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55.願掛けと過去と①
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ギルバートはフローラと二人並んで、馬車の中で壁を背にして黙々と手作業をしていた。ギルバートは小振りなナイフを手に木材を削って葉の形のボタンを作り、フローラはシャツに刺繍を刺している。
作っているのは、ライオネルやドルフ達、それからケルヴィム領からずっと一緒に行動してくれている私兵団員や傭兵達、聖職者達に贈る為のものだった。
バーバラの発案で作り始めた、仲間達の安全を願うちょっとした願掛けだ。バーバラが、これは祝福のお裾分けなのだと言うので、ボタンも刺繍もアイビーの模様を真似ている。
しばらく馬車から出ずに待機を命じられているものだから、ウレリ川南下の準備のうち、やれる事は終わってしまった。だからこうして、空いた時間を使ってフローラと共にささやかな願掛けの作業をしている。短い間にすっかり気心の知れた仲間が、この先も無事である事を祈って。
ギルバートは、やすり掛けが終わったアイビー型のボタンに息を吹きかけて木くずを飛ばして、指先で撫でて形を確かめ、床に置いた器に入れると顔を上げた。
視線の先には、柔く笑みを浮かべながら、手元に集中しているフローラの横顔がある。針から伸びる淡い緑の刺繍糸が布を往復する度に、布の上に鮮やかなアイビーの葉が形づくられていく。
作業をじっと見られては落ち着かないだろうと思うのに、目が離せない。フローラと二人、こうして誰かを想い、手を動かして形あるものを作るこの静かな時は、何よりも幸福な時間に思えた。
逼迫した不穏な状況にあるのだというのに、穏やかで、満たされている瞬間が確かにここにある。満ち足りた心が生むのは、この先に起こるどんな恐ろしい事も跳ね返せると思えるような、泰然自若たる確信だ。
「こいつは素敵だ! いいねぇ、皆も大喜びするんじゃないかい?」
「そうなんです。凄く素敵なので、ギルバートさんの分と、自分用にも作ってしまおうと思っています!」
バーバラが出来上がったシャツを見て、にこにこと笑っている。
作業の手を止めたフローラが顔を上げて、頬を微かに染めて楽しそうに笑い返していた。
そんなフローラを見て、ギルバートは顔が熱くなっていく気がして口元から顔半分を片手で覆った。動揺するようにきょろきょろと視線を動かして、それでもやっぱり視線はフローラの顔にすぐに辿り着いてしまう。
──くっ……、可愛い。ずっと見ていたい……。
戦況の危うい時に何を考えているのかと思いはすれど、溢れる感情という物は制御が利かないのだ。静寂の中で手作業に集中する穏やかな時間も、こんなひと時も、どちらも永遠に続けばいいなんて思ってしまう。
そして──、諸事情により女性の扱いに慣れていないギルバートの目下の悩みは、そこから更に一歩踏み込んでしまいたい自分の欲を、どうやって誤魔化すかだった。
胸ポケットに隠し持っているまだ作りかけの、フローラへの贈り物を、ぎゅっと握る。まるで自分の心臓ごと握っているみたいな気分だ。
そこに宿るのが祝福だけならいいが、もっと近付きたいだの、触れたいだのと、よこしまな感情まで混ざってしまいやしないかと、近頃はそれが心配でそちらの作業が進んでいないのだ。
──こんな、国が色々とやばい時に、妙な事考えてたら、女神様に怒られるだろ……!?
今、自分を制御する為の戒めの言葉は専らそれである。
やらなければならないことがある。護りたいものがある。だからこそ今は不埒な感情を抑え込んで、何とか己を律していた。
◆◆◆
準備を進めながら二日も経った頃、回復の済んだ老騎士クラークがライオネルを通じてギルバート達を呼び出した。ジエメルド公爵の意識が戻ったらしい。
「閣下が、『標の魔法使い』にお会いになりたいと。貴方がたに、ふたごころあっての事ではございません」
申し出を受けて、馬車の護りを傭兵達に任せると、ライオネルや司祭シドニーを含む残り全員で謁見に応じた。
ベッドに臥せったまま、ジエメルド公爵はギルバートとフローラ、そしてドルフとバーバラを順に視線で追うと、涙を流した。元の病もあって衰弱が酷く、話をするのもやっとの様子に見えた。
「標の魔法使いが、再び我が領に足を踏み入れてくださるとは……」
掠れた声でそう告げると、それ以上言葉にならぬように震えている。
健勝の頃から傍仕えも兼任していたという老騎士クラークが、公爵を労わるようにその背を撫で、かわりに話を続けた。
「私からまずはお話しましょう。皆さまは、前回の聖剣に纏わる話はご存じですか」
「前回……? 百十八年前に南の小国に顕現したという聖剣の話か?」
それには司祭シドニーが答えた。
「左様です。その後の話は、殆ど表には残っていないでしょう。ジエメルドに残る記録書によれば、今から百十五年ほど前、私や公爵閣下の曽祖父の時代のこと。当時まだ一国であった我がジエメルドは、不死魔獣の混ざる魔獣の大量襲撃に見舞われ、その聖剣と使い手を国に招致したそうです」
「何と、初めて聞いたな!?」
シドニーが驚きの声を上げた。
「外には伝わってはおりませんでしょう。……何故なら、我がジエメルドは、聖剣の使い手に同行していた標の魔法使いを、そうとは知らずに……殺してしまったのです」
息を飲む複数の音が、空気を揺らす。
それから、ジエメルド公爵が顔を上げ、クラークの語る先を続けた。
「記録書によれば、聖剣の力はたちどころに消え失せ、我がジエメルドは窮地に立たされた。隣国──つまりは今のこの国ギルグラドから支援を受け、十年を要して何とか討伐は果たしたが……大勢の民が亡くなり、莫大な借金が残り、国としてはもう、立ち行かなくなった。それがこの国への併合を受け入れざるを得なくなった真実だ」
ジエメルド公爵は、老いて病にやつれた身をなんとか起き上がらせると、遠くを見ていた。
作っているのは、ライオネルやドルフ達、それからケルヴィム領からずっと一緒に行動してくれている私兵団員や傭兵達、聖職者達に贈る為のものだった。
バーバラの発案で作り始めた、仲間達の安全を願うちょっとした願掛けだ。バーバラが、これは祝福のお裾分けなのだと言うので、ボタンも刺繍もアイビーの模様を真似ている。
しばらく馬車から出ずに待機を命じられているものだから、ウレリ川南下の準備のうち、やれる事は終わってしまった。だからこうして、空いた時間を使ってフローラと共にささやかな願掛けの作業をしている。短い間にすっかり気心の知れた仲間が、この先も無事である事を祈って。
ギルバートは、やすり掛けが終わったアイビー型のボタンに息を吹きかけて木くずを飛ばして、指先で撫でて形を確かめ、床に置いた器に入れると顔を上げた。
視線の先には、柔く笑みを浮かべながら、手元に集中しているフローラの横顔がある。針から伸びる淡い緑の刺繍糸が布を往復する度に、布の上に鮮やかなアイビーの葉が形づくられていく。
作業をじっと見られては落ち着かないだろうと思うのに、目が離せない。フローラと二人、こうして誰かを想い、手を動かして形あるものを作るこの静かな時は、何よりも幸福な時間に思えた。
逼迫した不穏な状況にあるのだというのに、穏やかで、満たされている瞬間が確かにここにある。満ち足りた心が生むのは、この先に起こるどんな恐ろしい事も跳ね返せると思えるような、泰然自若たる確信だ。
「こいつは素敵だ! いいねぇ、皆も大喜びするんじゃないかい?」
「そうなんです。凄く素敵なので、ギルバートさんの分と、自分用にも作ってしまおうと思っています!」
バーバラが出来上がったシャツを見て、にこにこと笑っている。
作業の手を止めたフローラが顔を上げて、頬を微かに染めて楽しそうに笑い返していた。
そんなフローラを見て、ギルバートは顔が熱くなっていく気がして口元から顔半分を片手で覆った。動揺するようにきょろきょろと視線を動かして、それでもやっぱり視線はフローラの顔にすぐに辿り着いてしまう。
──くっ……、可愛い。ずっと見ていたい……。
戦況の危うい時に何を考えているのかと思いはすれど、溢れる感情という物は制御が利かないのだ。静寂の中で手作業に集中する穏やかな時間も、こんなひと時も、どちらも永遠に続けばいいなんて思ってしまう。
そして──、諸事情により女性の扱いに慣れていないギルバートの目下の悩みは、そこから更に一歩踏み込んでしまいたい自分の欲を、どうやって誤魔化すかだった。
胸ポケットに隠し持っているまだ作りかけの、フローラへの贈り物を、ぎゅっと握る。まるで自分の心臓ごと握っているみたいな気分だ。
そこに宿るのが祝福だけならいいが、もっと近付きたいだの、触れたいだのと、よこしまな感情まで混ざってしまいやしないかと、近頃はそれが心配でそちらの作業が進んでいないのだ。
──こんな、国が色々とやばい時に、妙な事考えてたら、女神様に怒られるだろ……!?
今、自分を制御する為の戒めの言葉は専らそれである。
やらなければならないことがある。護りたいものがある。だからこそ今は不埒な感情を抑え込んで、何とか己を律していた。
◆◆◆
準備を進めながら二日も経った頃、回復の済んだ老騎士クラークがライオネルを通じてギルバート達を呼び出した。ジエメルド公爵の意識が戻ったらしい。
「閣下が、『標の魔法使い』にお会いになりたいと。貴方がたに、ふたごころあっての事ではございません」
申し出を受けて、馬車の護りを傭兵達に任せると、ライオネルや司祭シドニーを含む残り全員で謁見に応じた。
ベッドに臥せったまま、ジエメルド公爵はギルバートとフローラ、そしてドルフとバーバラを順に視線で追うと、涙を流した。元の病もあって衰弱が酷く、話をするのもやっとの様子に見えた。
「標の魔法使いが、再び我が領に足を踏み入れてくださるとは……」
掠れた声でそう告げると、それ以上言葉にならぬように震えている。
健勝の頃から傍仕えも兼任していたという老騎士クラークが、公爵を労わるようにその背を撫で、かわりに話を続けた。
「私からまずはお話しましょう。皆さまは、前回の聖剣に纏わる話はご存じですか」
「前回……? 百十八年前に南の小国に顕現したという聖剣の話か?」
それには司祭シドニーが答えた。
「左様です。その後の話は、殆ど表には残っていないでしょう。ジエメルドに残る記録書によれば、今から百十五年ほど前、私や公爵閣下の曽祖父の時代のこと。当時まだ一国であった我がジエメルドは、不死魔獣の混ざる魔獣の大量襲撃に見舞われ、その聖剣と使い手を国に招致したそうです」
「何と、初めて聞いたな!?」
シドニーが驚きの声を上げた。
「外には伝わってはおりませんでしょう。……何故なら、我がジエメルドは、聖剣の使い手に同行していた標の魔法使いを、そうとは知らずに……殺してしまったのです」
息を飲む複数の音が、空気を揺らす。
それから、ジエメルド公爵が顔を上げ、クラークの語る先を続けた。
「記録書によれば、聖剣の力はたちどころに消え失せ、我がジエメルドは窮地に立たされた。隣国──つまりは今のこの国ギルグラドから支援を受け、十年を要して何とか討伐は果たしたが……大勢の民が亡くなり、莫大な借金が残り、国としてはもう、立ち行かなくなった。それがこの国への併合を受け入れざるを得なくなった真実だ」
ジエメルド公爵は、老いて病にやつれた身をなんとか起き上がらせると、遠くを見ていた。
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