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紫陽花
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雨が降る中、エマは空気傘を差しながら並木道を歩いていた。
その後ろをユーリが規則正しい足取りで、彼女をあらゆる脅威から守るべく、周囲に目を光らせながらついて行く。
自立型機械のユーリは完全防水設計のため、いくら濡れても故障することはなかったが、エマは心配そうに彼の方を振り返る。
「ユーリ、そんなに濡れて平気なの?」
「はい。わたくしは自立型機械なので大丈夫です」
「でもすごく冷たそうだわ」
「必要な時は即座に乾燥できますので、ご心配には及びません」
――人間と自立型機械の差別化。
いくら技術が進歩しようとも、地球の人々は決して自立型機械を対等な立場に置くことはなかった。
彼らはあくまでも、人間のために存在しているのだ。
だから雨の日に傘を差すことは許されない。
他の星で四半世紀ほど前から実用化されているアンドロイドとはまるで違い、地球の自立型機械は機能を改良されても、基本的な姿形を何世紀も変更されずにいた。
“自立型機械は自立型機械らしくあるべきである”
臆病な人間による、自立型機械の完璧なコントロール。
人工知能や彼らに職を奪われると騒がれ始めた頃から、地球に残ることを決めた人々の本質は何も変わっていないのだ。
地球環境への配慮が進む中、人間は気象をもコントロールすることに成功した。
今日、この地区の降雨が何時から何時まで、どのくらいの雨量が最適なのか、頭脳と呼ばれる人工知能と融合した巨大な電子機械に計算、管理させている。
二十一世紀の大量消費社会によって引き起こされた異常気象や環境破壊が問題になってからというもの、人々はいかにゴミを出さないか、いわゆる循環型経済を目標に掲げてきた。
結果として地球のユニークな部分の大多数が、人間と自立型機械の手によって“自然の姿のまま”残されている。
「あっ、カタツムリ」
エマは立ち止まり、紫陽花の葉っぱの上をゆるゆると移動しているカタツムリを愛おしそうに見つめた。
そっと指先でつつくと頭とツノを引っ込めたが、しばらくすると再び這いながら移動を始める。
「ふふ、可愛い」
「お嬢様、危険ですので手を消毒なさってください」
すかさずユーリが、エマの両手にアルコール消毒液を吹きかけた。
「これくらい別に平気よ」
「カタツムリには広東住血線虫という寄生虫がついている場合があります。万が一、口に入ればうつる可能性があるので、予防のために触れたあとは必ずよく手を洗ってください」
エマはぷうっと頬を膨らませてみたが、すぐにいつもの笑顔になった。
「ねえ、ユーリ。紫陽花について教えてくれない?」
「はい。紫陽花は日本原産の植物で、土壌の酸性度によって花の色が変化します。酸性の土壌では土中に含まれるアルミニウムがイオンとなり、紫陽花の持つ色素のアントシアニンと結合して青色の花が咲きます。土壌がアルカリ性や中性であれば土中のアルミニウムは溶け出さないため、花は赤色になるのです。また紫陽花は咲き始めからどんどん花の色が変わり、咲き始めは緑色に近いですが、花が開くと青や赤が強くなり、開花時期が終わりに近づくにつれて色素が褪せてアンティークカラーに変化してゆきます」
今、目の前で咲いている紫陽花は青色が多い。
つまり、この辺りは酸性の土壌なのだろう。
「紫陽花の花言葉は?」
「はい。紫陽花の花言葉は『家族団欒』『和気あいあい』『移り気』『浮気』『辛抱強さ』『辛抱強い愛情』です。色ごとの花言葉ですが青色は『あなたは冷たい』『知的』『神秘的』、赤色は『元気な女性』『強い愛情』、紫色は『神秘』『謙虚』、白色は『寛容』『一途な愛情』、緑色は『ひたむきな愛』です」
聞き慣れない言葉がいくつかあったが、エマは取り立てて気にしなかった。
「なぜ屋敷の庭園には一本も植えられていないの?」
「この時期に咲く紫陽花は水の気を吸いつくすため恋愛運を吸い取り、未婚女性が家に根付くとされることから、庭に植えるのは縁起が悪いとされてきました。また紫陽花は生育に水分を多く必要とすることから、良い気を吸い取ってしまうという説も残っています」
「ふうん、こんなに綺麗なのに昔の人は変わっていたのね」
「紫陽花をご所望でしたら、旦那様にお伺いいたしますが」
「いいわ。こうして見ているだけで十分幸せだもの」
そう言うとエマは宙に浮かぶ空気傘を停止させて上を向き、目を閉じて肺いっぱいに息を吸い込む。
形の良い鼻先にぴちょん、と雨粒が触れて跳ねた。
それから目を開けてゆっくりと息を吐き出し、踊るようにくるりと回ってみせた。
エマの動きに合わせて繊細なレースが装飾されたワンピースの裾がふわり、と控えめに舞い上がる。
「雨の匂いって私、大好きよ」
「そうでございますか」
大多数の人間が雨に対するネガティブなイメージを抱いているが、エマは全てを愛していた。
生きとし生けるものを。
もうすぐ雨が上がる。
その後にはきっと虹が出るだろう。
古くから虹は希望や幸福の象徴として、人々に親しまれてきた。
『虹のふもとには宝物が眠っている』という言い伝えがあるが、エマなら宝物を手にすることができるに違いない。
――いや、すでに彼女は手に入れているのだ。
目には見えない宝物を。
ユーリは微笑をたたえながら、紫陽花を眺める心優しい主人のために空気傘を差したのだった。
その後ろをユーリが規則正しい足取りで、彼女をあらゆる脅威から守るべく、周囲に目を光らせながらついて行く。
自立型機械のユーリは完全防水設計のため、いくら濡れても故障することはなかったが、エマは心配そうに彼の方を振り返る。
「ユーリ、そんなに濡れて平気なの?」
「はい。わたくしは自立型機械なので大丈夫です」
「でもすごく冷たそうだわ」
「必要な時は即座に乾燥できますので、ご心配には及びません」
――人間と自立型機械の差別化。
いくら技術が進歩しようとも、地球の人々は決して自立型機械を対等な立場に置くことはなかった。
彼らはあくまでも、人間のために存在しているのだ。
だから雨の日に傘を差すことは許されない。
他の星で四半世紀ほど前から実用化されているアンドロイドとはまるで違い、地球の自立型機械は機能を改良されても、基本的な姿形を何世紀も変更されずにいた。
“自立型機械は自立型機械らしくあるべきである”
臆病な人間による、自立型機械の完璧なコントロール。
人工知能や彼らに職を奪われると騒がれ始めた頃から、地球に残ることを決めた人々の本質は何も変わっていないのだ。
地球環境への配慮が進む中、人間は気象をもコントロールすることに成功した。
今日、この地区の降雨が何時から何時まで、どのくらいの雨量が最適なのか、頭脳と呼ばれる人工知能と融合した巨大な電子機械に計算、管理させている。
二十一世紀の大量消費社会によって引き起こされた異常気象や環境破壊が問題になってからというもの、人々はいかにゴミを出さないか、いわゆる循環型経済を目標に掲げてきた。
結果として地球のユニークな部分の大多数が、人間と自立型機械の手によって“自然の姿のまま”残されている。
「あっ、カタツムリ」
エマは立ち止まり、紫陽花の葉っぱの上をゆるゆると移動しているカタツムリを愛おしそうに見つめた。
そっと指先でつつくと頭とツノを引っ込めたが、しばらくすると再び這いながら移動を始める。
「ふふ、可愛い」
「お嬢様、危険ですので手を消毒なさってください」
すかさずユーリが、エマの両手にアルコール消毒液を吹きかけた。
「これくらい別に平気よ」
「カタツムリには広東住血線虫という寄生虫がついている場合があります。万が一、口に入ればうつる可能性があるので、予防のために触れたあとは必ずよく手を洗ってください」
エマはぷうっと頬を膨らませてみたが、すぐにいつもの笑顔になった。
「ねえ、ユーリ。紫陽花について教えてくれない?」
「はい。紫陽花は日本原産の植物で、土壌の酸性度によって花の色が変化します。酸性の土壌では土中に含まれるアルミニウムがイオンとなり、紫陽花の持つ色素のアントシアニンと結合して青色の花が咲きます。土壌がアルカリ性や中性であれば土中のアルミニウムは溶け出さないため、花は赤色になるのです。また紫陽花は咲き始めからどんどん花の色が変わり、咲き始めは緑色に近いですが、花が開くと青や赤が強くなり、開花時期が終わりに近づくにつれて色素が褪せてアンティークカラーに変化してゆきます」
今、目の前で咲いている紫陽花は青色が多い。
つまり、この辺りは酸性の土壌なのだろう。
「紫陽花の花言葉は?」
「はい。紫陽花の花言葉は『家族団欒』『和気あいあい』『移り気』『浮気』『辛抱強さ』『辛抱強い愛情』です。色ごとの花言葉ですが青色は『あなたは冷たい』『知的』『神秘的』、赤色は『元気な女性』『強い愛情』、紫色は『神秘』『謙虚』、白色は『寛容』『一途な愛情』、緑色は『ひたむきな愛』です」
聞き慣れない言葉がいくつかあったが、エマは取り立てて気にしなかった。
「なぜ屋敷の庭園には一本も植えられていないの?」
「この時期に咲く紫陽花は水の気を吸いつくすため恋愛運を吸い取り、未婚女性が家に根付くとされることから、庭に植えるのは縁起が悪いとされてきました。また紫陽花は生育に水分を多く必要とすることから、良い気を吸い取ってしまうという説も残っています」
「ふうん、こんなに綺麗なのに昔の人は変わっていたのね」
「紫陽花をご所望でしたら、旦那様にお伺いいたしますが」
「いいわ。こうして見ているだけで十分幸せだもの」
そう言うとエマは宙に浮かぶ空気傘を停止させて上を向き、目を閉じて肺いっぱいに息を吸い込む。
形の良い鼻先にぴちょん、と雨粒が触れて跳ねた。
それから目を開けてゆっくりと息を吐き出し、踊るようにくるりと回ってみせた。
エマの動きに合わせて繊細なレースが装飾されたワンピースの裾がふわり、と控えめに舞い上がる。
「雨の匂いって私、大好きよ」
「そうでございますか」
大多数の人間が雨に対するネガティブなイメージを抱いているが、エマは全てを愛していた。
生きとし生けるものを。
もうすぐ雨が上がる。
その後にはきっと虹が出るだろう。
古くから虹は希望や幸福の象徴として、人々に親しまれてきた。
『虹のふもとには宝物が眠っている』という言い伝えがあるが、エマなら宝物を手にすることができるに違いない。
――いや、すでに彼女は手に入れているのだ。
目には見えない宝物を。
ユーリは微笑をたたえながら、紫陽花を眺める心優しい主人のために空気傘を差したのだった。
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