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涙と笑顔
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「がっくん、今日はがんばったね!かっこ良かったよー。お昼ご飯、何食べたい?」
保育園をあとにすると、気を取り直して真美は岳に尋ねた。
「えっとね、ギョウザ!」
「おお、ギョウザか!じゃあお昼からギョウザパーティーしちゃおう。がっくん、作るの手伝ってくれる?うちにね、ギョウザパックンあるんだ」
「だれ?ギョウザパックンって」
「あはは!パックンはね、ギョウザを作る天才なの」
「なんだそれー?だれだよ。まみのうちにすんでるのか?」
「そうだよ」
「じゅん!やばいぞ。まみをとられちゃう」
はあ……と潤はため息をつく。
「岳、この際はっきり言っておく。俺達は恋人同士じゃない」
「だれ?おれたちって」
「だから俺と……、まみちゃん」
ヒクッと真美は、岳と繋いだ手に力を込めてしまった。
「てれんなって。おれ、だれにもいわないからさ」
「言ってるだろ?!しかもあっちこっちに」
「おれからは、いってない。きかれたらこたえる。うそつくのはよくないからな」
「だから、嘘じゃないってば!」
エンドレスなやり取りをしているうちにスーパーに着いて、真美はギョウザの材料と岳の好きなお菓子をカゴに入れた。
「ごめんな、望月。またうちに上がらせてもらうことになって」
潤がレジでクレジットカードをサッと差し出しながら、小声で真美に謝る。
「いいえ。私ががっくんと一緒にいたいだけなんです。つき合ってくださって、ありがとうございます、課長」
すると手を繋いでいた岳が、パッと顔を上げた。
「やっぱりつきあってるんだ!ほらな、じゅん。おとこらしくみとめろよ」
「バカ!違うったら」
「バカっていうやつがバカなんだぞ?」
うう……と潤は言葉に詰まる。
その後もがっくりとうなだれたまま、潤は大人しく真美と岳のあとをついていった。
「さてさて。それではギョウザを作りまーす!」
「イエーイ!」
部屋に帰って来ると真美は岳と潤に飲み物を出し、ささっと具材をみじん切りにしてからローテーブルに並べた。
「じゃじゃーん!いよいよギョウザパックンの登場でーす!」
真美はもったいぶってから、手の中に隠していたプラスチックの丸いプレートを岳に見せる。
縁が波型になっていて、真ん中で折りたたむだけでギョウザが形作れるようになっていた。
「これがパックン?」
「そうなの。ギョウザを作る天才だよ。まず、このパックンの上にギョウザの皮を置きます。がっくん、1枚置いてみて」
「うん」
皮を手渡すと、岳は真剣な顔つきでそっとプレートに載せた。
「ばっちりね。じゃあ次は、スプーンで具材をすくって、皮の真ん中に載せます。たくさん載せすぎるとはみ出ちゃうから、ちょびっとね」
「わかった」
岳はまたしても慎重な手つきで具材を載せる。
「オッケー!そしたら次に、人差し指で皮の縁にお水をつけます。1回私がやってみるから、見ててね」
真美は小皿に入れた水に指を浸してから、皮の縁をスッとなでるようにして濡らしていく。
「こんな感じ。ではいよいよ、パックンしまーす!がっくん、左手はここ、右手でここを持って。いくよー?パックン!」
岳の手に自分の手を重ねて、真美はプレートを2つに折りたたむように合わせた。
「ギューッてしたら、パックンを開いてみて」
「わあ、できた!」
「ね?ちゃんとギョウザになってるでしょ?」
「うん!パックン、てんさい!」
「あはは!がっくんも天才!」
岳は目を輝かせて、もういっかい!と身を乗り出す。
「うん。どんどん作ってね。具材も好きなの載せていいよ。チーズとコーンもあるからね」
「やったー!」
わくわくした様子で岳はギョウザを作っていく。
少し具がはみ出たり、綺麗に2つ折りにならなくても気にしない。
楽しそうな岳の様子に微笑むと、真美は潤の前に別の具材の皿を置いた。
「課長。こっちは大人用に生姜とニンニクを入れてあります。良かったら課長も作ってみてください」
「えー?出来るかな。俺にもパックンある?」
「ふふ、ないです。私達は自力でがんばりましょう」
そう言って真美は、手のひらに皮と具材を載せ、水をスッと滑らせてから慣れた手つきでギョウザにひだを作って閉じた。
「おお、上手いな、望月」
「そうですか?急いでるときはパックン使っちゃうんですけど、この作業も案外好きなんです」
「そうか。俺もパックン欲しかったな」
「100円ショップで売ってますよ」
「ええ?!すごいな、100円ショップ。今度俺も買いに行こう」
潤は真美の手元を見ながら、真似をしてギョウザの口を閉じていく。
「うーん、なんか変だな」
「大丈夫ですよ、ちゃんと出来てます。でも個性が出ますね。課長のは、男の手料理って感じで豪快です」
「望月のは芸術的に綺麗だな。ひだがすごく細かい」
3人でそれぞれ熱心に作業し、たくさんのギョウザが出来上がった。
「ふふ、どれが誰のか分かりやすい」
「確かにな」
「おれの、これー!」
ずらっと並べられたギョウザに、3人は笑い合う。
「では早速焼きましょうか。ホットプレート持って来ますね」
真美がキッチンの棚から取り出すと、立ち上がって潤が受け取りに来た。
「ありがとうございます」
「これくらい当然だ」
すると岳もやって来た。
「おれもはこぶー!」
「ありがとう、がっくん。そしたら、このごま油を持って行ってくれる?」
「うん!これくらい、とうぜんだ」
渋い顔で潤の口調を真似る岳に、真美は笑いが止まらなくなる。
「やっぱりがっくん、課長にそっくり!なんだか課長の子ども時代が想像出来ちゃいます」
「そうか?俺はもっと大人しかったけどな」
「そうなんですか?」
「うん。岳のこの性格は、絶対姉貴譲りだ」
「あ、なるほど」
真美は、以前この部屋でいきなりテレビ電話で対面することになった潤の姉を思い出す。
いかにもキャリアウーマンらしい、はつらつと明るく、笑顔が印象的な綺麗な人だった。
「がっくんとママの会話って楽しそうだな」
「うるさいのなんのって、もう」
顔をしかめる潤に笑いながら、真美はホットプレートを温めてごま油をひいた。
油が跳ねないように少し温度を低くしてから、岳に声をかける。
「がっくん。ここにギョウザを並べてくれる?熱いから、これを使ってね」
そう言ってフライ返しを渡し、岳がギョウザをすくってプレートにザーッと載せるのを手伝った。
全部載せると、綺麗に並べ直してふたをする。
「いい?焼き色がついたらお水を入れて、蒸し焼きにするの」
「ムシ?ムシをやくの?」
「え?あ、違うよ。虫じゃないの。蒸し焼きっていうのはね、お風呂みたいにモクモクした感じで焼くことを言うの」
「あー、ガラスがくもっちゃうかんじ?」
「そう。そんな感じよ。じゃあお水を入れるから、ちょっと離れててね」
岳が潤の膝の上に乗るのを見届けてから、真美はふたを少し開けて水を差し入れる。
「わー、じゅーっていった!」
「そうだね。ふたをすると、ほら!ふたが白く曇っちゃったでしょ?」
「うん!おふろみたい。ギョウザもおふろにはいるんだね」
「ふふふ、そうだね。がっくんといると、なんだかとっても楽しくてわくわくする。夢の世界に住んでるみたいだね、がっくん」
「そうか?おれ、おきてるけど?」
あはは!と真美は堪え切れずに笑い出す。
「ほんとに面白い。毎日がっくんに会いたいくらい。会社にもがっくんがいてくれたらなあ」
「ああ、おふぃすらぶ?」
「そう。がっくんとオフィスラブ」
ちょ、望月、と潤が顔を赤くするが、真美と岳はニコニコと笑顔で見つめ合っていた。
「それでは、いただきまーす!」
こんがりキツネ色に焼き上がったギョウザを、3人は早速頬張る。
「おいしい!おれがつくったギョウザ、めちゃくちゃおいしい!おれ、てんさい」
岳は興奮気味に目を輝かせ、次々と平らげていく。
パリッと小気味いい音がして、潤も思わず目を見開いた。
「ほんとだ、すごく美味しい」
「そうですか?良かった」
「ああ。店で食べるギョウザって脂っこいけど、これは具材の味がしっかりしてるし食べやすい。しかもこんなにたくさんあるし」
「ふふっ、たくさん召し上がってくださいね」
作り過ぎかと思っていたが、結局3人で綺麗に平らげた。
食後のお茶を飲んでいると、岳が目をごしごしこすり始める。
「がっくん、眠い?」
「ん、ねむい」
「お昼寝の時間だもんね。ベッドに行こうか」
真美が布団をめくると、岳はふらふらしながらベッドに上がり、コテンと寝てしまった。
「ふふ、可愛い。課長、今コーヒーを淹れますね」
「いや、そんな。気にしないで」
「私が飲みたいので」
キッチンでコーヒーを淹れていると、潤が食器洗いを始めた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。いつもありがとな、望月」
スーと気持ち良さそうに眠っている岳のかたわらで、真美は潤とゆっくりコーヒーを味わう。
「あのさ、望月」
「はい、何でしょう?」
「うん、あの。いつも聞きそびれてたんだけど」
潤がちょっと気まずそうに視線を落としながら話し出した。
「いくら岳と一緒とはいえ、俺が望月の部屋に上がるのは良くないと思って。望月って……、今、特定の恋人とか、いる?」
そう言ってそっと真美の様子をうかがう。
「いえ、大丈夫です。いませんから」
「そうか、それなら良かった。あ!ごめん、良くないか」
「ふふっ、良いですよ。一人は気楽だし。課長の方こそ、大丈夫ですか?おつき合いされてる方に誤解されたりしてませんか?」
「ああ、俺もいないから大丈夫」
「そうですか。そう言えば課長、結婚願望ないっておっしゃってましたもんね」
「うん。だから誰かとつき合いたいとか、あんまり思わなくて。平木はいつも、恋人いないと死んじゃう!とか大げさに騒いでるけどな」
あはは!と真美は想像して笑い出す。
「なんだか目に浮かびます」
「だろ?泳ぐのやめると死んじゃうマグロかよ?って、いつも呆れてた」
「マグロって!やだ、平木課長の人面魚を想像しちゃった!」
「うげ、それはキモいな」
二人でゲラゲラと笑い合う。
ようやく落ち着くと、真美は壁の時計を見上げて潤に提案した。
「課長、よかったら晩ご飯もここで食べていきませんか?」
「え、さすがにそれは。望月が大変だろ?」
「いいえ、私ががっくんともっと一緒にいたくて。いけませんか?」
「いや、こっちはありがたいけど」
「それなら、ぜひ!じゃあ今のうちに、下ごしらえしちゃいますね」
真美が立ち上がってキッチンに向かうと、手伝うよ、と潤もついてきた。
「大丈夫ですよ。座っててください」
「いや、よければ料理を教えてもらいたくて。岳に買ってきた惣菜ばかり食べさせるのは考えものだから」
「あ、確かに。じゃあ簡単に出来るものを、一緒に作ってみますか?」
「うん、教えて欲しい」
「分かりました。それなら、そうだな……」
冷蔵庫を開けると、真美は、うーん、と考えながら食材を取り出す。
「では今回は、必殺!包丁いらずの時短レシピ!」
「おお!素晴らしい」
得意気にひき肉のパックと卵を掲げると、潤がパチパチと拍手をした。
「今日使うのは牛肉のミンチですけど、合挽きでも豚肉のミンチでも、鶏肉のミンチでも大丈夫です。とにかくスーパーで、こんなふうに細かくなってるひき肉を買って来てください」
「うん、分かった」
「作るのは、三色どんぶりです。お肉と卵のそぼろ、あとは桜でんぶとか何でもいいのでご飯にのっけます。なんなら、四色でも大丈夫です。じゃあ早速、小さなお鍋でひき肉を炒めますね」
火をつけて鍋を温めてから、潤は真美に教わりつつ、ひき肉を入れて塩コショウで炒める。
「色が変わればオッケーです。次に味をつけていきますね。私はいつも目分量でやってしまうんですけど、最初は感覚掴めないと思いますので、あとで分量をメモしてお渡ししますね」
「ありがとう、助かるよ」
真美は手際良く、砂糖と醤油、みりんを入れて味見する。
「これくらいでどうでしょう?」
渡されて潤も味見用のスプーンを口に運んだ。
「うん!旨い」
「良かった。じゃあ、がっくんのはこれで。少し取り分けておきますね。大人用には、更にお酒を入れて煮詰めます」
「へえ、それもいいな」
「お肉はこれで完成です。次はスクランブルエッグを作ります。これなら、がっくんも混ぜ混ぜお手伝いしてもらえるかも」
「そうだな。俺でも出来るし」
潤はフライパンでスクランブルエッグを作った。
「これで二色出来ました。あと一色は、がっくんには桜でんぶ、課長用には、青菜と鷹の爪を炒めたものを載せますね。常備菜なんですけど、お酒のおつまみにもなりますよ。あとこれだと、がっくんの野菜が足りないので、今日はレタスを細かくしたものを用意しようと思います。がっくんが起きたら一緒に盛りつけましょうか」
「分かった。これで終わり?簡単だな。これなら俺でも出来そうだ」
そう言う潤に微笑んでから、真美はカフェオレを入れてローテーブルに促した。
「じゃあ、簡単にレシピを書いておきますね。もしお肉を煮詰めるのも時間がなければ、サラダチキンを手で裂いて載せてもいいと思います。焼き鳥のタレとかも売ってますから、それを少しかけるだけでも美味しいですよ」
「そうなんだ。料理って、カッチリやらなくてもいいんだな」
「もちろんです。私なんて、かなり大ざっぱですよ。もう何でもアリって感じで」
「そうなの?会社での望月からは想像出来ないけど」
「お仕事ですもん。会社ではちゃんとやりますよ。だけどうちに帰るとダラーッとしてます。手抜き最高!時短バンザイ!ですよ」
あはは!と潤は笑い出す。
「全然想像つかない。会社でも手抜きしてみてよ」
「え、いいんですか?全く使いものにならなくて、課長が大変な目に遭いますよ?」
「そんなに?」
「ええ。机の上でとろけたマシュマロみたいになってます」
「ははは!可愛いな、それ」
「どこがですか?」
おしゃべりしながらレシピを書き、潤に手渡した。
「はい。分量はあくまで目安なので、適当で大丈夫ですよ。味見しながら調節してください」
「ありがとう。これが作れるようになったら、また別の料理教えてもらってもいい?」
「もちろんです。私もいくつかレシピ書いておきますね」
「助かるよ」
そのあとはカフェオレを飲みながら、岳が起きるのを待った。
「おゆうぎ会の動画、がっくんのママに送ってあげたんですか?」
「ああ。多分、夜になったら電話がかかってくると思う」
「そうですか。がっくん、喜ぶだろうな」
「姉貴も。動画かじりついて見ると思う」
「そうですね。帰国はいつ頃なんですか?」
「クリスマスの辺りなんだ。あと1か月ちょっとか。そう思うとなんか寂しいな」
「私もです」
二人でベッドで眠る岳に目をやる。
「俺さ、ほんとのこと言うと、最初は生活が乱れて結構大変だったんだ。子育てってすごいことなんだなって。なんとかなると思ってたけど、果たして3か月もやっていけるだろうかって、不安になってた。けど望月のおかげで、一気に気が楽になったよ。あの言葉に救われた」
あの言葉?と真美は首を傾げた。
「ほら、岳のやつ、望月のこと呼び捨てにしたり、生意気な口をきくだろ?それをどうやってやめさせようか悩んでたんだ。そしたら望月が言ってくれた。岳はすごくがんばってるいい子だ。小さな身体で、毎日を一生懸命に生きてる。叱ることなんて、何一つないって」
「ああ、あの時の……。だって本当にそう思いますから」
「うん。そんなふうに言ってくれるのは、多分望月だからだ。他の人には、やっぱり生意気な子だなって思われるかもしれない。だけどそれでもいいって思えた。俺は望月のあの言葉をずっと心に留めて、岳と接していこうと決めたんだ」
「そうだったんですか」
真美は両手に持ったマグカップに目を落とす。
「課長。私の方こそがっくんに救われたんです。私、ずっと昔からコンプレックスがあって。人づき合いに自信が持てなかったんです」
え……、と言葉を呑み込んで、潤は真美の表情をうかがった。
「会社では、一生懸命気を張っています。紗絵さんや若菜ちゃんとおしゃべりするのは楽しいし、課長を初め、皆さんいい方ばかりです。とても恵まれた環境なのに、それでもどこか必死でがんばっている自分に疲れていました」
そんなことはまったく知らなかったと、潤は上司として気づけなかったことにショックを受ける。
「私って、人見知りで引っ込み思案なところがあって、子どもの頃から友達がなかなか出来ませんでした。社会人になってからは大人として誠実に振る舞おうとしてきましたけど、やっぱり近寄りがたいって思われているみたいで……。それでもいい、と思いつつ、どこか寂しくて。そんな時、がっくんが私の絵を描いてくれたんです。にっこり笑った明るい表情の女の子。がっくんは私に対して、何も垣根を作らずに接してくれるんです。それがどんなに嬉しかったか。私はがっくんにどれほど心が救われたか分かりません」
潤は黙って真美の言葉を噛みしめていた。
(あの時、あの絵を渡した時に涙をこぼしていたのはそういう訳だったのか。知らなかった。会社では誰に対しても丁寧に接しているし、気遣いの出来る子だって周りからも信頼されてたから。けど望月は、どこかで無理をしていたんだ。課長の俺が気づくべきだった)
後悔の念に駆られる。
だが今日打ち明けてもらえて良かったと思った。
「望月」
「はい」
「これからはどんなことでもいい、俺に相談してくれないか?愚痴をこぼすとか、不満をもらすだけでもいい。一人で抱え込むな。無理に気持ちを抑え込むな。俺になら何を話してくれてもいい。俺は絶対的に望月の味方だから」
「課長……」
ぽろぽろと真美の目から涙がこぼれ落ちる。
こんなにも自分の懐深くに飛び込んで言葉をくれる人は初めてだった。
潤は、必死で涙を堪えようとする真美の頭に手を置いて、その瞳を覗き込む。
「いいか?望月。決して忘れるな。お前は一人じゃない。俺がいつも近くにいる」
分かったか?と更に顔を覗き込まれて、真美は、はいと頷く。
よし、と潤が真美の頭をクシャッとなでた時だった。
うーん……、と目ぼけた声がしたかと思うと、あー!と岳が大声を上げて起き上がった。
「まみ!なんでないてんの?じゅんがなかせたのか?」
「違う、がっくん違うのよ」
慌てて涙を拭うと、岳はベッドからぴょんと飛び降りて駆け寄って来た。
「どうしたんだよ?おれがいってやるから。じゅん!おんなのこなかせるなんて、おとことしてやっちゃいけないことだぞ」
はあ……、と潤はため息をついた。
「岳、あのな。これには訳が……。いや、でもそうだな。今まで気づけなかった俺が悪いんだ。すまない、望月」
「そんな!課長は何も悪くありません。がっくん、違うの。私が勝手に泣いて、課長はなぐさめてくれただけなのよ」
必死で訴えるが、岳は納得いかないようで憮然としている。
「まみがなくなんて、おれまでかなしくなる」
グッと唇を噛みしめて涙を堪える岳を、たまらず真美は抱きしめた。
「ごめんね、もう泣かないよ。だからがっくんも笑って?ね?」
「まみもわらう?」
「うん!がっくんが大好き」
「おれも。まみがだいすき」
ふふっと二人で微笑み合う。
「良かった。じゃあ少し早いけど晩ごはん作ろうか。がっくん、手伝ってくれる?」
「うん!」
手を繋いでキッチンへ向かう二人の姿に、潤もホッとして頬を緩めた。
「がっくん、ご飯にトッピングしていくよ。まずどれから載せる?」
「えっと、たまご!」
「よーし。じゃあスプーンですくって、好きなだけ載せてね」
「うん!」
岳は小さな手でゆっくり慎重に卵を載せていく。
その様子にふふっと目を細めてから、真美も自分のご飯に具を載せていった。
「まみ、このピンクの、なに?」
「これはね、桜でんぶ。ちょっと味見してみる?」
「うん」
「はい、あーん」
真美が岳の口に少し運んで食べさせると、岳は目をまん丸にした。
「あまーい!」
「甘いでしょ?これね、お魚で出来てるんだよ」
すると潤が「ええー?!」と大きな声で驚いた。
「なんだよ、じゅん。おとななのに、しらなかったのかよ?」
「うん、知らなかった」
「ちゃんとまみのいうこと、おぼえておきなよ?」
真顔で諭す岳に、真美は思わず笑ってしまう。
3人で思い思いにどんぶりを盛りつけると、互いに見せ合った。
「がっくん、上手に出来たね!カラフルで美味しそう」
「まみの、すごい!おはながさいてる!」
どれ?と潤も覗き込む。
「ほんとだ。綺麗だな」
真美はご飯に細かいレタスを敷き詰め、下の方に茶色のそぼろで土と茎を描き、桜でんぶと卵でピンクと黄色のお花を咲かせていた。
「おれも、このはっぱのせる!」
「うん。じゃあがっくん、このレタス使って」
岳はレタスを全体的にパラパラとまぶしていった。
「おおー、彩り良くて美味しそう!」
「へへー。じゅんのは?」
えー?と、潤は自信なさげにどんぶりを見せる。
「なんか、男の豪快飯って感じかな」
「ふふっ、美味しそうですよ。鷹の爪の赤色がいいアクセントになってて」
「うん、美味しそう」
「じゃあ、食べましょうか」
いただきます!と3人で声を揃えてから、早速食べ始めた。
「おいしい!」
「良かった。自分で盛りつけると美味しいね。がっくん、よく噛んで食べてね」
真美は潤にも声をかける。
「課長、お口に合いますか?」
「うん、美味しいよ。特にこの青菜。酒が飲みたくなる」
「ふふっ。じゃあ、あとで少し容器に入れますから持って帰ってください。がっくんが寝たあとの晩酌にどうぞ」
「え、いいの?」
「はい。あ、そのどんぶり、半分くらい食べたら韓国海苔を載せて、お茶漬けにしませんか?」
「する!それいい!」
3人でお腹いっぱい食べ、楽しく食事を終える。
夜の7時になり、荷物をまとめると潤は真美に向き直った。
「望月、今日はほんとにありがとう。丸一日お世話になって」
「こちらこそ。おゆうぎ会、とっても楽しかったです。がっくん、今日はありがとう。また遊ぼうね」
「うん!またな、まみ」
今日は電車で帰る潤と岳を、真美はマンションのエントランスから手を振って見送った。
保育園をあとにすると、気を取り直して真美は岳に尋ねた。
「えっとね、ギョウザ!」
「おお、ギョウザか!じゃあお昼からギョウザパーティーしちゃおう。がっくん、作るの手伝ってくれる?うちにね、ギョウザパックンあるんだ」
「だれ?ギョウザパックンって」
「あはは!パックンはね、ギョウザを作る天才なの」
「なんだそれー?だれだよ。まみのうちにすんでるのか?」
「そうだよ」
「じゅん!やばいぞ。まみをとられちゃう」
はあ……と潤はため息をつく。
「岳、この際はっきり言っておく。俺達は恋人同士じゃない」
「だれ?おれたちって」
「だから俺と……、まみちゃん」
ヒクッと真美は、岳と繋いだ手に力を込めてしまった。
「てれんなって。おれ、だれにもいわないからさ」
「言ってるだろ?!しかもあっちこっちに」
「おれからは、いってない。きかれたらこたえる。うそつくのはよくないからな」
「だから、嘘じゃないってば!」
エンドレスなやり取りをしているうちにスーパーに着いて、真美はギョウザの材料と岳の好きなお菓子をカゴに入れた。
「ごめんな、望月。またうちに上がらせてもらうことになって」
潤がレジでクレジットカードをサッと差し出しながら、小声で真美に謝る。
「いいえ。私ががっくんと一緒にいたいだけなんです。つき合ってくださって、ありがとうございます、課長」
すると手を繋いでいた岳が、パッと顔を上げた。
「やっぱりつきあってるんだ!ほらな、じゅん。おとこらしくみとめろよ」
「バカ!違うったら」
「バカっていうやつがバカなんだぞ?」
うう……と潤は言葉に詰まる。
その後もがっくりとうなだれたまま、潤は大人しく真美と岳のあとをついていった。
「さてさて。それではギョウザを作りまーす!」
「イエーイ!」
部屋に帰って来ると真美は岳と潤に飲み物を出し、ささっと具材をみじん切りにしてからローテーブルに並べた。
「じゃじゃーん!いよいよギョウザパックンの登場でーす!」
真美はもったいぶってから、手の中に隠していたプラスチックの丸いプレートを岳に見せる。
縁が波型になっていて、真ん中で折りたたむだけでギョウザが形作れるようになっていた。
「これがパックン?」
「そうなの。ギョウザを作る天才だよ。まず、このパックンの上にギョウザの皮を置きます。がっくん、1枚置いてみて」
「うん」
皮を手渡すと、岳は真剣な顔つきでそっとプレートに載せた。
「ばっちりね。じゃあ次は、スプーンで具材をすくって、皮の真ん中に載せます。たくさん載せすぎるとはみ出ちゃうから、ちょびっとね」
「わかった」
岳はまたしても慎重な手つきで具材を載せる。
「オッケー!そしたら次に、人差し指で皮の縁にお水をつけます。1回私がやってみるから、見ててね」
真美は小皿に入れた水に指を浸してから、皮の縁をスッとなでるようにして濡らしていく。
「こんな感じ。ではいよいよ、パックンしまーす!がっくん、左手はここ、右手でここを持って。いくよー?パックン!」
岳の手に自分の手を重ねて、真美はプレートを2つに折りたたむように合わせた。
「ギューッてしたら、パックンを開いてみて」
「わあ、できた!」
「ね?ちゃんとギョウザになってるでしょ?」
「うん!パックン、てんさい!」
「あはは!がっくんも天才!」
岳は目を輝かせて、もういっかい!と身を乗り出す。
「うん。どんどん作ってね。具材も好きなの載せていいよ。チーズとコーンもあるからね」
「やったー!」
わくわくした様子で岳はギョウザを作っていく。
少し具がはみ出たり、綺麗に2つ折りにならなくても気にしない。
楽しそうな岳の様子に微笑むと、真美は潤の前に別の具材の皿を置いた。
「課長。こっちは大人用に生姜とニンニクを入れてあります。良かったら課長も作ってみてください」
「えー?出来るかな。俺にもパックンある?」
「ふふ、ないです。私達は自力でがんばりましょう」
そう言って真美は、手のひらに皮と具材を載せ、水をスッと滑らせてから慣れた手つきでギョウザにひだを作って閉じた。
「おお、上手いな、望月」
「そうですか?急いでるときはパックン使っちゃうんですけど、この作業も案外好きなんです」
「そうか。俺もパックン欲しかったな」
「100円ショップで売ってますよ」
「ええ?!すごいな、100円ショップ。今度俺も買いに行こう」
潤は真美の手元を見ながら、真似をしてギョウザの口を閉じていく。
「うーん、なんか変だな」
「大丈夫ですよ、ちゃんと出来てます。でも個性が出ますね。課長のは、男の手料理って感じで豪快です」
「望月のは芸術的に綺麗だな。ひだがすごく細かい」
3人でそれぞれ熱心に作業し、たくさんのギョウザが出来上がった。
「ふふ、どれが誰のか分かりやすい」
「確かにな」
「おれの、これー!」
ずらっと並べられたギョウザに、3人は笑い合う。
「では早速焼きましょうか。ホットプレート持って来ますね」
真美がキッチンの棚から取り出すと、立ち上がって潤が受け取りに来た。
「ありがとうございます」
「これくらい当然だ」
すると岳もやって来た。
「おれもはこぶー!」
「ありがとう、がっくん。そしたら、このごま油を持って行ってくれる?」
「うん!これくらい、とうぜんだ」
渋い顔で潤の口調を真似る岳に、真美は笑いが止まらなくなる。
「やっぱりがっくん、課長にそっくり!なんだか課長の子ども時代が想像出来ちゃいます」
「そうか?俺はもっと大人しかったけどな」
「そうなんですか?」
「うん。岳のこの性格は、絶対姉貴譲りだ」
「あ、なるほど」
真美は、以前この部屋でいきなりテレビ電話で対面することになった潤の姉を思い出す。
いかにもキャリアウーマンらしい、はつらつと明るく、笑顔が印象的な綺麗な人だった。
「がっくんとママの会話って楽しそうだな」
「うるさいのなんのって、もう」
顔をしかめる潤に笑いながら、真美はホットプレートを温めてごま油をひいた。
油が跳ねないように少し温度を低くしてから、岳に声をかける。
「がっくん。ここにギョウザを並べてくれる?熱いから、これを使ってね」
そう言ってフライ返しを渡し、岳がギョウザをすくってプレートにザーッと載せるのを手伝った。
全部載せると、綺麗に並べ直してふたをする。
「いい?焼き色がついたらお水を入れて、蒸し焼きにするの」
「ムシ?ムシをやくの?」
「え?あ、違うよ。虫じゃないの。蒸し焼きっていうのはね、お風呂みたいにモクモクした感じで焼くことを言うの」
「あー、ガラスがくもっちゃうかんじ?」
「そう。そんな感じよ。じゃあお水を入れるから、ちょっと離れててね」
岳が潤の膝の上に乗るのを見届けてから、真美はふたを少し開けて水を差し入れる。
「わー、じゅーっていった!」
「そうだね。ふたをすると、ほら!ふたが白く曇っちゃったでしょ?」
「うん!おふろみたい。ギョウザもおふろにはいるんだね」
「ふふふ、そうだね。がっくんといると、なんだかとっても楽しくてわくわくする。夢の世界に住んでるみたいだね、がっくん」
「そうか?おれ、おきてるけど?」
あはは!と真美は堪え切れずに笑い出す。
「ほんとに面白い。毎日がっくんに会いたいくらい。会社にもがっくんがいてくれたらなあ」
「ああ、おふぃすらぶ?」
「そう。がっくんとオフィスラブ」
ちょ、望月、と潤が顔を赤くするが、真美と岳はニコニコと笑顔で見つめ合っていた。
「それでは、いただきまーす!」
こんがりキツネ色に焼き上がったギョウザを、3人は早速頬張る。
「おいしい!おれがつくったギョウザ、めちゃくちゃおいしい!おれ、てんさい」
岳は興奮気味に目を輝かせ、次々と平らげていく。
パリッと小気味いい音がして、潤も思わず目を見開いた。
「ほんとだ、すごく美味しい」
「そうですか?良かった」
「ああ。店で食べるギョウザって脂っこいけど、これは具材の味がしっかりしてるし食べやすい。しかもこんなにたくさんあるし」
「ふふっ、たくさん召し上がってくださいね」
作り過ぎかと思っていたが、結局3人で綺麗に平らげた。
食後のお茶を飲んでいると、岳が目をごしごしこすり始める。
「がっくん、眠い?」
「ん、ねむい」
「お昼寝の時間だもんね。ベッドに行こうか」
真美が布団をめくると、岳はふらふらしながらベッドに上がり、コテンと寝てしまった。
「ふふ、可愛い。課長、今コーヒーを淹れますね」
「いや、そんな。気にしないで」
「私が飲みたいので」
キッチンでコーヒーを淹れていると、潤が食器洗いを始めた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。いつもありがとな、望月」
スーと気持ち良さそうに眠っている岳のかたわらで、真美は潤とゆっくりコーヒーを味わう。
「あのさ、望月」
「はい、何でしょう?」
「うん、あの。いつも聞きそびれてたんだけど」
潤がちょっと気まずそうに視線を落としながら話し出した。
「いくら岳と一緒とはいえ、俺が望月の部屋に上がるのは良くないと思って。望月って……、今、特定の恋人とか、いる?」
そう言ってそっと真美の様子をうかがう。
「いえ、大丈夫です。いませんから」
「そうか、それなら良かった。あ!ごめん、良くないか」
「ふふっ、良いですよ。一人は気楽だし。課長の方こそ、大丈夫ですか?おつき合いされてる方に誤解されたりしてませんか?」
「ああ、俺もいないから大丈夫」
「そうですか。そう言えば課長、結婚願望ないっておっしゃってましたもんね」
「うん。だから誰かとつき合いたいとか、あんまり思わなくて。平木はいつも、恋人いないと死んじゃう!とか大げさに騒いでるけどな」
あはは!と真美は想像して笑い出す。
「なんだか目に浮かびます」
「だろ?泳ぐのやめると死んじゃうマグロかよ?って、いつも呆れてた」
「マグロって!やだ、平木課長の人面魚を想像しちゃった!」
「うげ、それはキモいな」
二人でゲラゲラと笑い合う。
ようやく落ち着くと、真美は壁の時計を見上げて潤に提案した。
「課長、よかったら晩ご飯もここで食べていきませんか?」
「え、さすがにそれは。望月が大変だろ?」
「いいえ、私ががっくんともっと一緒にいたくて。いけませんか?」
「いや、こっちはありがたいけど」
「それなら、ぜひ!じゃあ今のうちに、下ごしらえしちゃいますね」
真美が立ち上がってキッチンに向かうと、手伝うよ、と潤もついてきた。
「大丈夫ですよ。座っててください」
「いや、よければ料理を教えてもらいたくて。岳に買ってきた惣菜ばかり食べさせるのは考えものだから」
「あ、確かに。じゃあ簡単に出来るものを、一緒に作ってみますか?」
「うん、教えて欲しい」
「分かりました。それなら、そうだな……」
冷蔵庫を開けると、真美は、うーん、と考えながら食材を取り出す。
「では今回は、必殺!包丁いらずの時短レシピ!」
「おお!素晴らしい」
得意気にひき肉のパックと卵を掲げると、潤がパチパチと拍手をした。
「今日使うのは牛肉のミンチですけど、合挽きでも豚肉のミンチでも、鶏肉のミンチでも大丈夫です。とにかくスーパーで、こんなふうに細かくなってるひき肉を買って来てください」
「うん、分かった」
「作るのは、三色どんぶりです。お肉と卵のそぼろ、あとは桜でんぶとか何でもいいのでご飯にのっけます。なんなら、四色でも大丈夫です。じゃあ早速、小さなお鍋でひき肉を炒めますね」
火をつけて鍋を温めてから、潤は真美に教わりつつ、ひき肉を入れて塩コショウで炒める。
「色が変わればオッケーです。次に味をつけていきますね。私はいつも目分量でやってしまうんですけど、最初は感覚掴めないと思いますので、あとで分量をメモしてお渡ししますね」
「ありがとう、助かるよ」
真美は手際良く、砂糖と醤油、みりんを入れて味見する。
「これくらいでどうでしょう?」
渡されて潤も味見用のスプーンを口に運んだ。
「うん!旨い」
「良かった。じゃあ、がっくんのはこれで。少し取り分けておきますね。大人用には、更にお酒を入れて煮詰めます」
「へえ、それもいいな」
「お肉はこれで完成です。次はスクランブルエッグを作ります。これなら、がっくんも混ぜ混ぜお手伝いしてもらえるかも」
「そうだな。俺でも出来るし」
潤はフライパンでスクランブルエッグを作った。
「これで二色出来ました。あと一色は、がっくんには桜でんぶ、課長用には、青菜と鷹の爪を炒めたものを載せますね。常備菜なんですけど、お酒のおつまみにもなりますよ。あとこれだと、がっくんの野菜が足りないので、今日はレタスを細かくしたものを用意しようと思います。がっくんが起きたら一緒に盛りつけましょうか」
「分かった。これで終わり?簡単だな。これなら俺でも出来そうだ」
そう言う潤に微笑んでから、真美はカフェオレを入れてローテーブルに促した。
「じゃあ、簡単にレシピを書いておきますね。もしお肉を煮詰めるのも時間がなければ、サラダチキンを手で裂いて載せてもいいと思います。焼き鳥のタレとかも売ってますから、それを少しかけるだけでも美味しいですよ」
「そうなんだ。料理って、カッチリやらなくてもいいんだな」
「もちろんです。私なんて、かなり大ざっぱですよ。もう何でもアリって感じで」
「そうなの?会社での望月からは想像出来ないけど」
「お仕事ですもん。会社ではちゃんとやりますよ。だけどうちに帰るとダラーッとしてます。手抜き最高!時短バンザイ!ですよ」
あはは!と潤は笑い出す。
「全然想像つかない。会社でも手抜きしてみてよ」
「え、いいんですか?全く使いものにならなくて、課長が大変な目に遭いますよ?」
「そんなに?」
「ええ。机の上でとろけたマシュマロみたいになってます」
「ははは!可愛いな、それ」
「どこがですか?」
おしゃべりしながらレシピを書き、潤に手渡した。
「はい。分量はあくまで目安なので、適当で大丈夫ですよ。味見しながら調節してください」
「ありがとう。これが作れるようになったら、また別の料理教えてもらってもいい?」
「もちろんです。私もいくつかレシピ書いておきますね」
「助かるよ」
そのあとはカフェオレを飲みながら、岳が起きるのを待った。
「おゆうぎ会の動画、がっくんのママに送ってあげたんですか?」
「ああ。多分、夜になったら電話がかかってくると思う」
「そうですか。がっくん、喜ぶだろうな」
「姉貴も。動画かじりついて見ると思う」
「そうですね。帰国はいつ頃なんですか?」
「クリスマスの辺りなんだ。あと1か月ちょっとか。そう思うとなんか寂しいな」
「私もです」
二人でベッドで眠る岳に目をやる。
「俺さ、ほんとのこと言うと、最初は生活が乱れて結構大変だったんだ。子育てってすごいことなんだなって。なんとかなると思ってたけど、果たして3か月もやっていけるだろうかって、不安になってた。けど望月のおかげで、一気に気が楽になったよ。あの言葉に救われた」
あの言葉?と真美は首を傾げた。
「ほら、岳のやつ、望月のこと呼び捨てにしたり、生意気な口をきくだろ?それをどうやってやめさせようか悩んでたんだ。そしたら望月が言ってくれた。岳はすごくがんばってるいい子だ。小さな身体で、毎日を一生懸命に生きてる。叱ることなんて、何一つないって」
「ああ、あの時の……。だって本当にそう思いますから」
「うん。そんなふうに言ってくれるのは、多分望月だからだ。他の人には、やっぱり生意気な子だなって思われるかもしれない。だけどそれでもいいって思えた。俺は望月のあの言葉をずっと心に留めて、岳と接していこうと決めたんだ」
「そうだったんですか」
真美は両手に持ったマグカップに目を落とす。
「課長。私の方こそがっくんに救われたんです。私、ずっと昔からコンプレックスがあって。人づき合いに自信が持てなかったんです」
え……、と言葉を呑み込んで、潤は真美の表情をうかがった。
「会社では、一生懸命気を張っています。紗絵さんや若菜ちゃんとおしゃべりするのは楽しいし、課長を初め、皆さんいい方ばかりです。とても恵まれた環境なのに、それでもどこか必死でがんばっている自分に疲れていました」
そんなことはまったく知らなかったと、潤は上司として気づけなかったことにショックを受ける。
「私って、人見知りで引っ込み思案なところがあって、子どもの頃から友達がなかなか出来ませんでした。社会人になってからは大人として誠実に振る舞おうとしてきましたけど、やっぱり近寄りがたいって思われているみたいで……。それでもいい、と思いつつ、どこか寂しくて。そんな時、がっくんが私の絵を描いてくれたんです。にっこり笑った明るい表情の女の子。がっくんは私に対して、何も垣根を作らずに接してくれるんです。それがどんなに嬉しかったか。私はがっくんにどれほど心が救われたか分かりません」
潤は黙って真美の言葉を噛みしめていた。
(あの時、あの絵を渡した時に涙をこぼしていたのはそういう訳だったのか。知らなかった。会社では誰に対しても丁寧に接しているし、気遣いの出来る子だって周りからも信頼されてたから。けど望月は、どこかで無理をしていたんだ。課長の俺が気づくべきだった)
後悔の念に駆られる。
だが今日打ち明けてもらえて良かったと思った。
「望月」
「はい」
「これからはどんなことでもいい、俺に相談してくれないか?愚痴をこぼすとか、不満をもらすだけでもいい。一人で抱え込むな。無理に気持ちを抑え込むな。俺になら何を話してくれてもいい。俺は絶対的に望月の味方だから」
「課長……」
ぽろぽろと真美の目から涙がこぼれ落ちる。
こんなにも自分の懐深くに飛び込んで言葉をくれる人は初めてだった。
潤は、必死で涙を堪えようとする真美の頭に手を置いて、その瞳を覗き込む。
「いいか?望月。決して忘れるな。お前は一人じゃない。俺がいつも近くにいる」
分かったか?と更に顔を覗き込まれて、真美は、はいと頷く。
よし、と潤が真美の頭をクシャッとなでた時だった。
うーん……、と目ぼけた声がしたかと思うと、あー!と岳が大声を上げて起き上がった。
「まみ!なんでないてんの?じゅんがなかせたのか?」
「違う、がっくん違うのよ」
慌てて涙を拭うと、岳はベッドからぴょんと飛び降りて駆け寄って来た。
「どうしたんだよ?おれがいってやるから。じゅん!おんなのこなかせるなんて、おとことしてやっちゃいけないことだぞ」
はあ……、と潤はため息をついた。
「岳、あのな。これには訳が……。いや、でもそうだな。今まで気づけなかった俺が悪いんだ。すまない、望月」
「そんな!課長は何も悪くありません。がっくん、違うの。私が勝手に泣いて、課長はなぐさめてくれただけなのよ」
必死で訴えるが、岳は納得いかないようで憮然としている。
「まみがなくなんて、おれまでかなしくなる」
グッと唇を噛みしめて涙を堪える岳を、たまらず真美は抱きしめた。
「ごめんね、もう泣かないよ。だからがっくんも笑って?ね?」
「まみもわらう?」
「うん!がっくんが大好き」
「おれも。まみがだいすき」
ふふっと二人で微笑み合う。
「良かった。じゃあ少し早いけど晩ごはん作ろうか。がっくん、手伝ってくれる?」
「うん!」
手を繋いでキッチンへ向かう二人の姿に、潤もホッとして頬を緩めた。
「がっくん、ご飯にトッピングしていくよ。まずどれから載せる?」
「えっと、たまご!」
「よーし。じゃあスプーンですくって、好きなだけ載せてね」
「うん!」
岳は小さな手でゆっくり慎重に卵を載せていく。
その様子にふふっと目を細めてから、真美も自分のご飯に具を載せていった。
「まみ、このピンクの、なに?」
「これはね、桜でんぶ。ちょっと味見してみる?」
「うん」
「はい、あーん」
真美が岳の口に少し運んで食べさせると、岳は目をまん丸にした。
「あまーい!」
「甘いでしょ?これね、お魚で出来てるんだよ」
すると潤が「ええー?!」と大きな声で驚いた。
「なんだよ、じゅん。おとななのに、しらなかったのかよ?」
「うん、知らなかった」
「ちゃんとまみのいうこと、おぼえておきなよ?」
真顔で諭す岳に、真美は思わず笑ってしまう。
3人で思い思いにどんぶりを盛りつけると、互いに見せ合った。
「がっくん、上手に出来たね!カラフルで美味しそう」
「まみの、すごい!おはながさいてる!」
どれ?と潤も覗き込む。
「ほんとだ。綺麗だな」
真美はご飯に細かいレタスを敷き詰め、下の方に茶色のそぼろで土と茎を描き、桜でんぶと卵でピンクと黄色のお花を咲かせていた。
「おれも、このはっぱのせる!」
「うん。じゃあがっくん、このレタス使って」
岳はレタスを全体的にパラパラとまぶしていった。
「おおー、彩り良くて美味しそう!」
「へへー。じゅんのは?」
えー?と、潤は自信なさげにどんぶりを見せる。
「なんか、男の豪快飯って感じかな」
「ふふっ、美味しそうですよ。鷹の爪の赤色がいいアクセントになってて」
「うん、美味しそう」
「じゃあ、食べましょうか」
いただきます!と3人で声を揃えてから、早速食べ始めた。
「おいしい!」
「良かった。自分で盛りつけると美味しいね。がっくん、よく噛んで食べてね」
真美は潤にも声をかける。
「課長、お口に合いますか?」
「うん、美味しいよ。特にこの青菜。酒が飲みたくなる」
「ふふっ。じゃあ、あとで少し容器に入れますから持って帰ってください。がっくんが寝たあとの晩酌にどうぞ」
「え、いいの?」
「はい。あ、そのどんぶり、半分くらい食べたら韓国海苔を載せて、お茶漬けにしませんか?」
「する!それいい!」
3人でお腹いっぱい食べ、楽しく食事を終える。
夜の7時になり、荷物をまとめると潤は真美に向き直った。
「望月、今日はほんとにありがとう。丸一日お世話になって」
「こちらこそ。おゆうぎ会、とっても楽しかったです。がっくん、今日はありがとう。また遊ぼうね」
「うん!またな、まみ」
今日は電車で帰る潤と岳を、真美はマンションのエントランスから手を振って見送った。
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