女優
・ウルヴァシ・ラウテラ 映画女優・モデル
デビューはボリウッド(ヒンディー語映画)、近年はタミル語やテルグ語など南インド映画にも出演。
・ナヤンターラ 南インド映画界のスター女優
マラヤラム語、タミル語、テルグ語映画などに出演。
※くわしい方への言い訳
これを執筆・アップした2023年11月現在では、ナヤンターラはボリウッドのトップスター、シャー・ルク・カーンと共演の『Jawan』(ヒンディー語)により全インド的に知名度が上がっていると思われます。
するとスンダルのセリフはおかしいのですが、作中設定は2023年の4月から5月頃のため、まだ『Jawan』の宣伝はそこまで本格的でなかっただろうと想定しました。(現地にて既にその頃有名だったならごめんなさい)
ついでですが同じくインドーカナダの外交関係も悪化してないので、アビマニュ家族も問題なく行き来出来ています。
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