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54.あがくもの
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伝令に来た近衛兵から火急の呼び出しと言われ、王太子アレクシスは謁見の間に足を運んだ。
僅かな時間を経て退室すると、その表情は堪えきれないような怒りを秘めていた。
侍従が気遣うような視線を向けて来ている。
国王の火急の用件とは、現婚約者であるアマンダ・エイム・ベレスフォルドとの婚約を解消し、聖剣の威光により縁を望む他国の姫を娶れという話だった。
白くなるほど拳を握り締めて、足早にその場を離れた。
──大方、ジエメルド公爵家から何か吹き込まれたのだろう。ベレスフォルド家が邪魔になったか……。
婚約者であるアマンダの家門ベレスフォルド侯爵家は、王国の中部から南部全域の国境を護る国防の最大派閥の筆頭だ。北部の不死魔獣討伐時も、他国や賊がその隙を狙って侵攻せぬように牽制していた影の功労者でもあった。
──アマンダに頼り過ぎたな……。それでも、今は。
今頃になってこのような話が出るのは、フローラ・カディラの件が少なからず関係しているのだろう。裏を返せば、それだけ都合の悪い何かがあるのだとも思う。脳裏には己が唯一無二と定めた、一番信頼している少女の顔が浮かぶ。
「ベレスフォルド家に先触れを。侯爵閣下に話があると伝えてくれ。それと、ケビンという名の下級騎士も呼んでおいてくれ。頼みたい事があると」
詰まらない醜聞で立場の弱いアレクシスにとって、使える手札は今はそう多くは無い。それでも、今自身が感じている不穏な危機感を、そのまま放置は出来なかった。
「ジエメルド家は間違いなく何か企てている。……彼にとって、父上はさぞや御しやすかろうな」
自室に戻れば、そう独り言ちた。
現国王である父は、王としては凡庸である事を、長く劣等感としてうちに秘めていた様子だった。かといって大それた事の出来る器では無いと、皮肉にも血の繋がった息子である自分でさえそう思うのだ。
以前はそれでも、凡庸と言われようとも、平和な時勢であれば決して愚王ともならないだろうと思わせるような、穏やかな人柄だった。
──聖剣とは、望外の力とは、厄介なものだな。心の弱い者には、過ぎた力は毒にもなる。
王太子アレクシスは、窓の外を見て長く溜息を吐く。
護りたいものはたくさんあった。どれだけささやかであれ、諦められずに足掻く事ばかり考える。
◆◆◆
エミリーは王宮に戻ると、逃げ込むように聖堂に向かった。
今ではもう、祈る事だけが目的ではなくなっている事には気付いている。
体調が悪いといって迂闊に部屋に引き籠って居て、そこへエリオットや上級騎士達に見舞いに来られる事さえ、恐ろしかった。
討伐の場で、自分がとってしまった行動が、彼らにどう思われたのか。いつだって献身的で居たはずの自分が、初めて見せてしまった逃避が、彼らに与えただろう違和感。
それを想像も出来ないほどに愚かでも無かった。けれどもそのせいで、恐怖はうちに募るばかりだ。
──もし、気付かれて、聞かれても、答えられない。理由なんて、わからないもん……。
いっそ力の喪失を誰かのせいにしてしまえたら。そんな事を考える。
──あたしのせいじゃない。あたしは、自分が聖女だなんて、一度も言った事ないんだよ。勝手に持ち上げたのは周りの人たちでしょ。……なんで今になって、こんなに苦しい思いしなきゃいけないの。
そんな事を頭の中でぐるぐると思いながら、震える手を組み、祈りの姿勢を取る。そうして居れば、少なくとも誰もエミリーの邪魔をしない。誰も疑惑を口にしたりなどしない。
聖堂の重い扉が開いて、誰かが入ってくる気配がした。目を閉じて息を飲む。
「聖女様、今日も祈られているのですね。流石は、熱心ですね」
穏やかな、聞き覚えのある声に、目を開け顔を上げた。
「あ……ディラン様……」
見上げた先に居たのは、齢三十になっても若々しく美しい男。ディラン・アグレアス・ジエメルドが向けてくる柔らかな笑みに、陰りはない。エミリーはどこかほっとしたように肩の力を抜いた。
アグレアスはそのまま女神像に視線を動かすと、独り言のような言葉を呟いた。
「聖職者が使う魔法の強さと、聖女の祈りがもたらすものは、別のものです。そうでなければ、高名な聖職者は皆、聖人か聖女と呼ばれていなければ、おかしいですからね。だからこそ、貴女の祈りは特別だ」
それはまるで、今のエミリーに対する慰めと激励のようにも聞こえた。エミリーは微かに頬を染めて、アグレアスを仰ぎ見た。
「そ、それって、祈ってる事は、無駄にならないっていう、意味ですよね……?」
アグレアスがエミリーの今の状況を知るはずもないのに、それでもその言葉は救いに思えた。振り返る美しい男が、自分に向ける笑みに、縋るように視線を送る。
──そうだよ。あたしが聖剣を授けたって、皆が言ってたじゃない……。
エミリーは最後の希望にしがみつくように、再び祈りの姿勢を取った。
僅かな時間を経て退室すると、その表情は堪えきれないような怒りを秘めていた。
侍従が気遣うような視線を向けて来ている。
国王の火急の用件とは、現婚約者であるアマンダ・エイム・ベレスフォルドとの婚約を解消し、聖剣の威光により縁を望む他国の姫を娶れという話だった。
白くなるほど拳を握り締めて、足早にその場を離れた。
──大方、ジエメルド公爵家から何か吹き込まれたのだろう。ベレスフォルド家が邪魔になったか……。
婚約者であるアマンダの家門ベレスフォルド侯爵家は、王国の中部から南部全域の国境を護る国防の最大派閥の筆頭だ。北部の不死魔獣討伐時も、他国や賊がその隙を狙って侵攻せぬように牽制していた影の功労者でもあった。
──アマンダに頼り過ぎたな……。それでも、今は。
今頃になってこのような話が出るのは、フローラ・カディラの件が少なからず関係しているのだろう。裏を返せば、それだけ都合の悪い何かがあるのだとも思う。脳裏には己が唯一無二と定めた、一番信頼している少女の顔が浮かぶ。
「ベレスフォルド家に先触れを。侯爵閣下に話があると伝えてくれ。それと、ケビンという名の下級騎士も呼んでおいてくれ。頼みたい事があると」
詰まらない醜聞で立場の弱いアレクシスにとって、使える手札は今はそう多くは無い。それでも、今自身が感じている不穏な危機感を、そのまま放置は出来なかった。
「ジエメルド家は間違いなく何か企てている。……彼にとって、父上はさぞや御しやすかろうな」
自室に戻れば、そう独り言ちた。
現国王である父は、王としては凡庸である事を、長く劣等感としてうちに秘めていた様子だった。かといって大それた事の出来る器では無いと、皮肉にも血の繋がった息子である自分でさえそう思うのだ。
以前はそれでも、凡庸と言われようとも、平和な時勢であれば決して愚王ともならないだろうと思わせるような、穏やかな人柄だった。
──聖剣とは、望外の力とは、厄介なものだな。心の弱い者には、過ぎた力は毒にもなる。
王太子アレクシスは、窓の外を見て長く溜息を吐く。
護りたいものはたくさんあった。どれだけささやかであれ、諦められずに足掻く事ばかり考える。
◆◆◆
エミリーは王宮に戻ると、逃げ込むように聖堂に向かった。
今ではもう、祈る事だけが目的ではなくなっている事には気付いている。
体調が悪いといって迂闊に部屋に引き籠って居て、そこへエリオットや上級騎士達に見舞いに来られる事さえ、恐ろしかった。
討伐の場で、自分がとってしまった行動が、彼らにどう思われたのか。いつだって献身的で居たはずの自分が、初めて見せてしまった逃避が、彼らに与えただろう違和感。
それを想像も出来ないほどに愚かでも無かった。けれどもそのせいで、恐怖はうちに募るばかりだ。
──もし、気付かれて、聞かれても、答えられない。理由なんて、わからないもん……。
いっそ力の喪失を誰かのせいにしてしまえたら。そんな事を考える。
──あたしのせいじゃない。あたしは、自分が聖女だなんて、一度も言った事ないんだよ。勝手に持ち上げたのは周りの人たちでしょ。……なんで今になって、こんなに苦しい思いしなきゃいけないの。
そんな事を頭の中でぐるぐると思いながら、震える手を組み、祈りの姿勢を取る。そうして居れば、少なくとも誰もエミリーの邪魔をしない。誰も疑惑を口にしたりなどしない。
聖堂の重い扉が開いて、誰かが入ってくる気配がした。目を閉じて息を飲む。
「聖女様、今日も祈られているのですね。流石は、熱心ですね」
穏やかな、聞き覚えのある声に、目を開け顔を上げた。
「あ……ディラン様……」
見上げた先に居たのは、齢三十になっても若々しく美しい男。ディラン・アグレアス・ジエメルドが向けてくる柔らかな笑みに、陰りはない。エミリーはどこかほっとしたように肩の力を抜いた。
アグレアスはそのまま女神像に視線を動かすと、独り言のような言葉を呟いた。
「聖職者が使う魔法の強さと、聖女の祈りがもたらすものは、別のものです。そうでなければ、高名な聖職者は皆、聖人か聖女と呼ばれていなければ、おかしいですからね。だからこそ、貴女の祈りは特別だ」
それはまるで、今のエミリーに対する慰めと激励のようにも聞こえた。エミリーは微かに頬を染めて、アグレアスを仰ぎ見た。
「そ、それって、祈ってる事は、無駄にならないっていう、意味ですよね……?」
アグレアスがエミリーの今の状況を知るはずもないのに、それでもその言葉は救いに思えた。振り返る美しい男が、自分に向ける笑みに、縋るように視線を送る。
──そうだよ。あたしが聖剣を授けたって、皆が言ってたじゃない……。
エミリーは最後の希望にしがみつくように、再び祈りの姿勢を取った。
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