虚飾ねずみとお人好し聖女

Rachel

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6. 舞踏会での対戦

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“親愛なるリーズ・シャロレさま

ジャクリーヌの件、ありがとう。彼女が無事に旅に出ることができてよかった。
実は今回のことで、ベロム伯爵がリーズを疑い始めた。だからあなたと知り合ったのは7年前だということを伯爵に言ってしまった。あなたは何もたくらんでいないということを伝えたのに、ベロム伯爵は納得していない。今度うちで舞踏会を開いたときに、伯爵があなたに失礼を言うかもしれない。私は伯爵から他に仕事を任されていて、舞踏会であなたと会う機会はないかもしれないから不安だ。十分気をつけてほしい。

あなたの友人ルカ”

 手紙を開いて最初の名前を読んだ瞬間に、リーズは彼の綴りの間違いに思わずふっと笑った。
 シャロレじゃない、シャレロワよ。
 しかし内容は自分を心配してくれているもので、リーズは心が温かくなった。文字もひとつひとつ丁寧に書かれている。きっとたくさん練習したのだろう。

 つい昨日、父が兄と姉と私を呼んでベロム伯爵が開く舞踏会のことを話したばかりだった。
 父は社交界の人々にワインを売りつけようと乗り気で在庫を確認し始め、兄はダンスができると大喜びで教師を呼び、姉はドレスの飾りを選びに気合を入れて中心街へ出かけていった。
 リーズはというと、いつもと変わらない。部屋で刺繍をするか、父の愛読する商業の蔵書を読むかであった。リーズは商い狂いの父親ほどではないが、物流に関しては兄や姉よりも興味を持っていた。
 しかし、もっとリーズの関心を引くものが届いた。ルカからの手紙だ。

 リーズは宛名が書いてある面を見て笑みを浮かべた。こちらにも"リーズ・シャロレさま"と書いてある。よくここまで届いたものだ。もしかして本人が家まで直接届けてくれたのだろうか。
 リーズは差出人の青年のことを思った。

 ルカはいずれこの町を出ていくと言っていた。彼が気がかりなのは墓に眠る友人のことだけで、他には何も未練はなさそうだった。そのことがリーズにはやけに寂しく感じた。まだ三度しか会っていないのに。
 彼はここを出てどうするのだろうか。別の町に行ったとしても、彼には幸せに生きてほしい。今はベロム伯爵に雇われているが、事が全て済んだら彼は解放されることになっているらしいが、ほんとうだろうか。
 舞踏会で見たときの伯爵とルカの様子は、明らかに温かいものは感じられなかった。それを思い起こすと、あの老紳士から離れるためなら町を去ることは彼にとって良いことなのかもしれないとリーズは思った。



 舞踏会の日。
 リーズは父に連れられて、兄ジョゼフと姉キャロルとともにベロム伯爵邸に出向いた。
 ロビーにいる人々を見る限り、今夜の夜会は貴族も貴族でない者も招待されているようだった。
 ホールではすでにダンスが始まっていた。
 たくさんの人の群れの中にシャレロワ家の四人が混ざろうとしていると、この屋敷の主人がすっとリーズたちの目の前に現れた。
 リーズの父が愛想良く挨拶をする。

「おお伯爵! よかった、お会いできて。今夜はお招きいただいて光栄です。目を見張るほどの数の招待客ですな」

「シャレロワ殿、ようこそいらっしゃいました」

 伯爵もにこやかに言った。

「今夜は存分にお楽しみください……シャレロワ殿のワインは、皆さんに好評のようですよ」

「おお、それは嬉しい。ぜひ売り込みさせていただきたいものですなあ!」

 父に続いて、ジョゼフとキャロルが屋敷の主人に会釈して挨拶を述べる。そしてリーズもその後に続いた。

「こんばんは、伯爵」

 リーズが目の前に来ると、ベロム伯爵は父や兄姉たちに挨拶するときよりも一層親しげに笑みを深めて言った。

「リーズ嬢、先日はありがとうございました、あなたのおかげでカルデローネ子爵も存分に踊れるようになりました」

 リーズも微笑みを返した。

「あらそんなこと、お礼を言われるまでもございませんわ……子爵とは今夜はご一緒ではありませんのね」

「ええ、彼は今日はいろいろと忙しくしております。しかしいずれ会えると思いますよ。それよりもリーズ嬢」

 伯爵がリーズの方に手を差し出した。

「カルデローネ子爵がダンスの楽しさを知ったというあなたのステップが気になりましてね、よければ一曲お相手願えませんか。見目麗しい若者でなくて、大変恐縮ですが」

 伯爵の謙った言い方は、まるでリーズに断るなと言っているようだった。
 望むところよ、私も今夜はあなたと対峙するために来たのだから。
 リーズはにこやかに頷いた。

「もちろん、私でよければ喜んで」

 そう言って差し出された手に自分の手を重ねる。その瞬間に、いつか広場で見た剣術の試合開始の合図に鳴らされるような鐘の音が、リーズの頭の中に響いた。



 ベロム伯爵のダンスはとんでもなくうまかった。
 ダンス好きの兄ほど軽快ではないが、老紳士のリードの仕方は長年の経験を感じるもので、きっと相手がダンスに慣れていなくとも上手く踊れたと思えるように感じさせることができるのだろうとリーズは思った。

「リーズ嬢はほんとうにダンスがお上手ですね」

 ここまでの技量の彼に褒められると、なんだか嫌味のように感じるわね。リーズはそんな考えを飲み込んで、きれいに微笑んだ。

「ありがとうございます、私はいつもダンス好きの兄の練習台でしたから」

 それからまた会話がなくなった。優雅な音楽はそのまま中盤に差し掛かる。探りを入れるのはやめたのだろうかとリーズが思ったとき、伯爵はまた口を開いた。

「カルデローネ子爵から聞きましたよ、あなたはずいぶん前に彼と会ったことがあるとーーまだ少年だった頃に」

 来たわね、とリーズは心の中で呟いた。

「そうなんです、7年ほど前のことですわ。実はそのときに彼と友人になりました」

「ほほう。商家のお嬢さんがすりの少年と友人になるとは、また珍しいこともあるものですね。何が起こったのやら」

 どうやって私たちが知り合ったのか探っているのね。別に隠しているわけではないけど、教えてやるものですか。
 リーズは涼しい顔で答えた。

「ふふ、経緯は秘密ですわ。どうかお好きなようにご想像なさって」

 この言い方はいつも姉キャロルが何かを誤魔化すときに使う手だ。観察しておいてよかった。
 しかし伯爵はどこか一瞬だけ蔑んだような表情を浮かべてからすぐに前と同じ微笑を浮かべて言った。

「今でも彼とは友人として付き合っているようですが、私は少し心配です。彼が今までにどのような罪を犯してきたかーーほんとうの彼をあなたはご存知ないでしょう」

 まあ、嫌な言い方。リーズは目を細めそうになるのを堪えて答えた。

「そうですね、詳しくは聞いていません。ただ、誰もが恵まれた環境にいるわけではありませんから」

 前にルカが話していた彼の友人のことがリーズの頭に過ぎる。
 貧しさゆえに満足に治療も受けられないままで病に苦しみ死んでいく者がいるということを、リーズは彼に聞かされてあのとき初めて知った。

「おやおや、これは寛容な方だ」

 リーズが真剣に返した言葉に、伯爵は小さく声をあげて笑った。ターンをしてから彼は言った。

「しかしそれはただの言い訳に過ぎませんよ。それに彼は盗みをしていただけではありません。何度も詐欺を働き、カード賭博ではいかさまをして賭け金をせしめていました。最後には贋金つくりにも加担したのです。ああ、それからご存知ですか? 彼は女性を騙すのが何より得意なのですよ。優しくお人好しな女性から同情を誘い、金目の物を奪うことにかけては右に出る者はいません」

 うわ、とリーズは今度こそ目を細めた。
 ベロム伯爵は私とルカの出会いのことをもう知っているのだわ。だからこんな言い方をしてくるのだろう。嫌な人。彼がその“金目の物”で何を買ったか知っているのかしら。
 顔を曇らせたリーズと違って、伯爵はいかにも楽しそうに笑みを浮かべながら続けた。

「そうそう、彼は2年前に憲兵に捕まりましてね。牢に入ったのですが、脱走を何度か試みたらしいのですよ。そのせいで刑期が増えたようで、私が見つけなければ彼はあと10年は牢暮らしだったかもしれません。初めて彼を牢の中で見たときは、それは惨めな姿をしていましたよ」

 目の前の男が嬉々としてそう話しているのを、リーズは歯ぎしりしそうになるのをなんとか堪えて「そうですか」と言ってから次のように尋ねた。

「……伯爵は、彼をどうなさるおつもりですか」

 壮年は「どう?」と目を丸くさせた。
 そのときちょうど音楽が終わり、ダンスも終わる。演奏者への拍手が鳴り響いている間も、リーズは伯爵と向き合ったままだった。
 伯爵は騒がしい中で答えた。

「どうするつもりもありません。計画が実行された後は、彼にはこの町を出ていってもらう約束です。もちろん当分暮らせるだけの報酬も渡します」

 伯爵の言葉は、以前ルカが言っていた通りのものだ。それで済むのならそれで良い。
 しかしリーズは、この老紳士がルカのことを、ただの計画の一部のための駒というよりも、個人的にひどく嫌っているように感じた。
 まさかまた牢に戻したりはしないだろうか、いや、もっと酷い目に合わせることもこの男ならできるかもしれない。

「約束してください」

 リーズは言った。

「今おっしゃったことは決して曲げないと。お金を渡して彼を別の町に移らせる、それ以外は何もしないと約束してください。彼をひどい目には合わせないと」

 リーズがまっすぐに真剣な目でベロム伯爵を見つめると、彼はわずかに眉を寄せた。
 そのうちに演奏者への拍手が終わり、次にダンスをする人たちがホールの真ん中へ出てきたので、伯爵はリーズとともにホールの隅に移動した。

「無論です」

 移動しながら伯爵は言った。

「私とて約束を違えるつもりはありませんし、今後もあの男と関わるつもりはありませんからね。ですが……あなたの方はどうお考えなのですか」

「え?」

 べロム伯爵は初めて笑みを消して真顔になった。

「あなたはあの男に深く肩入れしているご様子。カルデローネが偽名であることも彼の育ちの悪さも知っているというのに、罪を重ねて生きている彼がそんなに魅力的に見えますか」

 リーズはぽかんとした表情になった。

「は……?」

「あなたが子爵位を狙っているのか、純粋に彼に想いを寄せているのか私には見当もつきませんが、やめておきなさい。詐欺師である彼の未来には不幸しかありません。彼は所詮目の前の利益にしか興味がない。町を移って新しい生活を始めても、すぐに転がり落ちる。そうなれば長い牢暮らしが待っていますからね。どうせ先の短い人生です、夫にしたところで何の得もない」

「な、なんて……よくもそんなことを」

 あまりの言いようにリーズは顔を歪めた。その表情に満足したようにベロム伯爵は憎らしいほどに楽しそうな笑みを浮かべた。

「すぐに彼の本性に気がつきますよ。あなたも利用されている女性の1人かもしれませんからね……ダンスのお相手をありがとうございました」

 伯爵はリーズから手を離すと、懐からの金時計を見た。

「おや、もうこんな時間だ。おそらくカルデローネ子爵は仕事を終えて、二階のサロンの間にいるはずです。早く行って、別れを告げてくると良いでしょう。それでは」

 ベロム伯爵は優雅にお辞儀をすると、人の群れの中に紛れていった。

 リーズは先ほどまで伯爵が握っていた手を、手袋をはめているにもかかわらずごしごしとドレスの裾で擦った。なによあれ、結局ルカの悪口を並べ立てただけじゃないの! それも彼を嫌ってほしいと言わんばかりだ。しかしその一方で、これから会いにいけと言うように彼のいる場所を教えてくれた。
 伯爵の意図がわからない。別れを告げろと言ったけど、私が今の話を聞いて、はいそうしますと言うとでも思ったのかしら。でもそこに彼がいるのなら、ひとまず会いにいきたい。
 リーズはホールの給仕にサロンへの行き方を聞き、ひとり、二階へ上がった。

 二階への階段には、きちんと燭台の火が灯されていた。足元に敷かれた絨毯の模様が見えるほど明るい。まるでどうぞ二階へ上がってくださいと示唆しているようだ。ダンスホールにはシャンデリアもあるし、伯爵の屋敷ともなると贅沢なものね。
 リーズはそう思いながら二階に上がった。そしてサロンの扉を軽く叩いてから、ガチャリと開ける。
 部屋に入ろうとして、中の様子を目にした瞬間にリーズは凍りついた。

 部屋の中央にある長椅子にはルカがいたーー身体を横たえた女の上に。
 二人とも服が乱れている。近くに置いてある燭台には灯がついているので、女が上気した表情を浮かべていることさえもわかる。サロンには二人しかいなかった。

 突然扉が開いたのに、男女二人も動きを止めてはっとそちらの方を向いた。
 男の方は闖入者の顔を見るなり衝撃を受けた表情になった。

「え、リ、リーズ……!?」

 思わず漏れた声が床にすいこまれていく。沈黙が舞い降りた。
 階下で音楽が響いているはずだが、この空間は全く無音だった。その場にいる者たちの息遣いさえ聞こえない。

 リーズは数秒固まっていたが、なんとか口をこじ開けた。

「……ごめんなさい、部屋を間違えたみたい。どうぞ続けて」

 目を泳がせながらもなんとか絞り出した声で言い切ると、逃げるように後ろに下がり扉をパタンと閉めた。
 中から「リーズ、ま、まって」と言う声と、ドタドタバッタンと何かがころがり落ちる音は、立ち去る彼女の耳には入ってこなかった。

 リーズは息を吐いて、通ったばかりの廊下を引き返しながら思考を巡らせた。扉を閉じてしまえば、頭は冷静になった。

“すぐに彼の本性に気がつきますよ”

 先ほどの伯爵の言葉が蘇る。こんなにうまいタイミングであの状況に居合わせるのは、決して偶然ではない。確実にあの男に仕組まれたのだ。そうだ、あの男は時計を見て、リーズにこの部屋に行くように言った。それに二階への階段は異様に明るかったーーまるで二階へ行ってくださいとでも言うように。
 リーズは歯を噛みしめてキッと前を向くと、その場から駆け出した。

 階段を駆け下りると、殺気だったように一心不乱に首謀者を探す。
 五感を鋭くさせているとすぐに見つかるもので、リーズは例の人物の声が耳に掠めたような気がした。
 振り返ると、ホールに面した長椅子にベロム伯爵が腰かけているのが見えた。
 リーズは息を吐いてからずんずんずんと標的の方へ歩み寄っていく。

 彼の周りには数人の紳士が集まっており、皆で談笑しているようだった。

「……そうしたら、その人も同じ列車に居合わせた男だったってわけさ!」

「幸運だったな」

「いい加減にお前も財布を忘れないようにしないと……」

 周りでおしゃべりに興じていた紳士たちは、近づいてきた一人の令嬢の存在に気づき、会話を途切らせる。
 ベロム伯爵も、まさか彼女が今ここに現れるとは思っていなかったようで目を丸くさせている。
 リーズは有無を言わさずに片手を勢いよく振り上げると、目の前にいる壮年の頬を強く打った。

 パァン、といい音が鳴る。

 周辺にいた人々が動揺の声をあげたが、リーズの耳には入らなかった。
 伯爵は驚きのあまりに、頬を抑えることも長椅子から立ち上がることもせずに、ぽかんと彼女を見上げたままだった。

「よくもこんなにひどいことができますのね」

 リーズは息巻くことなく、怒りに満ちた低い声を出した。

「彼を憎む経緯は存じ上げませんが、あなたのしたことは人として最低です。これであなたの思い通りになると思っているのでしたら、大間違いですわ」

 吐き捨てるように言うと、リーズは身を翻してその場を後にした。
 周りの人々が遠巻きにして見ているのがわかったが、リーズにはどうでもいいことだ。そもそも舞踏会など滅多に参加しない。小さな商家の次女など、顔も名前も知られていないだろうし、華やかな社交界の噂にもならない。
 それにもうこの空間にいるつもりはなかった。馬車の中で父たちが帰るのを待てば良いのだ。


 しかし、ホールを出て屋敷のロビーの出口に向かっているとき、「リーズ!」と名前を呼ばれた。
 振り返るとルカだった。服は着込まれているが、髪はひどく乱れている。

 青年は慌てた様子でこちらに駆け寄ると、立ち止まったリーズの前で息を整えながら言った。

「はあ、はあ、リ、リーズ! わり、その、俺、そんなつもりじゃ……いや、その、まさかこんな……その」

 引き止めたわりに、彼はまとまりのない言葉を紡ぐばかりだ。青い顔で眉尻を下げ、どこか泣き出しそうな、縋るような表情をしている。それを見ると、リーズの中で先ほどまで湧き上がっていた怒りがすうっと消えていくのがわかった。
 くすりと笑みを浮かべると、飛び跳ねたルカの髪に手を伸ばし、整えながら言った。

「薬でも盛られた?」

 ルカが目を丸くさせる。

「え、な、んで、知って……」

「そうじゃないかなあと思ったの。伯爵があの部屋に行けと私に言ったのよ。時間も見ていたし、すべてあの男の計算の上だったってわけ。ひどいわよね……あの人は、私にあなたを軽蔑してほしかったみたい。ご親切にあなたの過去をいろいろと明かしてくれたわ」

 リーズの話にルカは目を見開いて聞いていたが、やがて「くそっ」と呟くと額に片手をやって大きく息を吐いた。

「わざわざそんなこと……ほんとにむかっ腹の立つ野郎だぜ」

 そう言いながら首元のクラバットを緩めたルカを見て、リーズは彼がボタンをかけ間違えているのに気づいた。よく見るとブラウスも裾がはみ出している。急いでリーズを追いかけてきたのだろう。
 リーズは先ほどのサロンの光景が頭に浮んでしまい、自分の顔が少し赤らむのを感じた。

「え、ええとその、部屋にいたご婦人は一人にして大丈夫なの?」

 ルカは彼女の顔が赤くなったことには気づかなかったが、ボタンをかけ間違えていることには気づき、慌ててかけ直し始めた。

「大丈夫も何も、あの女はあれが商売だ、娼館から来たらしい。あいつが俺に薬を飲ませてきやがったんだ。問い詰めたら、ある男に金をもらって頼まれたんだとさ……ベロム伯爵以外にそんな奴いねえけど」

 リーズは目を細めた。
 伯爵のことを考えると、唐突に頭が芯から冷えていくのを感じる。
 あの男はわざわざ娼婦を雇ってまで私をルカから遠ざけようとしたということ? そこまでする理由は何なのだろうか。

「ねえ、ルカ」

 リーズは険しい顔を彼に向けた。

「ベロム伯爵が恨んでいるのは、ほんとうにギュイヤール男爵だけなのかしら」

 ルカは肩をすくめた。

「どうだかな。けどあの男は世の中みんなを憎んでるってクチだぜ」

「そうだけど……でも私には、彼があなたのことを相当憎んでいるようにみえるの。ただの勘なのだけど、なんだか心配だわ。大丈夫かしら」

 リーズの不安そうな声に、ルカは目を丸くした後に苦笑いを浮かべた。

「俺はあんたのそのお人好しの方が心配だ。伯爵から俺の悪行、聞いたんだろ。なんて言ってた?」

「それは……」

「カード賭博でやってたいかさまか、それとも贋金つくりのことか? 牢屋に入ってたことも聞いたか……へっそうだよ、その通りだ、あんたが軽蔑するような、ろくでもねえやつだ。同情する余地もねえことしてきたんだよ、俺は。どうなったってかまいやしねえさ」

 ルカが顔を歪めて言ったのに、リーズは怒ったような表情を浮かべた。

「やめて。あなたは報酬をもらったら新しい町で新しいルカになるんでしょう。私はあなたの幸せを願っているのよ」

「ははは、俺の幸せだって? あんたほんと聖女みてえなこと言うな」

 ルカが小さく笑ったのに、リーズは「真面目に言っているのよ」と嗜めるように言ってから両手で青年の手をぎゅっと握った。
 ルカはその勢いに押されて思わず身を引かせたが、リーズは言った。

「いい? あなたはもうきれいな文字で手紙を書けるし、社交界の立ち居振る舞いだってできる。それなりの収入のある仕事につけるわ。もう犯罪に手を染めるようなことはしなくていいのよ。ね、お願い、新しい町に移ったら読み書きをする静かで地道な仕事を探して。絶対にそうしてちょうだい」

 彼女の真剣な顔に、ルカは目をぱちくりさせてから目を逸らした。

「か、考えとくよ……」

 彼がそう頷いたとき、ロビーの奥から「フィルベルト様!」「あそこよ」「こちらにいらしたのね」と高い声が響いた。
 見ると、若い娘たちが6、7人ほどホールから出てきてこちらに歩いてくる。貴族の令嬢たちだ。

「いけね……ダンスの約束してたんだった」

 ルカが呟いたのに、リーズはふふっと笑った。

「まあ、あんなにたくさんと? 大した人気ね……それじゃ、私はこれで。さっきのこと、よく考えておいてね」

「あ、ちょ、リーズ! 今日はその、ほんとに……」

「いいのよ、私こそ邪魔をしてごめんなさい……あ、それから私の姓はシャロレじゃなくてシャレロワよ。覚えておいて」

 リーズはそう言うと身を翻して、今度こそロビーを後にした。



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