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1.別れの朝①
しおりを挟む「フローラ、すまない……」
戦地から帰還したばかりの夫エリオットは、生還の喜びを分かつ間もなく、まるで苦いものでも吐き出すような表情と声音で切り出しました。
彼の後ろには、共に戦地を駆けたというエリオットの部下達数名と、それからそのまた後ろに、可憐な容姿の女性が立っております。
騎士の正装に身を包んだ部下の方々は、夫の背後から、みな一様に笑みを消した真顔でこちらを見てます。
──まるで、睨まれているように錯覚してしまうのは、気の迷いでしょうか。
騎士団に下級騎士として所属するエリオットに、王国北部を襲った不死魔獣の討伐出征命令が下ったのは、予定していた結婚式の1週間ほど前でした。
北部では住む家を追われた方や、死傷者も大勢でており、王都にも不安が広がる中で、とても結婚式など出来るような時勢で無かった事も事実です。
教会で二人、神父のみが立ち会う最低限の式で済ませ、大切な任務に向かう夫を送り出しました。
それからの毎日は、持てる金銭の多くはなるべく義援金として教会に納め、できる限り質素に過ごしながら、夫の無事を女神様に祈る日々でした。
わたくしは南部農村地帯の貧しいながらも慎ましく暮らす子爵領の生まれで、領主を勤めるカディラ子爵の姪にあたります。
伯父の計らいで勉学の為に王都にやって来て三年、同じく南部出身で、準男爵家の次男であったエリオットとは、王立学園で出会いました。
出会った頃のエリオットは容姿は整っておりましたが落ち着いていて派手さもなく、努力家で生真面目な、都会のどこか浮ついた空気にも飲まれることの無い、実直な男性でした。
慎ましくも穏やかな交際を経て、彼が騎士として身を立てた頃に求婚を受けました。
わたくしは子爵家の縁者とはいえ平民でしたので、学園の卒業後は王都で針子をしておりました。
結婚式の日を楽しみに、貯めた給金で布を買い、晴れの日に身を飾るウェディングドレスを縫っておりました。
王国北部に大量の不死魔獣が押し寄せたと騒ぎになったのは、そんな日々のさなかでした。
──それから、夫が無事に生還するまでの、一年と八ヶ月。
「フローラ、聞いているのか?」
どこか咎めるような硬い声に顔をあげれば、眉間に皺を寄せて、出会ってから出征なさるまではついぞ見た事の無い険しい表情をしたエリオットと目が合います。
「……はい」
声が震えないように、努めて一言返すのが精一杯。
室内に気まずい沈黙が降りたあとで、エリオットの後ろに立っていた部下の方が一歩前に進み出ました。
「エリオット副団長、よければ俺が説得しましょうか」
そう──、出征時は下級騎士だったエリオットは、アンデッド討伐の渦中で、その剣に女神の加護を受け聖剣と成し、聖騎士の称号を与えられ、出征の最中にわずか一年たらずで王国騎士団の副団長となりました。
伝え聞くところによれば、エリオットが聖騎士となって以降の前線での活躍は凄まじかったそうで、今では国の英雄と呼ばれております。
「……いや、ここは俺が」
前に出た部下を押し留めて首を横に振ると、エリオットは再びこちらに向き、この家に来た時から手にしていた巻物をテーブルに起きました。
見間違えでなければ、封蝋は王家のものです。
それからエリオットは無言のまま封をとき、目の前に書面を広げてみせます。
「見ての通り、王命でもある。……だが、同時にこれは俺の偽らざる本心でもある」
堪えても滲む涙を悟られないように、わたくしは俯いたまま、無言で目の前にある紙面を凝視しました。
置かれた紙は2枚。エリオットの署名が既に入った離縁状と、国王の御名御璽の入った勅旨。
『手続き上の離縁ののち、遡ってフローラ・カディラとの婚姻事実そのものを無効とし、聖騎士エリオット・ウォルフ・トリスと聖女エミリーの婚姻を認めるものとする』
──教会で一度は女神様に誓いを立てた以上は、手続きとして離縁状が必要なのでしょう。その上でさらに遡って無かった事に、なんて、国王陛下も無慈悲でいらっしゃる。
文面を読みながら、どこか他人事のような感想が頭を過ぎります。わたくしは、まだこれが現実だと受け入れられていないのかもしれません。
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