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しばしの別れ

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それからしばらく経ったある日。

夕食後にプリムローズは、マルクスに部屋に呼ばれた。

「マルクス様、何か?」
「ああ。そなたに大事な話がある」
「大事なお話、ですか?」

マルクスは戸惑うプリムローズの両手を取ると、ソファに並んで座らせた。

「実はシルベーヌ国王から直々に話があり、ギルガの情勢をうかがう為、しばらく俺はシルベーヌの王宮に滞在することになった」
「え?シルベーヌ国の王宮に、マルクス様が、ですか?」
「ああ。ギルガは密かにシルベーヌ国に刺客を送り込んでいて、王宮にも忍び込もうとしている。しばらくは国王のそばで目を光らせて状況を把握し、対策を練る。カルディナと条約を結ぶ話も、俺が直接シルベーヌ国王の考えをうかがって相談したいと思っている」
「はい、かしこまりました」

プリムローズは真剣な表情でマルクスに頷いた。

「しばらくはここを留守にする。二週間か三週間か…。詳しい日数は分からない。父上に頼んで、この屋敷を厳重に警備してもらうが、そなたもくれぐれも用心してくれ」
「承知いたしました」

しっかりと頷いてから、プリムローズは少し寂しそうに視線を落とす。

「プリムローズ」
「はい」

マルクスはそっとプリムローズを抱き寄せて耳元でささやいた。

「いつでもそなたのことを想っている。必ず無事にそなたのもとへ戻ってくるから。どうか俺を信じて待っていて欲しい」

マルクスの優しい声に、プリムローズは目を潤ませて頷く。

「はい。わたくしの心もいつもマルクス様のそばにあります。どうか一刻も早く、この世界に平和が戻りますように」
「ありがとう、プリムローズ」

ゆっくりと身体を離すと、マルクスはジャケットのポケットからリングケースを取り出した。

プリムローズの前に差し出し、そっとケースを開く。

まばゆいばかりの大粒のダイヤモンドの指輪に、プリムローズは目を見開いた。

「まあ!なんて綺麗…。これは?」
「そなたへの婚約指輪だ。俺の愛の証として受け取って欲しい」
「マルクス様…」

プリムローズの瞳から綺麗な涙がこぼれ落ちる。

腕を伸ばして抱きついてくるプリムローズに、マルクスは面食らった。

「おいおい、プリムローズ。まだ肝心の指輪を渡してないぞ?」
「お気持ちがとても嬉しくて。マルクス様の温かくて深い愛情が…。あなたに愛されるなんて、やっぱりわたくしは世界で一番の幸せ者です」

マルクスは、ふっと笑みをもらす。

「俺もだ、プリムローズ。そなたの清らかな心に触れ、愛されて癒やされる。そなた以外、何もいらない」

潤んだ瞳で見上げてくるプリムローズに、マルクスは優しくキスをした。

「俺のそなたへの愛情をこの指輪に宿す。プリムローズ、受け取って欲しい」
「はい、マルクス様」 

マルクスは優しくプリムローズに微笑むと、そっとその左手を取り、ゆっくりと薬指に指輪をはめた。

細くて長いプリムローズの綺麗な指に、ダイヤモンドが美しく輝く。

プリムローズは左手を掲げてうっとりと見惚れた。

「よく似合っている、プリムローズ。俺の心はその指輪と共に、いつもそなたの近くにある」
「ありがとうございます、マルクス様。この指輪に触れる度に、わたくしはあなたの温かい愛に包まれます」

二人は互いに微笑んで見つめ合うと、幸せを噛みしめるように口づけた。



「それでは行ってくる」
「はい。行ってらっしゃいませ、マルクス様」

シルベーヌ国への出発の日がやって来た。

屋敷のエントランスに見送りに出たプリムローズは、懸命に涙をこらえてマルクスに微笑む。

「プリムローズ」
「…え?」

ふいにマルクスの大きな右手で頬を包み込まれ、プリムローズは驚いて視線を上げる。

「無理して笑うな。泣くなら俺の胸で泣け。そなたが一人で涙を流すのは許さん」

一体何を…?と思った次の瞬間、プリムローズの目から一気に涙が溢れ出た。

「マルクス様!」

マルクスはプリムローズを抱きしめて優しく頭をなでる。

「プリムローズ。どこにいても、どんな時も、そなたを心から愛している」
「はい」
「毎晩星空を見上げてそなたに祈るよ」
「はい」
「戻って来たら、またデザートを作ってくれるか?」
「はい」
「ものすごく美味しい、腕利きのパティシエも舌を巻くオレンジの新作を頼む」
「はい…って、ええ?!」

思わず真顔で驚くプリムローズに、マルクスは、あはは!と笑う。

「冗談だよ。だがそなたが作るデザートは、間違いなく美味しい」
「マルクス様…。はい!新作のデザート、考えておきますね。たくさん作ってお帰りをお待ちしております」
「ああ」

笑顔で頷き合うと、マルクスはもう一度しっかりとプリムローズを抱きしめ、優しくキスをした。

「じゃあ、行ってくる」
「はい!お気をつけて」

軽やかにアンディに飛び乗り、颯爽と走り去るマルクスの後ろ姿を、プリムローズは笑顔で見送った。



「おお、これはマルクス殿。遠い所をようこそお越しくださいました」

国境でシルベーヌの警備隊長と合流し、シルベーヌ国の中央に位置する王宮に案内されると、国王が自らエントランスに出向いて歓迎してくれた。

「お目にかかれて大変光栄に存じます、国王陛下」
「そなたのことは、常々報告を受けています。我がシルベーヌ国にとって、あなたは英雄だ。いつもありがとう」

白髪のシルベーヌ国王は、破顔してマルクスに握手を求める。

かなり年輩のシルベーヌ国王は、妃とは早くに死別して子どももいないことから、世継ぎ問題も抱えていた。

国全体としても、少子高齢化と人口減少が進み、国民の間から将来を不安視する声が上がっている。

その上ギルガ王国に制圧されて支配下に置かれれば、もはやシルベーヌ国は消滅したも同然。

そんな状況の中、ギルガの侵略を止めてくれるマルクスは、シルベーヌ国にとっては救世主と言えた。

長旅で疲れただろうと、シルベーヌ国王はマルクスとサミュエルに豪華な食事をふるまう。

歓談しながら食事を済ませると、マルクスはカルディナ国王から預かった書簡を、シルベーヌ国王に手渡した。

うやうやしく受け取って、早速巻き物を開いたシルベーヌ国王は、読み進めるうちに驚いたように目を見開いた。

どうしたのかと、マルクスは首をひねる。

書簡には、父であるカルディナ国王が、今後シルベーヌ国と条約を結ぶに当たり、大まかな内容を記してあるはずだった。

既にマルクスが、シルベーヌの警備隊長を通じてある程度の話はしてあったが、改めてそれがカルディナ国王の意向であるとしたためたものだ。

特に驚かれる内容ではないはず。

だが書簡を読み終えるとシルベーヌ国王は椅子から立ち上がり、マルクスに深々とお辞儀する。

マルクスも慌てて立ち上がった。

「知らぬ事とはいえ、大変失礼いたしました。マルクス王太子殿下」
「はっ?!あの、いかがなさいましたか?国王陛下」

マルクスが状況を飲み込めないでいると、シルベーヌ国王はもう一度書簡に目を落とす。

「あなたのお父上であるカルディナ国王が、この書簡にしたためていらっしゃるのだよ。マルクス殿は正真正銘、カルディナ王国の王太子殿下でいらっしゃると」

えっ?!と、マルクスは驚きを隠せない。

「更には、戦いの現場を熟知した国境警備隊の連隊長だけではなく、事実上の軍事最高司令官でもあると。カルディナ国王は、条約締結における全てをあなたに一任する、そう書かれている」
「えっ…、まさかそんな」
「あなたが今まで身元を明かさず我々の為に尽力してくれたこと、そして今、国王陛下が私にこの事実を伝えてくださったこと。私はこれからも心に留めて感謝し続けます。ありがとう、マルクス王太子殿下」

再び頭を下げる国王に、マルクスもただ深く頭を下げた。
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