極上の彼女と最愛の彼

葉月 まい

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救われた心

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そしてその日はやって来た。

瞳子はチラチラと時計を見上げ、ソワソワしながら仕事をこなす。

定時になると、「それではお先に失礼します!」と即座に席を立った。

まずは電車でお台場を目指す。

会場の近くの化粧室に立ち寄り、いよいよ作戦開始だ。

鏡に映る自分にニヤリとすると、瞳子は意気揚々とミュージアムに向かった。

カツカツと高いヒールのパンプスで入り口を通ると、目の前に広がる空間に早くも瞳子は圧倒される。

(わあ、なんて綺麗なの…)

パノラマに広がる壮大な滝の景色。

ザアーッと響く水しぶきの音。

思わず立ち止まって見とれていると、やがて水のカーテンが左右に開くようにして光の扉が現れた。

そしてゆっくりと扉が開き、次の空間へといざなわれる。

瞳子は期待でワクワクしながら、目を輝かせて歩を進めた。

そこに広がっていたのは、生命の源となる大海原。

ぷくぷくと小さな泡が海底に沈み、一筋の光を生み出す。

キラキラと輝く光は水面を目指し、空を貫き、太陽に吸い込まれた。

そして地上に木々が育ち、海にもたくさんの生命が生まれる。

360度ぐるっと見渡せる大自然の映像に、瞳子は我を忘れて魅入っていた。



子ども達の楽しそうな声が聞こえてきて、ようやく瞳子は隣の部屋へと移動する。

そこには壁一面に海の映像が流れ、子ども達の描いた生き物がふわふわと泳いでいた。

(わあ、可愛い!素敵!なんて夢がいっぱいなの)

タコやカニ、カラフルな魚や見たこともないような生き物。

子ども達が思い思いに描いた絵が、映像の中で命を与えられる。

嬉しそうに自分の描いた生き物を追いかける子ども達に、瞳子も思わず笑顔になった。

その時、「お姉さん、一人?」と、ふいに後ろから声をかけられた。

振り向くと、若い男性が二人、ニヤニヤと笑ってこちらを見ている。

瞳子はサングラスをしっかり押さえながら、
「I'm sorry. I can't speak Japanese」
とそっけなく答えてまた前を向く。

すると諦めたのか、二人が離れていく気配がした。

(これいい!使えるわ。今後もこうやって変装すれば…)

そう思った時、どこからともなく、アリシア!と呼ぶ声が聞こえてきた。

ギクリと瞳子は身を固くする。

自分のことをアリシアと呼ぶこのバリトンボイス…

思い当たる人は一人しかいない。

瞳子は観念して振り返る。

案の定、大河が駆け寄って来るのが見えた。

「What are you doing here?!」

「あ、I'm sorry. I just wanted to see this museum, so…」

いや、その前に日本語じゃダメなの?
と思っていると、大河は小さくため息をついて踵を返した。

「Come on, follow me」

イエス、と大人しくあとをついて行く。

Staff Onlyと書かれたドアを開けてバックヤードの廊下を進むと、大河は誰もいない控え室に瞳子を促した。

パタンと後ろ手にドアを閉めると、また一つため息をつく。

「一人で来たの?」

瞳子は黙ってコクリと頷く。

オープンから数日経てば、運営は他のスタッフに任せ、大河達は時折顔を覗かせる程度にしか来なくなる。

平日の閉館間際、変装すれば誰にも気づかれずに済むと瞳子は考えていた。

まさか大河に見つかるとは…。

(読みが甘かった…。いや、運が悪かった?)

瞳子がしょぼくれていると、大河は腕時計に目を落とす。

「しばらくここで待ってて。あとで迎えに来るから。あ、着替えておいてね」

そう言うと部屋を出て行く。

瞳子は仕方なく、言われた通りにノロノロと着替え始めた。

ウイッグとサングラスを外し、髪を手ぐしで整えると、ハイヒールからペタンコのシューズに履き替える。

スキニーのブラックデニムはそのままに、手に持っていた白いサマージャケットを着て、ボタンも前できちんと留めた。

15分程経ったところで大河が再び現れ、こっちだ、と言葉少なに前を歩く。

うつむきながらついて行くと、真っ暗な広い部屋に通される。

「暗いけど、少しだけここで待ってて」

「はい」

頷くと、大河はまたもや瞳子を置いてどこかへ向かった。

静まり返った暗い空間にぽつんと取り残されて心細くなった時、部屋の中央がぼんやりと明るくなった。

何だろう…と、瞳子はゆっくり歩み寄る。

明かりは徐々にはっきりとした光になり、天井から流れ落ちる水となった。

キラキラと輝く水しぶきに、瞳子は、わあ…と感嘆のため息を洩らして思わず手を伸ばす。

すると瞳子の手のひらで水の流れが変わり、左右にザーッと弾けて落ちる。

瞳子は両手で水を掬うような仕草をしてから、高く上に投げてみた。

パッと水しぶきが飛び散り、煌めきながら瞳子の周りを舞い落ちる。

「…素敵」

まるで魔法の光が降り注いでいるような気がして、瞳子は思わず目を細めて天を仰いだ。

とその時。

それまで真っ暗だった壁面が一気に明るくなり、瞳子の周り一面に海の映像が現れる。

壁は角がなく、丸いカーブになっていて、瞳子はまるで自分が海の中にいるような気がした。

珊瑚礁やイソギンチャク、色とりどりの小さな魚達。

海面から射し込む陽の光は、ゆらゆらと海底を照らしている。

瞳子はダイビングをしている気分になり、思わず両手を広げて波の揺れに身を任せる。

(なんて綺麗なのかしら。キラキラ輝く素敵な世界…)

日常の些細な悩みなど、どこかに消えてなくなる気がして、瞳子はいつまでもうっとりと自分を取り巻く世界に見とれていた。



車で瞳子のマンションまで向かう車内。

瞳子は、閉館後に貸し切りで映像を見せてくれたことに頭を下げる。

「大河さん、本当にありがとうございました」

「どういたしまして。連絡くれたら、いつだって見せてあげたのに」

「本当ですか?」

「もちろん」

「でも…」

言葉を止めた瞳子に、でも何?と大河が促す。

「あれ以来、なんだか皆さんが遠い存在になってしまって…。避けられてるのかなって思ってました」

「まさか、そんなことは…」

ない、とは言えない。

実際、大河は瞳子に連絡をしなくなったし、透達がブーブーうるさくても、彼女にはもう関わるなと牽制してきた。

今日はたまたまミュージアムの様子を見に来て、偶然瞳子を見かけただけで、明日になればまた接点はなくなるだろう。

なんだか後ろめたくなり、大河は話題を変えた。

「えっと、どうだった?今回のミュージアムは」

「はい、とっても素敵でした!海の映像、いいですね。心が安らぐし、美しくて胸がいっぱいになりました」

子どものように目を輝かせてこちらに身を乗り出してくる瞳子に、大河は思わず聞いてみる。

「そんなに?しょせん映像だ、偽物だって思わないの?」

「思いません。え?そんなふうに思う人がいるんですか?」

「いるよ。大半の大人は、どこかでそんなふうに思ってると思う。生で見る本物の景色とは違う。コンピュータテクノロジーで感動なんてしないってね」

え…っ、と瞳子は驚いて大河の横顔を見つめてから、視線を落とした。

「そんなこと、考えもしませんでした。偽物だなんて…。それなら、絵画も偽物になりませんか?本物の景色とは違う訳ですから」

「絵画は芸術だ。本物とはまた違った美しさがある」

「でしたら、大河さん達の作り出す映像も芸術です。本物とは違う美しさで、人を感動させられるんですから」

大河は目を見開いて言葉を失う。

自分達が新たな技術を駆使する度に、散々冷やかされてきたこと。

「これがアートだと?芸術への冒涜だ」と吐き捨てられたこと。

新たな挑戦として制作しつつも、本当にこれでいいのか?と常に不安に駆られていたこと。

自分達のしていることは、批判されこそすれ、褒められることではないのだと、いつも心の片隅で自信を失っていた。

だが瞳子は今きっぱりと、芸術だと言ってくれた。

「…本当にそう思う?」

思わず聞き返す声がかすれてしまう。

瞳子は迷う素振りもなく頷いた。

「もちろんです。本物か偽物か、なんて関係ないです。良いものは良い、それだけです」

大河は、心の中の暗く冷たいしこりが、ポカポカと暖かい日差しで溶けていく気がした。

ガラにもなく、涙が込み上げそうになる。

そうだ、瞳子はいつだって自分達の作品を真っさらな気持ちで受け止めてくれていた。

今日だってそう。

水の流れのように透明感のある瞳子の姿は、映像に溶け込み、一体化して美しかった。

(救われた…。この子が俺の心を救ってくれた)

大河はただその喜びを噛み締めていた。



「ここで大丈夫です。ありがとうございました」

やがて瞳子の新居に到着すると、大河は路肩に車を止めて運転席から降りる。

助手席のドアを開けて瞳子に手を貸そうとした瞬間、ハッと思い出して後ずさった。

瞳子は一人で車を降りると大河と向かい合い、両手を揃えて頭を下げた。

「大河さん、今夜は本当にありがとうございました」

「こちらこそ。会えて良かった」

思わず本音を洩らしてしまい、マズイ…と顔をしかめる。

瞳子は一瞬だけ驚いたような表情を見せた後、嬉しそうににっこり微笑んだ。

「はい、私も会えて嬉しかったです。皆さんにもよろしくお伝えくださいね」

「ああ、分かった」

「それでは、ここで。おやすみなさい」

「おやすみ」

瞳子はもう一度にこっと笑顔を見せてから、マンションのエントランスへ入って行く。

大河は瞳子の姿が見えなくなるまで見送った。
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