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21.自己矛盾

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 エミリーは憂鬱だった。

 ──結局、あたしの出番、無かったなぁ……。

 馬車の窓から、王都の景色をぼんやり眺めながら、そんな事を考える。

 王都北東部に不死魔獣アンデッドが出現したという報せを聞いた時、頑張って褒めてもらえる絶好の機会だ、と張り切っていた気分が沈んでいく。
 綺麗なドレスを着替える間もなく同行した為に、この国で一番豪華な馬車に乗せてもらった。けれども気分は晴れない。

 ──国王様は、褒めてくれたけど。でも、あんまりお話出来なかったし……。

 今回使用された王族用の馬車は八人が乗れる大きなもので、間仕切りで前後に分かれている。エミリーが乗せてもらったのは、従者達が同乗する側の席だった。期待していたほど国王と接する時間は無く、幾らか褒め言葉を貰ったきりだった。

 ──思ったよりも、全然楽しくない。あーあ、戦場に居た頃に戻りたいなぁ。

 遠く空を見た。

 王都でさえ、エミリーにしてみれば、憧れの場所だった。何も無い退屈な地方領に生まれ、見習い僧侶クレリックをしていた頃に比べたら、想像もつかなかったかったような場所に居る。見た事も無い綺麗なドレスを着せてもらって過ごす王宮での生活に、初めは心が躍った。
 
 だけど三日もしないうちに、それが想像していたより詰まらないと思うようになっていた。

 ──綺麗なドレスを着たって、褒めてくれる人が居なきゃ意味ないよ。

 エリオットも、騎士達も、それぞれが毎日、報告やら会議やら、何かの準備やら、訓練やらと、何かしらの予定に追われていて、自分と過ごす時間がほとんど無い。どんなに綺麗に着飾っても、それを見て褒めてくれる人が居ない環境は、それほど楽しくは思えなかった。

 戦場に居た頃は、不死魔獣アンデッドの戦いが終わる度に、頑張ったら頑張った分だけ皆たくさん褒めてくれて、いつも周りにたくさん人が居て、毎日が充実していて、エミリーは


 静かな馬車の中で一人、エミリーは想像する。

 もしも、今、この馬車が不死魔獣アンデッドに襲われたら。それで国王が怪我をしたら。その時に自分が国王を助けて、傷を癒し、浄化をしてあげて、そうなったらきっと、誰もがエミリーを褒めて感謝してくれる。そんな空想に浸る。



「エミリー様、おかえりなさいませ」

 王宮に着くと、美しく着飾った若い貴族女性が出迎えてくれた。エミリーより一つ年上だという彼女は、次期公爵夫人で、毎日エミリーに淑女教育を指導してくれる。

「あー、マリアンヌさん、えっと、今日はこれから淑女教育……です、よね」
「ええ、頑張りましょうね」

 そう微笑むマリアンヌは、平民出身のエミリーに対しても親切で優しい。見下されたり、馬鹿にされると思っていたエミリーはそれが意外だったが、その一方で、彼女が苦手でもあった。
 エリオットと婚姻すれば、エミリーは伯爵夫人という立場になるとあって、淑女教育は欠かす事が出来ない。それは理解しているし、その教育を主立って担当してくれるマリアンヌが、温厚で優しい事は恵まれているのだろう。

 ──でもこの人、何にも褒めてくれない。

 平民の出自ゆえに、何もかもが覚束ないエミリーに対して、叱責も嫌味もなく、いつだって柔らかい笑みを浮かべてくれる。初めはその事に安堵していたが、日も浅いうちから、それが徐々に憂鬱になっていった。
 
 エミリーにとっては、貴族の作法も礼節もわからない事だらけで難しい。何度やってもなかなか出来ない、覚えられない、という事実は劣等感ばかり煽って、少しも楽しくはない。学ぶ内容そのものだって、酷く退屈だ。

『大丈夫ですよ、出来ますよ』
『頑張りましょうね』
『さぁ、諦めないで、もう一度やってみましょう』

 失敗してばかりのエミリーに、そんな優しい言葉が、ずっと続く。マリアンヌのが、いつまでも終わらない楽しくない時間から、決して逃げる事を許してはくれない。

 ──このひとが、嫌味言ったり、怒ってくれたら。そしたらエリオットに慰めて貰えるのになー。

 決して口には出さないが、そんな事さえ思っていた。



 淑女教育を受ける為の部屋に向かう途中、マリアンヌが立ち止まった。
 王宮のいくつもある回廊の、一つ向こうに、数人の従者を引き連れて歩く、まだ僅かに幼さが残る青年の姿が見える。

「エミリー様、わたくしの真似で構いませんので」

 小声でそう呟くと、の人物が歩く回廊に向かってマリアンヌは背筋を伸ばし姿勢を整え、僅かに頭を傾け視線を下に向けた。エミリーも不慣れだがそれに倣う。周囲に居た使用人や貴族達も一斉に同じようにしたので、顔を見なくてもそれが誰なのかは察せられた。

 ──ああ、王子様かぁ。あの人もなんか……。あれ……?

 その人物が歩み去り、沈黙の時間が終わって顔を上げた時に、マリアンヌが見せた表情にエミリーは驚いた。
 立ち去る王子に向かって、笑みを消した、酷く冷たい目を向けている。そこには蔑みさえ含まれているように思えた。

 
 目的の部屋に着いて二人だけになると、エミリーは思い切ってマリアンヌに聞いてみた。

「ねぇ、あのね……もしかして、マリアンヌさんも、嫌いだったりとか、しちゃいます?」

 マリアンヌは驚いたように目を見開いて、周囲を一度確認するような素振りを見せた後で、にこりと笑みを浮かべた。

「エミリー様、誰かに聞かれたら不敬になります。どうかお気をつけくださいませ。でも……」

 そう言った後で、誰も居ない部屋だというのに、エミリーに顔を寄せ扇で口元を隠し、内緒話をするように囁いた。

「否定はいたしません。恥さらし、と呼ばれているのはご存じでしょう。これは他言無用ですよ」

 言い含めるマリアンヌに対して、エミリーは何度も頷いた。それを見てマリアンヌは、これまで見た事のないような、酷く冷淡な笑みを浮かべている。どこか、たのしそうにも見えた。だからエミリーも笑顔を返す。

 ──良かったぁ。この人も、こういうところあるんだ。

 エミリーは初めてマリアンヌを少し好きになった。


 
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