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パパの顔

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「あ……」

呟いた声は二人綺麗に重なった。

おそらく驚いて固まった顔も。

そしてふと視線を下げ、うっ……と気まずい表情を浮かべるまで、一連の流れは見事にシンクロしていた。

「あ、えっと……。お疲れ様です」

先に口を開いたのは真美まみだった。

「お疲れ様」

いつものようにキリッとした表情でじゅんが答える。

ただ少し違うのは、右手で小さな男の子の手を繋いでいること。

真美は少し身を屈めて、その男の子ににっこり笑いかけた。

「こんにちは。あ、こんばんはかな?」

夜の7時を過ぎたところで、10月ともなると既に辺りも暗くなっている。

(でも小さい子は、こんばんは、なんて使い慣れてないか)

そう思っていると、男の子はじっと真美を見つめてから真顔でボソッと呟いた。

「……だれ?ふしんしゃ?」

こら、がく!と慌てて潤が咎める。

真美はしゃがみ込んで男の子と目線を合わせた。

「そうだよね、いきなり話しかけてごめんね。私は望月もちづき真美といいます」
「おれ、がく。4さい。まみは?」
「え、私?25歳……です」

えへへと苦笑いを浮かべるが、男の子は真顔のままだ。

「えっと、それじゃあね、岳くん。バイバイ」
「バイバイ」

真美はもう一度笑いかけてから立ち上がる。

「それでは五十嵐課長、失礼いたします」
「あのな、望月……」

何か言いたそうな潤に、真美は真剣な表情で頷いてみせた。

「ご安心ください。私、こう見えて口は堅いので」
「いや、そうじゃなくて」
「大丈夫です、ご心配なく。それでは、また明日会社で」

真美は潤にお辞儀をすると、もう一度岳にバイバイと手を振ってから踵を返して立ち去った。



ワンルームマンションへと向かいながら、真美は頭の中で妄想を膨らませる。

(あれってやっぱり、そういうことよね?つまり、五十嵐課長のお子さん)

仕事を終えていつものように家路につき、自宅の最寄駅で電車を降りた。

駅前の大通りを少し歩いて路地に入ったところに保育園があり、そこから父親と息子らしき親子が出て来て何気なく目を向けたまではいつも通りだった。

その父親というのが、同じ会社の上司である課長だったことを除いては。

(五十嵐課長って、てっきり独身だと思ってた。若いしイケメンだし、狙ってる女子社員も多いしね。第一、結婚してるなんて誰からも聞いたことなかったもん。いや、待てよ?お子さんがいるからって、結婚してるとは限らないか。知られたくない事情があるのかも。さっき課長、なんだか妙に焦ってらっしゃったし)

明らかに困惑していた様子を思い出す。

(そりゃ、大人なんだもん。色々あるよね。離婚してシングルファーザーとして育てているとか?)

それにしては、今まで保育園の前で見かけたことは一度もなかった。

(うーん、つい最近離婚したとか?そう言えば課長、いつもは残業するのが当たり前なのに、ここ最近、毎日定時で帰ってたもんね)

そう考えると納得がいく。
だがあれこれと詮索するつもりはない。

何にせよ、会社ではきっちり仕事とプライベートは切り離して、課長とはこれまで通りに接しようと真美は自分に言い聞かせた。



「たっだいまー!」

玄関を入るなり、勢い良く靴を脱いで部屋に上がる岳に、潤は後ろから声をかける。

「ほら、岳!うがいと手洗いは?」
「わかってるー!じゅん、いっつもそればっかり」
「潤じゃない、叔父さんだ」
「えー、おじさんとかおばさんってよばないほうがいいんだぜ?おばさんにも、おねえさんってよんだほうがいいんだよ」

はあー?と潤は呆れて眉間にしわを寄せた。

「岳、どこでそんなこと覚えるんだ?」
「もてるおとこはそうしてるって、けいくんがいってた。コロッケやのおばさんに、おねえさんっていったら、おまけしてくれるって」

がっくりと潤はうなだれる。

「なんなんだ、最近の保育園児は。どんな会話してんだよ?」
「じゅんー、ばんごはん、なに?」

洗面所の前に置いた踏み台に上がりながら、岳が大きな声で聞いてきた。

「え?ああ、さっき商店街で買っておいた……、よりによってコロッケだよ」
「コロッケ?やったー!ちゃんとおまけしてもらった?」
「いや、してもらってない」
「おねえさんって、いわなかったんだろ?」
「うん、まあ」
「だめだよ、じゅん。こんどはちゃんと、おねえさんっていいなよ?」

ガラガラとうがいをしてから、妙にかっこつけた表情で振り返る岳に、潤はため息をついた。

「いっただっきまーす!」

ダイニングテーブルにご飯とコロッケ、みそ汁を並べると、早速岳はパクパクと食べ始める。

「岳、よく噛んで食べろよ?」
「わかってるって。それよりさ、じゅん。さっきの『まみ』って、かのじょ?」

ブホッと潤はみそ汁を吹き出す。

「きたないなー。もっとおぎょうぎよくたべろよ」

テーブルの上のティッシュを抜き取って渡しながら、岳はニヤリと笑った。

「やっぱりかのじょなんだ?」
「違うわ!」
「うわー、いっしょだな」
「何がだよ?」
「きのう、ももこせんせいのかれしがむかえにきたんだ。みんなで、せんせいのかれし?ってきいたら、ちがう!って。じゅんみたいにいってた」

もう、なんなんだ、最近の若いもんは……と潤はぶつぶつ呟く。

「いいか?岳。さっきの人は叔父さんの会社の同僚だ。一緒に働いてる仲間。分かるか?」
「うん。おふぃすらぶ」

ゴホッと今度はコロッケを喉に詰まらせた。

「が、岳!一体、保育園で何を習ってるんだ?」
「ゆずちゃんがいろいろおしえてくれるの。パパとママ、おふぃすらぶでけっこんしたんだーって。じゅんもまみと、おふぃすらぶでけっこんするの?」
「するかよ!いいか、岳。今度またあのお姉さんに会っても、余計なことは言うなよ?」
「よけいなこと?って、なに?」
「えっと、だから。その、オフィスなんちゃら、とか。結婚がどうとか」
「うん、わかった!」

あっさり答える岳に潤は、信用ならないとばかりに肩を落としていた。



『やっほーい!岳、元気ー?』

夕食のあと、テレビ電話の画面を見ながら、岳が満面の笑みを浮かべる。

「ママ!げんきだよー」
『お、今日もいい男だね。どう?いいことあった?』
「うん!じゅんのかのじょにあった」
『ええー?!うっそ、ほんとに?ママも見たかったー!』

舌の根も乾かぬうちに……と、潤は呆れて画面に割り込んだ。

「姉貴、違うからな」
『えー、じゃあ誰なの?その人』
「単なる会社の部下だ」
『やだー!オフィスラブ?キュンキュンしちゃう!』
「姉貴だろ?!岳に変なこと教えてるの」
『変なことなんて教えてないわよ?男はいつもかっこよく、女の子にも優しくねって』
「保育園児に言うセリフかよ?」

ヤレヤレと潤はため息をつく。

『あら、そういうのは小さいうちから自然と出来るようになった方がいいのよ。ほら、パパがママに優しくしてるのを見て育つと、男の子は将来お嫁さんに当然のように優しく出来るでしょ?うちはシングルマザーだから、岳には言葉で伝えようと思って』

ああ、うん……、と潤は言葉を濁した。

3歳年上の姉は、未婚で岳を産んで育てている。
詳しくは聞くつもりもなかったが、どうやら相手の男性には妊娠したことを告げずに別れを切り出したらしい。

ジュエリーデザイナーとしてバリバリ働く姉は、一人でも岳を養っていける財力はあった。
だが、海外のジュエリーブランドに3か月間の出向が決まり、その時ばかりは岳をどうするかで頭を抱えていた。

両親は田舎で家業を営んでおり、東京には呼び寄せられない。
それに岳にはなるべくいつも通りの生活を送らせたい。
これまで通り変わらず保育園に通って、毎日友達と楽しく過ごして欲しい。
そう思った姉が潤に、3か月間岳を預かってくれと頼んできたのだった。

岳が通っている保育園は、潤の自宅マンションから電車で3つ先の駅にあり、会社からもそう遠くない。
定時で上がって迎えに行けばなんとかなりそうだったし、やはり姉が困っているなら助けたいと、潤は岳を引き受けることにした。

(まあ、岳と暮らす毎日も悪くはないけど、まさか望月に見られるとはなあ)

普通に「姉の子を預かっている」と言えば良かったのに、なぜだか幼い岳と手を繋いでいるところを見られて焦ってしまい、きちんと説明出来なかった。

(あれはやっぱり勘違いされたよな)

ご安心ください。私、こう見えて口は堅いので、という真美のセリフを思い出す。

(明日、会社できちんと説明しておこう)

そう思っていると、かたわらで岳と姉が盛り上がっていた。

『それで?岳。潤の彼女、どんな人だった?』
「あのね、まみっていうの。25さい」
『うっそー!いいじゃん、潤。4歳年下?まみちゃんだって。かっわいいー!』

姉貴!と慌てて潤が口を挟む。

「違うから。本当に単なる同僚だ。岳が勘違いするだろ?」
『あら、潤。子どもの感性をあなどらない方がいいわよ?よく見てるのよねー、子どもって。結構鋭いんだから』
「それなら尚更余計はことは言うな!」
『はいはい、分かりましたよ。じゃあねー、岳。またまみちゃんのこと、教えてねー』

はーい!と、ご丁寧に片手を挙げて返事をする岳に、潤はまたもやがっくりとうなだれていた。
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