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第3章 カオスへようこそ(3日目)

3ー1 祈り(3日目朝)

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 二度目の朝ともなれば安否確認の大切さは理解されている。
 座席前の番号札に葉が結び付けられなかったのはひとり。プージャだけだった。

 クリスティーナが部屋から廊下に出た時、アンビカとファルハはもうプージャの部屋前にいた。廊下を回って部屋に着くとアンビカは泣き笑いのような安堵を見せたが、すぐ困ったように眉を寄せた。ファルハも頼る視線でこちらを見る。
(そうか)
「プージャ」
 声をかけながら手を延ばす。頬に温かみはあるが「ぬくもり」とまではいえない。脈を取るために一歩部屋に足を踏み入れる。薬の記憶による緊張は、何事もなかったことで別のものに変わる。
 首と手首、鼻先の呼吸と確かめたが警告がない以上わかっている。
 大きく首を横に振った。

「ひとつだけ……。人生の最後においしいものを食べられたことは幸運だった」
 枕元の水にもスナックにも手は付けられていなかったが、小さな皿のキチュリは減っていた。
「……お嫁さんになれるって言ったのにぃ」
 アンビカは声を絞って泣いた。


(何がどうなっているの?!)
 朝食のテーブルの話題は「プージャの死の原因」ー「人狼」が関与したかどうかーと「幽霊」の二点だった。
「『狼』だって好きで殺しをやるわけじゃねえ。楽に済みそうで、どっちにろ怪我でヤバい状態だったなら罪悪感も少ない」
 千切ったチャパティを手にラジェーシュが言った。
「そうでしょうか」
 イムラーンが返す。今朝は肩につく髪がかなりしっかりと梳かされている。
「それは昨日、殺人に手を染めるまでではないかと」
 一度犯したら勢いがつく、ましてここは警察もいない治外法権だと主張した。
「そりゃ結局『狼』の奴の性格に寄るってことだよなあ」
 今朝の主菜はダル(豆カレー)とマイルドなチキンカレーだ。庭で摘んだトゥラシーティーも煎れられている。
 おいしいカレーを口に運ぶたびに生きていること実感する。一方。
 プージャに外傷は見られなかった。念の為服をめくって顔を突っ込んだーただし慎み深かった彼女のために下着はそのままでーが何もなかった。遺体を一階に運ぶ一員となったマーダヴァンも死因は何とも言えないと言葉少なだった。
『亡くなってもおかしくない状態ではあったと思います』
 失血とそれによる体調悪化による死か。ただし、
「あの状態で抵抗力は弱い。タオルか何かを顔に掛けて鼻と口を塞いだなら跡は残らない」
 頬も首元もきれいだったが殺害の可能性は残ると指摘した。その場合昨夜「人狼」はプージャを噛んだことになる。
 そうでなかった場合、
「『武士』が残っている可能性もあるってことか」
 ファルハは丁寧にアチャールをご飯に混ぜながら呟く。
「それか『聖者』が『祝福』を与えたのかもしれません」
 アビマニュが返す。
「それってヤバい奴だったよな」
「はい。翌日には残っている『狼』の数だけ『村人』を殺せて、えーと後は、『象使い』が『子象』になって、『子象』は『象』になって『狼』をもうひとり知ることが出来る」
 そして当の「聖者」はその後の会議で一票でも票が入った場合「タントラ」へ、とタブレットを確認しながら彼はラジェーシュに答える。
(「霊能者」が増えてくれるのはむしろありがたい気がするけど、これだったら今夜が恐い)
 「人狼」がふたり残っていたならふたり襲われる。しかも「象使い」が「「子象」になって村人カウントの人間がひとり減っている。
 「祝福」は出来る限り使って欲しくない能力だ。そのあたり初日に強調した記憶がある。

「『狼』がプージャを襲っていないとしたらそのふたつしかない」
 「武士」の守りか「聖者」の「祝福」か。
「あともうひとつ。『人狼』が襲撃に選んだ相手が『象』だった、って可能性もある」
「あっ!」
 自分の指摘にそうだったと正面でアビマニュが声を上げる。
「それどういうルールでしたっけ?」
 イムラーンが尋ねる。
「『象』だけは『狼』に襲撃されても死なない。ルールブック見てみて」
 日本の人狼物では夜人狼が部屋を開けようとしても開かないと描かれることが多かった。答えると彼は膝に置いたタブレットを手早く繰る。
「電子錠だからここでも出来ると思う。この場合『狼』は私たちが知らない確実な情報をひとつ得た」
「?」
「誰が『象』かってこと」
 正確な情報は人狼ゲームの要。彼らは一挙に有利になる。
「するとどうなります?」
「……『人狼』は『象』を処刑対象に選ぶよう誘導するだろうね」
 アビマニュに答える。
「自分たち『狼』では殺せない。だけど「村人」との間で勝負がつく前に殺しておかないと最後勝ちをかっ攫われる」
 そして。
「処刑を誘導したいのは『子象』も同じ。自分が知っている『狼』に票が集まるように努めるんじゃないかな」
 「子象」には最初の夜「人狼」のひとりが明かされる。もし「聖者」の祝福があったなら「象」に変成してもうひとりも知る。
「『象』陣営は『村人』と『狼』のどっちが勝ってもいいんだよね」
 ファルハが首を傾げる。
「うん。だから、ああそうか。『人狼』みたいに絶対に殺さなくてはというんじゃない。けど『村人』が『狼』に勝つパターンの方が早く勝負がつく。……こっちはラジェーシュさんが言ったみたいにその人の考えにも寄るかな」

 つまり、これからは誰が誰を処刑に誘導するかより注意しなくてはならないー
 ちらりとイムラーンに目を向ける。ちょうど食べ終わって立ち上がったところだ。
(ラクシュミに対するイムラーン。ただあれは彼の方が何度も「狼」扱いされたお返しってところもあった)
 後は、ラジェーシュとアンビカに対するラクシュミ。
 イムラーンやラクシュミが「象」だったら?
「そうだ! クリスティーナ、昨日の占いはどうだったの?」
 ファルハが覗き込む。部屋を出ようとしていたイムラーン始め皆がざっと注目した。
「それ、ベジの人もいるところでいいかな? 昨日ああだったから、ベジとノンベジの間に亀裂が入らないよう気を付けたいんだ」
 仰いで言うと何人かが頷く。
「……ベジの人たちは肉を食べることに残忍だとか、命を大切にしないとかいうイメージがあると思う。普段はそう考えてなくても、こういう時は『ノンベジタリアンなら殺すことを躊躇しないのでは?』ってイメージに引きずられてしまうのかも」
 先ほど食べ始めたアンビカが伏せがちに言う。
「植物も生き物なんだけどね」
 ふっと口に出すと私もそう思うと彼女はにっこり笑った。
「そうだ。皆にお願い。包丁を持ち出すのはいいけれど、もし人に使った時は黙って戻さないでね」
 ぎくり。
「ああ?」
 何だそれと声を上げたラジェーシュにアンビカは説明する。
 今朝台所に入ったら包丁類が一本もなかった。下準備をしているうちに一本、二本と食材庫の方に黙って置かれ計三本とフルーツナイフ一本が元の通り揃った。
(わかるけど……シュールなお願いだな)
 こっそりナイフを戻したひとり、後ろめたいながら思う。
「一部の人だけが包丁を持てるってずるくないですか」
 イムラーンは不満を隠さない。
「先に気付いた奴の勝ちだ、文句言うなよ。だけど今夜は面倒になるんじゃねえか、アンビカさんよお」
 ラジェーシュの返しにこくこくと彼女は頷く。
「人数分ないからね。くじを作ろうか? 当たりを引いた人が包丁を持っていっていいって」
「女性優先にはならないの?」
 聞いたのはファルハ。彼女も包丁を持ちだしたのだろうか。
「悪いがそれはない。腕力の弱い人が持っても奪われてかえって危ないだけだ。現実に使えるのは男だろう。恐いのはわかるから持つなとは言いませんが」
 ジョージが静かに返す。
「言い分は色々あると思う。今日の夕飯までに考えておいて。特になければくじを作って希望する人が引けるようにしておく」
 下手をしたら血を見る争いになりかねないところアンビカは上手く収めた。
(今夜はまたペンに逆戻りかな)
 トゥラシーティーの独特の香りが心地良く鼻を掠めた。
 あとは「幽霊」だ。自分にはよくわからないその話を上手く聞き出さなければならない。


 作業に入る前にふとキリスト教徒の礼拝室へ立ち寄った。
「ちょうど良かった。お姉さんも一緒に祈りませんか」
 レイチェルが顔を輝かせ、ジョージはすぐさま青い折り畳み椅子を持って来て置いてくれる。これでキリスト教徒全員が揃った。
 十字架に向かう椅子の端に座ると、レイチェルはテーブル上の聖書を開き詩篇23を読み始めた。普段の話し声よりもはっきりしていて聞きやすい。


 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
 主はわたしを青草の原に休ませ
 憩いの水のほとりに伴い
 魂を生き返らせてくださる。

 主は御名にふさわしく
 わたしを正しい道に導かれる。
 死の陰の谷を行くときも
 わたしは災いを恐れない。
 あなたがわたしと共にいてくださる。


(私は恐い。信仰が足りないんですね)
 人を殺せと指差すこと。
 身を守るために、たまたま「人狼」役を押しつけられたに過ぎない自分と同じ被害者を殺すかもしれないこと。
 これからの希望、未来そのものの年下の人たちを守れないこと。
 殺されること。物事を成し遂げられないこと。
 「占星術師」なのに「狼」が見つけられないこと。
(どうか私を導いてください)
 私の信仰を強くしてください。前に進めるように。
 

 ひざまずいて主の祈りを唱え、ジョージが、
「わたしたちを速やかにここから逃れさせ、無事家に帰らせてください」
 と口にしてからしばしそれぞれの祈りの時間となった。
 広間とは違い小部屋のここは肌を刺すほど空気が冷えている。遠くの人の声、足音。それぞれが命の証だ。
 まずは生き延びられたことに感謝を捧げる。
(神様)
 お願いです、ここにいる皆を助けてください。
 それから亡くなった人の魂に慰めを。
 ーそんな簡単に慰められるものか。こんなところで、このひどい「ゲーム」で無様に殺されて。
 だから。
 裁きはあなたの仕事。どうぞ、
(奴らに鉄槌を!)




※詩篇23は「新共同訳聖書」日本聖書協会 より引用しました。

 

 


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