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故郷への想い

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 「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」

 次の日。
 9時に会場入りし、あれこれと準備を進める朱里は、集まってくるお手伝いの人に挨拶をする。

 吹奏楽部の女の子10人も、楽器を手に姿を見せた。

 「朱里さーん!おはようございます!」
 「おはよう!みんな夕べは良く眠れた?」
 「うん、ぐっすり!朱里さんは?」
 「あ、うん、私もぐっすりよ。あはは…」

 笑ってごまかしながら、チラリと瑛に目を向ける。

 ロビーのベンチでパソコンを広げ、本社とオンラインミーティングしているその顔は、いつも見慣れているはずなのに、妙に大人びて知らない人のような感じもする。

 (びっくりしたなあ、夕べは。あんな瑛、初めて見た)

 ついつい思い出して動揺してしまうが、今日は大事な日だ。

 (集中しよう!絶対に良いコンサートにしなきゃ!)

 朱里は気持ちを切り替えて頷いた。

 子ども達がステージで楽器の音出しをしているうちに、時刻は10時になる。

 朱里は外に出て、チャーターしたバスでやって来る楽団員達を出迎えた。

 「皆様、ようこそ。遠い所をありがとうございます」

 朱里は、バスから降りる団員一人一人に頭を下げる。

 早速控え室に案内し、改めて瑛と朱里は挨拶した。

 「皆様、初めまして。桐生ホールディングスの桐生 瑛と栗田 朱里と申します。今回は私どもの活動にご賛同いただき、はるばるお越しくださって本当にありがとうございます。弊社を代表して心よりお礼申し上げます」

 団員達は温かく拍手してくれる。

 「この市民会館は、もうすぐ取り壊されることが決まっております。今日は町民の皆様が、最後に良い思い出を作りたいと集まって来られます。また、中高生の吹奏楽部員10名も、今日皆様と一緒にステージに上がれることを楽しみにしています。どうぞお力添えをよろしくお願いいたします」

 朱里が頭を下げると、常任指揮者の赤坂が口を開いた。

 「桐生さん、栗田さん。こちらこそ今回はこのような機会をいただきありがとうございます。私達も、この町の皆様の心に残る演奏をしようと、気持ちを一つにして参りました。今日は一緒に良いコンサートにしましょう!」
 「はい!ありがとうございます」

*****

 そして早速ゲネプロが始まった。

 サラッと軽く合わせているようで、無駄のない時間の使い方、そして完成された曲の響きに朱里は胸がいっぱいになる。

 赤坂は指揮を振りながら、続けて、と手で合図してホールの客席に下りた。

 コンサートマスターの動きに合わせて、曲は続く。

 客席のあちこちを練り歩きながら、時々立ち止まって考える仕草をしてから、赤坂はステージに戻ってきた。

 「えーっと、ホルンさん。もう少し内側に入って。チューバは少し外側に」

 会場の響き方に合わせて配置を微調整しながら、曲を進めていく。

 やがて『新世界より』の曲順になった。

 朱里の紹介で吹奏楽部の10人が入ってくる。
 緊張の面持ちの子ども達を、団員はにこやかに拍手で迎えた。

 「じゃあ、ブラスセクションだけ残って。弦は一旦はけてください」

 赤坂の指示でステージ前方の団員達が一斉に立ち上がり、上手と下手に別れて舞台袖に行く。

 残されたのは10人の子ども達と、管楽器、打楽器の団員だけだ。

 今回吹奏楽部の子ども達に合わせて、赤坂は吹奏楽用に曲をアレンジしてくれていた。

 そして有名なイングリッシュホルンのソロを、子ども達がそれぞれの楽器で一人ずつリレーで繋いでいくのだ。

 「早速頭からやってみるよ」
 「はい!」

 子ども達は真剣な表情で赤坂の指揮を見る。

 ドヴォルザークが1893年に作曲した『交響曲第9番』 新世界より は4楽章で構成されており、彼のアメリカ時代を代表する作品であると同時に彼の最後の交響曲でもある。

 この作品のタイトルとなっている「新世界」とはアメリカのことで、ドヴォルザークがアメリカにいた時に故郷へ向けて書いたのが、この『新世界より』なのだ。

 第2楽章Largoは、日本人にも耳馴染みのあるイングリッシュホルンによる主部の主題が登場する。
 この主題はドヴォルザークの死後に愛唱歌として歌詞が付けられて編曲され、日本人も一度は必ず耳にしたことがあるほど有名である。

 静かな短い序奏の後、すぐにオーボエの子のソロが始まった。

 次いで、クラリネット、フルート、サックスなどが繋いでいく。

 トランペットやホルン、トロンボーン、ユーフォニアムの金管も含めて吹奏楽部全員がソロでメロディを繋ぎ、穏やかに第2楽章は終わった。

 「はい、いいね。みんな一生懸命練習してくれたのかな?」

 指揮棒を下ろして赤坂は笑顔で尋ねる。
 子ども達は照れたような笑みを浮かべた。

 「凄く一生懸命吹いてくれたね。間違えないように、テンポがズレないようにって真剣だった。でもね、そんなこと考えなくていいよ」

 子ども達は、え?と拍子抜けしたような顔になる。

 「この町ってどんな町なの?」

 ふいに赤坂が、オーボエの子に尋ねる。

 「えっと、もの凄い田舎です。田んぼと畑と山しかなくて、コンビニとかレストランもありません」
 「へえー、それで?」

 今度はフルートの子に顔を向けて聞く。

 「あの、人も少ないので、みんな顔見知りです。小さい子もおじいちゃんおばあちゃんも。誰とでも話すし、みんな仲がいいです」
 「なるほど。それから?」

 トランペットの子が答える。

 「空気が美味しくて、野菜や水も新鮮です」
 「あと、景色が綺麗です。特に夕焼けが」
 「そうそう!山に沈む夕焼けを見ながら、この曲をみんなで聴くんです」

 次々と話し出す子ども達に、赤坂はにこにこ頷く。

 「良い所だねえ。君達の大事な故郷なんだね」
 「はい!大人になっても、この景色は絶対忘れません」
 「そうか。それなら、その想いを込めて演奏しなさい。ここの景色を表現出来るのは君達だけだよ。他の楽団員では無理なんだ。上手い下手とかは関係ない。君達の心の中にある故郷を思い浮かべながら吹いてみなさい。聴いてくれる人達に、こんなに良い所なんだよ、と伝えるつもりでね」
 「はい!」

 子ども達は笑顔で頷いた。

*****

 ゲネプロは13時までみっちり行い、演奏者は控え室で昼食と休憩時間になる。

 お弁当とお茶を並べてから、朱里はバタバタと忙しく走り回っていた。

 「朱里さーん!お客様がもうたくさん外に来てるー」
 「じゃあ開場時間早めます!準備オッケーなら開場してください」
 「朱里ちゃーん、なんかお届け物が来とるぞ」
 「あ、お花ですね。ロビーに飾ります」
 「朱里ちゃん、音響と照明の打ち合わせお願いします」 
 「はい!今行きます」

 小走りで向かいながら、瑛に電話する。

 「楽団の皆さんとマエストロの誘導お願いしていい?13時50分に声掛けで、55分に舞台袖待機。あと司会の女の子達もね。それと、マイクの本数確認もお願い」
 「了解」

 何度もチェックを繰り返し、いよいよ開演5分前となった。

 客席には、最後の市民会館を目に焼き付けようと、小さなお子さんから年配の方まで、町民の皆さんが集まっている。

 舞台袖には、正装した楽団員達に混じって、学校の制服姿の中高生が緊張した面持ちで出番を待っていた。  

 「みんな、今日は町の人達全員で楽しもうね!」

 朱里が声をかけると、うん!と笑顔で頷いてくれる。

 そしていよいよ14時となり、開演のベルが鳴った。

*****

 「みなさーん、こんにちはー!」

 司会の女の子二人が元気に挨拶すると、客席からも、こんにちはーと返事が返ってきた。

 「今日は市民会館のラストステージにようこそ!私達の思い出がたくさん詰まったこの市民会館で、最後に最高の思い出を作りましょう!」

 客席から一斉に拍手が起こる。

 「では早速、今日、このステージを実現させてくれたこの町の恩人をご紹介します。桐生 瑛さんです!」

 恩人ー?!と苦笑いしつつ、瑛が下手からステージに出る。

 わー!瑛さーん!と、歓声が上がる中、瑛は深々とお辞儀をした。

 「皆様、初めまして。桐生ホールディングスの桐生 瑛と申します。色々な場所で色々な人達に良い音楽を届けたいと活動しておりましたところ、こちらの学生さんからお声をかけていただきました。そしてこの活動に賛同してくださった楽団をお招きして、本日のコンサートが実現しました。この町はとても良い所ですね。自然も人々も、とても優しくて温かい。今日、この場に集まった皆様全員で、心に残る素敵なコンサートにしましょう!」

 賛同の拍手が起きた。
 瑛は笑顔で応えると、左手をステージ中央に向ける。

 「それではどうぞ大きな拍手でお迎えください。今日の為に駆けつけてくださった、東森芸術文化センター管弦楽団の皆様です!」

 楽器を手に一斉にステージに集まる楽団員に、子ども達から、うわー!という声が上がる。

 早速1曲目の演奏が始まった。

 クラシックの定番曲。
 歌劇『ウィリアム・テル』序曲より スイス軍の行進。

 冒頭のトランペットの音が軽快に鳴り響くと、会場内の空気が一変する。

 皆がハッと息を呑み、ステージに釘付けになった。

 アップテンポの曲に自然と皆は楽しそうに身体を揺らす。

 ラストまで疾走感で駆け抜けると、大きな拍手が湧き起こった。

 2曲目からは皆が口ずさめるような唱歌のメドレーや、映画音楽などが続く。

 懐かしい曲やかっこいいテーマソングなど、誰もが良く知る曲ばかりで、観客は飽きることなく聴き入っている。

 さらに、婦人会の皆さんが生演奏で盆踊りを踊ったり、豪華にオーケストラをバックにのど自慢大会まで始まった。

 町長が気持ち良く演歌を歌い始めてしばらくすると、カーン!とチャイムが一つなる。

 客席からはドッと笑い声が上がり、チャイムを鳴らした長島は町長にジロリと睨まれて首をすくめていた。

 明るいポップスの曲では、中高生の女の子達がポンポンを持って踊り、動揺メドレーでは、小さな子ども達の歌声が可愛く響いた。

 そして15分の休憩を挟んで第二部が始まる。

 まず、赤坂がマイクで挨拶した。

 「皆様、本日はお招き頂きありがとうございます。ご縁をいただき、今日、美しい自然に囲まれたこの土地で皆様に演奏を聴いていただけることを、団員一同心より嬉しく思っております。ここに来るバスの中で、綺麗な川を眺める事が出来ました。次に演奏致します曲は、チェコの作曲家スメタナの交響詩『我が祖国』の中の2曲目「モルダウ」です。雄大な自然や景観を称え、悠然と流れるモルダウ川を描写した曲であります。皆様も故郷を流れる川に想いを馳せながらお聴きください」

 静まり返った会場に、まるで景色が広がるかのように川の流れが音楽となって現れる。

 懐かしさ、雄大さ、自然の偉大さ。
 人を癒やす川のせせらぎ。
 色々な感情が胸に押し寄せてくる。

 朱里は舞台袖で目頭を熱くしていた。

 そしていよいよ、地元の吹奏楽部員との合同演奏となった。

 司会の女の子達が話し出す。

 「この小さな町では、本来の吹奏楽の曲が演奏出来ません。中学生4人高校生6人と、合わせても10人にしかならないからです。コンクールに出場したこともありません。けれど今日、私達の夢が叶います。このステージで、プロの方々と一緒に演奏させていただけるのです。たった1度きりの演奏ですが、感謝の気持ちを込めて、私達の精一杯の演奏をお届けします。どうぞお聴きください」

 拍手の中、10人の子ども達がステージに上がり、深々とお辞儀をした。

 それぞれ椅子に座ると、気持ちを整える。

 赤坂は一人一人に、大丈夫だと頷いてみせた。

 ゆっくり間を取ってから、スッと指揮棒を構える。

 皆は一斉に楽器を構えた。

 朱里が息を詰めて見守る中、子ども達は堂々と演奏する。

 (凄い…さっきのゲネプロと全然違う)

 指揮にテンポを合わせるのではなく、自分の表現を大事に、一人一人が心を込めて吹いている。

 赤坂も、演奏に合わせてタクトを振っていた。

 (みんなの気持ち、伝わってくるよ。暖かい夕陽、綺麗な風景、優しい人々、大切な故郷)

 いつしか朱里は涙を流していた。

 真っ直ぐで純粋な、この子達にしか出来ない演奏。
 なんと尊いのだろう。

 心に染み渡るような彼女達の演奏を、朱里は胸に刻み込んだ。

 ゆっくりと曲が終わり、客席からほう…とため息が漏れたあと、大きな拍手が起こる。

 赤坂は満面の笑みで彼女達に頷き、一人一人を称えて立ち上がらせた。

 10人の女の子達は、ホッとしたような笑顔でお辞儀をする。

 客席の拍手は、しばらく鳴り止まなかった。

 最後の曲は、岡野貞一の『故郷』を会場にいる全員で歌った。

 皆が気持ちを一つにして、故郷を称える。
 歌詞の一つ一つが、朱里の心も温かくしてくれた。

 鳴り止まない拍手の中、オーケストラはアンコールに応えて明るいマーチ『星条旗よ永遠なれ』を演奏する。

 観客は手拍子で盛り上げ、吹奏楽部の10人も再びステージに上がって演奏に加わった。

 皆の晴れ晴れとした表情、楽しそうな笑顔。
 朱里は感動で涙を止められなかった。

 「改めて、東森芸術文化センター管弦楽団の皆様、素晴らしい演奏をありがとうございました!桐生ホールディングスの瑛さん、朱里さん、私達の為にコンサートを開いてくださってありがとうございました!おかげでとても素敵な思い出が出来ました。この市民会館は、私達の心の中で永遠に不滅です!」

 司会の女の子のセリフに、一層拍手が大きくなる。

 最後に全員で記念写真を撮った。
 皆の笑顔が輝く最高の1枚を…。
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