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8 色んな人に負けたくないって思う、そんな負けず嫌いの自分を自覚するこの頃。
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『残念でしたが、でも良かったですね。ダイエットのゴールの日が決まりましたね。』
アユさんに報告した。もちろん一鉄の式の日のことだ。
あっさりと残念だったで終わった旅行予定。
他にも連休はあるし、有休を使えばいいくらい。
アユさんも有休はあるし、取るのは難しくないと言う。
また決めればいい。
昨日は少しお酒も入ったから、今日はおかずとサラダとヨーグルトにした。
体が軽くなるって、そんなことがあるんだと思った。
つい立ち上がるときの『ヨイショ』の掛け声が、『ヨイッ』くらいには短くなった。
アユさんと一緒のときはそんな掛け声も我慢してる。
だって・・・ある時の編集会議が終わって、一様に先輩達も掛け声をかけて立ち上がったことがあった。
それを聞いた宇佐美さんが遠慮もなく『オジサンと働いてるみたいです。』そう言った。
皆が顔を見合わせた。
それから気をつけてる。
やっぱり女の子が入ってくれて、良かったと思う。
「ギイチさん、痩せましたよね?」
「うん、なんだかね。」
「だって今まで顔を上げて、さらに息を止めてキャビネットの奥に入ってたのに。
難なくすっと入って出てきましたよね。」
気づいてくれたことは嬉しい。でもそんなによく見られてたなんて、恥ずかしい。
顔を上げても、息を止めても入れない先輩の分もいろいろと用を言いつけられていた。
まだ、なんとか細い方だったのだ。
それでも最近は掛け声も出さず、すっと立ち上がれて、気合無しで狭いキャビネットの奥まで行けるんだから。
本当にアユさんのおかげだ。
実は減った数字が二桁いきそうだった。
体が軽くなって体重計が教えてくれる数字もちょっとづついい感じになってきた。
早く仕事が終わった日はちょっとだけ早足の散歩をすることにしてる。
まだ昼間の日差しの熱が残っていて、じりじりしてる時間。
ペットボトルを持って腕を振って歩く。
変な人に思われないように軽快な足音を心がけてる。
時々先輩達の視線が痛い。
仕事を早く終わりにしようものなら、アユさんとの約束をつぶそうと飲みに誘われそうだ。
何となくうかがわれてる。
それも恥ずかしいのに。
でもそんなソワソワをぶち壊すような報告が・・・・・報告したい人がいた。
それは隠せないくらいうれしい報告だったらしくて。
「おはよう。」
満面の笑み、それ以上の何か、そして言いたくて仕方ないらしい緩んだ口元。
「根岸先輩、朝から顔がとろけてますが、どうしましたか?」
宇佐美さんがさっさと聞いてくれた。
本当に気が利く・・・・・か、うんざりしてる?
「それが昨日の夜からこうなんだよ、寝てる間もこんなだった自信があるんだ。」
あっさり先輩が認めた。
やっぱり何かを報告したいらしい。
「そうですか。見てる分には暑苦しいので、さっさと現実に戻って欲しいですが、どうしても言いたいなら聞きますよ。そこまでがこの間のイベントの反省会でしょうから。」
やっぱりそうなんだろう。
そして宇佐美さんも本当にポンポンドスドスと言いたいことを言うようになった。
「もしかして、野倉さんですか?」
こっちを見た先輩の顔で、『良かったですね。』と話を終わりにしていいくらい丸わかりだった。
もしかして先を越されて夜を越えられたんじゃないかと、ちょっとだけ羨ましいと思いつつ、嫉妬してしまいそうになったけど。
「とうとう野倉さんとお友達をこえてお付き合いすることになりました。」
「告白してとりあえずOKもらえたって事でいいですか?」
普通のトーンで聞かれた先輩が宇佐美さんに嬉しそうにうなずいてる。
それだけ・・・・・でいい?
超えたのは『友達』の壁だけ?
「まあ、そうですよね。良かったですね先輩。」
「おめでとうございます、先輩。」
そう言ったけど、当然さっきの発表は皆に聞こえて、心に鋭いくらいの切っ先を突き付けたみたいで。
おのれ・・・やっぱり一人抜け駆けか・・・・・出し抜かれた・・・・・っもう仲間じゃない・・・・。
じりじりとそんな雰囲気が伝わる。
それでもこの間披露されてワンクッションあったし、一番の先輩だから誰も言葉にはしなかった。
僕も身に覚えがあるし、その壁を越えようとしてOKもらえただけでもうれしくて、一鉄に浮かれたメールを送った。
皆に披露するほどの度胸はなかったけど、多分このくらい浮かれてたんだろう。
アユさんは知ってるんだろうか?
野倉さんから直接報告が来たかもしれない。
後で聞いてみよう。
そう思って先輩と同じくらい表情が緩んだのを宇佐美さんに見られた。
「ギイチさん、それは夜にどうぞ。」
多分バレたんだろう。
「先輩もギイチさんも、他の方も、仕事しましょう。」
ちょうど始業時間になったらしい。
フレックスが堂々とされて、あまり時間にはきちんとしてないけど、珍しくほとんどの人が揃っていた今日だった。
微妙な空気の中、宇佐美さんだけが仕事モードにさっさと切り替えた。
「ギイチ、彼女にお礼を言っててくれ。本当にお前にも感謝してるし。」
こっそりお昼の時間に言われた。
「良かったです。僕もうれしいです、きっとアユさんも。」
普通レベルにまで戻っていた先輩の顔がまたとろけた。
先輩と野倉さん。野倉さんの顔はあんまり思い出せなくなった。
僕もいろいろあった日でしたから、許して下さい。
でも良かったと思う。
本当に良かった。
夜まで待ちきれなくて仕事の後に連絡をしたら、夜ご飯を一緒にと誘われた。
本当に珍しいことだった。
先輩のことは既に野倉さんから報告が来ていたらしい。
あれからも時々連絡を取ってるらしい。
そこは鉄道の趣味でもつながるし、お互いにおすすめの場所やイベント情報を交換して。
ついでに僕のサイトも紹介してくれたらしいけど、先輩のサイトもすごいのだ。
それは敵わない。
「二人とも凄すぎて比べられません。」
そう言われた。それはそれでうれしい。
「ああ、私も負けてられません。」
アユさんがそう続けた。
「アユさんも自分のページを作ったの?」
そう聞いた。
興味あるなあ。僕と一緒に行った場所の写真や感想が載せられてるのかも。
「そっちじゃないです。鉄道愛と人間愛の話です。私は人間愛の方で頑張ります。」
「人間愛?博愛精神?」
「違います。」
大きな声で否定された。
「対象は一人だけです。鉄の車両に負けないくらいにギイチさんの心を掴みたいです。」
小さく続けてくれたのが、もはや幻聴レベルのセリフだった。
解釈は間違ってないだろうか?
じっとアユさんを見た。
グッと近寄って来られて、ビックリして、あやうくつられて自分も目を閉じるところだった。
やっぱり解釈は間違ってないと思った。
ちょっとの触れ合いと音がした。
あの日以来だった。
離れて、アユさんが目を開けたから、照れるのも抑え気味にして、ちゃんと目を見て伝えた。
「車両より音より振動よりお弁当より、もう何よりも、目の前にいてくれるアユさんが一番です。」
・・・・お弁当にも勝ちましたか・・・、そうつぶやかれた。
平日で、急遽入ったのは半分個室の居酒屋だった。
一応あんまり食べ過ぎないように、ちょっとだけ食べて帰るつもりで。
他の人の視線が届かない空間だと途端に大胆になれるらしいアユさん。
そこはびっくりだった。
週末泊まりに来てくれる約束。
一鉄のアドバイス通りちゃんと用意した。
一番手ごわいものを買った後の満足感で、他の物は全く手つかずで。
でもいつもちょっとづつ綺麗にしていた。
週末に向けてやり残しがないように考えて、計画を立てて。
そんな計画を曜日の日課のようにして繰り返して、数週間が過ぎた。
自分から言い出すことはなく、アユさんに誘われることもなく、外で会って食事をしたりしていた。
ある日は自分の部屋に来てくれた。
ちょっとだけ期待はしたけど、明日は仕事だと早々に言われてた。
滅多にない週末の出勤。
店舗周りがあるらしい、それはたいてい週末らしい、そして季節の変わり目にはある事らしい。
そう言われれば夏になる前もあった気がした。
そしてあれは幻聴だったのだろうかと、半分疑い始めた頃。
「ギイチさん、来週、泊まりに来てもいいですか?」
幻聴再び。でもアユさんの口もそう動いていた。
専門的に読唇術なる技はないけど、違和感はなかった。
幻聴というなら、正しくは何と言ったんだろう????
「ギイチさん?」
我に返った。多分幻聴じゃないと信じて、答えた。
「あ・・・・あ・・・、うん。是非、泊まりに来てください。」
「楽しみにしてていいですか?」
何を?何かの記念日?何だろう?考えた。
「ごめんなさい・・・・何かの記念日ですか?ちゃんと日にちはいろいろメモってます。すぐには思い出せないけど、パソコンの日記を見たらわかります。すみません・・・・何の日ですか?」
ケーキとか花束も必要?
大切に数えてるから、でもテンパっていて、すぐには思い出せない。
カレンダーに書かれた小さな日にちを見る。
ただの数字。五日ごとに書いてる数字、出会ってからの日にち。
初めて話をした日からの数字だ。
半年は過ぎて、一年にはなってない、そんな半端な時期だけど・・・・。
「記念日にしたいです。いいですよね。」
正面から見られた。
顔が近い。
目は閉じられずに、そらせずに。
ちょっと顔が赤いアユさん。
自分もだろう。
「もちろん。初めての・・・。」
途中で止めた。何を言っても変だ。
もしあれが必要だとして、いつどんなタイミングでそんな方向に行くのか、近くにいて一鉄に囁いてもらいたいくらいだけど・・・・・よく考えなくても変だし、邪魔だろう。
自分からはどうしてもいけない。きっと・・・・絶対無理だろう。
そこもアユさん任せのリードにくっついていく、でもいいんだろうか?年下の女の子なのに。
だって、僕よりは・・・・・もうとっくに・・・・。
そんな事は考えないようにした。
ただ前を向くことにする。
時間は常に前にすすむ、自分もそっちを向いて進みたい。
時々一鉄からも浮かれた報告が来る。
奈央さんが試着したドレスが最高に似合ってた、アクセサリーもキラキラと奈央さんを引き立てていた、担当の人に協力的でいい人だと褒められたとか、もうそんないろいろを。
あえて言い直さなくても、100%の惚気だと分かる。
むしろ時間が経った今でも、一緒に住んでる今でも、友達に堂々と惚気られる一鉄が凄い。
もしかしたらハルヒちゃんが早々にギブアップして鬱陶しいと断られたとか?
僕も我慢できなくて、いろんな惚気に対抗したい、先輩にも負けたくない、もしかしたら何かアドバイスをもらえるかも、ああ緊張が高まる、いろんな思いがあって、一鉄にだけ教えた。
『今週はアユさんが泊まりに来てくれる。初めて泊まりに来てくれるんだ。』
そう書いただけで真っ赤になる自分。
すぐに電話が来た。
背後はうるさい音がする。
部屋にいる訳じゃないみたいだ。
『ギイチ、いよいよなの?』
「な、何が?」
そう聞かれると、答えづらい。一人でそう思っても、そうとは限らないし。
先行きも怪しいし。
『ちゃんと買った?』
「・・・・うん。」もちろん。一応の時のために準備は十分。
『良かったね。また一歩進むね。その日は何日目?』
前にカレンダーに書かれた数字を見て聞かれて、馬鹿正直に出会ってからの日にちを数えてる事を教えた。
それ以外の思い出も記録してることも教えた。
だって一鉄と奈央さんみたいに何でもない二人の写真を取り合うなんてことはあんまりなかった。
イベントの時に、あの車両での初めての瞬間の後に、その後も時々。
記録は完全に残したいタイプだ。
だからすぐにカレンダーを見て答えられる自分。
『なんだか新鮮だなあ。僕も緊張してくる。どうしよう。奈央にバレるかも。』
「ばらさないでよ。」
『もちろんだよ、だからわざわざ外から電話してるんだし。今日は奈央はもう帰ってるからさ。』
「仕事は終わったの?」
『うん、奈央の待つ部屋に帰るところ。あと少しだけなら付き合えるよ。』
歩いてるらしい。
「一鉄、そうなるのかな?なると思う?」
『なると思うけど。もういいよ。出会ってから随分経ってるよ。十分だよ。お互いにもう十分だよ。』
そう言った一鉄は再会してちゃんと向き合ってからはすぐだったって知ってるんだから。
参考にならないよ・・・・。
だって一桁だったよね。
すっかり三桁行った自分の数えた数字。
全然比較にもならない。
『頑張れ、ギイチ。アユさんはギイチの優しいところと、鉄道への愛と・・・・後は素直ないい奴のところが好きってことで。アユさんに確認してもいいよ。それだって勝手に先走らないように、傷つけないように大切にしてるんだって思われるよ。』
「うん。なんとなく、頑張る。」
『うん。良かったね。』
「まだ何も・・・・。」
『じゃあ、いつでも相談に乗るよ。夜の夜中でもいいよ。邪魔・・・・・って思っても出てやるから。』
「邪魔はしないよ。」
『うん、そこは、そうしてもらえるとありがたい。寝室にいる時は諦めて。』
「当たり前じゃないか!!」
そこまでは邪魔しない。むしろ出ないで欲しい。
悔しい。絶対わざと仲の良さを見せつけられてる気がしてきた。
負けるか!!
ちょっとだけそう思った。でもそれでは一鉄に乗せられてたかと思う。
アユさんに報告した。もちろん一鉄の式の日のことだ。
あっさりと残念だったで終わった旅行予定。
他にも連休はあるし、有休を使えばいいくらい。
アユさんも有休はあるし、取るのは難しくないと言う。
また決めればいい。
昨日は少しお酒も入ったから、今日はおかずとサラダとヨーグルトにした。
体が軽くなるって、そんなことがあるんだと思った。
つい立ち上がるときの『ヨイショ』の掛け声が、『ヨイッ』くらいには短くなった。
アユさんと一緒のときはそんな掛け声も我慢してる。
だって・・・ある時の編集会議が終わって、一様に先輩達も掛け声をかけて立ち上がったことがあった。
それを聞いた宇佐美さんが遠慮もなく『オジサンと働いてるみたいです。』そう言った。
皆が顔を見合わせた。
それから気をつけてる。
やっぱり女の子が入ってくれて、良かったと思う。
「ギイチさん、痩せましたよね?」
「うん、なんだかね。」
「だって今まで顔を上げて、さらに息を止めてキャビネットの奥に入ってたのに。
難なくすっと入って出てきましたよね。」
気づいてくれたことは嬉しい。でもそんなによく見られてたなんて、恥ずかしい。
顔を上げても、息を止めても入れない先輩の分もいろいろと用を言いつけられていた。
まだ、なんとか細い方だったのだ。
それでも最近は掛け声も出さず、すっと立ち上がれて、気合無しで狭いキャビネットの奥まで行けるんだから。
本当にアユさんのおかげだ。
実は減った数字が二桁いきそうだった。
体が軽くなって体重計が教えてくれる数字もちょっとづついい感じになってきた。
早く仕事が終わった日はちょっとだけ早足の散歩をすることにしてる。
まだ昼間の日差しの熱が残っていて、じりじりしてる時間。
ペットボトルを持って腕を振って歩く。
変な人に思われないように軽快な足音を心がけてる。
時々先輩達の視線が痛い。
仕事を早く終わりにしようものなら、アユさんとの約束をつぶそうと飲みに誘われそうだ。
何となくうかがわれてる。
それも恥ずかしいのに。
でもそんなソワソワをぶち壊すような報告が・・・・・報告したい人がいた。
それは隠せないくらいうれしい報告だったらしくて。
「おはよう。」
満面の笑み、それ以上の何か、そして言いたくて仕方ないらしい緩んだ口元。
「根岸先輩、朝から顔がとろけてますが、どうしましたか?」
宇佐美さんがさっさと聞いてくれた。
本当に気が利く・・・・・か、うんざりしてる?
「それが昨日の夜からこうなんだよ、寝てる間もこんなだった自信があるんだ。」
あっさり先輩が認めた。
やっぱり何かを報告したいらしい。
「そうですか。見てる分には暑苦しいので、さっさと現実に戻って欲しいですが、どうしても言いたいなら聞きますよ。そこまでがこの間のイベントの反省会でしょうから。」
やっぱりそうなんだろう。
そして宇佐美さんも本当にポンポンドスドスと言いたいことを言うようになった。
「もしかして、野倉さんですか?」
こっちを見た先輩の顔で、『良かったですね。』と話を終わりにしていいくらい丸わかりだった。
もしかして先を越されて夜を越えられたんじゃないかと、ちょっとだけ羨ましいと思いつつ、嫉妬してしまいそうになったけど。
「とうとう野倉さんとお友達をこえてお付き合いすることになりました。」
「告白してとりあえずOKもらえたって事でいいですか?」
普通のトーンで聞かれた先輩が宇佐美さんに嬉しそうにうなずいてる。
それだけ・・・・・でいい?
超えたのは『友達』の壁だけ?
「まあ、そうですよね。良かったですね先輩。」
「おめでとうございます、先輩。」
そう言ったけど、当然さっきの発表は皆に聞こえて、心に鋭いくらいの切っ先を突き付けたみたいで。
おのれ・・・やっぱり一人抜け駆けか・・・・・出し抜かれた・・・・・っもう仲間じゃない・・・・。
じりじりとそんな雰囲気が伝わる。
それでもこの間披露されてワンクッションあったし、一番の先輩だから誰も言葉にはしなかった。
僕も身に覚えがあるし、その壁を越えようとしてOKもらえただけでもうれしくて、一鉄に浮かれたメールを送った。
皆に披露するほどの度胸はなかったけど、多分このくらい浮かれてたんだろう。
アユさんは知ってるんだろうか?
野倉さんから直接報告が来たかもしれない。
後で聞いてみよう。
そう思って先輩と同じくらい表情が緩んだのを宇佐美さんに見られた。
「ギイチさん、それは夜にどうぞ。」
多分バレたんだろう。
「先輩もギイチさんも、他の方も、仕事しましょう。」
ちょうど始業時間になったらしい。
フレックスが堂々とされて、あまり時間にはきちんとしてないけど、珍しくほとんどの人が揃っていた今日だった。
微妙な空気の中、宇佐美さんだけが仕事モードにさっさと切り替えた。
「ギイチ、彼女にお礼を言っててくれ。本当にお前にも感謝してるし。」
こっそりお昼の時間に言われた。
「良かったです。僕もうれしいです、きっとアユさんも。」
普通レベルにまで戻っていた先輩の顔がまたとろけた。
先輩と野倉さん。野倉さんの顔はあんまり思い出せなくなった。
僕もいろいろあった日でしたから、許して下さい。
でも良かったと思う。
本当に良かった。
夜まで待ちきれなくて仕事の後に連絡をしたら、夜ご飯を一緒にと誘われた。
本当に珍しいことだった。
先輩のことは既に野倉さんから報告が来ていたらしい。
あれからも時々連絡を取ってるらしい。
そこは鉄道の趣味でもつながるし、お互いにおすすめの場所やイベント情報を交換して。
ついでに僕のサイトも紹介してくれたらしいけど、先輩のサイトもすごいのだ。
それは敵わない。
「二人とも凄すぎて比べられません。」
そう言われた。それはそれでうれしい。
「ああ、私も負けてられません。」
アユさんがそう続けた。
「アユさんも自分のページを作ったの?」
そう聞いた。
興味あるなあ。僕と一緒に行った場所の写真や感想が載せられてるのかも。
「そっちじゃないです。鉄道愛と人間愛の話です。私は人間愛の方で頑張ります。」
「人間愛?博愛精神?」
「違います。」
大きな声で否定された。
「対象は一人だけです。鉄の車両に負けないくらいにギイチさんの心を掴みたいです。」
小さく続けてくれたのが、もはや幻聴レベルのセリフだった。
解釈は間違ってないだろうか?
じっとアユさんを見た。
グッと近寄って来られて、ビックリして、あやうくつられて自分も目を閉じるところだった。
やっぱり解釈は間違ってないと思った。
ちょっとの触れ合いと音がした。
あの日以来だった。
離れて、アユさんが目を開けたから、照れるのも抑え気味にして、ちゃんと目を見て伝えた。
「車両より音より振動よりお弁当より、もう何よりも、目の前にいてくれるアユさんが一番です。」
・・・・お弁当にも勝ちましたか・・・、そうつぶやかれた。
平日で、急遽入ったのは半分個室の居酒屋だった。
一応あんまり食べ過ぎないように、ちょっとだけ食べて帰るつもりで。
他の人の視線が届かない空間だと途端に大胆になれるらしいアユさん。
そこはびっくりだった。
週末泊まりに来てくれる約束。
一鉄のアドバイス通りちゃんと用意した。
一番手ごわいものを買った後の満足感で、他の物は全く手つかずで。
でもいつもちょっとづつ綺麗にしていた。
週末に向けてやり残しがないように考えて、計画を立てて。
そんな計画を曜日の日課のようにして繰り返して、数週間が過ぎた。
自分から言い出すことはなく、アユさんに誘われることもなく、外で会って食事をしたりしていた。
ある日は自分の部屋に来てくれた。
ちょっとだけ期待はしたけど、明日は仕事だと早々に言われてた。
滅多にない週末の出勤。
店舗周りがあるらしい、それはたいてい週末らしい、そして季節の変わり目にはある事らしい。
そう言われれば夏になる前もあった気がした。
そしてあれは幻聴だったのだろうかと、半分疑い始めた頃。
「ギイチさん、来週、泊まりに来てもいいですか?」
幻聴再び。でもアユさんの口もそう動いていた。
専門的に読唇術なる技はないけど、違和感はなかった。
幻聴というなら、正しくは何と言ったんだろう????
「ギイチさん?」
我に返った。多分幻聴じゃないと信じて、答えた。
「あ・・・・あ・・・、うん。是非、泊まりに来てください。」
「楽しみにしてていいですか?」
何を?何かの記念日?何だろう?考えた。
「ごめんなさい・・・・何かの記念日ですか?ちゃんと日にちはいろいろメモってます。すぐには思い出せないけど、パソコンの日記を見たらわかります。すみません・・・・何の日ですか?」
ケーキとか花束も必要?
大切に数えてるから、でもテンパっていて、すぐには思い出せない。
カレンダーに書かれた小さな日にちを見る。
ただの数字。五日ごとに書いてる数字、出会ってからの日にち。
初めて話をした日からの数字だ。
半年は過ぎて、一年にはなってない、そんな半端な時期だけど・・・・。
「記念日にしたいです。いいですよね。」
正面から見られた。
顔が近い。
目は閉じられずに、そらせずに。
ちょっと顔が赤いアユさん。
自分もだろう。
「もちろん。初めての・・・。」
途中で止めた。何を言っても変だ。
もしあれが必要だとして、いつどんなタイミングでそんな方向に行くのか、近くにいて一鉄に囁いてもらいたいくらいだけど・・・・・よく考えなくても変だし、邪魔だろう。
自分からはどうしてもいけない。きっと・・・・絶対無理だろう。
そこもアユさん任せのリードにくっついていく、でもいいんだろうか?年下の女の子なのに。
だって、僕よりは・・・・・もうとっくに・・・・。
そんな事は考えないようにした。
ただ前を向くことにする。
時間は常に前にすすむ、自分もそっちを向いて進みたい。
時々一鉄からも浮かれた報告が来る。
奈央さんが試着したドレスが最高に似合ってた、アクセサリーもキラキラと奈央さんを引き立てていた、担当の人に協力的でいい人だと褒められたとか、もうそんないろいろを。
あえて言い直さなくても、100%の惚気だと分かる。
むしろ時間が経った今でも、一緒に住んでる今でも、友達に堂々と惚気られる一鉄が凄い。
もしかしたらハルヒちゃんが早々にギブアップして鬱陶しいと断られたとか?
僕も我慢できなくて、いろんな惚気に対抗したい、先輩にも負けたくない、もしかしたら何かアドバイスをもらえるかも、ああ緊張が高まる、いろんな思いがあって、一鉄にだけ教えた。
『今週はアユさんが泊まりに来てくれる。初めて泊まりに来てくれるんだ。』
そう書いただけで真っ赤になる自分。
すぐに電話が来た。
背後はうるさい音がする。
部屋にいる訳じゃないみたいだ。
『ギイチ、いよいよなの?』
「な、何が?」
そう聞かれると、答えづらい。一人でそう思っても、そうとは限らないし。
先行きも怪しいし。
『ちゃんと買った?』
「・・・・うん。」もちろん。一応の時のために準備は十分。
『良かったね。また一歩進むね。その日は何日目?』
前にカレンダーに書かれた数字を見て聞かれて、馬鹿正直に出会ってからの日にちを数えてる事を教えた。
それ以外の思い出も記録してることも教えた。
だって一鉄と奈央さんみたいに何でもない二人の写真を取り合うなんてことはあんまりなかった。
イベントの時に、あの車両での初めての瞬間の後に、その後も時々。
記録は完全に残したいタイプだ。
だからすぐにカレンダーを見て答えられる自分。
『なんだか新鮮だなあ。僕も緊張してくる。どうしよう。奈央にバレるかも。』
「ばらさないでよ。」
『もちろんだよ、だからわざわざ外から電話してるんだし。今日は奈央はもう帰ってるからさ。』
「仕事は終わったの?」
『うん、奈央の待つ部屋に帰るところ。あと少しだけなら付き合えるよ。』
歩いてるらしい。
「一鉄、そうなるのかな?なると思う?」
『なると思うけど。もういいよ。出会ってから随分経ってるよ。十分だよ。お互いにもう十分だよ。』
そう言った一鉄は再会してちゃんと向き合ってからはすぐだったって知ってるんだから。
参考にならないよ・・・・。
だって一桁だったよね。
すっかり三桁行った自分の数えた数字。
全然比較にもならない。
『頑張れ、ギイチ。アユさんはギイチの優しいところと、鉄道への愛と・・・・後は素直ないい奴のところが好きってことで。アユさんに確認してもいいよ。それだって勝手に先走らないように、傷つけないように大切にしてるんだって思われるよ。』
「うん。なんとなく、頑張る。」
『うん。良かったね。』
「まだ何も・・・・。」
『じゃあ、いつでも相談に乗るよ。夜の夜中でもいいよ。邪魔・・・・・って思っても出てやるから。』
「邪魔はしないよ。」
『うん、そこは、そうしてもらえるとありがたい。寝室にいる時は諦めて。』
「当たり前じゃないか!!」
そこまでは邪魔しない。むしろ出ないで欲しい。
悔しい。絶対わざと仲の良さを見せつけられてる気がしてきた。
負けるか!!
ちょっとだけそう思った。でもそれでは一鉄に乗せられてたかと思う。
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