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第7章 混乱へようこそ(新4日目)

7ー6 恐怖(新4日目夜)

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 前の晩、天井裏に上った者が三人いた。
 ひとりは男性、もうひとりはファルハ。シーツとタブレットを持ち込んで廊下側の境に沿って奥に入り込み、三時過ぎにセットしたアラームで降りてベッドで一寝入りした。それが人生最後の眠りとなった。

 もうひとりが「彼女」だ。
 上るのにも苦労したが、点検口の蓋を閉めた途端に真っ暗になり様相が変わって絶句した。
 移動したら迷子になって戻れなくなりそうだ。かといって上り口回りではすぐに見つかる。だからと奥に進んだ挙げ句「狼」に襲われたら逃げ場がない。
 万一の時、真っ暗で無機質な空間が死に場所となるのは耐えきれなかった。
 タブレットの明かりは慰めにならないほど頼りなく、闇と圧迫感に我慢がきかず彼女は天井裏での睡眠を断念した。下りてみれば上にいたのは十五分ほどに過ぎなかったが、それを酷く長く感じるようではとても無理だ。
 今晩はそれを逆利用した。

 部屋の電気は消してバスルームだけつけておく。
 前夜上った時に使った白いテーブルとバケツを点検口下に、そこから天井裏に手を延ばしてタブレットを滑らせた。やはり前の晩に使った上るためのセット、ライトスタンドの笠を外したものにタオルを結び、棒のように点検口上にまたがらせた。その下を滑らせ蓋を静かに戻す。
 ダルシカが指摘したようなずらした跡は勿論残してだ。

 部屋の電気を消せばバスルームのドア下から光が室内にもれる。よしこれでいい、とベッド下に潜り込んだ。
 天井裏に逃げていると勘違いされている間、時間が稼げる。
 後のことは考えても思いつかなかったのでその時に出来ることで危険を避けることにした。

 うとうとしている間の物音で本当に「人狼」が襲いに来たとわかった。
(どうして?)
 襲われないと思い込んでいた。
 襲撃されるのはシドやディヴィアのように目立って発言する人たちで、人畜無害な自分が選ばれるとは想像外だ。「狼」にだって利益はないはず。
 など今さら文句を言っても始まらない。手足を縮めてじっと様子を窺う。

 「狼」はバスルーム前にしばらく立っていた後、ドアをガチャガチャと鳴らしてからいきなり蹴った。
 バスルームには鍵がかけてある。
 ドアノブのつまみを横にするだけの簡単なもので、外からはコインを凹みに入れて回せば解除出来るのがよく知られている。彼女はコンセントの先端を使って外から回して鍵をかけた。
 これも時間稼ぎだ。

 息を殺しているうちに「人狼」は歩き回り出した。
 部屋が明るくなる。入り口横のスイッチを入れたのだ。それからクローゼットの方へ。
(部屋にいるってバレたんだろうか)
 冷房漬けで緩くなった鼻が垂れそうになったがすすり音など言語道断だ。鼻水程度いくら垂れ下がっても問題ないと自分に言い聞かせる。
(誰だろう)
 足元しか見えない。白いシンプルな作りの靴は見覚えがなく、その上はジーンズだが履いていた者が多く判断できない。

 クローゼットを開けた「狼」はすぐ戻り部屋の奥、つまり自分のいる方へ近づいて来た。
 鼓動が耳に響く。全身血の気が引いて寒い。
 「狼」はベッドサイドを歩くと足を止め、腰を屈めた。
(ああ)
 一撃を受けたように心臓が縮む。

 「人狼」はベッド下ではなく反対の、テーブルが置いてあった方へ向けて屈み、何か手に取って回しつつ遠ざかった。
 涙が滲んだ目元を擦る。
 「人狼」が誰かわかった。
(……)

 コンセントとは別の何かでつまみを回したのだろう、バスルームのドアを開け「人狼」は中に入った。開け放たれたバスルームの光がベッドサイドまで長く延び、ベッド下の暗さを際立たせる。
 そういえばここも暗くて狭いのは天井裏と同じだ。
 どく、どく、どく。
 心臓は今も早鐘のように打つ。

 音の気配から「人狼」がバスルーム天井より徐々に部屋の中央方面へ動いていくのがわかった。
 ベッド下から這い出て、クローゼットの引出しに投げ込んでおいたコピー紙とボールペンを取り出す。クローゼットドアを下敷きに、

「人狼はー」

 と名前を書きつけ、
(一瞬だけなら大丈夫なはず!)
 いざとなったら間違いましたごめんなさいをすればいい、と閉められていた部屋のドアを引き開け廊下に飛び出した。
 向かいの部屋のドア下へ名を書いた紙を差し入れるが1センチほどはみ出て入らない。「人狼」に見つかったら処分される、と先をちまちまと三角に折り目立たないようドア下へ押し込んだ。

 自分の部屋側へ身を翻し我に返る。
 考えなしに飛び出したが部屋のドアは重い。開ける時乱暴というほどではないが音を殺そうと注意はしなかった。結構な音が立ったのではないか。
 開け放たれたドアの向こう、一番奥でモニターの文字が点滅している。
 ヒンディー語は苦手なのにこうカチカチされたら読めやしない。
 意味はわかる。警告、警告、ルール違反です、だ。
 中へ戻らなくてはならない。だが自分が天井裏にいないのを「狼」が気づいたとしたらどこへ隠れればいい?
 自分は見つからないタイプ、というのは人が多くいる場所での話だというのがようやく腑に落ちる。今真夜中のここには自分と「狼」しかいない。どこにも紛れられない。
 人狼は銃を持っている。
 シドやディヴィアの遺体の姿が頭をかすめる。
 怖い。足が動かない。
 天井上のくぐもった音が這う時に床を蹴る足音や乱雑にスタンドの軸を動かす音に変わる。バスルーム上に戻って来た! 
(やっぱりバレたんだ)
 反射的に踵を返し、
(ああっ!)
 目を見張り、首の小さな痛みに体の自由を奪われ倒れ込みながらラディカの意識は闇に消えた。


「人狼」は廊下に倒れた彼女を見つけた。
 銃を構えつつ慎重に近寄ってしゃがみ、触れて死を確認する。
 少し迷ったが証拠は少ないほどいい。
 ラディカの部屋に戻り、天井裏の仕掛けとタブレットを下ろしテーブルも元に戻し時間をかけて室内を整えた。床にペンが転がっていたので念のため引出しやベッド下と隅々まで見たが書き付けの類は見つからなかった。
 ルール違反をわかっていながら室外に逃げるとは余程恐かったのだろうと哀れんだ。
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