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77.交錯するもの③
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どろどろと地を這い忍び寄って来る膨大な量の不死スライムを、ひたすら倒す地道な戦いは終わりが見えない。それでも何もしないわけには行かないのだと、誰もが武器を振るう。
「くそ、次から次へと湧いてきやがって!」
傭兵の男が悪態をついているが、そこに悲壮感はまだ無い。それに励まされている気分になって、ギルバートは困ったように笑って、赤黒い粘液の波に向かって戦斧を再び横薙ぎにした。
先ほど感じた殺気は霧散して、位置は掴めない。だが、時折こちらを視ているような気配を感じる。
「……待たせたな、すまぬ」
そう言って後ろから駆けて来たのは、矢傷の治癒を受けていた司祭シドニーだ。
「もう平気なのか? 無理は禁物だろ」
「はは、ここでへばって居られるか。西方大教会の威信に掛けて、不死スライムが、全て消滅するのを見届けるさ」
そう言ってシドニーは再び広域結界を展開して、不死スライムの進行を妨害する。治癒と回復を施されたとはいえ、まだ本調子では無いのだろう、完全に隔ててしまえるほどではない様子だ。それでも策を考える余裕は生まれる。
「問題は、これの全体像が分からない事だな……」
「闘技場のアリーナの床下は基礎の足場で大きな空洞がある。それにこの様子だと、王都の地下水路と繋げてあったと考えられるな……」
シドニーは険しい顔で苦笑いした。目の前に姿を現している不死スライムでさえ、ジエメルド領に居たそれの軽く十倍はあるように感じられる。
それが地下にもまだ潜んでいるとなれば、途方もない量だ。
「……! シドニー様、お下がりください!」
ふいにベレスフォルドの騎士の一人が叫び、シドニーの前に盾を構える。ギルバートと傭兵達が更に取り囲んで周囲を警戒した。確かに僅かな一瞬、殺気が向けられた。
目を凝らせば、赤黒い泥の山から駆け下りて来る人影が見える。
「なんだあれ……魔獣? いや、人間、なのか……?」
姿かたちがはっきりとわかる頃には、誰もが息を飲んだ。美しい貴族然とした男の上半身に、赤黒い泥に塗れた歪な獣の四肢が癒着している。それは異形としか言いようの無い姿をしていた。
「あの顔……、あれこそがディラン・アグレアス・ジエメルドだ、気を付けろ。奴め……不死化だけでは飽き足らず、正真正銘の化け物になりおったか……」
後方に身を顰めながら、シドニーが呟いた。
「正気かよ……」
「不死化する事で不死スライムと融合して、肉体を再構築したという事でしょうか……」
「鉄食いは確かに、食った金属から再度金属を生成したりする。他にも魔力の影響でそういう作用を持つ種の話は聞いた事がある」
魔獣に詳しい傭兵の説明を聞いて、ギルバートは虫唾が走る思いで身震いした。
後方からシドニーと聖職者達が結界を多重に張り巡らせるが、やはりすり抜けてくる。あの状態でもまだ不死化は不完全なのかと思うと吐き気すら覚える。
やがてそれは音もなく前方に降り立った。貴族然とした笑みを浮かべる顔は、その姿にもこの状況にも不釣り合いで、不気味さを余計に際立たせる。
「新しき聖騎士の皆さん、無駄働きをご苦労さまです。時間の無駄である事を知っていただく為に、終わらせに参りました。おや、随分と立派な戦斧ですね。……しかし、結局のところ、その程度では追い付かないでしょう?」
芝居がかった口調で語るアグレアスに、ギルバートは半笑いを浮かべた。
──何だこいつ……。腹も立つが、この口振り、まだ何かあるんだろうな……。
確かにアグレアスの言う通り、いくら不死スライムを倒したところで、減らせているという感覚には程遠い。一時、近くの安全は確保できても、遠目に見える山は減りもしない。むしろ……。
「増えてる……?」
アグレアスの後ろにそびえる赤黒い泥の山を見ていたギルバートは、ぼそりと呟いた。
先ほどベレスフォルドの騎士達が、突然不死スライムが引いたと言っていた。一か所に集まっていると考える事も出来るが、それだけでは無いように思えた。
「貴方は、勘が良いようですね。その通り、餌を食らった粘性魔菌は、分裂を繰り返し増殖するものでしょう?」
それを聞かされて、ギルバートは険しい顔をして息を吐いた。ただでさえ不死の存在が、更に増殖していくとなれば、手の打ちようが無くなる。
「まぁ、これほどの数の聖剣も、その戦斧も、些か想定外でしたね。詰めが甘かった事は認めましょう。しかし増殖速度と殲滅速度の勝負など、時間の浪費でしかありませんので」
そう言うと、アグレアスは獣状の胴体から細身の長剣を取り出した。
もはや驚く気力も無い。恐らくそれは鉄食いの鉄の再構築を利用したのだろう。
「……あいつ、不死スライムを制御してんのか?」
傭兵の男が小声で呟いた。
「本来のスライムは思考など持たないはず。この男が全てを操っているのであれば、倒しておくべきですね」
ベレスフォルドの騎士が告げる言葉に、皆頷いた。
問題はどうやって倒すかだ。こちらが多勢だが、相手は成りそこないとはいえ不死の身体、どれだけ傷を与えたところで無限に再生してしまう。
猶更たちが悪いのは、成りそこないであるが故に、不死スライムのように単純に一撃を与えただけでは消滅もしないだろう事は、つい先ほどの敵騎士との交戦でわかっている。
あるいは女神の加護で再生そのものは止められたとしても、増殖するスライムから出来た肉体を相手に、どの程度効果があるのかも定かで無い。
「成りそこないも、首を落とせば消滅するが。戦いの心得がある人間の首を落とすのは簡単じゃないな……」
対人戦で首を斬り落とすなど、実際は容易な事ではない。まだ生身の相手であれば、やりようはいくらでもあるが、そうもいかない相手だ。
一方で、ただこうして睨み合っているだけでも、向こうに都合良く不死スライム増殖の時間を与えてしまう。そもそもアグレアスはそれが狙いなのかもしれない。仕掛けてくる様子が無い。
幸いなのは、一人で多数を相手にしているせいか、アグレアスがフローラ達に狙いを変える気配が無い事だけだ。
ギルバート達は出方を窺いながら、じりじりと少しずつ距離を詰めた。この状況では、人数差が唯一の勝利の鍵だろう。傷を負わせて、再生にしろ増殖にしろ、どのくらい時間が稼げるかは博打だ。
傭兵やベレスフォルドの騎士と目線で合図を送り、同時に攻撃を仕掛けた。
傭兵と騎士がそれぞれ両側から仕掛けた同時攻撃を、アグレアスは長剣を使い身を翻して避けた。その隙を突いてギルバートが戦斧の一閃を叩きこむ。
しかしそれは掠りもせずに、戦斧は床板に深く食い込んだ。
武器を構えていても交戦する気も無さそうなアグレアスは、素早くこちらの動きを読み、半身を成す魔獣の身体能力によって攻撃を躱してしまう。
「……くそ、駄目か」
加護を強く受けていようとも、戦斧はそもそも対人の接近戦では不利だ。対不死スライムの時のように、雷撃の範囲攻撃も生じなかった。
ギルバートはそれを、自身の迷いのせいだと感じていた。
「こいつが全ての元凶なら、消滅で終わらせていいものか……」
「それは同意だな。奴は人として裁かれるべきだ」
胸のうちを呟けば、後方からシドニーが同意する。だがその為の手段が思い浮かばず、その上、一撃を与えられるかも怪しいのだ。
「問題は、どうやって──……」
顔を上げ、アグレアスの位置を再度確認して、その視界の端に現れた影に気付いてギルバートは口を噤んだ。
それから、そっと傭兵達に目配せする。口元が緩んでしまわないように、細心の注意を払った。傭兵の男も、顔を硬直させて頷く。それから声を上げた。
「ギルバート! もう一度だ! 諦めんな!!」
傭兵の男が叫んだ台詞は、少し棒読み気味だった。ベレスフォルドの騎士も何事か察したのだろう、複数人で応えるように雄叫びを上げてアグレアスに斬りかかる。
ギルバートもまた、組紐を引いて戦斧を床から引き抜いて、がむしゃらに大きく振りかぶった。
アグレアスは笑みを零し、余裕の表情で、全ての攻撃を避けて軽やかに後ろに跳ぶ。
その胸を、後ろから白刃が貫いた。
「……実戦経験が不足しているようだな、後ろががら空きだ。ディラン・アグレアス・ジエメルド」
アグレアスの背後からその身を貫いたのは、ライオネルだ。
「くそ、次から次へと湧いてきやがって!」
傭兵の男が悪態をついているが、そこに悲壮感はまだ無い。それに励まされている気分になって、ギルバートは困ったように笑って、赤黒い粘液の波に向かって戦斧を再び横薙ぎにした。
先ほど感じた殺気は霧散して、位置は掴めない。だが、時折こちらを視ているような気配を感じる。
「……待たせたな、すまぬ」
そう言って後ろから駆けて来たのは、矢傷の治癒を受けていた司祭シドニーだ。
「もう平気なのか? 無理は禁物だろ」
「はは、ここでへばって居られるか。西方大教会の威信に掛けて、不死スライムが、全て消滅するのを見届けるさ」
そう言ってシドニーは再び広域結界を展開して、不死スライムの進行を妨害する。治癒と回復を施されたとはいえ、まだ本調子では無いのだろう、完全に隔ててしまえるほどではない様子だ。それでも策を考える余裕は生まれる。
「問題は、これの全体像が分からない事だな……」
「闘技場のアリーナの床下は基礎の足場で大きな空洞がある。それにこの様子だと、王都の地下水路と繋げてあったと考えられるな……」
シドニーは険しい顔で苦笑いした。目の前に姿を現している不死スライムでさえ、ジエメルド領に居たそれの軽く十倍はあるように感じられる。
それが地下にもまだ潜んでいるとなれば、途方もない量だ。
「……! シドニー様、お下がりください!」
ふいにベレスフォルドの騎士の一人が叫び、シドニーの前に盾を構える。ギルバートと傭兵達が更に取り囲んで周囲を警戒した。確かに僅かな一瞬、殺気が向けられた。
目を凝らせば、赤黒い泥の山から駆け下りて来る人影が見える。
「なんだあれ……魔獣? いや、人間、なのか……?」
姿かたちがはっきりとわかる頃には、誰もが息を飲んだ。美しい貴族然とした男の上半身に、赤黒い泥に塗れた歪な獣の四肢が癒着している。それは異形としか言いようの無い姿をしていた。
「あの顔……、あれこそがディラン・アグレアス・ジエメルドだ、気を付けろ。奴め……不死化だけでは飽き足らず、正真正銘の化け物になりおったか……」
後方に身を顰めながら、シドニーが呟いた。
「正気かよ……」
「不死化する事で不死スライムと融合して、肉体を再構築したという事でしょうか……」
「鉄食いは確かに、食った金属から再度金属を生成したりする。他にも魔力の影響でそういう作用を持つ種の話は聞いた事がある」
魔獣に詳しい傭兵の説明を聞いて、ギルバートは虫唾が走る思いで身震いした。
後方からシドニーと聖職者達が結界を多重に張り巡らせるが、やはりすり抜けてくる。あの状態でもまだ不死化は不完全なのかと思うと吐き気すら覚える。
やがてそれは音もなく前方に降り立った。貴族然とした笑みを浮かべる顔は、その姿にもこの状況にも不釣り合いで、不気味さを余計に際立たせる。
「新しき聖騎士の皆さん、無駄働きをご苦労さまです。時間の無駄である事を知っていただく為に、終わらせに参りました。おや、随分と立派な戦斧ですね。……しかし、結局のところ、その程度では追い付かないでしょう?」
芝居がかった口調で語るアグレアスに、ギルバートは半笑いを浮かべた。
──何だこいつ……。腹も立つが、この口振り、まだ何かあるんだろうな……。
確かにアグレアスの言う通り、いくら不死スライムを倒したところで、減らせているという感覚には程遠い。一時、近くの安全は確保できても、遠目に見える山は減りもしない。むしろ……。
「増えてる……?」
アグレアスの後ろにそびえる赤黒い泥の山を見ていたギルバートは、ぼそりと呟いた。
先ほどベレスフォルドの騎士達が、突然不死スライムが引いたと言っていた。一か所に集まっていると考える事も出来るが、それだけでは無いように思えた。
「貴方は、勘が良いようですね。その通り、餌を食らった粘性魔菌は、分裂を繰り返し増殖するものでしょう?」
それを聞かされて、ギルバートは険しい顔をして息を吐いた。ただでさえ不死の存在が、更に増殖していくとなれば、手の打ちようが無くなる。
「まぁ、これほどの数の聖剣も、その戦斧も、些か想定外でしたね。詰めが甘かった事は認めましょう。しかし増殖速度と殲滅速度の勝負など、時間の浪費でしかありませんので」
そう言うと、アグレアスは獣状の胴体から細身の長剣を取り出した。
もはや驚く気力も無い。恐らくそれは鉄食いの鉄の再構築を利用したのだろう。
「……あいつ、不死スライムを制御してんのか?」
傭兵の男が小声で呟いた。
「本来のスライムは思考など持たないはず。この男が全てを操っているのであれば、倒しておくべきですね」
ベレスフォルドの騎士が告げる言葉に、皆頷いた。
問題はどうやって倒すかだ。こちらが多勢だが、相手は成りそこないとはいえ不死の身体、どれだけ傷を与えたところで無限に再生してしまう。
猶更たちが悪いのは、成りそこないであるが故に、不死スライムのように単純に一撃を与えただけでは消滅もしないだろう事は、つい先ほどの敵騎士との交戦でわかっている。
あるいは女神の加護で再生そのものは止められたとしても、増殖するスライムから出来た肉体を相手に、どの程度効果があるのかも定かで無い。
「成りそこないも、首を落とせば消滅するが。戦いの心得がある人間の首を落とすのは簡単じゃないな……」
対人戦で首を斬り落とすなど、実際は容易な事ではない。まだ生身の相手であれば、やりようはいくらでもあるが、そうもいかない相手だ。
一方で、ただこうして睨み合っているだけでも、向こうに都合良く不死スライム増殖の時間を与えてしまう。そもそもアグレアスはそれが狙いなのかもしれない。仕掛けてくる様子が無い。
幸いなのは、一人で多数を相手にしているせいか、アグレアスがフローラ達に狙いを変える気配が無い事だけだ。
ギルバート達は出方を窺いながら、じりじりと少しずつ距離を詰めた。この状況では、人数差が唯一の勝利の鍵だろう。傷を負わせて、再生にしろ増殖にしろ、どのくらい時間が稼げるかは博打だ。
傭兵やベレスフォルドの騎士と目線で合図を送り、同時に攻撃を仕掛けた。
傭兵と騎士がそれぞれ両側から仕掛けた同時攻撃を、アグレアスは長剣を使い身を翻して避けた。その隙を突いてギルバートが戦斧の一閃を叩きこむ。
しかしそれは掠りもせずに、戦斧は床板に深く食い込んだ。
武器を構えていても交戦する気も無さそうなアグレアスは、素早くこちらの動きを読み、半身を成す魔獣の身体能力によって攻撃を躱してしまう。
「……くそ、駄目か」
加護を強く受けていようとも、戦斧はそもそも対人の接近戦では不利だ。対不死スライムの時のように、雷撃の範囲攻撃も生じなかった。
ギルバートはそれを、自身の迷いのせいだと感じていた。
「こいつが全ての元凶なら、消滅で終わらせていいものか……」
「それは同意だな。奴は人として裁かれるべきだ」
胸のうちを呟けば、後方からシドニーが同意する。だがその為の手段が思い浮かばず、その上、一撃を与えられるかも怪しいのだ。
「問題は、どうやって──……」
顔を上げ、アグレアスの位置を再度確認して、その視界の端に現れた影に気付いてギルバートは口を噤んだ。
それから、そっと傭兵達に目配せする。口元が緩んでしまわないように、細心の注意を払った。傭兵の男も、顔を硬直させて頷く。それから声を上げた。
「ギルバート! もう一度だ! 諦めんな!!」
傭兵の男が叫んだ台詞は、少し棒読み気味だった。ベレスフォルドの騎士も何事か察したのだろう、複数人で応えるように雄叫びを上げてアグレアスに斬りかかる。
ギルバートもまた、組紐を引いて戦斧を床から引き抜いて、がむしゃらに大きく振りかぶった。
アグレアスは笑みを零し、余裕の表情で、全ての攻撃を避けて軽やかに後ろに跳ぶ。
その胸を、後ろから白刃が貫いた。
「……実戦経験が不足しているようだな、後ろががら空きだ。ディラン・アグレアス・ジエメルド」
アグレアスの背後からその身を貫いたのは、ライオネルだ。
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